わんことおひさまのふとん5
犬の成長は早い。
一歳で成人する勢いだ。
本当だったら、一か月にも満たない小犬のおれは3歳くらいなんだろうと思う。
一度、道端で同じくらいの奴に声を掛けたら「まんまと、ぶーぶー」しか言えないのに驚いた。
自分と比べて、余りの幼さにびっくりして思った。
おれ、少なくともわんこの世界では、お利口さんに入る部類かも。
おれはちびだけど不思議と色々なことを考えていたし、自分で言うのもなんだけどおれの「おひさまのおふとん」夏輝の気持ちがすごくよくわかった。
言葉も「わん」だったけど、切ない夏輝の心を知って、おれはそれからずっと夏輝と文太の事を考えていた。
おれの顔に顔射してしまった夏輝は、酷く落ち込んで枕に顔を埋めた。
一晩中声を押し殺して泣いた夏輝は、翌日の朝に起きて来た文太が驚くほど目を腫らしていた。
心配する文太に、親が亡くなった日の夢を見たんだと嘘をついた夏輝。
おれの中で、男前の父ちゃんの血が騒ぐ。
「泣くなよ、夏輝」って言ってやりたかった。
一宿一飯の恩義を受けて、お世話になった夏輝が泣いているのを見過ごしたりはできない。
夏輝は時々、哀しそうに前のおしっぽを立ち上げて「文太ぁ……」と呼んで涙をこぼした。
おれが一度、心配して膝にすり寄ったら、もっと泣いてしまったのであれからおれは見て見ない振りをしている。
俗にいう気遣いってやつだ。
おれは懸命に無邪気な子犬のふりをする。
おれはおれの大好きな「おひさまのおふとん」が、笑顔を取り戻してくれるためなら、なんだってするつもりだ。
「夏輝……くすん」
早く大きくなりたい。
こんなちっぽけなわんこじゃなく、鼻面に顔を寄せて涙を舐めとってやれる位、でかくなりたい。
そうしたら、思いっきり夏輝を抱きしめて、おれはニヒルにこういうんだ。
「おれの「おひさまのおふとん」夏輝。お前に涙は似合わないぜ。ほら、おれがいつだって傍にいるじゃねぇか」
……おれ、かっこいい。
夏輝のためにできることをしたくて、おれはそうっと夏輝が大学へ行った後、部屋を抜け出した。
おれは由緒あるおんぼろアパートの中庭で、猫たちに聞いたある祠を探すつもりだった。
猫たちはあらゆるところで集会を開く。
野良の犬猫が、無事に育つためには情報の共有が必要なのだ。
おれがもう少し大きくなったら移るはずの小屋でお昼寝をしていた時、偶然猫たちの話を聞いたのがきっかけだった。
ひょっこりと、小屋から顔を出したとき、一匹の猫が気付いて集会に参加させてくれた。
おれはちびだったから、子猫扱いだったのかもしれない。
「いいか、忘れるなよ。角の西野さんと、二丁目の杉田さんは、野良のおれたちにも餌をくれる。順番はここで決めてやるから、前の日に飯を食いっぱぐれたものは、妊婦、子供、雌、年よりの順番に行くんだぜ」
「わかったか?」
「向こうも年金暮らしだから、生活に余裕がねぇ。二度並びは厳禁だ。いいな。そして、出されたものは、多少臭いがしても綺麗に平らげる事。それがおまんまを戴く仁義ってもんだ」
「ああ、良かったねぇ。おとっつぁん、今日は何とか、おまんまにありつけそうだよう」
体の悪い雄猫に寄り添った三毛の娘は、心底嬉しそうだった。
身重の猫や子連れの猫、餌を取れなくなったものに、生きていくための情報は速やかに流されている。
猫のコミュニュティは見事に統率されていた。
ここいらの元締めの猫の親分は、義理猫情に厚く猫たちに慕われ尊敬されていた。
何でもエジプトあたりの高級猫の血が混じっているとかで、やっぱり親分ともなると血統も違うんだと思う。
「いいか、おまえら。良く聞けよ。そこの子犬の新入りもな」
親分の右腕が声を張り上げた。
「驚くなよ。この親分にはな、三毛だけじゃなく、おまえらに想像できないような外国の高貴な血が流れていなさるんだ。本来なら、お前たちなんか目通りかなわないような尊い血筋のお方よ」
「おお~……!」
「親分、かっこいい~!ひゅ~ひゅ~」
鯖トラ猫が、ふんぞり返った親分の前で厳かに告げていたけど、同じ立場のおれは知っている。
それ、「雑種」っていうんじゃない……?
ともかく、その集会で最近よく話題になるのが、「荼枳尼神社」の祠に封印されたという白狐の話だった。
何でもお寺の片隅にひっそりと合祀してある小さな神社には、狐稲荷ではなく白狐を神使に使う荼枳尼天という女神さまが祀られているらしい。
その荼枳尼天が乗っている白狐が粗相をやらかして、祠に封印されているらしかった。
かなり位の高い白狐で、神さま並みに動物を人型に出来る力を持っているという。
飼い主にどうしても思いを告げたくて、お百度を踏み、人型にしてもらった猫の話をおれは聞いた。
正直言って、動物の世界では人間は異端扱いだ。
自分たちは霊長類の天辺で、万物から尊敬されていると思って居るけど、それは違う。
むしろ、自然界の中では他の生き物からはちょっと距離を置かれている。
一部の野生の動物以外に積極的に関わりを持ってもらえないのが、何よりの証拠だ。
関わりを持つ動物たちの方がはるかに知能が高いのを、人間は知らなかった。
自分たちの「欲」のために、同種の命を狩るのは天にも地にも人間だけだ。
他のどの生き物も、自分たちの生命の為だけに少しの命を食料として狩るのに、人間は訳の分からない見えない境界線の為に互いを殺し合う。
何の食物連鎖にも属さない奴らは、知恵がつきすぎて、八百万の神さまたちも手に余しているらしい。
人間の目には神さまは見えないけど、おれたちの目にはちゃんと見えるんだ。
きっと、命の営みの輪からは仲間外れにされているんだよ。
そのうち、神様たちから、ひどいしっぺ返しを食らう日も近いかもしれない。
おれも夏輝に出会わなければきっと人間になんか金輪際、関わろうなんて思わなかったと思う。
おれから母ちゃんと父ちゃんと兄弟を取り上げた人間を、きっと深く恨んでいただろうから。
猫たちは陽だまりの集会で、色々な話をしてくれた。
「不思議なんだけどさ。おれが集会に誘った猫がいるんだけどさ、そいつたぶん人間になったと思うんだ」
「人間に……!?そいつ、猫又だったのか!?」
「いや、ただのガキだった。どうやら「荼枳尼神社」の祠に封印された白狐さまに人間にしてもらったらしいんだ」
「人間だけど、なんとなく同じ匂いのするやつっているだろ?あれはたぶん、人型にしてもらった猫なんだよ」
みんな驚いて頷きあっている。
案外、身近にそういう例があるのかもしれなかった。
「例えできるとしても、おれは白狐さまが簡単に誰でも人型にするのは信じられないんだけど」
確かにそう思う。
「それがさ、そいつの飼い主が何か重い病気になってさ、最後にどうしても拾ってもらったお礼が言いたいんだって言ってたな」
話を聞いていると、白狐さまはずいぶん話の分かる神様みたいだった。
「白狐さまって、どんな方なのかなぁ?」
おれはどうしても知りたくて、食い下がった。
「そうだなぁ……尻を振って歩くのが、発情期のおれらにはたまんねぇくらいいい女だったぜ」
「女?馬鹿野郎~、あいつ男だったぜ。ちゃんと、裏から金玉ぶら下がってたの見たことあるもの」
「まじで?お……おれ、盛りが付いたとき、知らずにやっちまうとこだった~。でもよ、人型の白狐さまってどういう塩梅だったんだ?」
「それがさ~、人間なんぞにするのもったいないくらいの、上玉でさ~……こう、しっぽがきゅっと上がって尻の形が良くってさ」
「惜しいなぁ、あの時やくざな狗神さえ邪魔に来なかったら、うまく交尾出来てたのにな。……雄だったけど」
「人間になったって、いいことなんて何もないと思うけどなぁ。飼い主ってそんないいものなのかなぁ」
彼等は口々に望んで人型になった変わりものの猫の噂話をしていた。
でも、それこそおれが求めている情報だった。
思いを告げられずに毎日泣いている夏輝の代わりに、大好きな文太に伝えてやりたかった。
夏輝の為に、早く人間になりたい……って、おれは雑種だけど妖怪じゃないぞ。
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