わんことおひさまのふとん4
夏輝の指を、いつものように吸っていると、ある日とても甘い匂いがした。
前足で押さえて思わず顔を見上げ、「きゅん~?(あれ~?)」と、聞いてみた。
「あはは……、甘いだろ?」
葉山夏輝は、おれが驚いたのを見て、ずいぶん嬉しそうだった。
ホットケーキのメイプルシロップを指先に塗って、おれがどんな反応をするか笑って観察していた夏輝。
それから時々、指先にちょっぴり塗ってくれる甘い密は、おれの大好物になった。
炊飯器で焼いたホットケーキは、卵の特売日のとっておきのおやつだ。勿論、蜜無しだけどね。
「さてと。そろそろ始めるか」
おれの飼い主は、大家さんの用事をするため、ねじり鉢巻きで立ち上がった。
「ナイトは、ペンキをひっくり返しそうだからさ、今日はここで見てろ」
古い手すりにレンタルしてきた電動サンダーをがんがん掛けて、夏輝は黙々と赤いさび止めを塗ってゆく。
見上げるとおれの「おひさまのふとん」はお日さまの中でオレンジ色に染まっていた。
速乾性のさび止めが半分乾いたころ、由緒あるマンションに来客があった。
「夏輝!手伝いに来たぜ~!」
初めて会う夏輝以外のいい奴、「文太」だった。
「あ、来てくれたんだ。助かるよ、文太。やること多くてさ」
文太は夏輝の友達で、おれがいつか成りたい男の姿をしていた。名前もおれが付けてほしいと願った好きな名前だった。
精悍な浅黒い肌、黒いタンクトップから突きでた腕に乗っかった力こぶは、おれと同じくらいの大きさだった。きりりとした眼差しの文太は、初めて会うおれを、無造作に抱き上げ頬を寄せた。
「こいつか、夏輝。めっちゃ可愛いじゃないか~、うわ~このちび、まじ殺人的に可愛い」
……可愛い?
違うよ。おれが可愛いわけない。
おれは、かあちゃんに似てなくて捨てられた一匹おおかみ……違うな……狗神とボルゾイの雑種だぞ!
夏輝はおれを抱きまくって遊ぼうとする文太を、すごく嬉しそうに見つめている。
おれの「ほんのう」が、その視線は「恋の季節」だとささやいた。
そうか。夏輝は文太に恋をしてるのか~……。
しかも、その寂しげな視線は、どうやら報われている感じだけど、気付いていない……?
うわ~、人間って不自由。
由緒あるアパートのペンキ塗りを終えた二人は、かわるがわる夏輝の部屋の小さな風呂に入った。
ざぶざぶと湯を使い、豪快に泡を飛ばしまくる文太は、おれを捕まえて丸洗いすると、狹い湯船に盛大に浸かっていた。
おれ用のタオルを半分に折って頭に乗せると、風呂の外の夏輝に声を掛ける。
「なあ、なあ、夏輝。ほら、こいつと2ショ撮って」
「文太、ばっかみたいだ」
そう言いながら夏輝は、失敗する振りをして文太の写真をアップで撮った。
「ナイトが動くから失敗しちゃった。もう一枚ね」
夏輝ったら、おれのせいにしたぞ。こっそり写真を確認して、頬を染めた夏輝は嬉しそうだった。
風呂から上がると、文太の差し入れの肉が並んでいた。
香ばしい匂いに野生の血をくすぐられて、興奮状態のおれは、こたつの周りをぐるぐる回った。
「こら、ナイト!」
貧乏学生の夏輝の、生活はかつかつだった。
おれを養うために早朝のバイトを増やしたくらいだ。
朝はいつも卵一個をご飯にかけて、半分こにした。
パンの耳に賞味期限ぎりぎりの牛乳をかけて、夏輝はおれの為にパン粥を炊く。時々は、魚肉ソーセージ。
蛙のお腹みたいに膨らんだおれのお腹をくすぐって、夏輝は笑っていた。
「お肉!お肉!お肉!」
おれははしゃぎまわり、夏輝と文太はおれを見て大笑いしてた。
お皿に顔を突っ込んで焼き肉のたれがべったりと付いた、おれの顔を見て二人はげらげらと笑った。
「駄目だぞ、ナイト。子犬用は、こっちの味のないやつじゃないと」
「泥棒みてぇ~。頬かむりさせてみようぜ」
『てめぇ、ふざけんなよ~!』← わん~!
結局、おれは心ならずもほっかむりの泥棒の格好をさせられて、写真に収められた。
ばか~!
その夜、おれたちは薄い布団に転がって、雑魚寝をした。
いつものように夏輝の指を吸いながら、おれは眠りについたが、その夜、おれは月明りの中、夏輝が文太の名を呼んで切なく啼くのをみた。
おれの吸っている指をそっと抜くと、夏輝は足の間にぶらさがった前のおしっぽをこすって、眠る文太の背中を見つめていた。
甘い匂いが、おれの鼻をくすぐる。
いつも舐めているメイプルシロップとは違う、もっと甘そうな匂い。
それは瓶に入った液体で(ローションというらしい)、おれは迷わず夏輝の指を舐めに行った。
「ナイト……、だめ、だめだって。これは、食べ物じゃないんだ」
独りで何舐めてんだよ~、ずるいぞ、夏輝。
甘ったるい匂いに、思わずたまらなくなって、夏輝の前しっぽを甘噛みしたら、夏輝がうめいた。
「あぅ……ああぁ……もう……ナイトったら……うっ」
夏輝は文太を起こさないように、そうっと足元を四つん這いのままで風呂場に向かった。
狹い風呂場で、おれの身体にシャンプーを振りかけ「ごめん」と何度も言いながら夏輝は声を殺して泣いていた。
狭い部屋の向こうでは、夏輝の好きな文太がペンキ塗りで疲れて眠っていた。
「汚しちまった。ごめんなぁ……ナイト」
おれを綺麗に洗ってくれながら、夏輝は切なげに泣いた。
夏輝の前しっぽが、ふるりと薄い桃色になって、文太が好きだと揺れていた。
可哀そうな夏輝……。
「おれの「おひさまのおふとん」、お前に涙は似合わないぜ」
きっと、おれの父ちゃんだったらニヒルにそういうはずだ。
父ちゃんみたいに、かっこいい台詞が似合うように、早く乳ばなれしなきゃ。
おれ。




