第十三話:武則天(ぶそくてん)――国の頂点まで、駆け上がった女性
武則天
名は、照。
生まれは、恵まれていた。
利州都督・武士彠の娘。
財を持つ家に生まれ。
幼少より学ぶ環境があった。
幼い頃から文字を知り、
人より早く考えることができた。
だが――
十二歳で父が死ぬ。
その瞬間、
世界が変わる。
家の空気が、冷える。
異母兄。
従兄。
向けられる目は、冷たかった。
食事は減り、
言葉は削られ、
居場所も削られていく。
そこで知る。
弱い者は、削られる。
それが、この世界だと。
やがて――
彼女は宮廷に入る。
唐の皇帝、太宗。
後宮に入った彼女は、才人。
数ある女の一人、ただの飾りにすぎなかった。
だが――
彼女は、見ていた。
人の欲。
恐れ。
そして、権力の流れ。
やがて理解する。
ここは、戦場だと。
噂が流れる。
「女王が立つ」
「李に代わり、武が栄える」
空気が変わる。
視線が集まる。
疑いが、彼女に向く。
唐の皇帝、太宗は距離を置いた。
近づけない。
使わない。
だが、消さない。
ただ、遠ざける。
やがて、死。
唐の皇帝、太宗が崩御する。
それは、後宮の女たちにとって
すべての終わりを意味していた。
出家。
名を消す。
普通なら、ここで終わる。
だが――
彼女は終わらない。
焼印を避け、
僧ではなく道士となる。
まだ戻れる形を、残した。
一年後。
再会。
李治。
かつての皇太子。
今は、皇帝。
唐の皇帝・李治の目が、ふと止まる。
その先にいたのは、彼女だった。
一瞬。
それで十分だった。
――李治は一目で、心を奪われる。
彼女は再び、後宮へ戻る。
正妻である「皇后」のすぐ下〜かなり上位の側室である昭儀になる。
かつてとは違う立場。
寵愛は、ゆっくりと、だが確実に彼女へと傾いていく。
王皇后と蕭淑妃。
二人の間に、火がつく。
静かだった後宮に、争いが生まれる。
その隙を――
彼女は逃さない。
静かに。
気づかれぬように。
深く、入り込んでいく。
やがて、決断の時が来る。
王皇后。
正妻でありながら、子がいない。
後ろ盾も、弱い。
唐の皇帝・李治の心は、すでに離れていた。
それでも、位だけは高い。
だから――邪魔になる。
蕭淑妃。
寵愛を受け、子もいる。
皇帝の心を、まだ引き寄せる力がある。
つまり――脅威。
そして、武則天。
すでに寵愛は、自分に傾いている。
だが、それだけでは足りない。
確実に、上に立つためには――
二人とも、消す必要があった。
噂が流れる。
王皇后が呪いを行った。
皇女の死。
疑いが、王皇后と蕭淑妃に向けられる。
証は、曖昧。
だが、十分だった。
宮廷は、事実ではなく流れで動く。
一度傾けば、止まらない。
そして、その流れを――
誰よりも冷静に見つめ、
誰よりも正確に操っていた者がいる。
武則天。
彼女は、何も語らない。
だが、
噂は自然に広がり、
疑いは都合よく重なっていく。
やがて――
王皇后と蕭淑妃は、廃される。
寵愛を競い合った二人は、
同じ結末へと落ちた。
それは、偶然ではない。
積み重ねられた観察。
緻密に張り巡らされた布石。
そして――
静かに誘導された「必然」だった。
罪――
それは名目にすぎない。
捕らえられ、
逃げ場を失う。
そして――
打たれる。
百。
肉が裂け、
声が消える。
終わらせる。
確実に。
二度と戻らないように。
彼女は、皇后となる。
頂点へ、また一歩近づく。
だが――
まだ、その上がある。
なら――
登る。
幕の向こう。
皇帝が前にいる。
だが、実際に決めるのは、後ろ。
幕の向こうの彼女。
表は、変わらない。
礼も、形も、そのまま。
だが中身は、違う。
命令は、彼女から出る。
姿を隠し、権力だけを握る。
唐の皇帝・李治は、次第に弱っていく。
病。
判断の遅れ。
政は滞り始める。
その代わりに――
決めるのは、武則天。
人を選ぶ。
基準は一つ。
家柄ではない。
才能と、忠誠。
埋もれていた者たちを拾い上げ、使う。
国が、動き出す。
戦。
倭と百済の連合軍と唐・新羅の軍は白江口で戦う。
(※倭とは、古代中国が日本列島の当時の日本(ヤマト政権)や、その人々を指して用いた呼称。)
火と水の白江口の戦い。
唐・新羅の軍が勝利し、倭と百済の連合軍は敗れる。
やがて、高句麗も落ちる。
唐の領土は広がる。
だが――
外が広がるほど、内が軋む。
反乱。
密告。
疑い。
恐怖が広がる。
宮廷の空気は、冷えていく。
子ですら、例外ではない。
皇太子。
一人、消える。
また一人。
血は薄れていく。
だが――
権力は、より濃くなる。
ついに西暦690年彼女は座る。
皇帝の座に。
女として、初めて。
女帝。
国号を変える。
周。
武則天が、国の頂点に立つ。
仏を掲げる。
自らを仏教における未来の仏で、将来この世に現れて人々を救うとされる存在の弥勒と重ねる。
寺が建ち、経が広がる。
民は救われる。
だが同時に――
見えない恐怖で、縛られていく。
晩年。
体は崩れ、
床から動けない日が増える。
宮廷が、ざわめく。
終わりが近い。
張易之。
張昌宗。
寵臣。
だが――
彼らもまた、切られる。
夜。
兵が動く。
静かに。
確実に。
すべてが、戻る。
唐へ。
彼女は退く。
初めて、
自らの意思ではなく。
流れに押されて。
静かな宮殿。
もう、誰も恐れない。
もう、誰も従わない。
思い出す。
父の死。
冷たい家。
宮廷。
血。
選び続けてきた道。
「間違っていたか」
答えは、ない。
ただ一つ、確かなこと。
彼女は登りきった。
誰も行かなかった場所へ。
誰も戻れない場所へ。
そして――
そこに残ったのは、
権力と、
静寂だけだった。
※日本が「倭」と呼ばれていた理由
古代、中国は周辺の国や民族に名前を付けて記録していた。
その中で、日本列島の人々は「倭」と呼ばれた。
「倭」という漢字には当時、「小さい」「従う」「身をかがめる」といった意味があり、中国から見るとやや見下したニュアンスがあったと考えられる。
当時の東アジアでは、中国が中心という世界観があり、日本はその東に位置する存在だった。
そのため、「東の小さな国」という感覚で「倭」という呼び名が使われた可能性が高い。
当然ながら、日本側はこの「倭」という字を好まなかった。
そこで飛鳥時代(7世紀ごろ)、遣唐使の時代に正式に「日本」という国号を用いるようになる。
「日本」は、「日=太陽」「本=根元・始まり」を意味し、「太陽が昇る場所(国)」という意味を持つ。
これは中国から見て東にある国という位置関係を表したものである。
また、「倭」と同じ読みである「わ」を残しつつ、より意味の良い漢字として「和」が用いられるようになった。
「和」には「調和」「仲良くする」といった良い意味があり、日本の価値観とも結びついていく。
そのため現在でも、「和食」「和文化」「和服」「和室」「和菓子」「和紙」「和製」など、日本を表す言葉には「和」が使われている。
さらに、聖徳太子の言葉とされる「和を以て貴しとなす」に象徴されるように、「和(調和)」は日本の重要な価値観として受け継がれている。
まとめると、
倭は中国から付けられた呼び名であり、
和は日本が自ら選んだ、意味の良い表現である。




