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中華五千年――農民皇帝と、誇張された軍勢の物語  作者: レモンティー


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12/14

第十二話:泥の中から皇帝へ ――劉邦(りゅうほう)、最後まで生き残った男

土の上に寝る。

湿っている。

背に冷たさが滲む。

だが、動かない。

動けば、余計に腹が減る。

男は、空を見ている。

名は、劉邦りゅうほう

農民の男。

何も持っていない。

畑も、家も、

守るべきものも。

あるのは――

空の腹と、

まだ捨てていない命だけだった。

酒を飲む。

喉を焼く。

腹は満たされない。

だが――

忘れられる。

賭ける。

勝てば笑う。

負けても、笑う

失うものが、最初からない。

笑う。

大きく。

何も考えていないように。

怒られても、気にしない。

頭を下げる。

その場だけ。

背を向ければ、もう終わりだ。

真面目に生きる者たちが、

先に潰れていくのを、見ている。

法に縛られ、

責任に押し潰され、

順番に、倒れていく。

劉邦りゅうほうは、見ている。

重いものを背負った者から、沈む。

だから――

持たない。

縛られない。

それが、彼のやり方だった。

生き残るための、軽さ。


秦。

強すぎる国。

重すぎる法。

人は、縛られている。

劉邦りゅうほうは、縛られない。

縛られない代わりに、

何も持たない。

ある日。

護送の任。

囚人たちを運ぶ。

道は長い。

乾いた土。

足音と、鎖の音だけが続く。

一人、逃げる。

また一人。

鎖の音が、軽くなる。

振り返る。

数が、足りない。

秦では、遅れれば死刑。

人数が不足すれば、なお死刑。

このまま行けば――

処刑。

劉邦りゅうほうは、立ち止まる。

風が止まる。

鎖の音も、消える。

考える。

長くはない。

結果は、最初から決まっている。

そして――

笑う。

「どうせ死ぬなら、同じだな」

鍵を、放る。

乾いた音。

鎖が落ちる。

囚人たちは、動かない。

目だけが揺れる。

信じていない。

やがて、一人が走る。

次が走る。

恐怖が、背を押す。

全員が、消える。

足音が遠ざかる。

静かになる。

劉邦りゅうほうは、振り返らない。

もう、戻らないと知っている。

この瞬間、彼はすべてを捨てた。

官も、

名も、

未来も。

だが――

軽い。


山に入る。

霧。

湿った土。

火は小さい。

人が、集まる。

逃げた者。

追われた者。

行き場をなくした者。

理由はない。

ただ、そこにいる。

やがて――

奪う。

通りかかった荷を。

食を。

金を。

生きるために。

それだけの理由で。

誰も、止めない。

止める者は、いない。

山の中で、

彼らは名を持つ。

山賊。

劉邦りゅうほうは、受け入れる。

選ばない。

線を引かない。

その代わり――

覚える。

顔。

声。

癖。

誰が腹を空かせているか。

誰が怒りを抱えているか。

誰が、弱いか。

そして――

「どこで使うか」

やがて、戦になる。

叫び。

煙。

血。

統率はない。

恐怖だけがある。

その中で、

劉邦りゅうほうは前に出ない。

見る。

どこが崩れるか。

どこが逃げるか。

そこに、流す。

人を。

勝つ。

偶然ではない。

「死ななかった」

それだけの積み重ね。

名が、広がる。

人が、増える。

だが――

彼は、距離を取る。

近づきすぎた者は、

裏切る。

そういうものだと、知っている。


項羽こうう

現れる。

若い。

だが――

異様な重さを持っていた。

その場の空気が、変わる。

参軍に加わる。

従う。

圧倒的な力。

正面に立つ者は、砕かれる。

ありえない強さ、何倍もの敵を破り快進撃を続ける。

迷いがない。

ためらいもない。

ただ、前に出る。

項羽こううは数年で秦を、滅ぼす。

都が落ちる。

火が上がる。

長く続いた支配が、終わる。

その後。

静かに、歯車がずれ始める。


劉邦りゅうほう項羽こううと、対立する。

理由はいくつもある。

だが――

本質は一つ。

並び立つことができない。

正面から当たれば、終わる。

誰もが、わかっている。

劉邦りゅうほうは、頭を下げる。

屈辱。

だが、生きる。

逃げる。

譲る。

笑う。

(今じゃない)

怒りは、表に出さない。

奥深くに沈める。

その裏で、考える。

どこが、緩むか。

どこが、崩れるか。

力では、勝てない。

なら――

別の方法で勝つ。

時間を使う。

人を使う。

敵の中にある弱さを探す。

少しずつ。

確実に。

削っていく。

勝つためではない。

倒すために。

その時を、待つ。


一人の男。

韓信かんしん

静か。

だが――

その目だけは、違っていた。

濁っていない。

諦めてもいない。

ただ、奥に何かを隠している。

戦を見る目。

勝敗を見る目。

最初、劉邦りゅうほうは見逃す。

通り過ぎる。

その男が、後に天下を決める存在になるとは思わない。

拾うのは、蕭何しょうか

彼だけが気づく。

「あの男は、ただ者ではない」

夜。

馬を走らせる。

暗い道を進む。

逃げた韓信かんしんを、追う。

そして、連れ戻す。

「必要だ」

短い言葉。

だが、その言葉には確信があった。

劉邦りゅうほうは、ようやく見る。

この男の中にあるものを。

そして――

任せる。

大軍を。

命運を。


韓信かんしんは、勝つ。

常識を壊す。

数ではなく、流れを見る。

敵が強い場所では戦わない。

敵が崩れる場所で戦う。

川を越える。

退路を断つ。

背後を取る。

逃げ道を消す。

敵を閉じ込める。

兵が震える。

敵も。

味方も。

「勝てるはずがない」

そう思われた戦を、勝利に変える。

勝利が積み上がる。

一つ。

また一つ。

劉邦りゅうほうは、黙って見る。

強い。

強すぎる。

天下を取るために、必要な男。

だが――

同時に。

最も恐ろしい男でもあった。

(これは――危ない)

項羽こううが、追い詰められる。

かつて天下を震わせた男が、孤立する。

最後。

垓下がいか

四方から響くの歌。

逃げ場はない。

項羽は知る。

もう終わったのだと。

そして――

自ら、命を絶つ。

静寂。

長い戦いが、終わる。

天下は、劉邦りゅうほうのものとなる。

だが――

その瞬間から、

新たな戦いが始まっていた。


劉邦りゅうほうは、座る。

皇帝。

農民から漢帝国かんていこくの頂点。

歓声。

万歳。

人々は叫ぶ。

新しい時代の始まりを。

だが――

彼の中では、

何も終わっていなかった。

戦いは、終わっていない。

形を変えただけだ。

始まる。

疑い。

不安。

恐怖。

韓信かんしん

功がありすぎる。

名が広がりすぎる。

兵を動かせる。

もし――

その気になれば。

考える。

考え続ける。

眠れない夜。

暗い部屋。

隣にいる者の気配すら疑う。

そして、決める。

呼ぶ。

いつものように。

笑顔で。

昔と変わらない顔で。

油断させる。

捕らえる。

罪を作る。

後から。

処刑。

血が流れる。

だが、彼は見ない。

何も言わない。

ただ――

一つ減る。

これで安心できる。

そう思った。

だが――

安心は、来ない。


次。

功臣。

仲間。

かつて、同じ火を囲んだ者たち。

共に戦い、

共に死を覚悟した者たち。

一人。

また一人。

消える。

理由は、一つ。

「怖い」

裏切られることが。

奪われることが。

また何も持たない頃に戻ることが。

夜。

酒を飲む。

一人。

笑う。

昔のように。

だが――

もう違う。

隣には、誰もいない。

彼は知っている。

ここまで来るために、

何を捨てたのか。

誰を切り捨てたのか。

何を踏み越えたのか。

だが――

止めなかった。

止めれば、

終わるからだ。

晩年。

体は重くなる。

かつて戦場を駆けた足も、

もう動かない。

夢を見る。

逃げる夢。

追われる夢。

目を覚ます。

そこは宮殿。

安全なはずの場所。

だが――

息が浅い。

「……まだか」

何が。

誰にも分からない。

本人にも。

彼は、生き残った。

最後まで。

だが――

その代わりに、

失ったものも多かった。

友。

信頼。

安らぎ。

それでも、

彼は選び続けた。

生きる方を。

ただ、それだけを。

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