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第三十八話 月の夜──side 月牙

瀬織津姫の眷属、月牙視点です。

第二章 スタートします。よろしくお願いします。


「寝ましたな……」


 主である陽翔殿や双子が寝床へと向かい、屋敷が静まり返る。


 念のために寝室を覗くと、膨らんだ布団が規則正しく上下していた。


「さてと。行ってきますかな」


 窓の開いているリビングから縁側へ出る。そこには、ミケ殿の姿があった。

 立膝をつき、満月を見上げたミケ殿はちびちびと冷酒を舐めている。


「おや、ミケ殿。寝られていなかったのですか?」

「む?今から外出か? ……ふむ。姫様のところか」

「相変わらず鋭いですね」

「最近は物騒だ。気を付けて行け」


 この人——まぁ猫ですが——はどこまで知っているのか。


 どこから情報を仕入れているのか分からないが、神の眷属である私よりも情報を持っていることす らあり、ここ最近の疑問だった。


 まぁ、聞いたところで猫又殿が素直に教えてくれるとは思えないので聞いてもいないのだけれど。


 再び月へと視線を戻したミケ殿に一礼し、庭へ出た私は地面を蹴り上げた。


 ふわりと身体が上昇し、大気を蹴って神社の空を駆ける。普段であれば夜の闇に彩りを加えている電灯たちも、既に役目を終えて深い闇を作り出していた。


「これはまた……」


 空から街を眺めると、思わず顔を歪めてしまった。

 

 姫様と陽翔殿のおかげで澄んでいた空気が、最近かすかに澱み始めていた。


 ──これだから人というものは。


 陽翔殿のような人は特異であり、人の本質は変わることがないと分かってはいた。それでも、ため息がつい漏れてしまう。


 いつの世も、世界を汚すのは人なのだ。


 ⸻⸻⸻⸻


「姫様、遅くなりました」

「月牙か。夜遅くにすまないな」


 姫様は、神社本殿の寝室にいた。窓辺に座ってお酒を傾けておられた。宙に漂う衣が月の光を受けて煌めき、姫様の美しさを際立たせている。


 ──そういえば、月見のときは酔っていらしたな。


 普段酔った姿を見ないだけに、素直な気持ちを口にする姫様は新鮮だった。普段からあのくらい分かりやすければ陽翔殿にも伝わるでしょうに。


 とはいえ、陽翔殿も鈍すぎる。

 もしかすると、気づいているけれど、気づかないふりをしているだけなのかもしれないが……。


 まぁそれはいい。

 

 今はそんな些細ごとは置いておこう。


「屋敷の周りにも、やはり奴らの手の内のものが増えております。アトリエが目立ちすぎましたね」

「そうであろうなぁ……あやつも自衛してくれればいいのだが。妖たちはどんな様子だ?」

「双子たちははっきりと気づいてはおりませんが、ミケ殿は殆ど把握されているご様子です」

「そうか……まぁミケだからな」


 ぱさりと扇を広げ、ひらひらと仰がれている姫様の顔は憂いに満ちている。そんな顔をさせているのが、いつも呑気に過ごしている人間だと思うと少々複雑ではあった。


 本当に素直じゃない人たちだ。


 思わずため息が漏れてしまった。


「して、陽翔の技はどうじゃ?」

「上達はしておりますね。東京での一件が良い機会となったようではありますが、大分では三神に良いように遊ばれておりました」

「三神か……まぁあやつらに敵うには千年はいるな」


 くつくつと姫様が笑う。


 自分が初めて三神をやり込めたときのことを思い出したのだろうか。とても楽しそうだ。


「陽翔は龍神を手に入れたのであったな」

「はい。やはり姫様の手引きでしたか」

「今のやつを無防備に置いておくのは危険すぎるからな。三神にはちと協力を仰いだ。だがまぁ、龍神が陽翔を気にいるかは賭けだったがな」


 そう言った姫様は、「まぁ流石は陽翔よ。上手く手懐けおって」と嬉しそうに笑った。


「姫様も素直になればいいものを」

「なにをだ?」

「陽翔殿。お好きなんでしょう?」

「……奴は人間だ」


 よく言う。


 冗談めかしてはいたが、婿に来いとまで言っておいて。初めて聞いた時には、開いた口が塞がらなかった。


「後悔しますよ」

「せぬ。選ぶのは奴ぞ」

「陽翔殿なら、皆で頼めば案外折れてくださりそうですが」

「妾はそのようなことはせぬ。奴の好きなように生きるが良い」


 そう言った姫様は、ふいっと視線を逸らして空を見上げてしまった。その横顔は寂しそうで、なんと声をかけたら良いか分からなくなってしまった。


 ──しまった。言いすぎたか。


 ふっと息を吐いた姫様は、この話は終わりだとばかりに扇をぱしっと打ちつけた。


 そして、静かな目で私を見つめる。静かな闇を含んだ瞳の奥に、きらりと月の光が見えた気がした。


天照(アマテラス)の奴らに気をつけよ」

「心得ております」

「妾はもう寝る。そなたもはよ帰れ。夜道は危険ぞ」


 姫様がすっと扇で示すと、静かに襖が開いた。


「くれぐれも気をつけよ」

「ありがとうございます。姫様も」

「妾が人間如きにやられると思うか」

「……想像できませんね」


 そう言うと、いつもの顔で姫様は「そうだろう」と笑ってくださった。


 再び地面を蹴り、アトリエを目指して夜の闇を駆ける。


 何もかもが思うようには進まない。

 ただ、みんなが楽しく笑っていれればいいのに。


 いつも妖たちの中心で笑っている主人を思う。初めは命じられた主人だったが、今では守らなければと自然と思うようになった。


 これも彼の魅力の一つだろう。


「陽翔殿がずっと居てくださればいいのになぁ」


 そうしたら、姫様のお心も癒やされるだろうに。陽翔殿といる時の姫様は、本当に楽しそうだから。


 我ら眷属では、姫様にお与えすることはできない。


 少しだけ欠けた月が、姫様の御心を表しているようで。胸が少しだけ苦しくなった。

 

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