第三十六話 大分旅行編 封印の地
本殿から約1キロ離れた森──
小高い丘の森の奥。静寂に包まれた木々に隠すようにその封印は静かに佇んでいた。
八幡大神が祀られた石碑の傍ら。
なぜか一本だけ生えている松の根元には、何か文字が刻まれた石が置かれている。
長年の雨風に晒された文字はすっかり霞み、何と書かれているのか判読できないが、かつてそこに何らかの言葉が刻まれていたことだけは分かった。
しかし、その石に巻かれた標縄は大きく綻びており、今にも切れてしまいそうな状態だった。
「これか?」
「これであろう」
俺が指さして尋ねると、ミケが小さく頷いた。
双子はわいわいとはしゃぎながら、封印の横にある石碑を綺麗に掃除している。楽しげにはしゃぐ双子を見ると、思わず口元が緩んだ。
双子の何でも楽しめるところは一種の才能だな──そう思いつつ、俺は再び封印へと視線を移した。
問題の封印は見つけた。
問題はこれをどうするか、ではあるが。
「触っていいのかな?」
「触らなければ、どうすることもできまい」
「だけどさ。これってどうするのが正解?」
神様たちには“良きに計らえる“とは言われたが、具体的に何をどう計らえばいいかは分からない。
「俺ができることって言ったら、絵を描くくらいなんだけど。封印なんかしたことないぞ?」
「試しに描いてみればいいのではないか?」
「そんな軽く言うなよ……」
だが、このままこうしていても埒が開かないのは確かだった。
「取りあえず、封印には触らずに描いてみるか?」
そう言いながら、俺が神具の筆を取り出した瞬間だった。
「この紙なーに?」
「あっ‼︎」
掃除をしていたはずの双子がいつの間にかこちらへと寄ってきており、ぺりっと紙を完全に剥がしてしまった。
「おい!どうするんだよ!」
慌てて双子を回収した瞬間──
パァッとあたりに光が満ち、ビリビリと肌に電気のようなものが駆け巡る。これはまずいと、抱え込んでいた双子の上に覆い被さった。
「誰ぞ──我を起こすのは」
空気を揺らすような低い声が響き渡る。恐る恐る顔を挙げると、空には大きな龍が浮かんでいた。
「龍……神?」
それは恐らく、八幡神社に祀られている龍神さまだった。だけど、おかしい。なぜ、祀られる筈の龍神さまが石の中へと封印されているのか。
誰もが息を顰める中、さすがと言うか、なんというか。その空気を断ち切ったのは楽しげな双子の声だった。
「かっこいー!」
「おっきいー!」
きゃっきゃと楽しげに双子が龍神さまに向かって手を伸ばす。龍神さまも毒牙を抜かれたか、目をパチクリさせていた。
「おい……大丈夫なのか?」
思わず声を潜めて隣にいるミケへと囁いた。
「様子を見るしかなかろう。どちらにせよ、出てこられてしまったのだ。我ら如きにはどうすることもできん」
せめて双子を回収したいが、龍神さまの注目を浴びている二人を引っ張り戻すことなどできるはずがない。
「度胸のある座敷わらしだ。我が恐ろしくないのか?」
「怖いの?なんで?」
「かっこいいよねぇ」
ニコニコと笑う二人に、龍神さまも完全にペースを乱されている。
「気に入った。こやつらの主人はお主か?人間よ」
じろりと見られて背筋が伸びる。神気というのだろうか。こんなに圧を放っているのに、無邪気に笑える双子は大物だ。
「は、はい。そうです。あ、いえ、主人といいますか……家族といいますか……」
「妖を家族とな……?ふぅむ。ん?お主、その手にあるのは神具ではないか?」
俺の手の中にある筆に気がついた龍神さまが俺の手元を見つめてきた。じっと見つめられすぎて居心地が悪い。
「親しくしている神様から貸してもらっているんです」
「ほう。変な神もおるものだ」
「ここの神たちとは違うな」と、うむうむと一人で頷いている。そういえば、なんで龍神様はここに封印されていたのだろう。最初に浮かんだ疑問を思い出した。今なら聞けるかもしれない。
「あの……」
「ん?なんだ?」
「質問しても?」
「良い良い。久しぶりの外じゃ。我も機嫌が良い」
「龍神さまは、なぜここにいらっしゃったのですか?」
神なのに、封印される意味がわからない。神社のパンフレットにも龍神さまは守り神で書かれていた。何か壮大な理由があるに違いない。
「遠い昔、暴れたことがあっての。本殿を半壊させたら神たちに結託されて封印されてしまった。頭を冷やせとな」
「そのまま忘れ去られてしまったようじゃがの」と龍神は遠い目をした。
……大した理由ではなかった。いや、ちょっと暴れただけで本殿を半壊させてしまったのだから、大した理由ではあるか。
「それにしても、出て来てはいいがつまらぬな」
低い声を響かせた龍神がじろりとこちらを見た。
なんだか嫌な予感がする。
「お主」
「いえ、謹んでお断りいたします」
「まだ何も言っておらぬ」
「いえいえ、そんな恐れ多いこと」
「だから何も言っておらぬと言っておろう」
聞きたくない聞きたくない聞きたくない。一刻も早く立ち去ろう。そうしよう。何も解決はしていないし、なんなら封印も壊してしまったけれどしょうがない。
くるりと身体の方向を変えようとした瞬間──
「どうしたの?おじさん」
おーい、レイさんやー。その人はおじさんではありません、龍神さまです、神様です。
あとで言い聞かせなければ——手遅れかもしれないが、俺はそう心に決めた。
「小童どもの手に掛かれば、我はおじさんか。愉快愉快」
くっくっくっと笑った龍神さまの笑い声で、周囲の木々がざわざわとざわめく。
「おい、小僧。お主、この石に絵をかけ」
「え、嫌です」
「そうだな。石の中は暗かったからな。明るくて湖があって丁度いい大きさの松の木がある草原がいいな」
──聞けよ、おい。
「ほれ、早よ描け」
勘弁してくれよ……と思いながらも、断れるはずも無く。龍神が差し出して来たキラキラした石におとなしく筆を滑らせる。
半透明の石は木々の隙間から差し込む太陽の光を受けてキラキラしていて、まるで宝石のようだった。
草原に、松の木に、湖。湖はこの石本来の輝きを利用して煌めきを持たせる。
「こんなもん……ですかね?」
神のお眼鏡に叶うかは謎だが、要望したのはそちらである。という気分でいかなければどうにもならない。
龍神さまに向かって差し出すと、俺の手の中にある石を見て、龍神さまは満足そうに頷いた。
「うむ。これはなかなか。どれ、しっかり持っておれ」
龍神さまが大きな口をゆっくり開いた。龍神さまの口は大きすぎてそのまま飲み込まれそうだ。
びくっとして思わず身をすくめそうになったけれど、飲みこまれる訳ではないらしい。
大きな口からブレスのような白い光が吐き出される。それが石に触れた途端、石が眩いばかりの輝きを放った。
「なんだ⁉︎」
光が収まって石を見ると、モノクロだったはずの絵が色付いていた。目の前の龍神さまも満足そうに頷いている。
「うむ。これなら寝床として申し分ない」
「……寝床?」
「封印石よりよほど快適そうだ」
何度か頷いた龍神さまは「我は寝る。ちゃんと持ち帰るのだぞ」と言い放った。そのまま返事も待たずに、龍神さまは大きな身体をくねらせて石の中に飛び込んでいく。
石がぱぁっと光り、その輝きが収まった頃には、龍神さまの姿は完全に消えていた。
「……は?」
「すごーい!消えた!」
「おじさん、どこ行っちゃったの⁉︎」
双子が駆け寄って来て、石を一緒に覗き込む。
「寝てるねぇ」
「すやすやだね」
「……なんなんだ、これ」
石の中の湖の近く。松の木の根元で、龍神さまが気持ちよさそうに眠っているのが見えた。
「相変わらずの規格外じゃな、陽翔」
「……俺のせい?」
「妖ならともかく、神がついてくるなんてよっぽどのことですよ?」
ミケと月牙が呆れたようにため息を吐いた。
──いや、俺なにもしてなくないか?
「いやいや、俺のせいじゃないだろ?」
「他に誰のせいなんだ?」
「……ユウとレイ?」
「そもそもは、お主が姫様に気に入られて神具を持っていたからであろう」
「……ぐっ」
ミケに言い負かされてしまい、唸ることしかできない。確かに妖に好かれているうえに、神具まで持っていたせいで興味を持たれてしまったのは俺だ。
俺だけど!だからって、龍神がついてくるなんて誰が予想できるんだよ!
「……帰るか」
なんかもういいや。宿に帰って寝よう。
リュックの中に石をしまい込む。チラリと見えた龍神さまは気持ちよさそうに眠っていて、なんだか少しだけ腹が立った。
「ちゃんと三神へ挨拶してから帰るのだぞ?」
「えぇ、また会うのかよ……」
「まさか報告もせずに帰るつもりか?」
じとっとした目を向けられて、俺はため息を吐いた。
「行けば良いんだろ、行けば」
「初めからそういっておるであろう」
「あー、なんて言われるだろ。最悪だ」
本殿に向けて重い足を進める。
どうか何事も起こりませんように。
そんなことは叶うはずはないと、分かってはいるけれども願わずにはいられなかった。
松の木の枝に引っかかっていた紙がひらりと舞った。太陽と月を掛け合わせたような印が描かれたその紙に、俺は気づかなかった。
400ブクマ超えました!ありがとうございます!
大分旅行編が終わりましたらお礼の番外編を準備しています。楽しみにしてもらえたら嬉しいです。(明日の晩投稿予定です)
可愛い!癒される!と思っていただけましたら、ブクマや⭐︎を点滅させて貰えたら光栄です。
今後とも応援よろしくお願いします。




