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第三十二話 月の姫

すみません……なにかおかしいなと思ったら一話飛ばしてアップしてました。

申し訳ありません。よろしくお願いします。


 ふわり、と花のような香りが鼻をくすぐった。さらさらとした長い髪が、俺の頬をなでる。


「何を話しておるのだ、陽翔よ。こそこそ話しておらんで、こっちにこんか」


 耳元で、甘い声がする。


 ──いやいや、突然酔いすぎでは?


 そんな風に現実逃避してしまうくらい、逃げ出してしまいたい。


「た、たすけて、月牙……」

「無理です、頑張ってください」


 すっと視線を逸らした月牙は薄情なことにスタスタと双子たちの方へ歩いていってしまう。


 双子たちは、楽しそうに猫たちと戯れて遊んでいて、きゃっきゃと声をあげて笑っている。


「陽翔、こっちを向け、妾に構え」


 後ろから抱きつかれた腕に力が篭り、背中の感覚がよりリアルに伝わってくる。

 触れている部分だけが、カッと熱を持ったようだった。


「あーーー!もう!離れてください!」


 俺の我慢(忍耐とも言う)が限界に達し、するりと腕を抜け出すと、意外にも簡単に腕は外れた。


 席を立って後ろを振り向くと、ほんのりと頬を赤くした瀬織津姫がこちらを見て、くすくすと笑っている。


「ほんに、お主はうぶじゃのぉ」

「神がそんなことすんなよ!馬鹿か!」

「たまには楽しみも必要じゃ。のぉ、そうは思わぬか?」

「思わない。少なくとも、俺で遊ぶな」


 頬を撫でる夜風がひんやりとして涼しい。双子がこっちを見ていなくて良かった。本当に良かった。


「マジでやめろ」

「これでも、妻に嫁にと懇願されて、蓬莱の枝などと無理難題をふっかけてやるほどだったのに。その我を袖にするとは罪な男よの」


 瀬織津姫は暑そうに、パタパタと扇で顔を仰ぐ。すると、慌てたように周りにいた眷属たちが大きな扇で姫を仰ぎ始めた。


「陽翔や」

「……なに?」


 これまでは、一応神だし。と最低限の敬語は使っていたが、もはや使う気にもなれない。もう疲れた。なんなんだ、こいつ。


「お主がいたら、退屈しなさそうじゃ。どうじゃ、ほんに婿に来ぬか?」

「断る」


 俺が即答すると、姫はまた楽しそうに笑う。


 ──何がそんなにおかしいんだよ。


 じとっとした目で姫を見ると、余計楽しそうとコロコロと鈴のような声をあげて笑った。


「いいのぉ、ほんにそなたは面白い。始めは冗談であったが、最近ではそれもいいかと思い始めた」

「俺は良くない。全く良くない」


 そもそも、俺の好みはこんな偉そうな女じゃなくて──あれ?最近恋したのっていつだ?もはや覚えていない。


「まぁまぁ、そう意地を張るな。先は長い。妾の気分も変わるかもしれんからの」

「さっさと変わってくれ」


 俺がそう言うと、姫は一瞬だけ寂しそうな顔をした。普段の様子からは想像もできないその表情に、目を奪われてしまった。

 思わず瞬きをすると、次の瞬間にはその表情は消えていたけれど。まるで、幻だったかのように。


「月が、綺麗じゃの」


 ふっと天を見上げた姫が、懐かしそうに呟いた。


 その姿は、あまりにも綺麗で。消えてしまいそうで。


 どうしても、絵に残したくなった。


 俺の指の動きに気が付いたのか、いつのまにかそばにいた太郎が、「陽翔様、どうぞ」と言って、スケッチブックを差し出してくれた。


「ありがとう」


 その場に座り込み、鉛筆を走らせる。


 絵などでは到底表すことのできない美しさが、少しでも残るように。


 自分の中の記憶が、色褪せないように。


 俺は、無我夢中で鉛筆を走らせた。


 ⸻⸻⸻⸻


 下書きを描いた俺は、どうしても本格的に仕上げをしたくて、ミケたちに断ってアトリエへ引きこもった。


 真っ白いキャンバスに、月の姫を映し出す。自分の中の記憶を、キャンバスに焼き付けるように。


 彼女の持つ芯の強さが、優しさが、寂しさが──どうかこの絵に篭りますように。


 誰かの心を、救いますように。


 一筆一筆、力を込めて滑らせる。


 きっとこの絵を世に出すことはないだろうけれど。きっと。いつか、誰かの心を癒しますように。


 絵の中では、長い髪をたなびかせ、儚げに微笑む一人の女性が立っていた。

 彼女は、兎を始めとする動物たちに囲まれた日本庭園の中で、満月を見上げていた。

 

 決して帰ることのできない場所を、懐かしむかのように。


 この絵が『月の姫』と呼ばれ、アトリエ妖の隠れた名作として、俺の死後まで語り継がれることになるとは、この時の俺は思いもしなかった。


 ⸻⸻⸻⸻


「おーい、なんだよこれ」


 絵を描き終わった俺が、庭へ出ると、そこには死屍累々とも言える光景が広がっていた。


 酒を飲んでいないはずの双子まで、お腹を出して庭で寝ている。


「ほら、起きろ」


 寝っ転がっている妖や眷属たちを起こしながら、東屋へと進んでいく。

 東屋の椅子では、丸くなり、子供のように眠っている姫の姿があった。


「神様が、こんなところで寝るなよな」


 普段の姿からは想像もつかないあどけない寝顔に、思わず笑みが溢れた。

 このまま寝かすわけにはいかないと、起こそうと手を伸ばした瞬間、パチリ、と大きな目が開いた。


「なんじゃ?寝込みを襲う気か?」


 楽しげに笑った姫が、「よく寝たのぉ」と大きく伸びをする。寝ている間に緩んだのか、いつもより少しだけはだけている着物が色っぽくて、何も悪いことはしていないのに視線を逸らした。


「帰るかのー。ほれ、皆のもの、起きよ」


 ぱんぱんと姫が手を叩くと、先ほどまで寝っ転がっていた眷属たちが、勢いよく起き、姫の後ろへと整列した。


「ではの、陽翔や。婿の件、考えておけよ」


 そう言い残した姫は、俺の返事も待たずに、シャンと鈴を鳴らして帰っていった。


「諦めてないのかよ……」


 あまりの身勝手さに呆然としていると、「はるとぉ、姫さま帰っちゃった?」「おはよぉ」と目をこすりながら、双子がトコトコと寄ってくる。


「おはよ、身体痛くないか?」

「少し痛いし、眠たい」

「まだねむーい」

「布団で寝てこい、昨日遅かったからな」


 優しく頭を撫でると、「はぁい」と返事をした双子が、ふらふらと危ない足つきで部屋へと向かうのを見送った。


「片付けは昼からだな」


 とりあえず、俺も寝よう。


 結局、俺も朝まで絵を描いていて寝ていないのだ。眠くて仕方がなかった。


 くぁっと欠伸をして、庭へ背を向ける。


 昨晩の賑わいが嘘のように静まり返った庭園に、鹿おどしの音だけが響いていた。

 

このお話がないと、次話の絵がなんの絵だよ……となりますよね。申し訳ないです。

結構お気に入りの回なので楽しんでもらえたら。

申し訳ありませんでした。

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