第二十六話 東京旅行編 悪鬼
翌朝。
俺は、玄関先で仕事へ向かう伊藤さんを見送っていた。
「行ってくるね」
「行ってらっしゃい!」
「すまないね。一人にしてしまって」
「気にしないでください!僕も絵を描くだけなので」
むしろいいのか? 俺を家に一人にして。大して知りもしない他人を一人で残すって怖くないのか?
そう思いながらも、俺はにこやかに手を振り見送った。
「さて……と」
カチャリと玄関の鍵を閉め、くるりと方向を変えると──
そこには、二体の動く死体が転がっていた。
「はるとぉぉ、お腹減ったよぉぉぉ」
「もう死んじゃうー」
「ごめんごめん。お腹減ったな?」
俺は朝ごはんを食べたが、双子たちはまだ食べていない。
伊藤さんの手前、堂々と双子たちがご飯を食べるわけにはいかなかった。昨晩は食べ歩きをしてから来たため良かったのだが、今朝は流石に限界だったのだろう。
朝食の焼き魚を食べる俺を、二人は物凄い目で睨んできていた。
「おさかなおさかなおさかなおさかな」と呪詛のように唱え続ける二人に、
悪霊に殺される前に双子に殺されてしまうのでは?
と思ってしまうくらい、恐怖に満ちた朝食だった。
晩ごはんからはどうにか対策を考えなければ、俺の心臓がもたない。
「台所にあるものは好きに食べてって言われてるから……魚食べる?まだあったよ」
「やったー!魚だあ!よく分かったね、はると!」
「……分からないやついるのか?」
伊藤さんには何らかの形で食費をお支払いしなくては。そう心に決め、台所へ向かった。
冷蔵庫の中に入っていた魚たち。
しかし、残っているはずの魚の姿は見当たらず──
「けけけけけ」
という声と共に、バタバタという足音が遠ざかっていく。
「待て!魚を返せ!」
「魚の恨みは恐ろしいぞ!殺すぞー!」
いつになく殺気だった様子の二人が猛ダッシュで追いかけていく。
しかも、姿は見えないにも関わらず、なぜか二人は妖が隠れている部屋を見事に探し当てていた。
「「みーつけた」」
「きえええええええ」
双子が妖を捕まえたらしい。
……なんだか、ちょこっと、ほんのちょこっとだけ妖に同情してしまった。
そして、それは月牙も同じだったらしい。
複雑そうな顔をした月牙と顔を見合わせ、肩をすくませた。そして、双子たちの声がする方へ足を向ける。
双子たちの元へ辿り着くと、そこにはガシガシと蹴られている情けない妖の姿があった。双子たちよりも大きな体を丸め、時々「ぐぇ」という声が漏れてきた。
「こいつ?犯人」
「そう。こいつが魚泥棒。しかももう食べたって。ありえない」
いつもの楽しそうな喋り方ではなく、ユウが淡々とした声で話している。目も据わっていてかなり怖い。
「鬼……か?」
「悪鬼ですね」
頭からツノが飛び出ており、口からは牙が覗いている。本来なら恐ろしい見た目なのだろう。
だけど、双子に蹴られ続けているせいで欠片も威厳がなかった。
「お前かっ!」
俺の声に反応した悪鬼が、鋭い視線で俺を睨みつけてきた。
何で俺?俺何もしてなくない?
つい首を傾げると「お前、はるとに話しかけるなんて上出来じゃん?」とユウが悪鬼を踏みつける。ユウさんユウさん、キャラ変わってませんかね?
「んー。誰か縛るものある人?」
「はるとが出して」
冷たい声をしたレイが、俺の方を見もせずに答えをくれる。
……ここまで魚が好きだとは。
普段から幸せそうに頬を蕩けさせてるなぁとか、やたらと焼き魚のリクエストが多いなぁとは思っていたけれど、まさかここまでとは。
今後二度と、双子の魚には触るまい。
それにしても……。
子どものような雰囲気でいることが多いだけに、この二人もちゃんと妖なんだな、ということを初めて実感した。
「はると、早く紐。消えないようにイメージしてね」
「はい!すみません!」
思わず、丁寧な言葉になってしまった。
普段とは完全に立場が逆転している。
近くに置いてあったメモ用紙を拝借し、筆を取り出してさらさらと紐を描く。すぐに消えないように、しっかりと力を込めてっと。
「どうぞ」
「うむ」
双子が悪鬼の周りをぐるぐると走り回り、雁字搦めにしていく。そんなに?と思うほどの厳重さだ。
捕まえられている当人もげっそりとしている。
「お前さ、伊藤さんちでなにしてんの?」
「……住んでる」
そりゃそう。だけど、そういうことじゃない。
流石の俺も、声が低くなった。
「伊藤さんの奥様、殺した?」
単刀直入に切り出した俺の言葉に、びくりとした悪鬼がガバリと顔を上げた。
「そんな!そんなことじゃ……俺は……そんなつもりじゃ……」
「そんなつもりじゃないなら何なんだよ」
「綺麗な人だなぁと思って見ていたら、どんどん弱っちまって……」
病気になってしまった原因はこいつにあるようだ。だけど、苦しそうに絞り出している悪鬼を見ていると、
「なんとかしようとしたんだ!だけど、俺が何かしようとすればするほど悪化して……」
死んじまった。
ぽつり、と呟いた悪鬼の言葉には紛れもない後悔が滲んでいた。
「なんだよそれ……」
こいつがとことん嫌なやつならよかった。なのに、なんで、こんなにも。
「じゃ、なんで出ていかなかった?」
「俺、他に行くとこねぇもーん」
先ほどまでの表情は何だったのか。あっけらかんとした顔で悪鬼が答える。
伊藤さんの奥様以外には全く興味もなく、罪悪感の欠片も抱いていないということがよく分かった。
前言撤回。やっぱりこいつ、嫌な妖だわ。
「月牙。こういう場合はどうしたらいい?」
「悪鬼は本来、地獄の妖です。誤って現世に出てきてしまい、帰れなくなったのでしょう。陽翔殿の力で地獄へ戻しては?」
「……なんだって?」
俺、そんなことできんの?
愕然とした顔で月牙を見ると、「そういえば、初めてでしたね。ちょうどいいので実践しましょう」と月牙は言い、そのままマイペースに進めていく。
「ここでは狭いですね」
──確かに狭いか。
月牙の一言により、俺たちは庭へと向かうこととなった。
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