第十八話 月牙
キッチンから氷の浮いたお茶を人数分持ってくる。月牙はコップだと飲みにくいかな、と思ったのでコップとお椀、二つ準備してみた。
珠と太郎たちは安定の不参加だ。
太郎たちに至っては、「では、我々は寝ますので」と言って池の中へと戻っていってしまった。夏の間は夜間に活動するらしい。
コツン、と音を立ててグラスを並べると、「ありがとうございます。あ、お椀でお願いします」と月牙が頭を下げる。
お椀で正解だったみたいだ。まぁ、犬はコップ持てないよね。ミケが例外なだけだ。
「私は居なかったので把握していないのですが、なぜ陽翔様は姫様へお怒りなのでしょう?」
ペロペロとお茶を舐めた月牙が顔をあげ、不思議そうに首を傾げた。
「陽翔でいいよ」
「いえ、一応主ですので」
「一応、ね」
素直な月牙に笑ってしまった。まぁ、俺も主とは思ってないし、主なんて思われても困る。
一緒に暮らすのだから、仲良くはなりたいけどね。
「まずさ。瀬織津姫って長いし、俺も姫って呼ぶか。姫が、俺を守ろうとしたユウを力で拘束したんだよ」
「はい……?まぁ、姫様ならやりかねませんですが……」
一瞬困惑した月牙が、遠い目をした。どうやら、彼女の眷属たちも常日頃から苦労しているようだ。
「いつもあんな感じなの?」
「いえ……姫様も、普段はお優しいのですが。興にのられたときや、機嫌が悪い時にはなんと言いますか……ちょっと雑……いえ、大雑把、いえいえ、大胆なときもございまして……。この度は姫様が大変失礼いたしました」
申し訳なさそうに尻尾を下げた月牙が、ぺこりと頭を下げる。
「月牙は悪くないだろ?まぁ、許せるかはと言われると今も若干ムカつきはしてるけど。理由は分かったら、とりあえずもういいよ」
俺がそう言うと、月牙はもう一度「ありがとうございます」と頭を下げる。思わず苦笑が漏れた。
なんだか困った上司に振り回される部下のようだ。
「いつもあんな感じなの?」
「いえいえ、そんなことは。普段はお優しい方ですので。仕えるのもなかなか面白いですよ」
そう言った月牙の表情は、少しだけ柔らかく見える。心から慕っていることが分かって、少しだけ姫のことを見直した。
「んで?姫は何者なの?」
「姫様は、瀬織津姫というお名前で、月の姫様でございます。近くにある神社で祀られている神であり、穢れと月の満ち引きを司る導きの神として、慕われております」
「へー、結構すごい神様なんだ」
──人間、知らないことの方がいいことも多いよな。
キラキラとした目で語る月牙に向かってそんなことを言えるはずもなく、喉まで出かかった言葉を麦茶で流し込む。
「んで?月牙は?」
「私ですか?私は、神社で供養されていた犬の霊でして。姫様に助けられたことで眷属をさせていただいております」
懐かしむように目を細めた月牙に、首を傾げた。助けられた?とは……?
「月ちゃん、危なかったの?」
「なにかあったの?」
それまで退屈そうに寝そべりながら話を聞いていた双子も、ガバリと起き上がり、心配そうに月牙を覗き込む。
「あ、いえいえ。大したことではないんですけどうまく成仏できずに悪霊化しそうになったところを、姫様に救われまして」
「大したことじゃね⁉︎」
思ったよりも、酷かった。
なんか、妖たちの基準が自分とは酷くずれている気がする。彼らの大したことはないは、俺にとってだいぶ大したことであることが多いのだ。
「そのおかげで、今はこうして楽しく過ごしていますので」
「嘆き悲しむ飼い主を置いて成仏できなかったのです」と笑った月牙の顔は寂しそうで。
「月ちゃん、大丈夫だよ!」
「ここにいていいんだからね!」
ガシッと双子が月牙へぶら下がるように抱きついた。なかなかの勢いだったはずなのに、月牙はびくりともしない。
「ありがとうございます。私が陽翔様をお守りしますので、お任せください」
「任せた!」
「一緒に頑張ろー!」
なんだか仲良くなったみたいでよかった。
それにしても……だ。
「俺は何に気をつければいいわけ?」
「とりあえず、お主は一人でフラフラするな。悪霊やよからぬことを企む妖などごまんとおる。それに、危ないのは妖だけではない」
「……といいますと?」
「悪いことをするのは、いつの世も人、ということよ」
遠い目をしたミケに、それ以上聞くことはできなかった。だけど、俺はとりあえず身を守らなくてはいけないらしい。
「分かった。一人で出なきゃいいんだな」
「うむ。できれば月牙は連れて行け。こやつは強いぞ」
「私は風の刃と邪気払い、あと影潜りも使えます。あとは……ユウさんとレイさんのお二人くらいなら、背中に乗せて移動できます」
「万能すぎない?」
「一応これでも神の眷属ですので」
それに比べて──うちの妖たちを見ると、双子はこてんと首を傾げ、ミケはふんっと鼻で笑った。
「我は戦闘向きではないだけじゃ」と言い訳がましく呟いている。
「俺は何も言ってないぞ」と言うと、「目は口ほどに物を言うという言葉を辞書で引いたほうが良さそうじゃな」と返ってきた。
「ま、練習するかな。俺も身を守れるように」
「それがよかろう。その筆は使い次第じゃ」
さらさらと筆を紙へと滑らし、なんとなく大輪のひまわりを描いた。夏だし。
淡く光ったその花は、ふわりと浮かび上がり、月牙の方へと漂っていく。
ぺこり、とお辞儀をした黄色い花は、そのまま弾け、空中で光の粒となって瞬き、消えた。
……おお。すげぇ。
月牙への歓迎の意を込めたひまわりは、見事にその役目を果たしてくれた。
「きれー」
「花火みたいねぇ」
「なかなかやるではないか」
三者三様の褒め言葉を浴びながら、月牙へ視線を向けると、
「ひま……わり……」
そう絞り出すように言った月牙の身体は小刻みに震えていて。その目は酷く懐かしそうな、幸せそうな光を宿していた。
「は、はると殿」
様、付だった呼び方が、殿へと変わっている。
月牙の声は、抑えきれない震えを含んでいた。
「ん?どした?」
「ありがとう……ございます」
深く深く頭を下げた月牙に、俺は何も言えなかった。ぽたぽたと静かに落ちる雫が、その答えだったから。
「ひまわり、好きなの?」
ただ、それだけを聞いた。
「はい。好きです。飼い主が、文様が、大好きだった花ですので……」
「そっか。ひまわり、庭に植えようかな?」
「……ありがとうございます」
涙に濡れた顔が、くしゃりと歪んだ。
出会いは突然。押し付けられたようなものだったけれど、素直で優しい黒い柴犬は、家族想いの記憶を大切にする子だった。
それだけで、一緒にいる理由は十分すぎる。
「アトリエ妖へようこそ。ここはなかなか、賑やかだよ」
「そうだよー!月ちゃん、いっぱい遊ぼうね!今度乗せて!」
「はるとに絵、描いてもらおうね!僕も乗せて!」
俺の言葉に泣きそうな顔になった月牙は、元気よく笑いながら、ちゃっかりおねだりしている双子へ嬉しそうに微笑んだ。
「はい、ありがとうございます」
「ひまわり畑、来年一緒に作ろうな」
なんとなくした来年の約束。
月牙の頭を撫でていた俺は、こそこそ話す双子とそれを目を細めて見ているミケに気づかなかった。
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