第十六話 鈴の音と来訪者
東屋の周りに集った蝉が、煩いほどに鳴いている。
──蝉の寿命は七日間だというけれど、本当にそうなら、俺の庭は今頃蝉の亡霊で溢れていると思うんだけど。
そんなどうでもいいことを考えてしまうくらい、今日も暑かった。
まぁ、部屋の中は冷房が効いてるのかと思うくらい快適なんだけど。
こんな暑い日でも麦わら帽子を被った双子は元気に庭を走り回っている。子どもの思考回路はまるで理解できない。
いつの間にか考えていることが口から漏れていたらしい。隣にいたミケから、
「蝉に生まれるくらいだ。すぐに輪廻に回ろう」
という、長年生きた猫又ならではの答えが返ってきた。
そんなミケも、俺と同様に家の中からほとんど出ようとはしない。最近は俺と一緒に、家の中でゴロゴロしていることが多い。といっても、俺は仕事してるんだけど。
快適な部屋に、妖力っていいよなぁ……と、しみじみ噛み締めていると、あることを思い出してしまった。
出来れば向き合いたくなくて、逃げてしまっていた。けれど、そろそろちゃんと考えなくちゃいけないことくらい分かっている。
重いため息を吐き、やっとのことで重い腰を上げる気になった俺は、ミケへと向き直った。
「あの、ミケさん。相談がありまして……」
改まって切り出した俺に、ミケが不審そうな顔を向けてくる。ゆらゆら揺れていた尻尾が、ぴたん、と床を打った。
「どうした、気持ちが悪い」
「……俺、どうしたらいいんですかね?」
それだけしか言わなかったのに、すっと目を細めたミケは、的確に内容を汲み取ってくれた。
「……力のことか?」
流石だな、と思いながらもなんとなく力が抜けてしまい、机に頬をつける。
大事な話を聞く態度ではないと分かっている。だけど、そうでもしないとやっていられなかった。
ミケなら許してくれるだろう。そんな甘えがあった。
「そう。なんかさ、実感なくて。絵を描いて身を守るにも、全然どうしたらいいか分からないんだよね」
「そうさのう。そもそもお主には、好戦的な妖がおらんからな……」
「うーむ」と唸っていたミケが、不意に庭へと視線を向けた。
それに釣られて外を見ると、先ほどまで東屋でゴロゴロしていた双子が、いつの間にか塀の方を見つめている。
さらに、池の中に潜っていたはずの太郎たちまでが池の淵に整列し、同じ方向へ視線を向けていた。
「え、なに?どうしたの?」
「噂をすれば、だな。流石は幸運の持ち主じゃ」
「だからなにが……?」
マイペースな妖たちが揃いも揃って注目する理由がまるで分からない。
こちらを見ようともしないミケへ、再び問いかけようとした、そのとき。
シャン──と、鈴の音が響いた。
気づけば、喧しく鳴いていた蝉たちも鳴き止んでいる。庭を満たしていた夏の音が消え、辺りは静寂に包まれていた。
まだ昼間のはずなのに、空まで薄暗くなっている。
──何かが起こる。
そう思わざるを得ない空気だった。
俺も姿勢を正し、塀を見つめた。何が起こるのだろうか。みんなの様子を見る限り、只事ではないだろう。
再び、鈴の音がシャン──と鳴った。
「うわぁ……」
気づいたときには、女の人が庭の中央に立っていた。
思わず息を呑むほど、美しい女の人。揺らめくような衣を纏い、その周囲では空気そのものが淡く煌めいている。
──明らかに、人じゃない。
「これ、頭を下げよ」
珍しく潜めたミケの声にミケを見ると、ミケが頭を深く下げていた。気づけば、庭にいる双子たちも女の人へと頭を下げている。
それを見た俺も、慌てて頭を下げた。
──誰なんだろう。
声に出していない問いへ応えるように、女の人が口を開いた。
「良い、こうべを上げよ」
鈴が鳴るような綺麗な声だった。
声に惹き寄せられるように、そっと顔を上げる。
全てを見通すような透き通った瞳がこちらを見つめていた。
「最近、妙にここらに力が満ちておると思えば、犯人はお主のようだな」
すうっと細められた目が、俺を射抜いた。
──見定められている。
興味なさげな眼差しのはずなのに、その一瞥はひどく重い。気づけば背筋が伸び、呼吸すら浅くなっていた。
「この地へ力を満たし、妖を集わせる。お主、目的はなんぞ?」
──は……?目的?
一瞬、考え込んでしまったのが悪かったのだろう。俺が困っている、と思ったのだろうか。
庭にいたユウが、女の人に向かって飛び出してしまった。
「はるとはっ!」
「お主には聞いておらん」
女の人が、すうっと静かに扇を横へ払った。
その途端、大きな声を出しかけていたユウが目を見開き、糸が切れた人形のようにぱたりと倒れた。
「ユウっ!」
思わずユウの元へ駆け出した。
庭へ飛び出した途端、夏の暑さはどこへ消えたのか、ひんやりとした冷気が全身を包む。ぞわり、と鳥肌が立った。
──なんだよ、これ。この女、何者だ。
そう思いながらも、足は止まらない。
急いでユウの元へ駆け寄り、レイに抱えられたユウの顔を覗き込む。
ユウは目をパチパチと瞬かせ、必死に大丈夫、とこちらに訴えかけていた。だけど、その身体は石になってしまったかのように固い。
「ユウになにをした」
人生で出したことがないくらい低い声が、口からこぼれた。
自慢ではないが、俺は人生で怒ったことが数えるほどしかない。他人に期待をしていなかったから、大して怒る必要がなかったから。
だけど──今は違う。
俺には、守るべき家族がいる。
全身に沸騰したような熱が駆け巡る。
誰であろうと、俺の家族を害する者を許すつもりはない。
「ちと生意気だったからの、躾じゃ」
小さな虫でも相手にしているような、そんな態度。
「離せ」
言葉と共に、堰を切ったように力が俺の内側から溢れ出した。それは、一直線に女の元へと向かう。
だが、それも女の目前まで迫ると、見えない何かに掻き消されたように霧散した。
女は、眉一つ動かさない。まるで、その程度のことなど取るに足らないと言わんばかりに、静かにこちらを見つめていた。
そして、ふっ──と笑った。
「嫌じゃ、と言ったらどうする?」
「お前を、消してやる──」
怒気を込めた俺の言葉に、何が面白いのか、女は楽しそうにクツクツと笑う。
どうやら、ユウを離す気はないらしい。
目の前に立つ女を、射殺さんばかりに睨みつける。女へ詰め寄ろうと足を踏み出しかけた。
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