不気味な紋章
数日後。
殺し屋たちの襲撃は落ち着き、いつの間にか、ましろ暗殺の依頼も取り下げられていた。
ましろは胸を撫で下ろし、街中のカフェでひと休みしていた。
テラス席に腰掛け、ホワイトモカをひと口含みながら、束の間の静けさを味わっている。
イリスもテーブルの上に座りながら、周囲の防犯カメラを掌握し、不審な人物がいないか監視を続けていた。
「……なんかさ」
ましろは空を見上げた。
「殺し屋って、意外といるんだね。しかも、変なのばっかり」
「そうだね」
「でも、よかった。暗殺依頼もなくなったみたいで」
「まだ分からないよ」
「え……?」
その時——。
通りの奥から、異様な気配をまとった屈強な男たちが姿を現した。
「クイーン様のために……」
男たちはそう何度も呟きながら、狂気をはらんだ目でゆっくりと近づいてくる。
今にも誰かに襲いかかりそうな危うさをまとっていた。
「ましろちゃん」
「分かってる」
二人はすぐに異変を察知し、表情を引き締めた。
ましろは席を立ち、店の前へ出る。
「イリス、あれって……」
「うん。誰かに洗脳されてる」
「なら、なるべく傷つけないようにしないと」
ましろは男たちを鋭く見据えた。
男たちはましろの前で足を止めた。標的を見つけた獣のような目で、狂ったように叫ぶ。
「見つけた!」
「こいつだ!」
「こいつを殺す!」
「クイーン様のために!」
ましろは目を瞬かせた。
「まだ終わってなかったの⁉」
次の瞬間――。
男たちは獣のような咆哮を上げながら、一斉に襲いかかった。
ましろは静かに息を吐き、鋭く目を細め、身構える。
刹那。
ましろの姿が、ふっと消えた。
否、消えたように見えただけだ。
最前列の男の懐に、すでに踏み込んでいる。
「はっ!」
男の腹に掌を突き出す。
ドンッ――!
鈍い衝撃音と共に、男の巨体がくの字に折れ、数メートル後方へ吹き飛んだ。
吹き飛ばされた男に巻き込まれ、背後の男たちも連鎖的に倒れ込む。
間髪入れず、別の男が横合いから拳を突き出した。
ましろは一歩踏み込み、軸をずらす。
振り下ろされた拳は空を切った。
その隙を逃さず、ましろの鋭い回し蹴りが男の側頭部を捉えた。
バキッ――!
男は白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
さらにもう一人。
背後から組みつこうとした男の気配を、ましろは振り返ることなく察知した。
後方宙返りで男の腕をかわし、その背後へ回り込む。
着地と同時に足払いを放った。
男の身体が宙を舞い、勢いよく地面へ叩きつけられた。
仰向けに倒れた瞬間、ましろは男の腹に踵落としを叩き込む。
強烈な衝撃に、男はそのまま意識を失った。
ましろの動きは一切の無駄がない。
圧倒的な速度と重い一撃で、男たちを次々と戦闘不能にしていく。
残る一人。
「クイーン様のためにぃぃッ!」
最後の男は、狂気じみた声を上げながら突っ込んできた。
だが、その動きは鈍かった。
洗脳された狂気の奥に、本来の理性が必死に抗っているようにも見える。
「……ごめんね」
ましろは小さく呟き、一気に間合いを詰める。
鋭く放たれた掌打が、男の胸へ深々と突き刺さった。
「グハッ!」
男は膝から崩れ落ち、そのまま前のめりに倒れた。
男たちは全員倒れ伏し、通りに再び静寂が戻る。
イリスは男たちを見渡しながら、淡々と告げた。
「……全員、気絶。呼吸も正常」
ましろへ向き直り、明るく言った。
「さすが、ましろちゃん」
「まあね」
ましろは軽く肩を回し、ひとつ息を吐いた。
そして、倒れている男たちを見下ろした。
「……それにしても」
腕を組み、首を傾げる。
「“クイーン様”って……誰のことだろう?」
イリスはわずかに表情を曇らせた。
その時、ましろははっとして、周囲を見渡した。
ぽかんとした表情を浮かべた人々が、ましろに視線を向けている。
ましろの凄まじい動きに目を奪われ、しばらく言葉が出ない様子だった。
「ご、ご覧いただき、ありがとうございました! 今日の突発アクションショーは、これで以上になります」
ましろは慌てて笑顔を作り、お辞儀で誤魔化した。
一瞬の沈黙。
やがて一人が笑った。
「……はは。なんだ、ただのアクションショーか!」
「すごい演技だったね」
「ブラボー!」
戸惑っていた人々の表情は次第に笑みに変わり、拍手を送り始めた。
(よかったぁ……なんとか誤魔化せそうだよ)
ましろはお辞儀をしたまま、内心でほっと胸を撫で下ろした。
その時だった。
イリスのセンサーが微弱な飛行音を捉える。
ましろの背後から、小型の蜂型ロボットが高速で接近していた。
鋭い毒針を突き出し、ましろの首筋へと一直線に迫る。
「ましろちゃん!」
イリスの叫びが響いた、その刹那。
ましろの身体が、反射的に動いた。
しなやかに上半身を捻る。
次の瞬間、毒針がましろの首筋すれすれをかすめた。
空気を裂く鋭い音と共に、数本の髪が微かに宙に舞った。
ましろは一歩踏み込み、体勢を低く落としたまま顔を上げる。
視界に飛び込んできたのは、黒光りする蜂型ロボット。
蜂型ロボットは空中で旋回し、再び針を突き出して、ましろを襲う。
その瞬間――。
横から白い閃光が走った。
イリスが一瞬で距離を詰め、蜂型ロボットの機体を力強く取り押さえる。
「捕まえた……!」
蜂型ロボットは空中でもがくように震え、針を無差別に突き出す。
だが、イリスの拘束はびくともしない。
「逃がさない」
イリスは蜂型ロボットの解析を試みた。
しかしすぐに何かに気づき、瞳を鋭く細める。
「内部エネルギーが急上昇してる……これは――」
蜂型ロボットのセンサーアイが赤く点滅し始めた。
イリスの目が見開かれる。
「――自爆だ!」
イリスは咄嗟に蜂型ロボットを空中へ投げ飛ばした。
直後――。
ボンッ!
小さな閃光と共に、蜂型ロボットは内側から弾けるように爆散した。
破片が空中を舞い、四方へ散る。煙が静かに立ち昇った。
「イリス! 怪我はない⁉」
ましろは心配そうに駆け寄る。
「うん……でも、証拠が完全に消されちゃった」
イリスは悔しそうに眉をひそめた。
足元には、すでに原形をとどめない残骸が転がっている。
これでは、調べることはほぼ不可能だ。
しかし。
「……ん?」
イリスは残骸の中から微細な破片を拾い上げた。
それは、わずかに焦げ残った外装の一部だった。
指先で煤をそっと払うと、黒く焼けた表面の奥から――かすれた紋章の一部が浮かび上がる。
イリスは周囲に散った破片を高速でスキャンした。
そして散らばった破片を一つずつ拾い上げ、迷いなく組み上げていく。
「イリス……?」
ましろはきょとんとして静かに見守った。
破片を正確に組み合わせると、不気味な紋章が完成した。
左右の目にはスペードとハート。頬にはダイヤとクローバー。
四つのスートを織り交ぜたその顔は、歪んだ道化師そのものだった。
黒く焼け焦げてもなお、不気味な笑みだけが鮮明に残っている。
イリスの瞳が大きく見開かれた。
「これは……!」
その反応に、ましろは首を傾げた。
「イリス……どうしたの?」
「……ううん。何でもない」
そう答えたものの、その声はわずかに硬かった。
イリスの視線は、完成した紋章から離れない。
その頃――現場近くのレストラン。
喧騒から少し離れた奥の席に、二人の女が静かに座っていた。
ひとりはハート型の眼鏡をかけた女――“ハートのエース”。
もうひとりは妖艶な美女――“ダイヤのクイーン”。
二人の首筋には、不気味な道化師の紋章が刻まれている。
クイーンはわずかに驚きの表情を浮かべ、冷ややかに言った。
「私の愛しい子犬ちゃんたちが……こんなにもあっさり倒されるなんて」
エースは冷静に言った。
「ボクの蜂ロボットですら躱された。あの身のこなし……素人じゃない」
「まさか、ここまでやるなんてね。少し見くびっていたわ」
「でも、十分なデータは取れた。次は確実に始末できる」
「ふふ……抜かりないわね。すぐに追撃する?」
「いや、今の奇襲で警戒してる。少し時間を置いた方がいい」
「それもそうね」
二人は動揺することなく、静かに席を立ち、レストランを後にした。
人混みの中へ消えていく二人の背には、なお揺るがぬ余裕と不気味な自信が漂っていた。




