ましろを狙う暗殺者
ある日、ましろはイリスを肩に乗せ、街中を歩いていた。
突然、背筋が凍るような視線を感じ取り、ましろの表情が引き締まる。
明確な殺意を帯びた、冷たい視線だった。
警備員に扮した男が、周囲を警戒する素振りを見せながら、自然な足取りでましろへ近づいてきた。
制服の袖口には、細身のナイフが巧妙に隠されている。
ましろは気づかないふりをして、そのまま歩みを進めた。
すれ違った瞬間、男は素早く振り返り、背後からましろへナイフを突き出した。
その刃が届く直前――。
ましろは振り返ることなく、半歩だけ身体をずらした。
ナイフが空を切った。
「なっ――⁉」
男の目が見開かれる。
間髪入れず、ましろは男の懐へ一気に踏み込む。
力を掌に集約する。
次の瞬間――。
全体重を乗せた掌打が、男の顎を打ち抜いた。
ゴッ――!
鈍い音が響く。
男の頭が大きく跳ね上がった。
瞳から光が消え、そのまま膝から崩れ落ちる。
ましろはワイヤーで男を拘束し、深く息を吐いた。
ひとけのない場所へ移動し、捕らえた男を尋問する。
その結果、ましろは思いもよらない事実を知ることになった。
「お前には、一億の懸賞金が掛けられている」
男は言った。
イリスが調べると、殺し屋たちが利用するクローズドネットワークに、ましろの顔写真が掲載されていた。
そこには、『成功報酬一億円』という依頼内容も記されていた。
依頼は匿名で、報酬は早い者勝ち。
すでに複数の殺し屋たちが動き出しているようだ。
「なんで私が⁉」
ましろは驚きを隠せなかった。
「さあな? 誰かの恨みでも買ったんじゃないのか?」
男はぶっきらぼうに言った。
「恨みなんて買うわけ……」
そこまで言って、ましろは口を閉ざした。
数々の事件やテロを未然に防ぎ、そのたびに犯人たちを叩きのめしてきた記憶が脳裏をよぎる。
一人や二人ではない。
心当たりが多すぎた。
ましろは考えるのをやめた。
「イリス! 依頼主が誰か分からない?」
イリスは無言で肩をすくめる。
「だよね……」
ましろは力なく肩を落とした。
それからの数日間――。
一億円という破格の報酬に釣られた殺し屋たちが、次々とましろの前に現れる。
一人目――街中。
光学迷彩で姿を消した男が、音ひとつ立てず、ゆっくりとましろに近づいていた。
その手には、ナイフが握られている。
間合いに入り、男は背後からナイフを振り抜いた。
ましろは身体を捻り、その一閃を紙一重で躱す。
流れるように男の腕を掴み、そのまま勢いよく投げ飛ばした。
男の身体は、地面に激しく叩きつけられる。
「グハっ!」
光学迷彩の機能が停止し、姿が露わになる。
男は声を振り絞るように言った。
「ば、馬鹿な……見えていたのか?」
「見えてないよ」
「なっ⁉」
「気配には敏感だから」
「そ、そんな……!」
男は意識を失い、崩れ落ちた。
その日の夕方、帰り道。
二人目と三人目。
手甲鉤使いの若い女と、鎖鎌使いの野蛮な男が、ひとけのない路地で同時に攻め込んできた。
二人とも、一流の殺し屋だった。
本来なら、どちらか一人だけでも厄介な相手だ。
だが――。
ましろへ飛び掛かろうとした瞬間、二人の視線がぶつかった。
そして、互いに武器を向け合う。
「邪魔するな! こいつは、俺の獲物だ!」
「いいえ! 私のターゲットよ!」
「まずは、てめぇから仕留めてやる!」
「ふふ……返り討ちにしてあげるわ」
懸賞金を独り占めしたいという欲望を、抑えきれなかったようだ。
結果――。
路地裏では激しい戦闘が繰り広げられる。
数分後、二人は互いに致命傷を負い、同時に倒れ伏した。
ましろはただ呆然とその光景を見つめる。
「私、何もしてないんだけど……」
小さく呟き、その場を後にした。
夜、閑静な住宅街にて。
四人目。
男は爆弾を積んだドローンを十数機同時に操り、ましろを狙っていた。
背後から十数機のドローンが一斉に迫る。
ましろは瞬時に振り返り、ハンドガンを構えた。
暗闇の中でも迷いはない。
引き金を連続で引く。
放たれた弾丸は、一発も外れることなくドローンを撃ち抜いた。
ドローンは次々と空中で爆散し、夜空に火花を散らす。
ましろは周囲を見渡し、物陰に隠れていた男を見つけた。
「ひぃぃぃぃ!」
男の情けない声が響く。
次の瞬間――。
ましろは目にも留まらぬ速さで距離を詰め、一瞬で男を取り押さえた。
翌日の昼。
五人目。
老婆に扮した女は、公園近くの広場で小さなキッチンカーを営業していた。
看板には『焼きたてアップルパイ』と書かれている。
香ばしい匂いが辺りに漂い、客たちが次々と足を止めていた。
もちろん、それは偽装だった。
老婆の狙いはただ一人――白雪ましろ。
ショーケースに並ぶアップルパイのうち、一つだけに致死性の毒が仕込まれていた。
老婆は見分けがつくよう、小さな目印を付けている。
しばらくして、老婆は人混みの向こうにましろの姿を見つける。
自然な笑みを浮かべながら声を掛けた。
「そこのお嬢ちゃん。焼きたてのアップルパイはいかがかね?」
「アップルパイ?」
ましろは足を止めた。
漂ってくる甘い香りに鼻をひくつかせる。
「今なら試食もできるよ」
「ほんと?」
ましろの目が輝いた。
老婆は内心でほくそ笑む。
そして、毒入りのアップルパイを切り分け、紙皿に載せて差し出した。
「どうぞ」
「いただきます!」
ましろは何の疑いもなくアップルパイをひと口かじった。
老婆は小さく拳を握りしめる。
しかし――。
ましろの体内では、老婆の想像を遥かに超えたことが起こっていた。
アップルパイを口にした瞬間、体内のナノデバイスが毒素を検知する。
毒は分解され、瞬く間に無害化された。
ましろの口に広がったのは、アップルパイ本来の甘さだけだった。
「おいしい!」
ましろは満面の笑みを浮かべた。
「このアップルパイ、すごく美味しいです!」
そう言って二口目を頬張る。
「なっ――⁉」
老婆の顔から血の気が引いた。
あり得ないものを見るように、ましろを見つめる。
「毒が効いていない……?」
老婆は動揺した。
「いや……きっと効果が遅れているだけだ……」
そう自分に言い聞かせる。
しかし、ましろは平然とアップルパイを完食してしまった。
「試食でお腹いっぱいになっちゃった」
ましろは満足そうに笑った。
「おばあさん、ありがとう! また買いに来るね!」
そう言うと、ましろは踵を返した。
その背中を、老婆は呆然と見送る。
「まさか……毒を入れ忘れた?」
老婆の顔が青ざめた。
確認するように、切り分けた毒入りのアップルパイをひと口かじった。
その瞬間――。
全身に激痛が走った。
「がっ……!」
呼吸が乱れ、視界が揺らぐ。
老婆は口から泡を吹き、膝から崩れ落ちた。
「毒は……確かに入っていた……」
震える声を漏らしながら地面へ倒れ込む。
「なのに……どうして……効かない……」
老婆は悶え苦しみ、そのまま意識を失った。
その騒ぎに気づくことなく、ましろは上機嫌で立ち去る。
その後もましろたちは、風変わりな暗殺者たちに襲われ続けた。
だが――その全てを、ましろは返り討ちにした。
一方、その頃――。
都心を見下ろす超高層複合ビルの最上階。
豪華なドレスを身にまとい、ばっちり化粧を施した女――マリア。
美に執着するマリアは、スマートミラーへ期待を込めて問いかけた。
「鏡よ、鏡……この世で最も美しいのは誰かしら?」
しばらくの沈黙の後、スマートミラーが答えた。
「……はい。それは、マリア様でございます」
「……今、妙な“間”があったわよね?」
マリアは眉をひそめ、もう一度尋ねた。
「鏡よ、鏡……この世で最も美しいのは誰かしら?」
「はい。それは――しら……いえ。コホン……マリア様でございます」
「……今、誰か別の名を口にしかけたように聞こえたけれど?」
マリアは顔をしかめ、スマートミラーをじっと見据える。
スマートミラーは気まずそうに沈黙した。
マリアは三度、スマートミラーに問いかける。
「鏡よ、鏡……この世で最も美しいのは――」
言葉の途中で、スマートミラーは遮るように言い放った。
「――白雪ましろでございます」
一瞬、マリアは言葉を失った。
「なに――⁉ まだ生きているの⁉」
マリアの目が見開かれる。
「まったく……殺し屋たちは何をしているの?」
「全員、返り討ちに遭ったようです」
「なんですって⁉ 本当なの?」
「……はい」
「全員が?」
「はい」
「くっ……小娘ひとり仕留められないとは。役立たず共が!」
マリアは一拍置き、ゆっくりと口を開いた。
「こうなったら――『ロイヤルフラッシュ』に任せるしかないわね。彼らならきっと果たしてくれるはず。すぐに依頼してちょうだい」
「かしこまりました」
異国の高級住宅街に建つ、白壁の豪邸。
車庫には高級車が並び、室内にはブランド物が溢れている。
地下には、ワインがぎっしりと収められた専用セラーが備えられていた。
豪華なリビングのテーブルに置かれたスマートフォンの通知音が、冷たく鳴り響いた。
ワイングラスを片手に、一人の人物が姿を現した。
テーブルのスマートフォンを手に取り、優雅な動作でソファに腰を下ろす。
スマートフォンの画面には、『メッセージが一件あります』と表示されていた。
画面をタップし、秘匿性の高いメッセージを開いた。
『仕事を依頼する。報酬は振り込み済みだ。――M』
メッセージの下には、一つのURLが貼られていた。
URLを開くと、三百万ドルの送金完了を示す証明が表示された。
口元に笑みを浮かべ、ワインを一口含んだ。
メッセージ画面に戻り、スクロールして添付画像を開いた。
画面には、白雪ましろの姿が映し出された。
ましろの画像を空中へと投影し、しばらく無言で見つめた。
やがて立ち上がる。
テーブルに置かれた道化の仮面を手に取った。
そして静かに顔へ当てる。
仮面の奥で、口元がゆっくりと吊り上がった。




