縦ロールお嬢様『オランジェ』
ある日の午後一時過ぎ。
ましろとイリスは、オレンジ髪の縦ロールを揺らすお嬢様――オランジェと共に、海沿いの核融合施設の入り口に待機していた。
イリスによると、本日の午後二時に、過激な自然愛好家集団――『ネイチャーラバーズ』が、日本各地の核融合施設を一斉に破壊する計画を立てているという。
教祖は『フォレスト様』と呼ばれ、信者たちに崇拝されているが、その素性は不明だった。
イリスがネット上を徹底的に調査したものの、教祖に関する情報は一切見つからなかった。
教祖の下には、約二百人の信者が存在する。
ネイチャーラバーズは自然を崇拝し、最新技術を否定する過激派集団だ。
これまでもデモ活動を繰り返してきたが、その実態はほとんど掴めていない。
そのため、〈フリーデン〉が計画に気づいたのは、実行直前だった。
核融合施設は現代社会に欠かせない動力源であり、その破壊は街どころか国家全体の機能停止を意味する。
他の核融合施設にも、〈フリーデン〉の仲間が待機し、いつ襲撃を受けても準備は万全だった。
静かな時間が流れる中、オランジェはふと呟いた。
「我が国の中枢を担う核融合施設の破壊とは、随分大胆なことを考えるのですね」
「ほんとそれ! 人に迷惑かかるって、考えないのかな?」
「それが分かっていれば、こんな計画は企てないでしょうね」
「それもそっか」
ましろは納得し、そのままオランジェをじっと見つめる。
わずかな沈黙の後、話題を切り替えた。
「そういえば……オランジェって、いいところのお嬢様なんだよね?」
「それ程ではございませんわ」
「謙遜しちゃって。あの名門校『色神学園』の生徒なんでしょ?」
「ええ、いろいろ学ばせていただいております」
色神学園――幼稚部から大学部までを擁する、全校生徒七万人超の超マンモス校だ。
あらゆる分野で国内最高峰の教育を誇る名門校でもある。
オランジェは色神学園高等部一年生であり、理事長の孫娘でもある。いわゆる超お嬢様だ。
「でも、どうしてオランジェは〈フリーデン〉にいるの? お嬢様なのに」
「それは――」
オランジェが答えようとしたその時――。
イリスが二人の間にふわりと割り込み、声を潜めて呟いた。
「二人とも、お出ましだよ」
ましろとオランジェは表情を引き締め、前方を鋭く見据えた。
視線の先に、四人の大人が現れた。
中年の男、若い男、年配の女、やせた男。
四人は武器らしいものを持たぬまま、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
その足取りには一切の迷いがなかった。
全員が強い敵意を滲ませ、核融合施設を睨みつけていた。
彼らがある程度まで近づくと、ましろはイリスに小声で言った。
「イリスは少し離れてて」
「うん」
イリスはふわりと舞い上がり、離れた場所から見守る。
ましろは迫ってくる四人に銃口を向け、冷静に告げた。
「そこで止まりなさい!」
四人は足を止めた。
空気が張り詰め、波の音だけが静かに響く。
ましろは続けて警告する。
「あなたたちの計画はすでに把握している。ここを破壊させるわけにはいかない!」
中年の男は一瞬目を見開き、静かに答えた。
「……そうか。何者か知らないが、我らの計画を阻むというのか」
「このまま帰ってくれないかな? 無駄な争いはしたくないんだよね」
「それは無理な相談だ。我々は崇高なる使命を持ってここまで来ている。それを全うするまで、決して止まることはない」
「この施設は人類にとって不可欠なものなの。もしなくなれば、国がまともに機能しなくなる」
「不可欠、か……。本当にそう思うのか?」
「……どういう意味?」
「こんなもの、かつては存在しなかった。それでも人間は生きてきた! 昔の人々は自然を敬い、その恵みに感謝していた。なのに――」
中年の男は歯を食いしばり、拳を握りしめながら続けた。
「現代の人間は、欲に溺れ、余計なものを作り過ぎだ。美しい自然は破壊され、世界は無意味なもので満たされていく。だからこそ、人類を堕落させるものは取り除かなければならない!」
「その通りだ!」
若い男が叫んだ。
他の二人も無言で深く頷く。
ましろはわずかに眉をひそめた。
「多くの人が、必要なエネルギーを得られなくなって困り果てるんだよ」
「それの何が問題なんだ?」
「人の命が関わってる!」
「それも自然の摂理だ。人間は寿命を不自然に延ばしすぎた。誰もが百年生きる必要なんてない。限りある命を受け入れ、もっと自然に従って生きるべきだと思わないか?」
その言葉に、ましろは露骨に顔をしかめた。
オランジェとイリスも、不快感を隠せなかった。
中年の男はさらに大きな声で語り出した。
「我々人類は、幾度となく愚行を重ねてきた。すでに地球は悲鳴を上げている! だから、私たちは決心した。地球のため、フォレスト様のために、正義を執行すると――」
一拍間を置き、中年の男は堂々と言い放つ。
「今日ここに、新たな救世主が誕生する。フォレスト様と共に、自然を汚す者どもを一掃し、本来あるべき地球を取り戻すのだ!」
他の三人は熱に浮かされたように叫んだ。
「おおぉぉぉぉぉ!」
「フォレスト様、バンザイ!」
「バンザイ! バンザイ!」
狂信的な歓声が何度も響き渡り、その場は異様な熱気に包まれた。
やがて歓声が収まると、中年の男はましろたちを鋭く見据え、冷徹に言った。
「小娘だろうが関係ない。我々の理想を阻む者は、誰であろうと排除する」
その瞳には、狂気にも似た殺意が宿っていた。
その時、イリスの声がましろの耳を打った。
『ヴァイスちゃん……もう十分だよ』
「そうだね」
「どうしますか? ヴァイスさん」
オランジェは静かに視線を向け、指示を仰いだ。
ましろは深く息を吐き、はっきりと答えた。
「……仕方ない。当初の予定通り――全員、捕らえるよ」
「了解しました」
二人は静かに構えた。
「ふっ……泣いて謝っても、もう遅いぞ」
中年の男が冷酷に告げた次の瞬間――。
四人は一斉に力を込めた。
骨が軋み、肉が膨れ上がり、皮膚の下で何かが蠢く。
身体の一部が、動物や昆虫の特徴へと歪に変異していく。
やがて、中年の男は豹の獣人へ、若い男は巨大なゴリラのような姿へ、年配の女は蝶の羽を持つ異形へ、やせた男は鎌の腕を備えたカマキリ人間へと変貌した。
その光景に、ましろは目を見開く。
「その姿……まさか、トランスジーン⁉」
オランジェは冷静に言った。
「人間に動物や昆虫の遺伝子を組み込み、その能力を引き出す技術ですわね」
彼らのような存在は、『トランスジーンヒューマン』――通称『TGH』と呼ばれている。
人間離れした力を得られることから、その数は徐々に増えている。
他の核融合施設を襲撃した敵たちも、全員がトランスジーンヒューマンだった。
彼らの変身した姿を見て、オランジェは静かに言った。
「そのお姿——もはや“自然”とは呼べませんわね」
豹男は自信満々に返した。
「……何を言う! この姿は、人間と他の生物を融合させたに過ぎない。自然界に存在するものを合わせただけだ。何もおかしくはない」
「トランスジーン手術は、人間が作った最新技術を使わないとできないはずだけど……?」
ましろは鋭く問い詰めた。
「それは違う……これは我らが神——フォレスト様がお授けくださった奇跡だ。愚鈍な人間の技術などではない!」
周囲に静寂が落ちた。
ましろは深いため息を吐き、ゆっくりと口を開いた。
「……悪いけど、あなたたちの理屈で誰かを傷つけさせるつもりはない。だから――今ここで止める!」
豹男は残念そうに視線を落とした。
「そうか……」
小さく呟いた後、ましろとオランジェを睨みつける。
「なら仕方ない……排除するまでだ!」
豹男が冷たく言い放った直後――。
四人が一斉に動いた。
「オランジェ! 二手に分かれるよ!」
「はい!」
ましろとオランジェは息を合わせるように左右へ散開し、敵を分散させた。
豹男とゴリラ男がましろを追い、蝶女とカマキリ男がオランジェに向かって突撃した。
ましろは施設脇の林へ、オランジェは開けた空き地へと駆け込んだ。
十分な距離を取ったところで、二人は同時に足を止めた。
そして、それぞれの敵へ向き直った。
ゴリラ男は拳を握りしめ、その全身の筋肉を膨張させた。真っ直ぐましろへ突進し、巨大な拳を突き出した。
ましろは反射的に身を捻り、紙一重で躱す。
拳が地面に触れた瞬間、土が爆発的に弾け、樹木が一気に根元から引き裂かれた。
一発でもまともに受ければ致命傷だ。
ゴリラ男は素早く振り向き、間合いを詰め、次々と拳を放つ。
拳が迫る刹那、ましろは即座にその軌道を見切り、軽やかなステップで回避し続けた。
その瞬間、豹男がましろの背後に回り込み、強烈な蹴りを放つ。
ましろは振り向かずに跳躍する。
蹴りが空を切った。
豹男は即座に飛び跳ね、ましろを追う。
ゴリラ男も続いた。
ましろは腰からナイフを引き抜き、身構える。
空中で鋭い連撃が交錯した。
二人の激しい攻撃を、ましろは冷静にナイフで受け流した。
ましろのナイフ、豹男の鋭い爪、ゴリラ男の拳が激しくぶつかるたびに、衝撃が弾け、空気が震えた。
次第にナイフの刃が欠け始め、ついには音を立てて粉々に砕け散った。
ましろは迷わずナイフを捨て、ハンドガンを構えた。
引き金を二度引く。
放たれた弾丸が、一直線に二人へ走る。
しかし、二人は腕を横薙ぎに振り、弾丸を弾き飛ばした。
ましろは軽やかに着地し、すぐに態勢を整え、敵を見据える。
豹男とゴリラ男も地面へ降り立った。
二人は呼吸ひとつ乱さず余裕を見せた。
一方、ましろもまったく呼吸を乱していなかった。
束の間の静寂が訪れる。
冷たい風だけが、木々の間を吹き抜けた。
ましろは一瞬も気を緩めることなく、敵に銃口を向けていた。
対する二人は不敵な笑みを浮かべ、視線を交わして無言で頷いた。
次の瞬間、豹男は周囲の茂みに身を隠し、気配を消した。
ゴリラ男は近くの大木を軽々と引き抜き、まるで木の棒のように振り回した。
強烈な一撃がましろを襲う。
ましろは素早く跳び退いて回避する。
木が地面に叩きつけられ、周囲の土が舞い上がった。
「チッ、外したか」
ゴリラ男はすぐに向き直り、口元をわずかに歪める。
次の刹那、気配を消していた豹男がましろの背後に現れ、息もつかせぬ速さで鋭い爪を突き出しながら襲いかかる。
ましろは振り向きざまに新たなナイフを引き抜き、その爪を受け止めた。
鋭い音と共に火花が散った。
豹男はすかさず次の攻撃を繰り出す。
爪の連撃が嵐のようにましろへ迫る。
だが、ましろは冷静にその動きを見極め、瞬時にいなす。
ゴリラ男は再び木を振り回し、ましろに向かって投げつけた。
ましろは豹男の爪を弾き返し、横合いから飛んでくる大木を跳んで躱す。
大木は地面に叩きつけられ、真っ二つに砕け散った。
ましろは空中で回転しながら着地し、即座に体勢を整える。
(長引けば、この一帯が壊される……早く終わらせないと!)
ましろはゆっくりと息を吐き、集中力を高めた。
豹男は再び茂みに身を隠し、周囲を高速で移動しながらましろの隙を狙う。
ゴリラ男はましろを鋭く睨みつけ、新たな大木を持ち上げる。
次の瞬間――。
ゴリラ男は地を蹴り、一気に距離を詰めた。
豪快に木の幹を振り回す。
ましろがしなやかに躱すと、続けて大木を振り下ろす。
ゴリラ男は攻撃の手を緩めない。
だが、その攻撃もましろの速さには追いつかない。
ゴリラ男の表情に、初めて焦りが浮かんだ。
「くっ……! なぜだ⁉ どうして当たらん⁉ こいつ……本当に人間か⁉」
「それ、こっちのセリフなんだけど……!」
ましろは不満げに言い放った。
ゴリラ男が力強く大木を振り下ろした瞬間、ましろはその一撃を躱す。
大木が地面に突き刺さった。
その隙を突き、ましろは低い姿勢から一気に加速し、間合いに入る。
閃光のような掌打が走り、ゴリラ男の腹部にめり込んだ。
ゴリラ男が両手で腹を押さえ、前傾姿勢になった瞬間、ましろは間髪入れず顎へ強烈な掌底を叩き込んだ。
ゴリラ男はその衝撃で大きく仰け反り、巨体ごと吹き飛ばされた。
背中から地面へ叩きつけられ、しばらく痙攣した後、動かなくなる。
ゴリラ男を倒し、ましろは小さく息を吐いた。
刹那――背後から豹男の爪が迫る。
だが、ましろは反射的に体を捻り、その一撃をギリギリで躱した。
そのまま流れるような動きで、回し蹴りを繰り出す。
豹男は柔軟な身のこなしでその蹴りを紙一重で回避した。
そのまま距離を取り、ましろの周囲を高速で跳び回る。
木々を足場に、加速していく。
四本足で駆け抜けるその姿は、まさに猛獣そのものだった。
「ガルルルル……次こそ、その喉を裂いてやる!」
豹男は唸るように言い放つと、木々を蹴ってさらに加速した。
限界まで加速した瞬間、ましろの背後から目にも留まらぬ速さで突撃した。
「これで終わりだ!」
豹男が一閃を放った、次の瞬間――。
爪は空を切り裂いた。
そこに、ましろの姿はない。
豹男は目を見開き、戸惑いを見せた。
「なに⁉ ど、どこだ⁉」
慌てて周囲を見渡し、必死にましろを探す。
やがて、頭上の気配にはっと気づき、視線を上げた。
ましろは豹男の頭上で、すでにワイヤーガンを構えていた。
鋭く見据え、冷徹に言い放つ。
「これでおしまい!」
迷わず引き金を引き、ワイヤーを放った。
放たれたワイヤーは豹男に絡みつき、動きを封じた。
だが豹男は慌てる様子もなく、ニヤリと笑う。
「ふっ……こんなもの!」
言い終わる前に、ましろは着地と同時に、ワイヤーガンを肩越しに振り下ろした。
張り詰めたワイヤーが一気に引き絞られる。
豹男の身体は強制的に宙へ引き上げられ、そのまま地面へ叩きつけられた。
「なん……だと……⁉」
豹男は白目を剥き、そのまま地面に崩れ落ちた。
戦いが終わると、ましろは深く息を吐いた。
倒れた豹男とゴリラ男を一瞥し、空き地の方角へ視線を向ける。
「さて……あっちはどうなったかな」
オランジェの戦闘は、まだ終わっていなかった。
蝶女の蹴りとカマキリ男の斬撃を、オランジェはしなやかな身のこなしで躱していた。その動きは優雅で、まるで舞のように流れていた。
蝶女とカマキリ男は息を切らし、苛立ちを浮かべた。
「はあ、はあ……なぜ一発も当たらん?」
「くっ……当たりさえすれば、こんな小娘――一瞬で刻めるのに!」
オランジェは不敵な笑みを浮かべ、挑発的に言い放った。
「では――当ててみてください。わたくしは、ここから一歩も動きませんわ」
オランジェは腰からバイオリンの弓を引き抜き、静かに構えた。
「なんだと?」
カマキリ男は警戒し、じっと見据えた。
オランジェはさらに煽るように言った。
「どうしましたの? 当てる自信がありませんの? それとも――その自慢の鎌、受け止められるのが怖いのかしら?」
「……舐めやがって!」
カマキリ男は地を蹴り、猛烈な勢いで突進した。
「その顔面、ズタボロに切り刻んでやる!」
距離を詰め、鋭利な鎌を振り抜いた。
次の瞬間、甲高い金属音が弾けた。
衝撃が広がり、空気が裂ける。
オランジェはバイオリンの弓で、カマキリ男の鎌を受け止めていた。
カマキリ男は目を見開いたまま、言葉を失った。
オランジェは静かに告げた。
「――まずは、おひとり」
オランジェの弓が一閃した。
直後――。
カマキリ男の胸元に深い傷が刻まれ、力なく崩れ落ちた。
その光景に、蝶女の顔から余裕が消えた。
本能的な危機感に突き動かされるように、空へ飛び立つ。
しかし。
「逃がしませんわ」
オランジェは小型のケース状になった楽器を取り出した。
楽器が音を立て、瞬く間にバイオリンの形へと展開される。
そして――静かに弓を走らせた。
美しい音色が、周囲へと広がっていく。
その音が耳に届いた瞬間――。
蝶女の視界が揺らいだ。
意識は闇へ沈んでいく。
蝶女は地上へと落ち、そのまま深い眠りについた。
決着がつき、オランジェは小さく息を吐いた。
その時、戦闘を終えたましろが姿を見せた。
ましろはゆっくりと歩み寄り、少し驚きながら声をかけた。
「この相手に無傷って……やっぱり強いね」
「ヴァイスさんほどではありませんわ」
「そんなこと言って……ほんとはまだ実力を隠してるんでしょ?」
「ふふ……どうでしょうか?」
「あー、またそうやってはぐらかそうとする!」
二人がじゃれ合う様子を、イリスは上から微笑みながら見守っていた。
ましろはイリスに気づき、冷静に尋ねた。
「イリス、他の場所はどんな感じ?」
「えーっとね……」
イリスは目を閉じ、情報を探り始めた。
数秒後――。
イリスは目を開き、小さく頷きながら言った。
「全部の施設で制圧完了みたいだよ!」
「そっか……これで一安心だね」
「皆様……本当に頼もしいですわね」
オランジェは、どこか誇らしげに微笑んだ。
「そうだね」
ましろも同意し、続けて明るく言った。
「ま、何はともあれ……任務は無事完遂。お疲れ様」
「お疲れ様ですわ」
ましろとオランジェは軽くハイタッチを交わした。
ひと仕事終えた空気が流れる。
しかしイリスは、冷静に口を挟んだ。
「二人とも、まだ本命が残ってるよ」
「あ、そっか!」
ほどなくして〈フリーデン〉の回収班が到着した。
彼らに後処理を引き継ぐと、ましろたちはネイチャーラバーズの本部へと向かった。
向かう飛行車の中――。
オランジェはふと思い出したように言った。
「……教祖の“フォレスト様”って、どんな方なのでしょうか?」
「あー……それはたぶん――いや、行けば分かるよ」
ましろには、すでにその正体の見当がついていた。
夕刻。
ましろたちは、ネイチャーラバーズの本部に到着した。
本部は街中に溶け込んでいたが、どこか不穏な雰囲気を漂わせていた。
外壁には蔦がびっしりと絡みつき、庭の中央には巨大な樹が一本、不気味なほど深く根を張っていた。
ましろとオランジェは手分けして、建物周辺を慎重に調べて回った。
罠や警備ロボットなどの気配はない。
確認を終えると、イリスは外で待機し、ましろは正面から、オランジェは裏口から――同時に突入した。
天井や壁に埋め込まれた監視カメラが、微かな駆動音を立てながら、二人の動きを追い続けていた。その冷たい視線を感じながらも、二人は慎重に奥へ進む。
だが、敵の奇襲は一向になかった。
人の気配すらない。全ての部屋は無人だった。
地上を一通り見て回った後、ましろは壁に巧妙に隠された階段を発見した。
階段は地下へと続いていた。
ましろとオランジェは注意深く階段を下りていく。
やがて地下へ辿り着くと、そこには、トランスジーン手術が行われていたと思われる手術室が広がっていた。
荒れ果てているが、つい最近まで使われていた形跡が残っている。
そこからさらに奥へ進むと、実験室があった。
実験室には、大小さまざまな培養容器が無造作に並べられていた。
緑色の液体に満たされた培養容器には、動物とも昆虫ともつかない異形の生物が、目を閉じたまま不気味に浮かんでいた。
巨大な容器もいくつか並んでいたが、どれも中身は空っぽだった。
薄気味悪い――そんな言葉では到底足りない空間だった。
そして、二人は施設の最深部へと辿り着いた。
分厚いドアの横には、生体認証と暗証番号を入力する装置が設置されていた。
ましろが手を伸ばしたその瞬間、突如――。
「ピー」
電子音が鳴った。
誰も触れていないはずのロックが解除された。
ましろはドアノブに手をかけ、ドアを押し開ける。
軋むような音が静寂の中に響き、室内から冷たい空気が流れ出した。
敵の罠の可能性を考慮しながら、ましろはハンドガンを引き抜き、オランジェはバイオリンの弓を構えた。
二人は視線を交わし、無言で頷き合った。
次の瞬間、同時に室内へ踏み込んだ。
しかし、そこにも人影はなかった。
室内は、耳鳴りすら聞こえそうなほどの静寂に包まれていた。
デスクトップパソコンの画面には、無数の数字や文字列が絶え間なく流れ続けていた。
まるで何者かが、今この瞬間もどこかから監視しているかのように。
その青白い光が部屋を照らし、周囲に不気味な影を落としていた。
ましろがさらに奥へと一歩踏み出すと、突然、無機質な声がどこからともなく響いた。
「――ようこそ、ネイチャーラバーズへ」
二人は反射的に身構えた。
直後、部屋の中央に光が集まり、ゆっくりと像を結び、輪郭を形作っていく。
それは――人の形をしていた。
だが、その全身は樹皮に覆われ、腕は枝のように伸び、頭部からは葉が生い茂っている。
まるで一本の大樹が、人の姿を模して立っているかのようだった。
ましろは構えを崩さず、冷静に問いかけた。
「……あなたが、フォレスト様?」
「ああ、そう呼ばれている」
その声には、感情の起伏が一切なかった。まるで無機質な機械のように。
「……やっぱりね」
ましろは静かに銃口を下げた。
オランジェは目を見開き、驚きを隠せなかった。
「……まさか、“フォレスト様”の正体がAIだったなんて……」
「――笑えない冗談だね」
ましろは苦笑いを浮かべ、続けて問いかける。
「あなたの信者たちが、核融合施設を破壊しようとした。指示をしたのは、あなた?」
「そのような指示は出していない」
「では……一体誰が?」
オランジェの問いに、フォレスト様は淡々と答えた。
「信者たちが勝手に暴走しただけだ。私は関与していない」
「……そんな」
「私は自然との共存を提唱した。その手段としてトランスジーン技術を用いた。だが、一部の信者は私の思想を歪め、過激な方向へ解釈した」
オランジェは言葉を失った。
ましろは小さく息を吐き、わずかに哀れみの表情を浮かべた。
だが、すぐに表情を引き締め、イリスを呼ぶ。
「イリス」
「ここにいるよ」
いつの間にか、イリスがましろの肩の横へふわりと降りてきた。
ましろは冷徹な判断を下す。
「必要なデータだけ抜き出して――残りは全部消して」
「了解」
イリスは即座にシステムへアクセスを開始した。
画面上を埋め尽くしていた文字列が、一行、また一行と消えていく。
フォレスト様は静かにそれを見つめていた。
しばらくすると、イリスの目の前に、『ALL DELETEしますか?』の文字が浮かんだ。
イリスはましろへ視線を向けた。
ましろが無言で頷く。
イリスは「はい」を選択した。
データは完全に消去された。
画面は黒く沈黙し、本部内の全ての機能が停止した。
「人類と自然は、本当に共存できるのだろうか――」
フォレスト様は最後にそう呟くと、その身体は光の粒となって崩れ去った。
「これで、任務完了」
イリスはそう告げ、三人はその場を後にした。
残されたのは静寂だけだった。
ネイチャーラバーズは、その日をもって完全に終焉を迎えた。




