喫茶『御伽』
初夏――。
心地良い風が街を吹き抜けていた。
青空には白い雲がゆっくりと流れ、街路樹の若葉が陽光を浴びてきらきらと揺れている。
季節は春を越え、夏へと向かい始めていた。
そんな穏やかな昼下がり。
住宅街の一角で、白雪ましろは電柱の陰から周囲を警戒していた。
視線の先には、ごく普通の一軒家。
ましろは小声で呟いた。
「イリス、状況は?」
上空から対象宅を監視していたイリスが答えた
『対象宅に異常なし。住人はリビングでくつろいでるよ』
「了解」
ましろは小さく頷く。
数分後――。
住宅街の静寂を破るように、一台の黒いワゴン車がゆっくりと停車した。
中から現れたのは、目出し帽を被った男たちだった。
「ここで間違いないな」
「ああ。金持ちの家らしいぜ」
「五分で終わらせるぞ」
男たちは慣れた様子で敷地へ侵入しようと門へ向かった。
一人がバールを取り出し、玄関へ近づく。
その姿を確認した瞬間――。
ましろは迷わず飛び出した。
「は?」
男たちが反応するより早く、ましろの掌打が一人目のみぞおちに突き刺さる。
「がっ⁉」
続けざまに二人目の襟首を掴んで投げ飛ばし、三人目の顎へ鋭い回し蹴りを叩き込む。
わずか数秒のうちに、男たちは地面に転がっていた。
ましろはワイヤーガンを構える。
パシュッ、パシュッ。
射出されたワイヤーが男たちの腕や足に絡みつき、あっという間に拘束した。
ましろは小さく息を吐き、ワイヤーガンを収める。
「よし、これで任務完了!」
イリスが舞い降りて声をかけた。
「ましろちゃん、お疲れ様」
「お疲れ」
数分後、〈フリーデン〉の回収班が到着する。
拘束した男たちを回収班に任せた後、ましろはその場を後にした。
任務を終えたましろは、イリスと共に喫茶『御伽』を訪れた。
喫茶『御伽』――。
ましろたち〈フリーデン〉の支部を兼ねた和洋折衷の喫茶店である。
もっとも、ましろにとっては落ち着いて休むことができる憩いの場となっていた。
木製の扉を開くと、心地良い鈴の音が鳴った。
「こんにちはー」
ましろは挨拶しながら足を踏み入れる。
店内の様子を見て、思わず目を見開いた。
テーブル席の客たちは、店員に対して深々と頭を下げていた。
彼らの接客をしていたのは、ホール担当のエージェント――姫カットの黒髪を腰まで伸ばした輝夜だった。
「くっくっく……わらわが直々に淹れた茶だ! 存分に味わうがいい!」
輝夜の尊大な声が店内に響き渡る。
「ははーっ!」
「ありがたき幸せ!」
客たちは頭を下げたまま口々に言った。
一方、別のテーブル席。
その席は、とても明るい雰囲気に包まれていた。
客たちをもてなしていたのは、もうひとりのホール担当のエージェント――マリンブルーの髪を稚児髷に結った乙姫だった。
乙姫は今日も上機嫌に客たちと談笑している。
「これマジで美味しいから、ちょーオススメだよ!」
「アイスコーヒーね。りょ!」
「注文承り! じゃ、ちょっと待っててねー!」
乙姫の気さくな声が響く。
客たちは彼女の明るい接客に笑顔を浮かべていた。
ましろが入り口で立ち尽くしていると、輝夜が視線を向けて近づいてきた。
「おお! ましろではないか。任務帰りか?」
「うん、今終わったところ」
「そうか。よく来た。好きな席に座るがよい」
ましろは慣れた様子でカウンター席に腰かけた。
イリスはカウンターの上にちょこんと座る。
メニュー表を開き、目を通していると、輝夜が二人分のおしぼりとお冷を運んできた。
それをテーブルへ置き、注文を尋ねる。
「決まったか?」
「うーんと……ホワイトモカと、御伽スペシャルパンケーキで」
「承った」
輝夜は注文を受け、厨房へ告げると、別の客の席へ向かった。
「わらわを呼んだのは、そなたらか」
再び、輝夜は厳かな態度で接客し始めた。
一方、乙姫は変わらぬ笑顔で、客たちをもてなしていた。
二人は開店当初からこの独特な接客を貫いている。
その結果、それぞれ熱狂的な常連客を抱える看板娘となっていた。
独特な接客にもかかわらず、店内は不思議と穏やかな空気に包まれている。
ましろはその光景を見渡し、自然と表情が緩んだ。
「相変わらず賑やかだね……」
「そうだね」
ましろの言葉に、イリスが相槌を打つ。
店内を見回していると、不意に乙姫と視線が合った。
乙姫はウインクしながら二指の敬礼をする。
ましろは軽く手を振り返した。
しばらくすると、甘い香りと共に輝夜が品を運んできた。
お盆にはホワイトモカ、抹茶ティーラテ、そして御伽スペシャルパンケーキが二皿乗っている。
「待たせたな」
輝夜は慣れた手つきで品をカウンターへ並べた。
ましろは目の前の豪華な品――山のように盛られた生クリームと色鮮やかなフルーツに彩られたふわふわのパンケーキに目を輝かせた。
だが、運ばれてきた品の多さに疑問を抱く。
「あれ? 頼んでないのがあるけど……」
「それはわらわの分だ」
「え……?」
「ちょうど休憩時間なのだ。そなたと茶でも飲もうと思ったのだが、構わぬか?」
「もちろん!」
輝夜はましろの隣の席に腰を下ろした。
ましろはホワイトモカを口へ運び、輝夜も抹茶ティーラテをひと口飲んだ。
それからナイフとフォークに持ち替え、二人はパンケーキを頬張る。
口にした瞬間、ふわりとした甘さが広がった。
二人の表情は自然と緩む。
パンケーキを食べながら、輝夜は気さくに話しかけた。
「そういえば……最近、いろいろあったらしいな」
「うん……ちょっと厄介な相手に目をつけられてね。殺し屋まで差し向けられたけど、みんなが助けてくれたから乗り越えられたよ」
「そうであったか。良き仲間に恵まれたのだな」
「うん」
「……わらわも任務中でなければ、その不届き者共を蹴散らしてやったのじゃがな」
「その気持ちだけでも嬉しい。ありがと、輝夜」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
そして再びパンケーキを口へ運ぶ。
「ところで――」
輝夜はフォークを置き、どこか真剣な表情を浮かべた。
「ましろよ。そろそろ本部を辞めて、この店で一緒に働かぬか?」
「あはは……またその話?」
「当然じゃ。そなたほどの逸材、見逃す手はないからのう」
「いやいや、そんな大した人間じゃないって」
「そんなことはない。そなたが正式に加われば、この店は大繁盛間違いなしだ」
「今でも十分繁盛してるじゃん」
「今よりもさらに、だ!」
「私ひとりにそんな影響力はないよ」
「むぅ……」
輝夜は不満そうに頬を膨らませた。
すると――。
「あー! 輝夜ちん、仕事サボってる!」
聞き慣れた声が横から聞こえる。
乙姫が軽やかな足取りで駆け寄ってきた。
「うちもまーぜて!」
そう言いながら、ましろの隣の席に腰を下ろす。
ましろは左右を輝夜と乙姫に挟まれる形になった。
「えっ……接客はどうするの?」
ましろが尋ねる。
「へーきへーき!」
乙姫は親指を立てた。
「それより、輝夜ちんはどうして頬を膨らませてたの?」
「ましろを引き抜こうとしたんだが、断られてのう。乙姫、おぬしも何か言ってやれ」
「そうだなぁ」
乙姫は顎に指を当てた。
店内の客たちを見渡してから、ましろへ視線を向ける。
「ましろんを推すお客様のためにも、ここで一緒に働こうよ!」
「私を推す人なんていないでしょ。店員でもないのに」
「いるよ」
「おるぞ」
二人が即答した。
「え……?」
ましろはぽかんとした表情を浮かべる。
「ほら、周りをよく見てみて」
乙姫に促され、ましろは店内を見回した。
客たちの視線が、ましろたちへ集まっている。
「おい、今日は『三姫』が揃ってるぞ!」
「三人とも超かわいい!」
「まさにおとぎ話のお姫様だな!」
「尊い……!」
客たちの囁く声がましろの耳を打つ。
ましろは不思議そうに呟いた。
「『三姫』ってなに?」
「わらわたち三人をまとめてそう呼んでおるようだ」
「常連さんの間じゃ、ましろんも立派な看板娘なんだよ!」
二人はあっさりと答えた。
「えっ、なんで⁉」
ましろは目を見開いた。
「前に何度かお店を手伝ってくれたことがあるでしょ? あの日から、ましろん目当てのお客さんが一気に増えたんだよ」
そう言うと、乙姫は天井の監視カメラへ向かって軽く手を振った。
すると、それに応えるように天井から光が降り注ぐ。
空中にホログラムが展開された。
喫茶『御伽』のホームページが映し出される。
そこには店の宣伝やお知らせが並び、その中には以前ましろが接客を手伝った時の写真も掲載されていた。
写真の上部には、煽り文句のような文字が躍っている。
『新たな姫、爆誕!!!』
さらにコメント欄には、たくさんのメッセージが寄せられていた。
『控えめに言って可愛すぎる!』
『マジ天使!』
『結婚したい!』
それを見た瞬間、ましろは言葉を失った。
「なっ、これはっ――⁉」
輝夜は胸を張って答える。
「わらわが載せた。なかなか良い反響だったぞ」
「へぇー、そうなんだ。良かったね!」
そこまで言って、ましろは固まった。
「……じゃなくて、お前の仕業かぁあああ!!」
思わず立ち上がって叫ぶ。
わずかな沈黙が流れた。
ましろははっと我に返り、周囲を見渡す。
店内の客たちの注目を一身に浴びてしまった。
「あはは……うるさくしてすみません」
ましろは笑いながら腰を下ろす。
周りに聞こえないよう口元に手を添え、小さく囁いた。
「いつの間にこんな写真撮ったの?」
「この前じゃ。ましろの制服姿があまりにも可愛かったのでな」
乙姫も微笑みながら言い添える。
「すごく評判良かったんだよ!」
「えっ! そ、そう? えへへ……」
ましろは頬を赤らめ、思わず表情を緩めた。
「ちょろいのう」
「ちょろいねぇ」
「うるさい!」
三人の間に笑いが広がる。
「せっかくじゃし、今日も手伝ってくれぬか?」
「えっ……!」
「いいねー! うちからもお願い!」
ましろは少し考え込んでから答えた。
「……まあ、明日休みだから少しならいいけど」
その言葉を聞き、輝夜は満足そうに微笑んだ。
「決まりじゃな」
「やったぁー!」
乙姫は両手を上げて喜ぶ。
ましろは更衣室で着替えを済ませ、ホールへと姿を現した。
彼女の制服姿を見た瞬間、客たちは思わず視線を奪われた。
一瞬、店内から会話が消える。
次の瞬間――。
「きたぁあああああ!」
「今日来て正解だった!」
「可愛すぎて心臓止まりそう!」
店内が歓声で沸いた。
ましろは柔らかな笑顔を浮かべながら客たちをもてなした。
「いらっしゃいませー!」
「こちらのお席へどうぞ」
「御伽スペシャルパンケーキをお持ちしました」
次第に客足も増え、店内は賑やかになっていく。
イリスは注文管理や配膳補助をこなしながら、忙しく働く三人を見守っていた。
ましろの働く姿を見て、輝夜は得意げに呟く。
「くっくっく……上手くいったのう。乙姫」
「だねー。今日の売り上げ、期待できそう」
乙姫も悪戯っぽく笑った。
その後もましろは働き続け、気づけば閉店時間になっていた。
入り口の看板が『OPEN』から『CLOSED』へと変わる。
ましろはカウンター席へ座り、両手を上げた。
「ふぅー、よく働いたぁ!」
久しぶりの接客だったが、不思議と嫌な疲れではなかった。
そこへ輝夜が歩み寄り、労いの言葉をかける。
「お疲れ様じゃ」
手に持ったホワイトモカをましろへ差し出した。
「ありがとう」
ましろは受け取り、ひと口飲む。
優しい甘さが疲れた身体に染み渡った。
輝夜は隣の席に腰を下ろし、抹茶ティーラテを口にする。
深く味わった後、小さく呟いた。
「やはり、そなたは接客が向いておる。どうじゃ? 正式に働く気はないか?」
「うーん……たまに手伝うくらいなら、いいかも」
その言葉に、輝夜の目が輝いた。
「本当か⁉」
「たまにだからね。そう頻繁には手伝えないから」
「無論だ」
輝夜は嬉しそうに微笑んだ。
「ところで、ましろは先ほど『明日休み』と言っておったな?」
「うん、そうだよ」
「実は、わらわも完全休日なんじゃ」
「そうなんだ」
「もし何も予定がなければ、久しぶりに一狩り行かぬか?」
「『怪獣狩り』かぁ!」
『怪獣狩り』。
世界中で一億人以上がプレイする大人気VRMMOである。圧倒的なリアリティと戦略性で、多くのプレイヤーを魅了している。
ましろも輝夜も、休日になると時々ログインして遊んでいた。
「ちょうど期間限定のイベントクエストが開催中じゃ。一緒にどうじゃ?」
「いいね! 行こう行こう!」
「では決まりじゃな」
「うん!」
「明日の昼頃にログインでどうじゃ?」
「オッケー!」
二人はその場で約束を交わした。
その時、片付けを終えた乙姫がエプロンを外しながら二人の元へやってきた。
「楽しそうだね!」
「乙姫も一緒にどう?」
ましろが尋ねる。
「一緒にやりたいのは山々なんだけど、明日はちょっと外せない用事があるんだ」
「そっか。じゃあ、また今度誘うね」
「うん」
こうして、ましろの明日の予定が決まった。
久しぶりの休日。
怪獣たちが待つ仮想世界で、仲間と共に過ごす賑やかな一日になりそうだった。




