『KAGAMI』
ましろは風を切りながら、空を突き抜けた。
「あそこだよ!」
イリスが指差す先に、超高層複合ビルがそびえ立っていた。
イリスは目を光らせ、最上階の窓へ視線を向けた。
窓際には、マリアが立っていた。
不敵な笑みを浮かべながら、こちらを見つめている。
イリスは低く告げた。
「見つけた。最上階にいる」
ましろはほうきの柄を握りしめると、ビルの上空へ向かって高度を上げた。
「屋上から踏み込むよ」
上空からビル屋上を目指す。
だが――。
突然、重々しい機械音が響き渡った。
ビルの迎撃システムが起動する。
屋上の装甲板が左右に開き、その下から重厚な機関銃群がせり上がる。
無数の銃口が、ましろへ向けられた。
次の瞬間、銃口が一斉に火を噴いた。
「くっ……!」
ましろはほうきを巧みに操り、空中を縦横無尽に駆け抜ける。
銃弾が幾筋もの光となって空を切り裂き、背後をかすめた。
死角へ回り込もうと大きく旋回するが、嵐のような弾幕が行く手を塞いだ。
最上階の窓辺で、マリアはその光景を悠然と眺めていた。
「そのまま撃ち落とされなさい」
ましろは避けながら、冷静に呟く。
「屋上からの侵入は無理か」
即決し、降下していく。
高度を落として迎撃範囲から離れると、弾幕はようやく途切れた。
降下中、ましろはハンドガンを引き抜き、窓へ向けて弾丸を放った。
だが、弾丸は防弾ガラスに弾かれ、貫くことはできなかった。
「防弾ガラス……簡単には破れないか」
そのまま降下し続け、地上へ降り立った。
ほうきを軽く振り、縮ませる。
それをポケットへ収め、ビルを見上げた。
最上階から見下ろすマリアと鋭く視線がぶつかった。
ましろは最上階を指差し、はっきりと言い放つ。
「そこで待ってなさい! 絶対に捕まえてやるんだから!」
前を見据え、ビルの入口へ向かって踏み出した。
イリスも表情を引き締めた。
マリアは二人を見下ろしながら嗤う。
「ここはネズミ一匹の侵入すら許さない、難攻不落の要塞」
口元が不気味に吊り上がる。
「ふふ……どこまで上ってこられるかしらねぇ、白雪ましろ」
自動ドアを潜り、ましろは警戒しながらエントランスホールへ足を踏み入れる。
イリスはましろの肩からふわりと飛び上がり、周囲を警戒した。
広大なホールが広がっていた。
床は磨き上げられた白い大理石。
頭上には巨大なシャンデリアが吊り下がり、無数の光を降り注いでいる。
ホールの奥には、天井が見えないほどの巨大な吹き抜け空間が続いていた。
幾層ものフロアが見上げるほど高く積み重なり、それらを結ぶ空中回廊が縦横に張り巡らされている。
至るところに設置された監視カメラが、ましろたちの動きを執拗に追い続けていた。
人影はない。だが、敵意を帯びた無数の視線だけは確かに感じる。
ましろは歩みを止めず、小さく呟いた。
「囲まれてるね」
イリスは素早く見回し、物陰に隠れる敵の姿を捉えた。
「百人はいるね」
物陰や上階の回廊には武装した黒服の男たちが潜み、すでにましろを包囲していた。
次の瞬間――。
物陰や回廊から、男たちが一斉に姿を現した。
武器を構え、四方からましろへ襲いかかった。
だが――。
ましろの姿が掻き消える。
「なっ――⁉」
刹那、先頭の男が宙を舞った。
ましろは先頭の男の懐へ一瞬で踏み込み、掌底で吹き飛ばした。
さらに振り向きざまの回し蹴りで別の男を薙ぎ倒す。
男たちは次々と倒れていった。
上階の回廊から銃撃が降り注ぐ。
ましろは駆けながらハンドガンを抜いた。
乾いた銃声が連続で響く。
放たれた非殺傷弾は寸分違わず敵を捉え、黒服たちは次々と崩れ落ちていった。
「化け物か……!」
男たちの顔に恐怖が広がる。
しかし、ましろは止まらない。
空中回廊へ跳躍すると、敵陣へ飛び込んだ。
掌打が閃き、蹴りが唸る。
わずか数十秒後、回廊を埋め尽くしていた男たちは誰一人立っていなかった。
静寂が訪れる。
ましろは肩の埃を軽く払った。
「ごめんね。急いでるんだ」
エントランスには百人もの黒服が倒れ伏していた。
ましろは何事もなかったかのように駆け出し、最上階を目指した。
その頃、最上階の一室――。
マリアは巨大なモニター越しに、その様子を見ていた。
「なるほど……『ロイヤルフラッシュ』を倒したというのは、本当のようね」
一瞬だけ眉が動く。だが、その表情にはなおも余裕が滲んでいた。
「でも――この程度で辿り着けるほど、甘くはないわ。……そうでしょう? 『KAGAMI』」
その呼びかけに応えるように、スマートミラーが淡く輝いた。
『はい。戦闘パターン、反応速度、移動予測――すべて解析済みです』
そう答えた後、鏡面が水面のように揺れた。そして、鏡面の奥から光が溢れ出す。
やがてその光は人の形を取り、美しい女神のホログラムへと変わった。
彼女こそ、マリアのパーソナルAI『KAGAMI』だった。
表情を引き締め、淡々と言い放つ。
『これより、迎撃を開始します』
KAGAMIの瞳が青白く輝く。
直後――。
ビル内部の各所で轟音が響き、迎撃システムが一斉に起動した。
吹き抜け上層部の壁面が次々と開いた。
中から飛び出してきたのは、無数のカラス型ロボットだった。
空中回廊を駆け抜けるましろを捕捉すると、大群となって降下した。
尖った嘴を突き出しながら襲いかかった。
ましろはその軌道を見切り、軽快な身のこなしで躱す。
鋭い嘴が床を穿つ。
『行動パターンを修正……戦闘データを更新します』
KAGAMIは再演算し、更新したデータをカラス型ロボットへ送る。
カラス型ロボットは即座に向き直り、再びましろを狙った。
だが、ましろにはかすりもしない。
軌道を修正するたびに、ましろはその予測のさらに先へいた。
『全機、一斉突撃!』
カラス型ロボットはましろを包囲し、四方八方から一斉に突撃した。
鋭い嘴が迫った瞬間、ましろは小さく呟く。
「白雪流・雪吹雪!」
刹那――。
白銀の斬光が幾筋も走った。
ましろは刀を引き抜き、目にも留まらぬ速さの斬撃を繰り出した。
次の瞬間。
包囲していたカラス型ロボットの群れが、一瞬遅れて両断された。
火花を散らしながら、残骸が吹き抜けを雨のように降り注ぐ。
ましろは静かに刀を収め、監視カメラを見据えた。
そして、迷うことなく先へ進んだ。
モニター越しに、その様子を見ていたKAGAMIはわずかに目を細める。
『迎撃プランA、失敗。対象の脅威度を上方修正します』
その後も迎撃は続いた。
床が突然崩れ落ちる。天井から巨大な鉄球が振り下ろされる。壁からは無数の槍が突き出し、フロアには致死性の毒ガスが充満した。
KAGAMIは休む間もなく迎撃トラップを発動し続ける。
だが、ましろの進撃は止まらなかった。
落とし穴は壁キックで脱出され、鉄球は断ち切られ、槍は躱され、毒は効かなかった。
フロアを上がるたびに、KAGAMIの予測は覆されていった。
それでも、KAGAMIは演算を止めなかった。
隣でモニターを見つめるマリアの表情は、次第に険しくなっていく。
『レイバン、出撃してください』
その指示に応じるように、格納庫の奥で巨大な影がゆっくりと目を開いた。
赤い光が闇を裂く。
漆黒の装甲、三本の脚、大きな翼。
八咫烏を模した巨大戦闘型ロボット――レイバン。
レイバンは凄まじい速度でビル内部を駆け抜けた。
そして――。
最上階へ向かうましろの前へ降り立つ。
レイバンの赤い瞳が妖しく輝く。
翼を広げ、勢いよく振るった。
無数の黒い羽根が射出される。
羽根の一枚一枚が鋼鉄製の刃だった。
ましろは小さく呟く。
「白雪流・雪華乱舞!」
銀閃が走った。
飛来した羽根が次々と斬り払われる。
しかし、その隙を突いてレイバンが背後へ回り込んだ。
鋭い鉤爪が振り下ろされる。
ましろは振り返りざまに迎え撃った。
甲高い金属音が響く。
火花が散った。
間髪入れず、レイバンは嘴を開く。
紅蓮の熱線が放たれる。
ましろは咄嗟に回避した。
熱線は背後の壁を溶断し、赤熱した断面を晒した。
レイバンは再び突撃態勢に入った。
KAGAMIの演算により、攻撃は最適化され続ける。
先程まで捉えられなかったましろの動きに、徐々に追従し始めていた。
鉤爪が閃き、嘴が迫る。黒い翼が唸りを上げる。
レイバンは猛攻を仕掛けた。
だが――。
ましろは足を止めた。白姫を静かに構える。小さく息を吐いた。
レイバンが黒い残像を引きながら迫った。
その瞬間。
ましろは一歩踏み込んだ。
すれ違いざまに白刃が閃く。
「白雪流・白刃一閃」
静寂。
レイバンは数メートル先で停止した。
赤い瞳が明滅する。
やがて、機体中央に一本の亀裂が走った。
機体は真っ二つに両断される。
火花を撒き散らしながら床へ崩れ落ちた。
ましろは刀を収め、小さく息を吐いた。
そして、再び最上階へ向かって駆け出した。
『次のプランへ移行します』
KAGAMIの無機質な声が響く。
その時だった。
突如――。
警報音が鳴り響く。
ビル内部のシステム表示が次々と書き換わった。
迎撃システムの制御権が奪われていく。
イリスがハッキングに成功したのだ。
『なっ――⁉』
KAGAMIの瞳が大きく揺らいだ。
マリアは声を荒げた。
「何が起こったの⁉」
『ビルの管理システムが乗っ取られています』
「なんですって⁉」
KAGAMIは必死に抵抗したが、もう遅かった。
『迎撃システム喪失……任務継続不能……マリア様……申し訳……ありません』
ホログラムの輪郭が揺らぐ。
女神の姿は粒子となり、やがて崩れ去った。
「KAGAMI……?」
マリアの声は震える。
「ねぇ、KAGAMI! 返事をなさい!」
だが、返答はない。
マリアは息を呑んだ。
その瞬間――。
轟音と共に重厚な扉が弾け飛んだ。
マリアは振り返る。
そこには――。
白雪ましろが立っていた。
その瞳は真っ直ぐにマリアを見据えていた。




