第八話 コスパタイパ教の君たちに告ぐ
最近、私の周囲がおかしい。
いや、最近に限った話ではないかもしれないが、ここ数週間で特に顕著になってきた気がする。論破ブームが来て、陰謀論ブームが来て、そして今度は、新たな言葉が教室に溢れ始めた。
「それ、コスパどう?」
「これさあ、タイパ悪すぎ」
「コスパ最高じゃん」
「マジでタイパ悪い、時間の無駄」
コスパ……タイパ……。
コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスの略だ。それくらいは私にもわかる。でも、ここまで日常会話に入り込んでくると、さすがに無視できない。
今日一日で、私は何回この言葉を聞いただろう。数えていなかったが、相当な回数だったことは確かだ。
最初に聞いたのは、朝のホームルーム前だった。私の斜め前の席の男子、確か……岩田くんという人物が、隣の松岡くんに話しかけていた。
「なあ、昨日の自習、何やった? もうすぐテストも近いしさ」
「数学。でもあの問題集、マジでタイパ悪い。問題集って、学校のね。あれさあ、解説も少なくて、あんまよくわかんねえんだよ」
「わかる。オレあれやめて、動画で勉強することにした。十分ぐらいで解説終わるし、わかりすいからコスパとして最高だよ」
「あっ、いいじゃん。その動画ってどこの?」
「教えてやるよ。マジでタイパいいからさ、あれ」
勉強の話をしているのか、効率の話をしているのか、もはやどちらかわからない。
次に聞いたのは、二時間目の休み時間だった。廊下で、別のクラスの女子二人が話していた。名前は知らない。
「あのカフェ、映えはするけどコスパ悪くない? なんか量少ないしさ」
「わかる。あたし、最近コスパで店選ぶようにしてる。量多くて安くて、写真も撮れて、みたいな」
「それが正解だよね。ダメなとこ入ったら、時間もったいないんだもん」
カフェの話をしているのか、やはりよくわからなかった。
そして昼休み、ここでとどめを刺されてしまった。同じクラスの女子、谷口さんが友人の木村さんに向かってこう言った。
「ねえ、この小説って読む価値ある? 友達に勧められたんだけど、分厚いし、タイパ悪そうで」
私の……手が……止まった……。小説の……タイパ……。小説に……タイムパフォーマンスを求めている……。
私は思わず、そっと本を閉じた……。
それから学校が終わり、家に帰ると、早速PCを開いた。
SNSでコスパとタイパと検索してみた。すると、たくさんの投稿が表示された。『コスパ最強のランチまとめ』、『タイパ重視の勉強法』、『コスパのいい旅行先』、『タイパを上げる読書術』、『コスパタイパで選ぶ趣味ランキング』などなど。
読書術……のところで私は少し止まった。タイパを上げる読書術。早速クリックしてみた。
内容は、速読法と本の要約サービスの紹介だった。一冊の本を十分で読める要約動画がある、ということが、非常に肯定的に紹介されていた。コメント欄には「これ最高」、「本読まなくていいじゃん」、「時間の節約になる」という反応が並んでいた。
それから動画サイトでも検索してみる。同じく大量に表示された。『時間を無駄にしない生き方』、『コスパタイパ最強の人生設計』、『無駄な時間を全カットする方法』などなど。どれも再生数が多い。私は一つ一つ、丁寧に見ていった。
こうして見ていってまず思ったのは、わかる部分もあるということだ。時間は有限だ。お金も有限だ。それは事実だ。限られたリソースを、できるだけ有効に使いたいという気持ちは、合理的だと思う。岩田くんが動画で勉強するのも、効率を求めてのことだし、それで理解が深まるならいいことだ。カフェのコスパを考えるのも、学生の身で財布と相談しながら生活するのは、真っ当な判断だ。
だから、全否定するつもりはない……。
……でも……だ……。
……小説のタイパ……は、違う。
文学少女は物申す。
マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』という小説がある。二十世紀世界文学の最高峰の一つとされる作品で、全七篇、総ページ数は原文にして三千ページを超える。主人公が紅茶にマドレーヌを浸した瞬間に、幼少期の記憶が鮮明に蘇るという有名な場面から始まる。記憶と時間と意識の流れを描いた作品だ。この小説を「タイパが悪い」と言う人間がいたとしたら、私は全力で首を横に振る。なぜなら、この小説の価値は、時間をかけて読むこと自体にあるからだ。三千ページをかけて、主人公の意識の流れに同化していく体験は、十分の要約動画では絶対に得られない。遅いこと、長いこと、時間がかかること、それ自体が、この作品の本質だ。タイパで切り捨てた瞬間に、失われるのは時間ではなく、体験だ。
谷口さんの「タイパ悪そう」という言葉が、また頭に浮かんだ。彼女が勧められた小説が何かは知らない。でも、もしそれが本当に面白い小説だったとしたら、タイパという尺度で測ったことで、彼女は何かを失うことになる。そう考えれば、非常に惜しいことではないだろうか。
そして、さらに動画を見続けていると、『人生のコスパを最大化する方法』という動画が目に入って、早速クリックしてみた。内容は、交友関係の整理だった。『コスパの悪い人間関係を切る方法』というサブタイトルがついていた。自分に利益をもたらさない人間関係は切るべきだ、という主張のものだ。時間を奪う人、愚痴を言う人、見返りを求めない人は、コスパが悪い。そういう人間関係を整理し自身の利益を追求することで、人生の効率が上がる。そういう話だった。再生数は百万を超えている。
文学少女は物申す。
ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』において、主人公のジャン・バルジャンは元受刑者だ。社会から弾かれ、誰にも相手にされない男だった。コスパタイパの観点から言えば、彼は「切るべき人間関係」の筆頭に挙げられるだろう。でも、司教のミリエル氏は、そんなジャン・バルジャンを温かく迎え入れた。その結果、銀食器を盗まれても、「食器は私が与えた」と憲兵に言い、さらに残り二本の銀の燭台もジャンに差し出す。この行為に、コスパもタイパもまったく関係ない。むしろ完全に〝コスパの悪い行動〟だ。でも、その非効率な行為が、ジャン・バルジャンという人間を変えた。そして彼は、数多くの人間の人生を救うことになる。効率で切り捨てた先に、人間の奇跡は生まれない。コスパで人間関係を整理する人生は、確かに効率的かもしれないが、ミリエル司教のような奇跡には、永遠に出会えないのだろう。
でも、コメント欄には「これが真理」、「参考になった」、「さっそく実践します」で溢れていた。読んでて私は、なんだか少し疲れてきた。
少し休憩を取ると、また別の動画を見ていく。今度は『コスパタイパ世代の新しい生き方』というタイトルで、若い女性が喋っている動画だった。内容は趣味の選び方についてだった。「SNSで映えて、スキルも身について、出会いにも繋がる、この趣味、コスパ最強」という主張だった。一つの趣味で、複数のリターンを得る。確かに効率的だ。
文学少女は物申す。
フョードル・ドストエフスキーは、シベリアへの流刑を経験した。死刑を宣告されて、執行直前に減刑され、強制労働をさせられた。だがその体験によって、『死の家の記録』という作品を生んだのだ。この作品は、効率とは無縁の場所で生まれた。苦しんで、削られて、それでも書かずにいられなかった人間の、魂の記録だ。SNSで映えもしない。スキルアップにも繋がらない。出会いにも発展しない。ただ、人間が人間であることの重さが、そこにある。コスパタイパで趣味を選ぶ先に、ドストエフスキーのような作品は生まれない。非効率な苦しみの中にしか、生まれないものもあるんだ。
でも、そんなことを言っても……。画面の中の女性は……楽しそうだった。効率的な趣味を実践して、フォロワーが増えて、友達も増えて、スキルも身について、充実した顔をしていた。それを否定する言葉が……私には見つからない。
動画を見るのにうんざりした私は、PCを閉じて、椅子に座ったまま、しばらく考えた。
コスパタイパ、か。
私は本を読む。小説を読む。文学を読む。効率とは無縁の行為だ。三千ページの小説を読むのに、何週間もかかる。それで何かスキルが身につくかといえば、就職に役立つ資格が取れるわけではない。フォロワーが増えるわけでもない。お金が増えるわけでもない。完全にコスパタイパが悪い趣味だ。
でも、私はやっている。やり続けている。だから私は、コスパタイパを全否定できる立場にいる。そのはずだ。
……と、思っていた。ところが、ここで私はある事実に気づいてしまった。
さっき、『タイパを上げる読書術』の動画を見たとき、私は少し、メモを取っていた。速読のコツとして紹介されていた、〝最初と最後の章を先に読む〟という方法を。
なぜメモしたのか? 理由は明白だ。読みたい本が溜まっているのに、時間が足りないと、最近思っていたからだ。もっと効率よく読めないか、と思っていたから……。
私はそのメモを見た。自分の字で、〝最初と最後を先に読む〟と書いてある。
……。
文学少女は物申す。
……いや、待て。待ってくれ。私は今日一日、コスパタイパという価値観に物申してきた。プルーストを引いて、ユゴーを引いて、ドストエフスキーを引いて、時間をかけることの価値を説いてきた。なのに私自身は、速読のコツをメモしていた。読書のタイパを上げようとしていた。これはなんだ? 自己矛盾とはこのことを言う。エラスムスの『痴愚神礼讃』において、愚かさの女神モリアーが、世界中の人間の愚かさを笑い飛ばす。でも最終的に、その笑い飛ばしている女神自身も愚かさの一部だということが示される。私も同じだ。コスパタイパを批判していた私が、コスパタイパを実践していた。笑えない。本当に笑えない。
私はメモを、くしゃくしゃに丸めた。ゴミ箱に投げた。入らなかった。拾って、ちゃんと捨てた。この一連の動作に、コスパもタイパもなかった。それだけが、今日唯一、胸を張れることかもしれない。
本棚を見た。プルーストはいない。さすがに全巻は持っていない。でも、ドストエフスキーはいる。ユゴーもいる。彼らの本は、どれも分厚い。どれも、タイパが悪い。
私はそのうちの一冊を手に取って、開いた。効率とは無縁のページが広がった。うん、それでよかった。
……たぶん。うん、たぶん、よかった。でも、あのメモの内容は、少し気になっている。〝最初と最後を先に読む〟という、あの箇所について。
試していない。試してみようかどうか、少し、迷っている。
ああ、まったく、どうしてくれるんだ。みんなのせいで、こんなにも悩んでしまってるじゃないか!




