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文学少女は物申す  作者: 綾崎暁都


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第七話 陰謀論を信じる君に告ぐ

 世界には二つの種類の人間がいると、私は思う。

 〝知らないことを知らないまま生きられる人間〟と、〝知らないことが気になって仕方がない人間〟だ。

 前者は幸福だ。知らないことへの不安がないから、毎日を軽やかに生きられる。後者は厄介だ。知らないことを知ろうとするあまり、時として間違った〝答え〟に辿り着いてしまう。

 今日、私はそのことを強く実感した。

 事の始まりは、昼休みの廊下だった。

 私はトイレから教室に戻る途中、隣のクラスの前を通りかかった。教室の中から、賑やかな声が聞こえてきた。

「だからさ、あの事故、本当は隠蔽されてるって話なんだよ」

「えっ、マジで? 誰が隠蔽してんの?」

「国とか、大企業とか。動画でめっちゃ詳しく説明されてた」

「怖い……でもなんかわかる気がする」

 話しているのは、隣のクラスの人たちだった。顔は知っているが名前はうろ覚えで、確か男子のほうが竹内くん、女子のほうが篠原さんという名前だったと思う。もう一人、横で聞いている小太りの男子は、確か南くんという名前だったはずだ。

「あと、ワクチンもさ、実はチップが入ってるって話、知ってる?」

「それ聞いたことある! うちのお母さんも言ってた!」

「やばくない? 世界ってそういう風にできてるんだよ、実は」

 南くんが、神妙な顔で頷いていた。

 私は足を止めずに、そのまま通り過ぎた。でも、胃のあたりが、じわりと重くなっていた。

 教室に戻っても、その会話が頭から離れなかった。本を開こうとしたが、今日はどうも集中できない。

 ワクチンにチップ。隠蔽された事故。国と大企業の陰謀。そういう話は、以前から存在することは知っていた。でも、こうして同じ学校の、同い年の生徒が、昼休みに当然のように話しているのを聞くと、なんとも言えない気持ちになる。

 違和感……というより不安だ。なぜ彼女たちはそれを信じているのか。何がそうさせるのか。

 家に帰ったら、少し調べてみようと思った。

 家に帰ると、珍しく本より先に、PCを開いた。そして、動画サイトとSNSを開き、〝都市伝説〟で検索してみた。

 すると、なんか大量に出てきた。

 ピラミッドの謎、宇宙人との密約、有名人の死の真相、地球空洞説、月は人工物説。どれもサムネイルが派手で、タイトルが衝撃、真実、暴露という言葉で溢れている。

 私はいくつか見てみた。

 語り口は巧みだった。断定的で、自信満々で、「実はこうなんです」という構造で話が進む。証拠として出てくる画像や数字は、それっぽく見える。コメント欄には「知らなかった」、「目が覚めた」、「これが真実だったのか」という反応で埋まっている。

 見ているうちに、レコメンドが変わり始めた。都市伝説から少しずつ、別の動画が混じっていく。

 「マスコミが報道しない真実」、「政府が隠している事実」、「知ってはいけない世界の裏側」などなど。これらが陰謀論だということは、すぐにわかった。

 でも、手が止まらなかった。なぜか、見てしまう。

 次の動画が、また次の動画を呼ぶ。レコメンドが、次々と関連動画を差し出してくる。断れない。気づけば三十分が経っていた。

 私はPCから目を離して、深呼吸した。

 これは……まずい構造だと思う。

 文学少女は物申す。

 ダンテ・アリギエーリの『神曲』において、主人公のダンテは地獄、煉獄、天国を旅する。地獄の入口には「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」と書かれている。陰謀論の動画を見続けることは、ある意味でその門をくぐることに似ている。一度入ると、出口が見えなくなる。レコメンドという見えない手が、次々と扉を開いて、奥へ奥へと誘い込む。そしてその先には、希望ではなく、不信と疑念と恐怖が待っている。世界のすべてが嘘で、真実は隠されていて、自分だけが目覚めているという感覚。それは恍惚感に似ているが、実態は孤立だ。

 でも、なぜ人はそこに引き込まれるのだろうか? それが、わからなかった。いや、頭ではわかる。でも、腑に落ちなかった。

 私はもう少し見続けた。

 陰謀論の動画をいくつか見て、気づいたことがある。どれも、構造が同じだ。

 まず〝公式の説明〟を出す。次に「でも実は」と言う。そして〝証拠〟を出す。最後に「真実を知った者だけが生き残れる」という形で締める。

 この構造は非常に巧妙だ。

 〝公式の説明〟を疑うことは、一見知的に見える。権威を盲目的に信じないことは、むしろ正しい姿勢のように思える。だから入口は、賢そうに見える。

 でも、その先が問題だ。

 文学少女は物申す。

 ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』を読んだことがあるか? 主人公のガリヴァーは、さまざまな国を旅して、それぞれの社会の奇妙さを目撃する。空に浮かぶ島の国では、知識人たちが高尚な理論に没頭するあまり、現実の生活が崩壊していた。彼らは「自分たちは真実を知っている」と信じているが、その真実は現実から切り離された妄想だった。陰謀論者の構造も、これに似ている。「自分だけが真実を知っている」という感覚は、知的優越感を与えるが、それは現実から切り離された島の上に立つことだ。高いところから見下ろしているつもりで、実は宙に浮いているだけだ。

 竹内くんたちの会話を思い出した。

「世界ってそういう風にできてるんだよ、実は」と竹内くんは言っていた。

 その「実は」という言葉が、問題だと私は思う。

 「実は」という言葉は、知的好奇心の入口になりうる。でも陰謀論の「実は」は、入口であると同時に、出口のない迷路でもある。

 さらに見ていると、こんな動画が出てきた。

 『古代文明の記録が示す、現代社会の真の支配者』というタイトルだった。

 思わずクリックしてしまった。

 動画の内容は、歴史上の出来事を恣意的に繋ぎ合わせて、すべては一つの勢力が動かしていると主張するものだった。使われている歴史的事実は、確かに事実だった。でも、それを繋ぐ論理が、あまりにも飛躍していた。

 文学少女は物申す。

 パターンを見つけたいというのが人間の根源的な欲望なのだと、私は思う。人間は、無関係な出来事の中にパターンを見つけようとする。点と点を結んで、線を作ろうとする。それは知性の表れでもあるが、同時に罠でもある。存在しないパターンを、あると思い込んでしまうから。陰謀論は、その罠を巧みに利用している。無関係な出来事を繋いで、巨大な〝陰謀〟という線を(えが)いてみせる。見ている側は、「そうか、繋がっていたのか」と感じる。でもそれは、作られたパターンだ。

 私はその動画を途中で閉じた。見続けていたら、何かが変わってしまいそうな気がした。それからまた、別の動画を開く。

 今度は少し毛色が違った。科学的な装いをした陰謀論だった。数式が出てきて、専門用語が並んで、グラフが表示された。

 正直、半分くらいは意味がわからなかった。

 でも、わからないからこそ、「そういうものかもしれない」という気持ちが生まれてくる。

 これは……怖いと……思った。

 文学少女は物申す。

 ハーバート・ジョージ・ウェルズの『宇宙戦争』において、突然火星人が地球に侵略してくる。人間たちは最初、何が起きているかわからない。わからないから、恐怖する。恐怖するから、デマが広まる。デマが広まるから、パニックになる。陰謀論が力を持つ構造も、これと同じだ。わからないことがある。わからないことは怖い。だから〝わかりやすい説明〟に飛びつく。その〝わかりやすい説明〟が、陰謀論だ。本当にわからないことに耐えることは、思っているよりずっと難しい。わからないことをわからないまま保留しておく力というのは、時として大事なことではないだろうか。だがしかし、陰謀論はその力を奪ってしまう。〝答え〟を与えることで、考えることをやめさせる。

 私はPCの画面を眺めた。

 画面の中に、無数の動画が並んでいる。レコメンドは、まだ陰謀論の動画を差し出し続けている。

 スクロールを止めた。画面を閉じた。椅子の背もたれに寄りかかって、天井を見上げた。

 竹内くんは「世界ってそういう風にできてるんだよ」と言っていた。篠原さんは「なんかわかる気がする」と言っていた。南くんは頷いていた。

 私は最初、彼らのことを、なんとなく哀れだと思っていた。騙されているのだと。ちゃんとした本を読めばわかることなのに、と。

 でも今、私は少し自信を失っていた。

 さっき、科学的な装いをした動画を見て、「そういうものかもしれない」と思いかけた瞬間があった。

 あの瞬間、私は竹内くんたちと、どれだけ違ったのか?

 私は毎日、本を読んでいる。古典を読んでいる。哲学を齧っている。だから陰謀論には騙されない、と思っていた。でも、本当にそうなのか? 〝知識がある〟ということは、〝騙されない〟ということと、イコールではない。むしろ、知識があるからこそ、それっぽい言葉に引っかかることもある。

 文学少女は物申す。

 いや、待て。今の私は何に対して物申しているんだ? 世間に対してか? 陰謀論に対してか? それとも、さっき一瞬「そういうものかもしれない」と思いかけた、自分自身に対してか?

 答えが……出なかった。

 本棚を見た。並んでいる本たちが、今日は少し遠く見えた。

 私はあれだけの本を読んできた。でも、本を読むことと、正しく考えることは、本当に同じことなのか? 本から得た知識が、いつの間にか「自分は正しい」という思い込みになっていないだろうか? 思い込みと確信の違いは、一体どこにあるんだろう?

 竹内くんも、陰謀論の動画を見て、確信を持っていた。私は古典文学を読んで、確信を持っている。その確信の根拠は、本当に盤石なのだろうか?

 天井を見上げたまま、私はしばらく動けなかった。

 窓の外は、すでに暗くなっていた。

 陰謀論を信じる君たちに物申したかったはずが、気づけば、自分自身への問いになっていた。

 それが、少し、怖かった。漠然と、しかし確かに、怖かった。

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