第九話 二択が成立しない男
入学式の翌日が、あれほど長く感じたのは初めてだった。
告白だと思って付いていったら「能力者?」の二択で喉を握られ、危機一髪で一姫に救われた――そんな出来事があった翌日。
今日は、もっと露骨に“疑い”が学校に流れ込む日。
外部聞き取り。
担任が言っていた、あのやつ。
俺は朝から胃が重いまま、教室のドアを開けた。
ざわめきが、昨日とは質が違う。
騒がしいというより、張り詰めている。誰かが爆発する前の空気。空気そのものが「黙れ」と言っているみたいな静けさ。
そして当然のように、天使三人がいる。
一姫はいつも通り元気そうで、元気そうなことが怖い。淡い金髪の天使は落ち着きすぎていて怖い。紺髪の天使は丁寧すぎて怖い。
妃愛が俺の横に来て、机に肘をついた。
「透、今日やばいね」
「やばいって言うな」
「やばいものはやばい」
正論で殴るな。
妃愛は俺の顔を覗き込んで、声を落とした。
「昨日の子――天宮玲奈。朝からなんか動いてる。透のこと、見てた」
俺は反射で視線を逸らした。視線を合わせると“疑い”が濃くなる気がしてしまう。実際は関係ないかもしれないのに、俺はもう条件反射で疑いを恐れている。
「……見てたってどういう」
「委員っぽく動いてる。聞き取りの準備係、だって噂」
噂でもう胃が痛い。
疑いの数が増えるほど、霧が薄くなる。
今日の学校は疑いの母数が増える。俺が何もしなくても。
担任が入ってきて、ホームルームが始まった。
「今日は予定通り、外部から聞き取りの担当者が来る。能力関連のアンケートも配る。記入したら回収し、その場で確認をする。協力してくれ」
教室が一瞬で静まり返った。
その“静まり”が怖い。
騒がしい方がまだマシだ。静まり返ると、誰もが“観測者”になる。観測者が増える=疑いが増える。
担任は続ける。
「特に、天使少女の件に関してネットで騒がれているが――この学校は憶測で動かない。必要な範囲で、事実だけを確認する」
理想論だ。人間は憶測で動く。世界は憶測で回る。
その証拠に、俺は憶測で死にかけてる。
チャイムが鳴る少し前、教室のドアがノックされた。
担任が「どうぞ」と言うと、二人の大人が入ってきた。
一人はスーツ姿の女性。髪をひとつに結び、目が冷たい。年齢は二十代後半くらいに見える。表情が動かない。
もう一人は、背の高い男性で、書類の束を抱えている。どちらも“学校の外”の匂いがする。空気が変わった。
担任が紹介した。
「本日は、外部協力として能力関連の確認を担当していただく。こちら、調査員の……」
女性が名乗った。
「相良 由衣です。簡単な確認を行います。時間を取りません」
時間を取らないっていう人ほど、時間を取る。
相良は教室を見回した。
その視線が、針みたいだった。
俺は普通の顔で前を向いた。心臓の音を、机に落として隠したい。
相良は淡々と言った。
「今から配るアンケートに答えてください。主に“能力の有無”と“登録状況”。答えた内容について、こちらで簡単な整合性確認をします」
整合性確認。
つまり嘘判定だ。
俺は机の下で拳を握った。
(嘘をつかなければいい)
(嘘判定は“嘘”に反応する)
(俺が真実だけを言えばいい)
……真実だけを言う、がどれだけ難しいか。
俺の真実は危険だ。世界にルールを足せる。天使を生んだ。そんな真実を言ったら終わる。
だから俺は“制度上の真実”だけを言う。
登録してない。能力名は不明。表示はエラー。無能力者として提出した。これ全部、真だ。
相良の補助の男性がアンケート用紙を配った。
紙の上には、淡々とした設問が並んでいた。
『1.あなたは能力者として登録されていますか(はい/いいえ)』
『2.能力名・分類(確定している場合のみ記入)』
『3.所属(ある場合のみ)』
『4.能力の発現を自覚していますか(はい/いいえ/不明)』
『5.備考(鑑定不能/表示エラー等)』
……「不明」が用意されている。
ありがたい。制度が“第三の選択肢”を用意してくれている。
俺は慎重に丸をつけた。
1:いいえ
2:不明(確定なし)
3:なし
4:不明
5:男につき鑑定不能が通常だが、表示が不明になる例外がある(原因不明)
全部、真実だ。
俺は一息ついた。
隣の妃愛がさらっと俺の紙を覗いた。
「うん、普通」
その一言が今は救いだった。
一姫はすでに紙を埋め終わったのか、キラキラした目で俺の手元を覗き込もうとしている。妃愛が一姫の口を塞いだ。
「止まれ」
「むぐっ!」
大人の前でもやるんだな、その行動。
相良は教室の前に立ち、淡々と言った。
「記入したら前に持ってきてください。こちらで順番に確認します。必要があれば、その場で追加質問をします」
追加質問。
そこが地獄だ。
俺は自分の番が来るまで、心臓を平らにする努力をした。呼吸を整える。視線を固定する。普通の高校生は、外部の聞き取りでここまで胃を痛めない。だが俺は痛める。痛めるべきだ。
相良のところへ一人ずつ並び、紙を渡していく。
相良は紙を見る。相手の目を見る。短く質問する。相手が答える。相良が頷く。次。
そのテンポが、機械みたいだった。
そして俺は気づいた。
相良は、質問をするとき必ず“二択”にしている。
「登録してる? はい/いいえ」
「所属ある? ある/ない」
「自覚ある? ある/ない」
二択。
つまり、相良の能力は「二択が成立した時だけ確定」型。
――俺の敵だ。
でも、俺の逃げ道でもある。
二択が成立しなければ、確定できない。
俺の方針は決まった。
嘘をつかない。
“制度の真実”で固める。
そして“二択が成立しない現象”として自分を提示する。
俺の順番が来た。
俺は紙を持って相良の前に立った。
相良は俺を見た。目が動かない。
紙を受け取る。目を落とす。数秒で読み終える。
そして相良は言った。
「==透。登録なし。能力名不明。自覚不明。備考、表示エラー」
淡々と読み上げるな。クラス中が聞いてる。疑いが増える。
相良は俺を見て、二択を投げた。
「君は能力者? はい/いいえ」
来た。
喉が一瞬固まる。
昨日の玲奈の能力を思い出す。YES/NOの圧。
でも相良の圧は違う。もっと静かで、もっと逃げ道を塞ぐ。
俺はすぐに“第三の言葉”を用意していた。
嘘じゃない、第三の言葉。
「その二択、成立しないです」
相良の眉がわずかに動いた。
「……成立しない?」
周囲がざわっとした。やめろ。ざわつくな。疑いが増える。
俺は普通の顔で、淡々と説明する。
「男は基本、鑑定不能ですよね。俺、普通は鑑定不能になるはずなんです。でも俺だけ、不明って表示が出る例外がある。原因は分からない。だから“能力者か無能力者か”の二択に入らない」
これは真実だ。少なくとも制度上は。
相良の目が細くなる。
「君は、能力を持っている自覚がある?」
また二択に寄せてくる。
俺は同じ方針で返す。
「自覚っていうなら、“説明できる形の自覚”はないです。だから不明です」
嘘じゃない。説明できない。説明したら死ぬ。
相良は一瞬黙った。
――そして、口角がほんの少しだけ上がった。
笑った、というより「面白いものを見た」顔。
「……私の能力の話をする」
相良が突然言った。
教室が静まる。担任すら黙る。
「私は二択で質問した時、相手がそのどちらかに当てはまるなら“真偽が確定する”」
やっぱり。
相良は俺を見て続ける。
「君は今、二択を崩した。つまり私の能力は、君に対して“確定しない”可能性がある」
周囲がざわつく。やめろって。今それを言うな。
相良は淡々と結論を言った。
「……確認のため、個別で話す」
最悪。
担任が「休み時間に別室で」と頷き、相良は次の生徒へ移った。
俺は席に戻る途中、膝が少し震えた。
(目立った)
(疑いが増えた)
(霧が薄い気がする)
妃愛が小声で言った。
「透、何言ったの」
「……“成立しない”って言っただけ」
「それ、めちゃくちゃ目立つやつ」
「仕方ないだろ」
妃愛は唇を噛んだ。
「一人で行くなよ。別室」
「……大丈夫」
「大丈夫じゃない顔」
妃愛が昨日と同じことを言う。俺は笑って誤魔化す。
休み時間。
担任に呼ばれ、俺は相良と廊下へ出た。相良の補助の男性もついてくる。逃げ道がない。生徒の視線が刺さる。疑いが増える。
俺は歩きながら、ポケットのスマホに指をかけた。
昨日みたいに、一姫に通話をかける?
でも相良は大人だ。天使を呼んだら目立つ。今日の目的は“目立たない”だ。矛盾してる。
(今は呼ぶな)
(妃愛がいる)
(妃愛が無能力者だと確信してる)
(その確信で霧を保て)
俺は自分に言い聞かせた。
相良に案内されて入ったのは、空き教室だった。机が積まれていて、窓の外が眩しい。人目はない。地獄の条件が揃ってる。
相良は扉を閉め、淡々と言った。
「座って」
俺は椅子に座った。相良は向かいに座らず、立ったまま俺を見下ろした。
「質問は簡単。二択。君は能力者? はい/いいえ」
またそれか。
俺はすぐに返す。
「その二択は成立しません。俺は“分類不能”です」
相良が一歩近づいた。
「分類不能という逃げは、制度上は通る。でも私は制度じゃない。私は現象を見る」
背中が冷える。
相良は言う。
「君は“何か”を隠している。これは確定だ」
確定するな。確定は死ぬ。
俺はここで、用意していた“方針”を出す。
能力だと断定されると、維持できなくなる――その危険を、能力者と断言せずに“現象”として渡す。
俺は息を吸って、できるだけ普通に言った。
「……俺、こういう体質なんですよ」
相良の目が細くなる。
「体質?」
「他人に“能力者だ”って断定される方向に話が進むと、俺に関する表示とか、状況とかが崩れて“不明”になりやすい」
相良が黙る。補助の男性が眉をひそめる。
俺は続ける。嘘じゃない言葉だけを選ぶ。
「だから俺、こういう場が一番嫌なんです。誰かが白黒つけようとすると、逆に白黒つかなくなる。……俺にも原因が分からない」
相良は数秒、俺を見た。
そして、静かに言った。
「君は、“断定されると崩れる”のか」
俺は頷く。
「はい。だから“能力者か無能力者か”って二択が成立しない。成立させようとする行為そのものが、俺を不明側に押しやる」
これは完全な自白じゃない。能力だと言っていない。現象だと言っている。
そして何より、相良の能力の前提――二択成立――を壊す説明になっている。
相良が、試すように言った。
「じゃあ、私は今、“君は能力者だ”と断定する」
心臓が跳ねた。
俺の霧が薄くなる感覚が走る。
だが俺は、言い返す。普通の顔で。
「……断定した瞬間、二択の質問自体が崩れますよね。あなたの能力、確定しないでしょう」
相良が黙った。
補助の男性が小さく息を飲んだ。空気が張り詰める。
相良は、ほんの少しだけ笑った。
「……確かに、確定しない。面倒な体質だね」
面倒で済ませるな。俺の人生だ。
相良は机に手をついて、言葉を落とした。
「君の言っていることが真だとして――」
相良の目が鋭くなる。
「この話を周囲に広めたら、君はどうなる?」
来た。
ここで俺は“相手の合理”を利用する。相手に黙ってもらう動機を渡す。
「広めたら、余計に断定が増える。断定が増えると、俺の状態はさらに不明に寄る。検証が不可能になる」
相良の目がわずかに細くなる。
「つまり、真相を追うなら“今は保留”が合理的だと?」
「……そうです」
相良は数秒考え、補助の男性に短く言った。
「この件、保留。分類不能。上には“現象的に確定不能”と報告する」
補助の男性が頷き、メモを取った。
俺の胃が少しだけ緩んだ。
(通った)
(少なくとも今は、通った)
相良は最後に言った。
「君が“無能力者”だとは思わない。だが今、君を能力者だと確定させることもできない」
相良は一歩下がった。
「……面白い。君は“穴”だ」
やめろ、その言い方。
俺は笑って誤魔化した。
「穴なら、埋めてほしいです。俺も困ってるんで」
相良は目を細めた。
「困っているなら、余計なことをするな。目立つな。断定を呼ぶな」
それ、俺が一番言いたい。
相良は扉を開けた。
「戻る」
廊下に出ると、教室の方向から視線が刺さった。疑いが増える。
だが今は、少しだけマシだ。
俺は席に戻り、妃愛の隣に座った。
妃愛が小声で言う。
「どうだった」
「……保留になった」
「保留?」
「二択が成立しないって言った」
妃愛が眉を寄せた。
「透、ほんとに変な体質だね」
変な体質で済ませるな。
一姫がこっそり顔を近づけてきた。
「お兄さん! 大丈夫でしたか!? なるほどなるほど、保留なんですね!?」
妃愛が一姫の口を塞ぐ。
「止まれ」
「むぐっ!」
俺は苦笑した。
助かった。今日のところは。
でも、相良は最後に言った。
「面白い。君は穴だ」
穴は、いつか埋められる。
埋められたら、俺は終わる。
放課後、教室の窓から外を見ると、校門の外に見慣れない車が止まっていた。黒い車。外部の匂い。
担任が誰かと話している。相良とは別の人間が、校舎を見上げている。
嫌な予感がした。
妃愛が俺の視線の先を見て、呟いた。
「……まだ終わってないね、これ」
俺は小さく頷いた。
普通の高校生活は、まだ始まっていない。
始まる前に、世界が俺を分類しようとしている。
俺はただ、二択が成立しない男として、今日を生き延びただけだ。
明日も、そうできる保証はどこにもなかった




