第八話 告白だと思ったら詰みでした
入学式の翌日。
制服を着たはずなのに、昨日よりずっと重い。肩が凝るとかじゃなく、空気が重い。教室の匂いが重い。視線の数が重い。
ニュースと噂が、学校の空気を変えている。
電車でも話題になっていた。「天使の生みの親は東京にいる可能性が高い」「発生の中心が住宅地に寄っている」「専門家が波形云々」――そんな単語が、学生の口からも普通に出る。
疑いの数が増えるほど、隠す力が落ちる。
世論がこの街を疑えば、それだけで俺の霧は薄くなる。俺が何もしなくても、勝手に。
最悪だ。
教室に入ると、すでにざわざわしていた。担任が来る前から、男子がスマホを見て騒ぎ、女子がひそひそ喋り、全員が「何かが起きそうな日」の顔をしている。
そして当然のように、天使がいる。
俺の席の周り、昨日と同じように天使三人がいる。水色髪の一姫、淡い金髪、紺髪。三人とも“今日もここが自然です”みたいな顔をしているのが怖い。
俺は目を合わせないようにして席に座り、鞄からプリントを出した。今日の目標はシンプルだ。
普通に過ごす。
無能力者の印象を固める。
外部の聞き取りで目立たない。
疑いの数を増やさない。
――無理だろ、これ。
「透さん」
紺髪の天使が小声で呼んだ。小声なのが偉い。が、偉い方向が怖い。
「……何」
「今日、外部の聞き取りが入るそうです。気をつけてください」
気をつけるって何をだ。俺が一番気をつけたいのは“お前らが目立たせないこと”だ。
金髪の天使が淡々と言う。
「私たちは透さんが“無能力者”だと理解しています。誤解はありません」
昨日の“エラーです”が効いている。ありがたい。だが、理解してるならもっと距離を取れ。
一姫は目を輝かせて言った。
「なるほどなるほど! お兄さんは無能力者なんですね!」
「声」
妃愛がどこからともなく現れ、即座に一姫の口を塞いだ。
「止まれ」
「むぐっ!」
毎回すごい。反射神経が化け物だ。
妃愛は俺の机に肘をついて、さらっと言った。
「透、今日も普通でいこうね」
俺は小さく頷いた。
妃愛は俺を無能力者だと思っている。
その思い込みは俺にとって有利だ。疑いじゃなくて確信。確信は霧を厚くする側に働く――たぶん。
担任が入ってきてホームルームが始まった。出欠確認。委員決め。教科書配布。普通の高校生活のはずの時間が、やたらと騒がしい。
「あと、今日の昼過ぎに外部の聞き取りが入る。各自、協力してくれ」
担任がそれを言った瞬間、教室のざわめきが一段上がった。
「マジで来んの?」
「天使の件だろ」
「能力者管理とかじゃね?」
俺は机の下で拳を握った。
聞き取りが入る=疑いが増える。
疑いが増える=霧が薄くなる。
薄くなれば――終わる。
その時、俺の机の横に影が落ちた。
「……あの」
女の子の声。
振り向くと、クラスの女子が立っていた。黒髪のポニーテール。目が大きい。顔が整っているというより、表情が強いタイプだ。意思の強さが目に出ている。
こういう子は、面倒だ。
「透くん、ちょっといい?」
女子は周囲をちらりと見て、すぐに視線を戻した。
「……あんまり公にしたくない話だから、人目のないところで話そう」
俺の頭の中で、変なスイッチが入った。
(人目のないところ)
(あんまり公にしたくない)
(俺を呼び出す)
(もしかして……告白か?)
俺は一瞬、テンションが上がった。高校生だ。そういう勘違いをするくらい許してほしい。
だが同時に思う。
(いや、違う。俺に告白する女子がいるわけない)
(今の俺、天使に囲まれてる噂の中心だぞ)
(告白じゃなくて……聞き取り関係の何かだ)
脳内で冷静な俺がツッコミを入れる。
それでも心のどこかが「告白だったら面白いな」と思ってしまったのが、人生経験の浅さだ。恥ずかしい。
妃愛が俺の反応を見て、眉を寄せた。
「透、顔がにやけてる」
「にやけてない」
「にやけてる」
やめろ。見抜くな。
女子は俺の返事を待たず、廊下の方へ顎をしゃくった。
「来て」
言い方が命令っぽい。告白じゃない。確定。
俺は立ち上がった。妃愛がついてこようとしたが、女子がきっぱり言う。
「二人きりで話したい」
妃愛が目を細める。
「私、透の幼馴染だけど」
「関係ない」
強い。やっぱり面倒だ。
俺は妃愛に小声で言った。
「大丈夫だって」
妃愛は納得していない顔だったが、俺が立った以上、止めるわけにもいかない。妃愛は一姫の口を塞いだまま、俺を見送った。
一姫がむぐむぐしている。たぶん「危険ですか!?」と言いたい顔だ。
女子は俺を廊下へ連れ出し、階段を一つ下り、さらに廊下の奥へ進んだ。人の気配が薄い。職員室とは逆方向。窓から中庭が見える。ほんとに人目がない。
(ここで告白だったら、ロケーションが逆に怖いな)
そんなことを考えた俺は、ほんとに馬鹿だ。
女子は足を止め、振り向いた。
「透くん」
「……何」
女子は真っ直ぐ俺を見た。
表情が、笑っていない。
告白じゃない。確定。
「透くんって、能力者?」
心臓が跳ねた。
息が止まりかける。
脳内の警報が鳴る。
(来た)
(来た来た来た)
(疑いが増える)
(霧が薄くなる)
俺は反射で「違う」と言いそうになった。
だが、言えなかった。
喉が詰まった。口が開かない。声が出ない。まるで首を掴まれたみたいに。
女子が続ける。
「YESかNOか。どっち」
瞬間、空気が変わった。
圧がかかったような感覚。喉の奥が熱い。口の中が乾く。逃げ道が消える。
女子の目が細くなる。
「……やっぱり。さっき、教室で能力の話になった時、透くんだけ話そうとしなかった」
話そうとしなかったんじゃない。話したら死ぬから話せなかったんだ。
女子は淡々と宣言した。
「私の能力。YESかNOかの選択を迫って、どちらかに当てはまった場合だけ、相手に答えることを強制できる」
……強すぎる。
こんなの、天敵だ。
俺の能力は“疑い”に弱い。疑いを増やさないために黙る。黙ることで疑いを増やす。最悪のループの中にいる。
そこに「答えを強制する能力」。
詰みだ。
女子が再び言う。
「教えて。透くんって能力者? YESかNOか」
喉が勝手に動きそうになった。
YES――言ったら終わる。疑いが爆発する。霧が剥がれる。綾香が笑う。天使が確信する。世界が俺を見つける。
NO――本当の意味で“無能力者”かどうか、俺は断言できない。
俺は超能力者だ。主人公補正の超能力者だ。世界のルールを足せる。無能力者じゃない。
でも社会の分類としては、男は鑑定不能で、能力者登録も曖昧で、俺は“穴”で――
NOと言い切った瞬間、それが嘘になる可能性がある。
嘘を言えば、また別の何かが壊れるかもしれない。
何より――。
この能力は「真実を言わせる」んじゃない。「YES/NOのどちらかに分類できるなら口を動かす」タイプだ。
つまり、俺が“能力者か無能力者か”という枠に収まるなら、口が勝手に動く。
収まったら、終わり。
女子の目が鋭くなる。
「黙るのは無理。YESかNO」
喉が熱い。
言ってしまう。
言ってしまう……!
その瞬間、俺のポケットの中でスマホが震えた。
いや、震えたんじゃない。
俺が震えた手で、すでに通話ボタンを押していた。
女子に連れていかれる途中、嫌な予感がして、俺はとっさに一姫の連絡先を開いていた。既読つけずに放置していたはずなのに、指が勝手に動いていた。
通話が繋がる。
『お兄さん!?』
一姫の声がスマホから飛び出した。でかい。遠くでも聞こえそう。だが今はそれが救いだ。
『大丈夫ですか!? 危機ですか!?』
俺は声を出せなかった。女子の能力が喉を握っている。代わりに、息だけで「うん」と返そうとしたが、それすら難しい。
女子が眉を寄せた。
「……誰に電話してるの」
俺は答えられない。
女子がもう一度、言う。
「透くんって能力者? YESかNOか」
喉が勝手に動く。
言葉が出る寸前。
――廊下の向こうから、猛スピードの足音が近づいた。
「お兄さーーーん!!」
やめろ、声がでかい。
だが今は、神だ。
一姫が曲がり角から飛び出してきた。羽を畳むのも忘れて、ほとんど走っている。危険運転すぎる天使。
女子が目を見開いた。
「……天使?」
一姫は俺の顔を見て、一瞬で状況を察したらしい。珍しく真剣な顔になる。
「お兄さん! 大丈夫ですか!?」
俺は頷きかけたが、喉が動かない。
女子が一姫を警戒するように言った。
「あなた、何。関係ないでしょ」
一姫は息を切らしながらも、胸を張った。
「関係あります! お兄さんは困ってる人です!」
困ってる人って言うな。正解だけど。
女子が冷たく言う。
「私は質問してるだけ。透くんが能力者かどうか。YESかNOか」
その瞬間、一姫の目がキラッと光った。
そして、いつもの口癖が飛び出した。
「なるほどなるほど!」
やめろ、今それ言うな!
だが一姫は止まらない。止まらないのが、今日だけは正義になった。
「それがあなたのひみつなんですね! あなたの能力は――」
女子の顔が一瞬だけ青ざめた。秘密を見られるのが嫌なのか? いや違う。一姫は“秘密タグ”を見る。つまり能力の仕様が見える。
一姫は嬉しそうに叫んだ。
「なるほどなるほど! 第三の選択肢が出た瞬間、解除されるんですね!」
女子の目が見開かれる。
「……っ」
その瞬間、喉の圧がふっと消えた。
息が入った。
声が出た。
俺は反射で叫んだ。
「ちょっと待て! 能力者か無能力者か、二択じゃない!」
女子が眉を寄せる。
「は?」
俺は必死に続けた。
「男は基本、鑑定不能だろ!? それに俺は“不明”って出るエラーがある! 能力者か無能力者か、分類がそもそも成立してない!」
言い訳じゃない。必死の生存だ。
女子は一瞬黙った。
俺の喉は自由だ。今なら言える。
「俺は無能力者だよ!」
言い切った。
言い切ってしまった。
怖い。でも、今はその言い切りが必要だった。ここで曖昧にしたら、また二択に引きずり戻される。
女子はじっと俺を見て、ゆっくり息を吐いた。
「……解除されたのは、今の“第三の選択肢”のせいね」
一姫が誇らしげに頷いた。
「はい! わたし、役に立ちました!」
役に立った。口の軽さが役に立つ日が来るとは思わなかった。
女子は一姫を睨む。
「……あなた、秘密を見る能力?」
「はい! なるほどなるほど!」
「口癖やめて」
女子のツッコミが鋭い。
一姫がしゅんとするが、すぐに持ち直して言った。
「でも! お兄さんを助けたので、今日はいい日です!」
そういう日判定をするな。
俺は息を整えながら、女子に向き直った。
「……お前、誰」
女子は少しだけ間を置いて答えた。
「天宮 玲奈」
名前が強い。天宮って何だよ。天使に寄せるな。
玲奈は俺を見て、淡々と言った。
「私は“外部聞き取り”の事前確認係にされた。能力関連の提出が曖昧な人を洗う係」
やっぱり来た。学校側の分類装置。
「透くん、あなたは提出書類で“無能力者”に丸をつけた。でも、周りの状況がそれを否定してる」
周りの状況=天使三人。
俺は胃が痛くなる。
玲奈は続ける。
「天使が三人も透くんに懐く。普通、ない。だから私は白黒つけたかった」
理屈は分かる。分かるけど困る。
俺は咳払いして、昨日と同じ“エラーです”を再提示した。
「……俺も困ってる。男の鑑定は鑑定不能。俺だけ不明が出るのはエラー。原因は分からない。だから、俺に聞かれても困る」
玲奈の目が細くなる。
「“困る”ね」
疑いの目だ。確実に芽が増えた。
俺の背中が冷たくなる。霧が薄くなる感覚がした。
玲奈は一姫をちらっと見た。
「……その天使。今の言い方、確信してた。解除条件を言い当てた」
一姫が胸を張った。
「はい! わたし、秘密見えるので!」
「自慢しないで」
玲奈が真顔で言うと迫力がある。
玲奈は俺に戻って、静かに言った。
「透くん。あなたは“NOと言えなかった”。それが答え」
俺の心臓が沈む。
違う。違うんだ。俺は“言えなかった”んじゃなく、“言ったら死ぬから言えなかった”――
……いや、それも結局、同じか。
玲奈は微笑んだ。微笑みなのに冷たい。
「明日の聞き取りで確認する。外部の人たち、そういうの得意だし」
最悪の予告。
俺は言葉を失った。
そこへ、廊下の向こうから妃愛の声が飛んだ。
「透!!」
妃愛が走ってきた。制服のスカートが揺れる。顔が怒っている。心配して怒るタイプだ。
妃愛は俺の前に立って、玲奈を睨んだ。
「何してんの。透は無能力者だよ」
妃愛の“確信”が、俺の背中を少しだけ温めた。
玲奈は妃愛を見て、肩をすくめた。
「幼馴染の確信ね。羨ましい」
「羨ましがるな」
「でも確信だけじゃ分類はできない」
玲奈は冷たく言い、俺に視線を戻した。
「透くん。逃げないでね」
逃げたい。
逃げたいけど、逃げたら疑いが増える。
逃げても終わる。留まっても終わる。
玲奈は踵を返して去っていった。
残された俺は、息を吐いた。
一姫が俺の袖を引く。
「お兄さん! 大丈夫ですか!? 危機でしたよね!? わたし、助けましたよね!?」
「……助かった。ありがとう」
素直に言ったら、一姫がぱあっと笑った。
「えへへ! 口が軽いのが役に立ちました!」
その自覚、複雑だな。
妃愛が俺の頭を小突いた。
「……人目のないところで話そう、って言われて付いていくな」
「告白かと思った」
「は?」
妃愛の目が点になった。
一姫がキラキラした目で言う。
「なるほどなるほど! 告白が秘密なんですね!」
「それも秘密じゃないし、言うな!」
妃愛が一姫の口を塞ぐ。
「止まれ」
「むぐっ!」
俺は頭を抱えた。
日常コメで済む話ならよかった。
でも今のは違う。
玲奈は、俺に対して明確に“疑い”を持った。
疑いの芽が増えた。
明日は外部聞き取り。
疑いが増える日。
霧が薄くなる日。
俺は普通の高校生を演じたいだけなのに、世界がそれを許さない。
妃愛が小声で言った。
「透。今日の聞き取り、私も一緒にいるから」
「……頼む」
頼るしかない。頼ると増えるものもある。でも、頼らないと死ぬ。
一姫が口を塞がれたまま、親指を立てた。
妃愛が一姫を見て言う。
「今日は助かった。でも次は“なるほどなるほど”を小声にするんじゃなく、言わない」
「むぐむぐっ!」
たぶん「はい!」って言ってる。
俺は廊下の窓から校庭を見た。
普通の高校生活が、見える。
その向こうに、疑いの波が見える。
明日が来る。
外部の聞き取りが来る。
そして俺は――今日よりもっと普通でいなきゃいけない。
普通でいるために、どれだけ嘘を重ねればいい?
答えは出ないまま、チャイムが鳴った。




