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8/21

第八話 告白だと思ったら詰みでした

 入学式の翌日。


 制服を着たはずなのに、昨日よりずっと重い。肩が凝るとかじゃなく、空気が重い。教室の匂いが重い。視線の数が重い。


 ニュースと噂が、学校の空気を変えている。


 電車でも話題になっていた。「天使の生みの親は東京にいる可能性が高い」「発生の中心が住宅地に寄っている」「専門家が波形云々」――そんな単語が、学生の口からも普通に出る。


 疑いの数が増えるほど、隠す力が落ちる。


 世論がこの街を疑えば、それだけで俺の霧は薄くなる。俺が何もしなくても、勝手に。


 最悪だ。


 教室に入ると、すでにざわざわしていた。担任が来る前から、男子がスマホを見て騒ぎ、女子がひそひそ喋り、全員が「何かが起きそうな日」の顔をしている。


 そして当然のように、天使がいる。


 俺の席の周り、昨日と同じように天使三人がいる。水色髪の一姫、淡い金髪、紺髪。三人とも“今日もここが自然です”みたいな顔をしているのが怖い。


 俺は目を合わせないようにして席に座り、鞄からプリントを出した。今日の目標はシンプルだ。


 普通に過ごす。


 無能力者の印象を固める。


 外部の聞き取りで目立たない。


 疑いの数を増やさない。


 ――無理だろ、これ。


「透さん」


 紺髪の天使が小声で呼んだ。小声なのが偉い。が、偉い方向が怖い。


「……何」


「今日、外部の聞き取りが入るそうです。気をつけてください」


 気をつけるって何をだ。俺が一番気をつけたいのは“お前らが目立たせないこと”だ。


 金髪の天使が淡々と言う。


「私たちは透さんが“無能力者”だと理解しています。誤解はありません」


 昨日の“エラーです”が効いている。ありがたい。だが、理解してるならもっと距離を取れ。


 一姫は目を輝かせて言った。


「なるほどなるほど! お兄さんは無能力者なんですね!」


「声」


 妃愛がどこからともなく現れ、即座に一姫の口を塞いだ。


「止まれ」


「むぐっ!」


 毎回すごい。反射神経が化け物だ。


 妃愛は俺の机に肘をついて、さらっと言った。


「透、今日も普通でいこうね」


 俺は小さく頷いた。


 妃愛は俺を無能力者だと思っている。


 その思い込みは俺にとって有利だ。疑いじゃなくて確信。確信は霧を厚くする側に働く――たぶん。


 担任が入ってきてホームルームが始まった。出欠確認。委員決め。教科書配布。普通の高校生活のはずの時間が、やたらと騒がしい。


「あと、今日の昼過ぎに外部の聞き取りが入る。各自、協力してくれ」


 担任がそれを言った瞬間、教室のざわめきが一段上がった。


「マジで来んの?」


「天使の件だろ」


「能力者管理とかじゃね?」


 俺は机の下で拳を握った。


 聞き取りが入る=疑いが増える。


 疑いが増える=霧が薄くなる。


 薄くなれば――終わる。


 その時、俺の机の横に影が落ちた。


「……あの」


 女の子の声。


 振り向くと、クラスの女子が立っていた。黒髪のポニーテール。目が大きい。顔が整っているというより、表情が強いタイプだ。意思の強さが目に出ている。


 こういう子は、面倒だ。


「透くん、ちょっといい?」


 女子は周囲をちらりと見て、すぐに視線を戻した。


「……あんまり公にしたくない話だから、人目のないところで話そう」


 俺の頭の中で、変なスイッチが入った。


(人目のないところ)


(あんまり公にしたくない)


(俺を呼び出す)


(もしかして……告白か?)


 俺は一瞬、テンションが上がった。高校生だ。そういう勘違いをするくらい許してほしい。


 だが同時に思う。


(いや、違う。俺に告白する女子がいるわけない)


(今の俺、天使に囲まれてる噂の中心だぞ)


(告白じゃなくて……聞き取り関係の何かだ)


 脳内で冷静な俺がツッコミを入れる。


 それでも心のどこかが「告白だったら面白いな」と思ってしまったのが、人生経験の浅さだ。恥ずかしい。


 妃愛が俺の反応を見て、眉を寄せた。


「透、顔がにやけてる」


「にやけてない」


「にやけてる」


 やめろ。見抜くな。


 女子は俺の返事を待たず、廊下の方へ顎をしゃくった。


「来て」


 言い方が命令っぽい。告白じゃない。確定。


 俺は立ち上がった。妃愛がついてこようとしたが、女子がきっぱり言う。


「二人きりで話したい」


 妃愛が目を細める。


「私、透の幼馴染だけど」


「関係ない」


 強い。やっぱり面倒だ。


 俺は妃愛に小声で言った。


「大丈夫だって」


 妃愛は納得していない顔だったが、俺が立った以上、止めるわけにもいかない。妃愛は一姫の口を塞いだまま、俺を見送った。


 一姫がむぐむぐしている。たぶん「危険ですか!?」と言いたい顔だ。


 女子は俺を廊下へ連れ出し、階段を一つ下り、さらに廊下の奥へ進んだ。人の気配が薄い。職員室とは逆方向。窓から中庭が見える。ほんとに人目がない。


(ここで告白だったら、ロケーションが逆に怖いな)


 そんなことを考えた俺は、ほんとに馬鹿だ。


 女子は足を止め、振り向いた。


「透くん」


「……何」


 女子は真っ直ぐ俺を見た。


 表情が、笑っていない。


 告白じゃない。確定。


「透くんって、能力者?」


 心臓が跳ねた。


 息が止まりかける。


 脳内の警報が鳴る。


(来た)


(来た来た来た)


(疑いが増える)


(霧が薄くなる)


 俺は反射で「違う」と言いそうになった。


 だが、言えなかった。


 喉が詰まった。口が開かない。声が出ない。まるで首を掴まれたみたいに。


 女子が続ける。


「YESかNOか。どっち」


 瞬間、空気が変わった。


 圧がかかったような感覚。喉の奥が熱い。口の中が乾く。逃げ道が消える。


 女子の目が細くなる。


「……やっぱり。さっき、教室で能力の話になった時、透くんだけ話そうとしなかった」


 話そうとしなかったんじゃない。話したら死ぬから話せなかったんだ。


 女子は淡々と宣言した。


「私の能力。YESかNOかの選択を迫って、どちらかに当てはまった場合だけ、相手に答えることを強制できる」


 ……強すぎる。


 こんなの、天敵だ。


 俺の能力は“疑い”に弱い。疑いを増やさないために黙る。黙ることで疑いを増やす。最悪のループの中にいる。


 そこに「答えを強制する能力」。


 詰みだ。


 女子が再び言う。


「教えて。透くんって能力者? YESかNOか」


 喉が勝手に動きそうになった。


 YES――言ったら終わる。疑いが爆発する。霧が剥がれる。綾香が笑う。天使が確信する。世界が俺を見つける。


 NO――本当の意味で“無能力者”かどうか、俺は断言できない。


 俺は超能力者だ。主人公補正の超能力者だ。世界のルールを足せる。無能力者じゃない。


 でも社会の分類としては、男は鑑定不能で、能力者登録も曖昧で、俺は“穴”で――


 NOと言い切った瞬間、それが嘘になる可能性がある。


 嘘を言えば、また別の何かが壊れるかもしれない。


 何より――。


 この能力は「真実を言わせる」んじゃない。「YES/NOのどちらかに分類できるなら口を動かす」タイプだ。


 つまり、俺が“能力者か無能力者か”という枠に収まるなら、口が勝手に動く。


 収まったら、終わり。


 女子の目が鋭くなる。


「黙るのは無理。YESかNO」


 喉が熱い。


 言ってしまう。


 言ってしまう……!


 その瞬間、俺のポケットの中でスマホが震えた。


 いや、震えたんじゃない。


 俺が震えた手で、すでに通話ボタンを押していた。


 女子に連れていかれる途中、嫌な予感がして、俺はとっさに一姫の連絡先を開いていた。既読つけずに放置していたはずなのに、指が勝手に動いていた。


 通話が繋がる。


『お兄さん!?』


 一姫の声がスマホから飛び出した。でかい。遠くでも聞こえそう。だが今はそれが救いだ。


『大丈夫ですか!? 危機ですか!?』


 俺は声を出せなかった。女子の能力が喉を握っている。代わりに、息だけで「うん」と返そうとしたが、それすら難しい。


 女子が眉を寄せた。


「……誰に電話してるの」


 俺は答えられない。


 女子がもう一度、言う。


「透くんって能力者? YESかNOか」


 喉が勝手に動く。


 言葉が出る寸前。


 ――廊下の向こうから、猛スピードの足音が近づいた。


「お兄さーーーん!!」


 やめろ、声がでかい。


 だが今は、神だ。


 一姫が曲がり角から飛び出してきた。羽を畳むのも忘れて、ほとんど走っている。危険運転すぎる天使。


 女子が目を見開いた。


「……天使?」


 一姫は俺の顔を見て、一瞬で状況を察したらしい。珍しく真剣な顔になる。


「お兄さん! 大丈夫ですか!?」


 俺は頷きかけたが、喉が動かない。


 女子が一姫を警戒するように言った。


「あなた、何。関係ないでしょ」


 一姫は息を切らしながらも、胸を張った。


「関係あります! お兄さんは困ってる人です!」


 困ってる人って言うな。正解だけど。


 女子が冷たく言う。


「私は質問してるだけ。透くんが能力者かどうか。YESかNOか」


 その瞬間、一姫の目がキラッと光った。


 そして、いつもの口癖が飛び出した。


「なるほどなるほど!」


 やめろ、今それ言うな!


 だが一姫は止まらない。止まらないのが、今日だけは正義になった。


「それがあなたのひみつなんですね! あなたの能力は――」


 女子の顔が一瞬だけ青ざめた。秘密を見られるのが嫌なのか? いや違う。一姫は“秘密タグ”を見る。つまり能力の仕様が見える。


 一姫は嬉しそうに叫んだ。


「なるほどなるほど! 第三の選択肢が出た瞬間、解除されるんですね!」


 女子の目が見開かれる。


「……っ」


 その瞬間、喉の圧がふっと消えた。


 息が入った。


 声が出た。


 俺は反射で叫んだ。


「ちょっと待て! 能力者か無能力者か、二択じゃない!」


 女子が眉を寄せる。


「は?」


 俺は必死に続けた。


「男は基本、鑑定不能だろ!? それに俺は“不明”って出るエラーがある! 能力者か無能力者か、分類がそもそも成立してない!」


 言い訳じゃない。必死の生存だ。


 女子は一瞬黙った。


 俺の喉は自由だ。今なら言える。


「俺は無能力者だよ!」


 言い切った。


 言い切ってしまった。


 怖い。でも、今はその言い切りが必要だった。ここで曖昧にしたら、また二択に引きずり戻される。


 女子はじっと俺を見て、ゆっくり息を吐いた。


「……解除されたのは、今の“第三の選択肢”のせいね」


 一姫が誇らしげに頷いた。


「はい! わたし、役に立ちました!」


 役に立った。口の軽さが役に立つ日が来るとは思わなかった。


 女子は一姫を睨む。


「……あなた、秘密を見る能力?」


「はい! なるほどなるほど!」


「口癖やめて」


 女子のツッコミが鋭い。


 一姫がしゅんとするが、すぐに持ち直して言った。


「でも! お兄さんを助けたので、今日はいい日です!」


 そういう日判定をするな。


 俺は息を整えながら、女子に向き直った。


「……お前、誰」


 女子は少しだけ間を置いて答えた。


天宮あまみや 玲奈れいな


 名前が強い。天宮って何だよ。天使に寄せるな。


 玲奈は俺を見て、淡々と言った。


「私は“外部聞き取り”の事前確認係にされた。能力関連の提出が曖昧な人を洗う係」


 やっぱり来た。学校側の分類装置。


「透くん、あなたは提出書類で“無能力者”に丸をつけた。でも、周りの状況がそれを否定してる」


 周りの状況=天使三人。


 俺は胃が痛くなる。


 玲奈は続ける。


「天使が三人も透くんに懐く。普通、ない。だから私は白黒つけたかった」


 理屈は分かる。分かるけど困る。


 俺は咳払いして、昨日と同じ“エラーです”を再提示した。


「……俺も困ってる。男の鑑定は鑑定不能。俺だけ不明が出るのはエラー。原因は分からない。だから、俺に聞かれても困る」


 玲奈の目が細くなる。


「“困る”ね」


 疑いの目だ。確実に芽が増えた。


 俺の背中が冷たくなる。霧が薄くなる感覚がした。


 玲奈は一姫をちらっと見た。


「……その天使。今の言い方、確信してた。解除条件を言い当てた」


 一姫が胸を張った。


「はい! わたし、秘密見えるので!」


「自慢しないで」


 玲奈が真顔で言うと迫力がある。


 玲奈は俺に戻って、静かに言った。


「透くん。あなたは“NOと言えなかった”。それが答え」


 俺の心臓が沈む。


 違う。違うんだ。俺は“言えなかった”んじゃなく、“言ったら死ぬから言えなかった”――


 ……いや、それも結局、同じか。


 玲奈は微笑んだ。微笑みなのに冷たい。


「明日の聞き取りで確認する。外部の人たち、そういうの得意だし」


 最悪の予告。


 俺は言葉を失った。


 そこへ、廊下の向こうから妃愛の声が飛んだ。


「透!!」


 妃愛が走ってきた。制服のスカートが揺れる。顔が怒っている。心配して怒るタイプだ。


 妃愛は俺の前に立って、玲奈を睨んだ。


「何してんの。透は無能力者だよ」


 妃愛の“確信”が、俺の背中を少しだけ温めた。


 玲奈は妃愛を見て、肩をすくめた。


「幼馴染の確信ね。羨ましい」


「羨ましがるな」


「でも確信だけじゃ分類はできない」


 玲奈は冷たく言い、俺に視線を戻した。


「透くん。逃げないでね」


 逃げたい。


 逃げたいけど、逃げたら疑いが増える。


 逃げても終わる。留まっても終わる。


 玲奈は踵を返して去っていった。


 残された俺は、息を吐いた。


 一姫が俺の袖を引く。


「お兄さん! 大丈夫ですか!? 危機でしたよね!? わたし、助けましたよね!?」


「……助かった。ありがとう」


 素直に言ったら、一姫がぱあっと笑った。


「えへへ! 口が軽いのが役に立ちました!」


 その自覚、複雑だな。


 妃愛が俺の頭を小突いた。


「……人目のないところで話そう、って言われて付いていくな」


「告白かと思った」


「は?」


 妃愛の目が点になった。


 一姫がキラキラした目で言う。


「なるほどなるほど! 告白が秘密なんですね!」


「それも秘密じゃないし、言うな!」


 妃愛が一姫の口を塞ぐ。


「止まれ」


「むぐっ!」


 俺は頭を抱えた。


 日常コメで済む話ならよかった。


 でも今のは違う。


 玲奈は、俺に対して明確に“疑い”を持った。


 疑いの芽が増えた。


 明日は外部聞き取り。


 疑いが増える日。


 霧が薄くなる日。


 俺は普通の高校生を演じたいだけなのに、世界がそれを許さない。


 妃愛が小声で言った。


「透。今日の聞き取り、私も一緒にいるから」


「……頼む」


 頼るしかない。頼ると増えるものもある。でも、頼らないと死ぬ。


 一姫が口を塞がれたまま、親指を立てた。


 妃愛が一姫を見て言う。


「今日は助かった。でも次は“なるほどなるほど”を小声にするんじゃなく、言わない」


「むぐむぐっ!」


 たぶん「はい!」って言ってる。


 俺は廊下の窓から校庭を見た。


 普通の高校生活が、見える。


 その向こうに、疑いの波が見える。


 明日が来る。


 外部の聞き取りが来る。


 そして俺は――今日よりもっと普通でいなきゃいけない。


 普通でいるために、どれだけ嘘を重ねればいい?


 答えは出ないまま、チャイムが鳴った。

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