第七話 エラーです、たぶん世界のせい
「明日、“外部の聞き取り”が入る。能力関連だ。協力してくれ」
担任のその一言で、教室がざわっと揺れた。
新学期の空気って、もっとこう……「部活どうする?」「自己紹介だる」みたいな軽いざわめきのはずなのに。うちの高校は違う。能力者社会ってやつの、現実が重い。
俺は笑って頷いた。普通の顔で。
内側では、胃がきゅっと縮んでいた。
聞き取り=疑いの増殖装置。
疑う人間の数が増えるほど、隠す力が落ちる。
しかも今日は入学式当日。俺が“無能力者の印象”を固めなきゃいけない、最初の一日だ。ここで余計な波を立てたら、終わる。
……終わるのに。
背後から、かすかな羽音と一緒に視線が刺さる。
天使三人。
水色髪の一姫だけじゃない。淡い金髪の子と、濃い紺髪の子。二人とも落ち着いていて、逆に怖いタイプ。
特に金髪の子は、静かなのに言葉が鋭い。
(頼むから、“不明”の話を掘らないでくれ)
俺はプリントを鞄に突っ込みながら、逃げるタイミングを探した。
しかし――逃げ道は、ない。
「お兄さん」
紺髪の子が、柔らかく呼んだ。
その呼び方、やめろ。俺はお前らの兄じゃない。そう突っ込みたいのを飲み込む。ここで目立つと終わる。
妃愛が横から割り込んだ。
「名前で呼びなよ。透って」
妃愛が言うと、紺髪の子は素直に頷いた。
「……透さん。少し、お時間を」
やめろ、その丁寧さが逆に“特別扱い”に見える。
俺は笑って、軽く返す。
「どうした? 帰るだけだけど」
水色髪の一姫が、勢いよく顔を近づけた。
「なるほどなるほど! 聞き取りって秘密なんですね!」
妃愛の手が、一姫の口を塞ぐ。
「止まれ」
「むぐっ!」
この流れ、もう様式美みたいになってきた。
クラスメイトが笑う。
「口塞がれてる天使、初めて見た」
「てか天使、普通にクラスにいるのやば」
笑いはいい。笑いは疑いじゃない――そう思いたい。
けど、“観測”は確実に増えている。
俺の霧が、薄くなる感覚がした。気のせいだと思いたいのに、気のせいじゃないと知っているのが最悪だ。
金髪の子が、淡々と話題を切った。
「透さんの分類が“無能力者”であること。確認したいだけです」
刺さる言い方をするな。
紺髪の子も、静かに続ける。
「あなたは、男です。通常、鑑定不能。しかし……」
来る。来るな。
一姫が妃愛の手の中で、もごもごしながら目を輝かせる。
たぶん今、「不明!閲覧禁止!」と言いたくて仕方ない顔をしている。
妃愛が一姫の口を塞いだまま、俺に目だけで言う。
(今、言う?)
言うしかない。
この場で誤解を解いておかないと、天使三人の頭の中で「透=能力者疑惑」が固定される。それは最悪だ。疑いの芽が増える。霧が薄くなる。
俺は息を吸って、できるだけ軽い調子で言った。
「……ああ、それなら大丈夫」
妃愛が一姫の口を塞いだまま、教室の出口へ顎をしゃくった。
「ここでやると目立つ。廊下」
正解。妃愛、ほんとに助かる。
俺たちは人の少ない廊下へ移動した。窓の外は春。中は地獄。
金髪の子が、じっと俺を見る。
「“不明”表示。あれは何です?」
来た。
俺はここで、用意していた“無能力者用の説明”を出す。
自分の首を守る、便利な嘘――じゃない。これは半分は本当だ。男の鑑定は基本鑑定不能。そこから外れた表示は、例外処理かバグ。……そういうことにする。
「通常の鑑定能力だと、男は普通に“鑑定不能”になりますよね」
二人は頷いた。
俺は続ける。
「それ以外の“不明”表示って、俺にも原因が分からなくて困ってるんですよ。あれ、たぶんエラーです」
金髪の子の目がわずかに細くなる。
「たぶん、ですか」
言い方が怖い。
俺は笑って肩をすくめた。普通の高校生っぽく。
「俺、昨日から何回か言われてるけどさ。俺が一番困ってる。変な表示出るせいで、変に目立つだろ?」
紺髪の子が、少しだけ表情を柔らげた。
「……迷惑、なのですね」
「迷惑だよ。俺は間違いなく無能力者です」
言い切る。ここが大事だ。俺自身が言い切ることで、周りの認識が固まりやすい。
そして俺は付け足す。
「入学式初日だぞ? ここで“あいつ怪しい”とか言われたら詰む。だからその話は外でしないで。頼む」
天使二人は、静かに頷いた。
「了解しました」
「配慮します」
やめろ、言葉が大人すぎて怖い。高校生の会話に“配慮します”って出ないんだよ。
一姫が、妃愛の手の中で必死に頷いている。妃愛が手を離すと、一姫は勢いよく息を吸って――
「なるほどなるほど! エラーなんですね!」
言った。
「声がでかい」
妃愛が即ツッコむ。
一姫は慌てて両手で口を押さえた。
「す、すいません……小声にします……なるほどなるほど……」
「口癖を小声にしても意味がない」
妃愛の正論が刺さる。
俺は苦笑しつつ、話題を変える。ここに留まると、また誰かが見て疑う。霧が薄くなる。
「……ところでさ。なんでお前ら、同じ高校にいるんだよ」
昨日からずっと、誰もちゃんと説明してない。
紺髪の子が、少しだけ胸を張った。
「私たちは天使になった時点で、学習能力が向上しています。本人が希望すれば、飛び級が可能だと確認しました」
金髪の子が淡々と補足する。
「学力試験を受けました。満点でした」
さらっと言うな。嫌味じゃなくて事実っぽいのが腹立つ。
一姫が元気よく手を挙げた。
「わたしも満点でした!」
「お前は絶対どっか落としてる」
「落としてません!!」
妃愛が冷たい目で言う。
「満点でも口は落ち着け」
天使がしゅんとする。かわいいけど、かわいさが世界を壊すタイプだから困る。
俺は一応、納得した。
天使は賢い。賢すぎる。だから高校に来てもおかしくない。むしろ本人が希望すれば、飛び級の制度が整っている社会の方がリアルだ。能力者社会は、制度が急に柔軟になる。
問題は、その希望の理由だ。
「……で、お前らなんでこの高校?」
一姫がキラキラした目で言う。
「お兄さんがいるからです!」
即答するな。
妃愛が俺の顔を見る。「ほらね」と言いたげな目。
俺は笑って誤魔化した。
「……たまたま、な」
「たまたま、じゃないです!」
「たまたまって言え」
「た、たまたま……!」
妃愛が一姫の肩を掴んで、低い声で言った。
「そこは“たまたま”」
「はい……たまたま……」
教育が行き届きすぎてる。怖い。
金髪の子が、少しだけ視線を逸らして言った。
「……我々は、創造主を探しています」
やめろ。今その単語を出すな。心臓が跳ねた。
俺は顔に出さず、雑に返した。
「へえ」
へえ、じゃねえよ。俺だよ。俺が怖いんだよ。
紺髪の子が続ける。
「しかし、透さんは無能力者。つまり、創造主ではない。……だから安心します」
安心って言うな。安心の仕方が怖い。
一姫が頷きまくる。
「安心です! お兄さんは普通です!」
「その“普通”も声でかい」
「すいません!」
俺は胃を押さえながら思った。
(誤解は解けた。たぶん)
(でも天使が三人、俺の周りにいる事実は変わらない)
(それだけで、俺は普通じゃなく見える)
詰みかけてる。
妃愛が空気を切った。
「帰るよ。透、電車」
「……うん」
俺は天使三人に手を振って(普通の距離感を演出して)妃愛と一緒に駅へ向かった。
背後から一姫の声が飛ぶ。
「困ったことがあったらいつでも助けますから言ってください!!」
遠いのにでかい。
妃愛が振り向かずに手をひらひらさせる。
「ありがと。静かにね」
妃愛の扱いが先生だ。
放課後の電車は混んでいた。
新生活の匂いがする。制服の群れ。スーツの群れ。みんなスマホを見ている。俺も見たいが、見たくない。
世の中の“天使ニュース”は、俺の心臓に直結している。
妃愛が隣で吊革を握りながら言った。
「今日、なんとか“普通”っぽかったじゃん」
「……妃愛のおかげでな」
「でしょ。もっと褒めていいよ」
「調子乗るな」
妃愛が笑う。笑いは救いだ。普通の会話は救いだ。
その瞬間。
前に立っていたサラリーマン二人の会話が耳に刺さった。
「……天使の生みの親、東京にいる可能性高いって」
「また出たの? ニュース?」
「ほら、これ。専門家コメント付き」
スマホの画面がちらっと見える。俺は見ないふりをしたのに、目が勝手に文字を拾う。
『天使少女の発生源、都内某所に集中か
発生“波形”から見て起点は住宅地の可能性』
波形。
起点。
住宅地。
やめろやめろやめろ。
妃愛が俺の顔を覗き込んだ。
「透、顔色」
「……なんでもない」
心臓がうるさい。電車の音よりうるさい。
サラリーマンが続ける。
「場所、どこだろうな。東京って言っても広いぞ」
「でもさ、“この辺の路線沿い”ってSNSで言われてる」
「え、マジ? やば」
やばいのは俺だ。
疑いの数が増えるほど、霧が薄くなる。
ニュースで“この街が怪しい”と騒がれれば、疑いは爆発的に増える。俺が何もしなくても、勝手に母数が増える。
俺は歯を食いしばった。
(これ、綾香のせいか?)
(綾香がソナーで中心を掴んで、どこかに情報が漏れた?)
(それとも天使側が動いた?)
(あるいは……俺の波が増えてるせいで、誰でも気づくレベルになってきた?)
最悪の仮説が頭の中で渋滞する。
妃愛が小声で言った。
「透、落ち着いて。ニュースで騒がれてるだけだよ」
妃愛は俺が無能力者だと思っている。だからこの不安が“能力バレの恐怖”だとは思っていない。ただ、巻き込まれ体質の幼馴染が、また面倒に巻き込まれていると心配している。
その心配は、疑いじゃない。
……たぶん。
俺は頷いて、普通っぽく返した。
「……だよな。噂なんて、すぐ飽きる」
「そうそう。みんな新学期で忙しいし」
妃愛はそう言いながらも、俺の手首を軽く掴んだ。吊革じゃなく、俺を現実に繋ぎ止めるみたいに。
その優しさが、逆に怖い。
ここで俺が本当のことを言えないのが、怖い。
電車のドアが開いて、乗客が入れ替わる。
その流れの中で、別の学生が言った。
「明日、学校に聞き取り来るらしいぜ」
「え、うちも? 能力のやつ?」
「そうそう。天使の件じゃね?」
俺の胃が沈んだ。
今日担任が言っていた“外部の聞き取り”。
それは、ただの形式じゃない。
世論がこの街に寄ってきたからだ。
つまり明日、俺の学校は“疑いの集積点”になる。
霧が剥がれる。
剥がれたら――終わる。
俺は息を吸って吐く。普通の呼吸。普通の顔。
妃愛が言った。
「明日、聞き取り。透、変なこと言わないでね」
「……変なことってなんだよ」
「“変なこと”はだいたい、透が自分で思ってない時に起きる」
朝も同じこと言ってたな。
俺は笑った。笑うしかない。
その時、スマホが震えた。
通知。
見るな。見ると巻き込まれる。
でも見てしまった。
『藍川 綾香
明日、あなたの学校に聞き取りが入る。
“噂”が早い。気をつけて』
心臓が跳ねた。
(綾香、知ってる)
(やっぱり、明日の聞き取りに関わってるのか)
妃愛が俺の画面を覗き込もうとしたが、俺は反射でスマホを伏せた。
妃愛が眉を寄せる。
「……誰?」
「……ただの、連絡」
嘘ではない。連絡だ。嘘じゃないことだけ言うのが、俺の生存戦略になっている。
妃愛は深追いしなかった。賢い。ありがたい。
でもその“賢さ”は、時々怖い。
電車が揺れる。
窓の外の夕焼けが流れる。
明日が近づく。
疑いが増えるほど、霧が薄くなる。
明日、どれだけ疑いが増える?
俺は自分の手を見た。握れば世界に小さなルールを足せる手。だけど疑われたら弱くなる手。
普通の手に見えるように、俺は指を開いて閉じて、ただの高校生みたいに疲れたふりをした。
家に帰ると、セラが廊下で待っていた。
「おかえりなさい、透さん」
羽を畳んで、にこっと笑う。
その笑顔が、今日は妙に怖い。
「……ただいま」
「今日、学校。どうでしたか?」
「……普通だった」
俺は言い切った。言い切りたい。普通であれ。
セラは頷いた。
「普通は大切です」
それを天使が言うと、やっぱり怖い。
セラは少しだけ首を傾げた。
「でも、波がうるさいです」
「……波」
「はい。出生の波。遠くの人たちが“疑い”を始めています」
俺の背中が冷えた。
セラは、俺の仕様を知っているみたいに言う。いや、天使だから感じるのか。創造主を探しているから、世界の揺れに敏感なのか。
「明日、もっと増えます」
淡々と言うな。
「……なんで分かる」
「匂いが変わります」
匂いで言うな。
俺は鍵を開けて部屋に入った。靴を脱ぐのも忘れそうだった。机に鞄を置く。参考書が見える。
(勉強しなきゃ)
(普通の高校生は、勉強する)
(でも明日、聞き取りが来る)
スマホがまた震えた。
一姫からだ。
『お兄さん!
なるほどなるほど! ネットで“創造主は東京にいる”って出てます!
お兄さんの街、話題です! すごいです!
(言っちゃだめなやつでした!?)』
俺は天井を見上げた。
「……妃愛、明日も頼む」
誰にも聞こえない声で呟く。
普通でいるために、俺は人に頼るしかない。
普通のはずの入学式の翌日。
外部の聞き取り。
噂が加速して、疑いが増える日。
俺の霧が、どれだけ剥がれるのか。
考えたくないのに、考えてしまう。
机に向かい、鉛筆を握る。
普通の高校生のふりをして、参考書を開く。
ページの文字が、まったく頭に入らなかった。




