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第六話 入学式に天使がいる

 四月。


 カレンダーが切り替わっただけで、空気まで変わった気がする。


 朝の光がやけにまぶしい。風がぬるい。通学路の桜が「新生活ですよ」とでも言いたげに咲き誇っていて、こっちの胃だけが重い。


 高校の入学式。


 俺にとっては、人生で一番大事なイベント――じゃない。


 “印象操作の開幕戦”だ。


 俺の能力は、俺を無能力者だと思っている人間が多いほど強くなる。


 だから、最初がすべてだ。


 今日この日、俺が「無能力者っぽい」「普通」「どうでもいい男子」だという印象をクラスに植え付けられるかどうかで、今後の生存率が決まると言ってもいい。


 目立つな。


 変な噂を作るな。


 疑われるな。


 疑いの数が増えるほど、隠す力が落ちる。


 ――自分で決めたこの仕様が、ほんとに呪いだ。


「透、ネクタイ曲がってる」


 玄関で妃愛が言った。


 俺の住んでるアパートの前まで、わざわざ迎えに来てくれたらしい。こいつ、無駄に面倒見がいい。俺が頼んだわけじゃない。勝手に来た。


「……曲がってないだろ」


「曲がってる。はい、止まって」


 妃愛は容赦なく俺のネクタイを掴んで直す。手際がいい。俺の生活スキルの低さが刺さる。


「今日、絶対に変なことしないでね」


「変なことって何だよ」


「“変なこと”はだいたい、透が自分で思ってない時に起きる」


 それは否定できない。


 妃愛は俺の顔を覗き込んで、少しだけ声を落とした。


「天使、来るの?」


「……知らん」


 嘘ではない。俺は“知らないことにしている”。知っていると、それだけで関係が濃くなる。


 妃愛は頷いた。


「まあいい。来ても、私が止める」


 頼もしい。怖い。


「止め方が物理なんだよ」


「口が軽い方が悪い」


 正論を言うな。


 俺たちは並んで駅へ向かった。通学路には制服姿の同級生があちこちにいる。緊張が胃を締め付ける。


 この中に、天使がいる。


 そう思うだけで、現実感が薄れる。


 ……現実なんだけど。


 体育館。


 入学式の会場は、人の密度で空気が重い。新入生の列、保護者の列、先生たちの列。椅子の脚が床を擦る音。誰かの咳。スマホを切る音。全部がざわざわと混ざって、心臓の鼓動まで引っ張られる。


 俺は席を探しながら、できるだけ“普通の男子”の顔を作った。


 目は泳がせるな。背筋は伸ばしすぎるな。キョロキョロすると不審者だ。堂々としすぎると目立つ。


 普通。普通。普通。


「透、こっち」


 妃愛がさっと席を見つけて手招きした。俺はその隣に座る。


 そして――。


 背中に、気配が三つ重なった。


 嫌な予感がした。


 俺がゆっくり振り返ると、そこにいた。


 白い羽。淡い髪色。ありえないほど整った顔立ち。


 天使少女が、三人。


 しかも、なぜか全員こちらを見ている。


 いや、“俺”を見ている。


 目が合った瞬間、三人の顔が同時にぱあっと明るくなった。


「お兄さん!」


 でかい声が体育館に響いた。


 俺は死んだ。


 いや、死んでない。まだ生きてる。でも社会的には死んだ。


 隣の妃愛が、ゆっくり顔を上げる。


「……やっぱ来たね」


 感想みたいに言うな。


 三人のうち、一番前にいる水色髪が、両手を振った。


「水野一姫です! 同じ学校だったんですね!」


 やめろ、自己紹介を体育館でやるな。


 妃愛の手が、一姫の口を塞いだ。


「止まれ」


「むぐっ!?」


 完璧な初動だった。


 残り二人も負けじと身を乗り出す。


 金髪に近い淡いブロンドの子が、柔らかい声で言った。


「……あなたが、例の“普通”の方ですね」


 言い方が怖い。


 もう一人、黒髪に近い濃い紺色の髪の子が、微笑んで言った。


「初めまして。お兄さん。今日もお元気そうで」


 お兄さん呼びやめろ。俺はお前らの兄じゃない。


 周囲の視線が集まり始めた。新入生の“最初の観測”が始まる。これが最悪だ。ここで「天使に親しい男子」というラベルが貼られる。疑いが増える。霧が薄くなる。


 俺は必死に笑って、できるだけ軽く、できるだけ普通に言った。


「……たまたまだよ。席が近いだけ」


 たまたま三人も天使が後ろに座るな。


 妃愛は一姫の口を塞いだまま、低い声で言った。


「透、顔が引きつってる」


「引きつるだろ!」


「声、落として」


 正論で殴るな。


 先生の「静かにしてください」というアナウンスが入り、体育館のざわめきが一旦落ち着いた。助かった。今は式が始まる。式の間は静かだ。天使も静かに――


 静かにできるのか?


 できない気がする。


 俺は式辞を聞きながら、背後の三人に神経を尖らせた。


 羽が擦れる音がするたびに、胃が跳ねる。


 疑いの数が増えるほど、隠蔽が落ちる。


 この席配置、完全に罠だろ。


 式が終わり、各クラスに移動する流れになった瞬間、俺の背後からまた声が飛んだ。


「お兄さん、同じクラスですか!?」


 一姫だ。口を塞いだはずなのに、いつの間にか解放されている。妃愛、隙を見せるな。


「ちょっと、一姫!」


 妃愛がすぐに掴もうとするが、一姫がするっと逃げた。逃げ足だけ速い。


 金髪の天使が、淡々と名札を見せた。


「同じクラスです。1年3組」


 紺髪の天使も微笑む。


「偶然ですね。……ね、お兄さん」


 偶然なわけがない。


 俺は言葉を失いかけたが、ここで“普通の男子”の顔を崩すと終わる。俺は笑って、適当に返した。


「へえ、すげえな……たまたまが多いな」


 妃愛が小声で言う。


「透、今の“すげえな”は普通っぽい」


「だろ」


「でも目が死んでる」


 余計なこと言うな。


 クラスに入ると、さらに地獄だった。


 席順は出席番号順。俺は真ん中あたり。妃愛も近い。天使三人――全員、俺の近く。


 黒板の前で担任が自己紹介をしている間も、背後から小声が飛んでくる。


「お兄さん、制服似合ってます」


「なるほどなるほど、式って長いですね」


「……あなたは、無能力者なのに落ち着いていますね」


 最後のそれ、やめろ。


 金髪の天使の言葉は、静かだけど刺さる。周りが聞いたら「無能力者」という単語が噂になる。最悪だ。


 妃愛がすっと金髪の子に視線を向けた。


「その言い方、やめて」


 妃愛が言うと、不思議と圧が出る。天使にも効くのが怖い。


 金髪の子は一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに頷いた。


「……了解しました。配慮します」


 配慮って言葉、天使が使うと逆に怖い。


 担任がプリントを配り始めた。校則、年間予定、授業の説明――そして。


「能力関連の提出書類もあります。今週中に提出してください」


 俺の背中が冷えた。


 来た。


 学校が“分類”してくる。


 担任は淡々と続ける。


「能力者は登録番号、所属する組織がある場合は記入。無能力者は無能力者欄にチェック。男性は能力参照が困難なため、記入できる範囲で構いません」


 周囲がざわついた。


 俺はプリントを見て、喉が鳴った。


 ――分類欄。


 能力者/無能力者/不明。


 不明、って何だよ。最悪だ。


 俺は無能力者を選ぶしかない。無能力者の印象を固めるために。だけど俺は“検索不能”の穴だ。もし事務処理上の何かで引っかかったら、先生に呼ばれる。目立つ。疑いが増える。霧が薄くなる。


 妃愛が俺のプリントをちらりと覗いて、小声で言った。


「無能力者に丸つければいいじゃん」


「……それで済めばいいけど」


 俺の声がわずかに硬くなる。


 妃愛は俺を見て、少しだけ眉を寄せた。


「また一人で抱え込む顔」


「抱え込んでない。今は普通に焦ってるだけ」


「普通に焦るな」


 無理だろ。


 担任の説明が終わり、ホームルームが一旦解散になった。クラスメイトが立ち上がって騒ぎ始める。


 そして、天使三人が同時に俺の机の周りに集まった。


 終わった。


「お兄さん、昼ごはん一緒に食べましょう!」


 一姫が言う。声がでかい。


 妃愛が一姫の口を塞ぐ。


「止まれ」


「むぐっ!」


 紺髪の天使が微笑む。


「透さん。……お兄さん。あなたはお一人ですか?」


 質問の意図が怖い。


 金髪の天使が静かに言う。


「あなたの“普通”の維持に、協力が必要なら言ってください」


 協力って言うな。普通の男子の会話に“普通の維持”って単語は出ない。


 俺の周囲にクラスメイトが集まり始めた。好奇の目。噂の目。観測の目。


 疑いの数が増えるほど、霧が薄くなる。


 俺は必死に“無能力者男子グループ結成計画”を発動した。


 つまり、天使の輪から逃げて、男子の輪に混ざる。


 俺は立ち上がって、近くの男子に声をかけた。


「なあ、自己紹介した? まだなら適当に集まって話さね?」


 普通の陽キャっぽいセリフを頑張って出した。


 男子が一瞬驚いた顔をしたあと、笑った。


「いいじゃん。てかお前、天使と知り合いなの?」


 来た。


 ここで変に否定すると怪しい。肯定すると終わる。俺は“たまたま”を最大出力した。


「知らねえよ。さっきから勝手に話しかけられてるだけ」


「まじ? うらやま」


 うらやまがるな。最悪だ。


 俺は男子二人三人を引っ張って、窓際へ移動した。天使三人もついてくる気配がしたが、妃愛がさりげなく割り込んで壁になってくれている。頼もしい。


 俺は男子たちと雑談を始めた。


 内容はどうでもいい。とにかく“無能力者っぽい雑談”をする。


「もし能力選べるなら何がいい?」


 男子Aが言う。


「透明人間じゃね? 女子更衣室」


「死ね」


 男子Bが即ツッコむ。平和だ。普通だ。高校だ。


 俺は笑って混ざる。


「宝くじ当たったらどうする?」


「ゲーム課金」


「家買う」


「親にやる」


 俺は頷きながら、わざと自分の答えを“地味”にした。


「……俺、普通に貯金して、大学の金にする」


「地味!」


「真面目!」


 地味でいい。真面目でいい。無能力者っぽい。


 その会話の端に、天使の声が混ざりそうになるのが怖い。


 案の定、一姫が背後から顔を出した。


「なるほどなるほど! 大学って秘密なんですね!」


「秘密じゃねえ!」


 俺がツッコむより先に、妃愛が一姫の口を塞いだ。


「止まれ」


「むぐぐっ!」


 男子たちが笑う。


「何それ、漫才?」


「天使って口塞がれるの?」


「こわ」


 笑いが起きた。笑いはいい。笑いは疑いじゃない――と思いたい。


 でも“観測”は増える。


 俺の背中が薄く冷える。霧が一枚、薄くなった気がした。


 午後。


 能力鍛錬の時間、という授業があった。


 この学校は能力者の存在が当たり前になった社会の波を、露骨に受けている。体育が能力トレーニングになった、みたいなものだ。


 ただ、男子は基本「鑑定不能」扱いなので、能力を見せない男子は代替課題が用意されている。


 担任――じゃなく、担当の先生が言った。


「男子で能力を明確に申告できない者は、代替課題だ。体力測定、基礎学力、そして“社会適応”の確認。無能力者だろうが能力者だろうが、社会に役立て」


 俺は内心で「助かった」と思った。


 能力を鍛える時間に、能力を鍛えなくていい。


 俺は“無能力者の真面目さ”を見せるチャンスだ。


 俺は妃愛と一緒に、代替課題の列に並んだ。


 周りには、男子が十数人。似たような顔ぶれ。ここで“無能力者男子グループ”を固められる。


 俺はわざと真面目に、体力測定も受けた。握力は……一姫に潰されかけた手のせいで微妙だった。最悪の余波。


 基礎学力テストも、真面目に解いた。分からないところは妃愛が横目で見てきそうだから、変にカッコつけない。普通に解く。普通にミスる。普通に焦る。


 そして、無能力者グループの男子が一人、ぼそっと言った。


「……透、お前さ」


「ん?」


「天使に囲まれてるのに、こっち来るのな」


 俺は笑って言った。


「囲まれてねえし。巻き込まれてるだけ」


「でもさ、天使って強いじゃん。普通、能力者とつるむんじゃね?」


 その言葉に、周囲の男子が少しだけ頷いた。疑いが増える感覚がした。霧が薄くなる感覚。


 やめろ。ここで疑いを増やすな。


 俺は“無能力者っぽい回答”で押し切った。


「俺、無能力者だし。無能力者は無能力者で固まった方が気が楽だろ」


 男子たちが「それな」と笑った。


 よし。これでいい。


 ……その時。


 別の男子が冗談っぽく言った。


「でもさ。お前、天使の創造主なんじゃね? 笑」


 一瞬、時間が止まった。


 俺の中だけで。


 喉が凍る。背中が冷える。耳鳴りがする。


 疑いの数が増えるほど、霧が薄くなる。


 今のは冗談だ。笑い話だ。誰も本気で言ってない。


 ……でも。


 “疑い”という概念は、冗談でも成立するのか?


 俺の霧は、冗談にも反応するのか?


 分からない。分からないのが怖い。


 俺は必死に笑って、普通のツッコミをした。


「はは、ねえよ。俺がそんなわけ」


「だよなw」


「さすがにw」


 笑いが広がる。


 俺は笑ったまま、内心で青ざめた。


(今の、カウントされたか?)


(霧、薄くなった気がする)


 妃愛が俺の顔を見て、小声で言った。


「……透、顔」


「大丈夫」


「大丈夫じゃない顔」


 妃愛は言いかけて、周囲を見た。言葉を飲み込む。賢い。


 この場で“透が何か危ない”と言えば、それ自体が疑いになる。


 妃愛は俺を無能力者だと思っている。だから疑いじゃなく心配。でも、周囲から見れば「何かある」になる。


 妃愛は選んだ。


 何も言わない。


 それが、俺にとっての最善だった。


 放課後。


 担任がもう一度、教室で言った。


「明日、“外部の聞き取り”が入る。能力関連だ。協力してくれ」


 教室がざわついた。


 俺の心臓が嫌な音を立てた。


 外部。


 綾香か? 国か? 妃愛が所属しているかもしれない治安組織か? それとも別の何かか?


 疑いが増えるほど、霧が薄くなる。


 “聞き取り”は疑いを増やす装置だ。


 俺は普通の顔で頷きながら、内心で叫んだ。


(やめろ)


(今は入学式だぞ)


(俺は普通でいたいんだ)


 背後で、一姫の声が小さく弾んだ。


「なるほどなるほど! 外部って秘密なんですね!」


 妃愛の手が、反射で一姫の口を塞ぐ。


「止まれ」


「むぐっ!」


 クラスが笑う。


 俺も笑う。


 笑いながら、胃の奥が冷えていく。


 普通の高校生活が始まった。


 そのはずなのに。


 天使が三人いる。


 外部調査が来る。


 冗談で“創造主”と言われる。


 疑いが、増えていく。


 霧が、薄くなっていく。


 俺はカバンを握りしめて、教室を出た。


 入学式の日にすら、普通でいられないなら。


 これから俺は、どうやって普通を演じればいい?


 答えは出ないまま、春の夕方の光だけが、やけに綺麗だった。

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