第十話 ログインしたら不明が固まった
放課後。
俺の人生で「放課後に予定がある」というだけで、こんなに面倒が起きるとは思わなかった。
「透、今日どこ行くの?」
妃愛が机に肘をついて聞いてくる。いつもなら「帰る」「勉強」「寝る」のどれかで終わる質問だ。
「カフェ」
「……カフェ?」
妃愛が眉を上げる。
その瞬間、後ろの席から羽音がした。天使たちの反応が速い。
「カフェ!」
一姫が反射で声を出しそうになり、妃愛に口を塞がれる。
「止まれ」
「むぐっ!」
金髪の天使が静かに言う。
「透さんは、放課後に外出の予定があるのですね」
言い方。やめて。
紺髪の天使が微笑む。
「お友達とですか?」
友達、という単語が胸に刺さる。
俺はできるだけ普通に、できるだけ軽く言った。
「……ゲームの知り合い。オフ会みたいなもん」
妃愛の目が見開かれた。
「透が、オフ会?」
「そんな驚く?」
「驚くよ。透が放課後に人と会うなんて、聞いたことない」
その言い方が地味にダメージだ。
一姫は妃愛の手の中で必死にむぐむぐしている。たぶん「彼女ですか!?」と言いたい。
妃愛が一姫を押さえたまま、俺に小声で言う。
「……相手、男?」
俺は頷いた。
「たぶん」
たぶんって言った瞬間に嫌な予感がした。俺の人生、たぶんでろくなことが起きない。
妃愛が目を細める。
「たぶんって何」
「一人称が“僕”なんだよ。ゲーム内で」
「……それだけで男って決めつけたの?」
「普通そうだろ」
「普通じゃないことが起きてるのが透の周りなんだけど」
正論で刺すな。
一姫が妃愛の手をするっと抜け出し、息を吸って――
「なるほどなるほど! 透さんに彼女――」
妃愛の手が戻って口を塞ぐ。
「止まれ」
「むぐっ!!」
俺はため息をついた。
「……お前ら、ついてくんなよ」
妃愛が即答する。
「ついてかないよ。男友達なら、邪魔しない」
「ならいい」
俺は鞄を持って立ち上がり、教室を出た。
背中に視線が刺さる。特に一姫のキラキラした視線が痛い。
俺は階段を降りながら思った。
(頼むから今日は普通で終わってくれ)
(外部聞き取りで胃が死んだ翌日だぞ)
(俺はただ、ゲームの話がしたいだけなんだ)
――その願いが叶う確率は、たぶん低い。
駅前のカフェ。
ガラス張りの店内は明るくて、放課後の学生が多い。こういう場所は嫌いじゃない。好きでもない。普通だ。
俺は奥の席を選んだ。人の視線が届きにくい角。出入口が見える席。癖だ。生存の癖。
スマホに通知が来る。
『Bokuchan:もう着いてるよ。奥?』
ゲーム内でのフレンド名は「Bokuchan」。軽い。俺は軽く返した。
『奥の角。黒制服』
数分後、ドアベルが鳴り、誰かが入ってきた。
俺は顔を上げて――固まった。
ピンク髪。
ありえないほど整った顔。
そして、見えないはずの場所にあるはずの――羽の気配。
いや、羽は畳んでいる。だが“いる”のが分かる。俺はもう天使の存在に慣れてしまった。慣れたくなかった。
相手は俺を見つけ、手を振った。
「やあ。君が“透”だね」
声は落ち着いている。少年っぽい口調。だが顔は完全に美少女だ。制服も女子のものだ。
俺の頭が真っ白になった。
(嘘だろ……)
(また天使……?)
(俺の人間関係、どこまで天使に侵食されるんだ)
相手は俺の向かいに座り、にこっと笑った。
「初めまして。僕は……」
一瞬、言葉を切ってから、堂々と言った。
「“僕”だよ」
名前を名乗れよ。
俺は反射で突っ込んだ。
「名前!」
「そうだね。リアルでは名乗った方がいいか」
相手はカップメニューを指でなぞるみたいに触りながら言った。
「僕の名前は……桃崎ルカ」
桃崎。普通に人間っぽい名字。だがピンク髪で天使は普通じゃない。
俺は喉の奥で唸った。
「……お前、女じゃん」
「僕っ子だよ」
「そうじゃなくて」
俺が言いかけると、ルカは首を傾げた。
「ゲームだと男だと思ってた?」
「思うだろ」
「ふふ。まあ、普通そうだよね」
“普通”。その単語が出ると心がざわつく。
ルカは俺の顔をじっと見て、軽い調子で言った。
「でも君も普通じゃないでしょ」
心臓が跳ねた。
俺は笑って誤魔化す。
「……何の話」
「んー。こっちの話」
こっちの話、が怖い。
俺はカフェラテを頼み、ルカも同じものを頼んだ。注文が終わって少し沈黙が落ちた瞬間、ルカが本題を切り出した。
「君にお願いがあるんだ」
やめろ。お願いという名の厄介ごとだ。
「……何」
「僕の能力、知ってる?」
「知らん」
ルカはにこっと笑った。
「“MMORPGの世界に入れる”能力」
俺は瞬きをした。
「は?」
ルカはあっさり言う。
「いわゆるVRMMOだね。現実の身体は椅子に座ったまま。意識だけがゲーム世界に“ログイン”する」
俺の脳内に、いくつかの可能性が走った。
(やばい)
(面白そう)
(やばい)
(危ない)
(でも……本筋に繋がる匂いがする)
俺は慎重に聞き返した。
「……それ、お前だけ?」
「僕の能力だから僕が起点。参加できるのは最大三人。僕を含めて」
上限三人。
その制限が妙にリアルで、逆に怖い。現実の能力は制限があるほど信用できる。
ルカは続けた。
「僕ひとりじゃクリアできないダンジョンがある。困ってる。だから、一緒に入ってほしい」
俺は頭を抱えそうになった。
(放課後に普通に遊ぶ予定が)
(放課後に異世界ログイン依頼になった)
(普通って何だよ)
だが断るにも、断り方が難しい。
ルカが天使なら、下手に断れば“創造主捜索”に繋がる可能性がある。逆に受ければ、情報を渡してしまう可能性がある。
しかもルカは“鑑定”が強いと言っていた。ゲーム内で。
ルカはさらっと言う。
「それとね。僕、特権で鑑定スキルを最大レベルで使えるんだ」
俺の胃がきゅっと縮んだ。
「……鑑定って、相手の情報を見るやつ?」
「そう。レベル、職業、スキル、状態。だいたい見える」
だいたい、が怖い。
「君のことも、見えるかもしれない」
心臓が跳ねた。
俺は笑って誤魔化しながら、頭の中で計算する。
(やばい)
(能力がバレたら死ぬ)
(でもゲーム内の鑑定なら現実の能力は見えない可能性が高い)
(見えたら? 見えたら最悪)
(最悪になったら一姫を呼ぶ? でも今日は二人で行く)
俺は決めた。
最小人数。情報漏れ最小。二人で潜る。
詰んだら、その時だけ非常口を開ける。
「……二人で行く」
ルカが目を丸くした。
「三人じゃなくて?」
「人数が増えるほど、余計な断定が入る確率が上がる」
俺は自分でも何言ってるのか分からない言い回しをしたが、ルカはなぜか納得した顔をした。
「なるほど。君、慎重なんだね」
やめろ、理解されるのが怖い。
俺は付け足す。
「どうしても無理なら、その時だけもう一人呼ぶ。……知り合いがいる」
「うん。空き枠を残しておけば途中招待できる」
途中招待できるんだ。助かる。ありがたいが、その仕様を知ってるルカが怖い。
注文したラテが来た。ルカはストローで軽くかき混ぜながら言った。
「じゃあ、行こうか。ここで」
「ここで?」
「ここでログインする。現実の身体はここ。意識だけが向こう」
カフェで異世界ログイン。絵面が終わってる。
俺が躊躇していると、ルカは笑った。
「安心して。外から見たら、ただ目を閉じて休んでるだけ。眠ってるみたいにね」
それが余計に怖い。
俺は小さく頷いた。
「……分かった」
ルカが指を軽く鳴らした。
「じゃあ、手を」
「手?」
「接続の起点。触れてる方が安定する」
俺は嫌な予感を覚えたが、今さら引くわけにもいかない。俺はテーブルの上に手を置いた。
ルカの指が、そっと俺の手に重なった。
冷たい。
その瞬間、視界が白く弾けた。
目を開けると、空があった。
青い空。雲が流れる。風が頬を撫でる。草の匂いがする。土の匂いがする。
……リアルすぎる。
「ようこそ。僕の“サーバー”へ」
隣でルカが言った。
ルカの姿はゲーム内でも変わらない。ピンク髪の僕っ子天使。羽はない。代わりに、背中にはマントみたいな装備が揺れていた。職業は何だ? 見た目だけじゃ分からない。
俺は自分の身体を見下ろした。
制服じゃない。軽装の装備。ゲーム内の俺のアバターだ。いつも通りの黒髪、いつも通りの地味な見た目。職業は“剣士”だったはずだ。
「これ……ほんとにMMOの世界か」
「そう。僕の能力で再現した“共通のログイン空間”。君がいつも遊んでるゲームをベースにしてる」
ルカはさらっと言う。
「現実に影響はない。痛みも再現はするけど、死んでもログアウトする。ペナルティはあるけどね」
怖いことを軽く言うな。
ルカは俺の顔を覗き込んで、にこっと笑った。
「じゃ、行こう。ダンジョンはこっち」
草原の先に、石造りの遺跡みたいな入口が見えた。空気が少し冷える。BGMも変わった気がする。演出が完璧すぎる。
俺は歩きながら、ルカに聞いた。
「なんで俺なんだよ。フレンドなら他にもいるだろ」
ルカは肩をすくめた。
「君が一番、変だから」
俺の足が一瞬止まった。
「……は?」
「ゲーム内でもそう。君だけ、妙にログが静かなんだ」
心臓が跳ねた。
ルカは悪びれずに言う。
「それに僕、鑑定最大だって言ったでしょ。試したかったんだ。君の情報」
やめろ。
俺は笑って誤魔化す。
「俺は普通だって」
「普通って言い切る人ほど普通じゃない」
やめろ、その返し。
ダンジョンの前でルカが足を止めた。
「入る前に、ひとつ確認」
ルカは手を翳した。
「鑑定」
光が走る。ルカの目が少しだけ光る。鑑定スキルの演出だ。
俺の頭の中に、見慣れたウィンドウが出る――はずだった。
だが、出なかった。
ルカが眉を寄せる。
「……え?」
ルカはもう一度、手を翳した。
「鑑定。最大」
光が強くなる。演出が派手になる。だが――
ルカの視線が固まった。
そして、ルカの目の前の空中に表示されたウィンドウが、妙な挙動をした。
『対象情報:読み込み中……』
読み込み中。
ぐるぐる回るアイコン。
数秒経っても、変わらない。
ルカが笑いかける。
「……はは。たまたま、ラグかな」
笑いが硬い。
俺の背中が冷えた。
(やめろ)
(ゲーム内でも“不明”が出るのか)
(現実のエラーが、こっちにも反映されてる?)
ルカが深呼吸して、もう一度言った。
「鑑定。最大。……お願いだから見せて」
お願いするな。怖い。
だが結果は同じだった。
『対象情報:読み込み中……』
固まったまま。
ルカはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「……なるほど」
ルカの声が低い。
「君、ほんとに“穴”だね」
俺の心臓が沈んだ。
相良が言った言葉と同じだ。
穴。
分類できない存在。
ルカは俺を見て、にやっと笑った。
「でも大丈夫。僕は“確定”させたいわけじゃない。……攻略したいだけ」
その言い方が、逆に怖い。
「行こう。ダンジョンは逃げない」
ルカが先に遺跡へ踏み込んだ。
俺は一歩遅れて、暗い通路へ入る。
空気が冷たい。湿気がある。石の匂い。足音が響く。
不思議だ。
いつも遊んでるゲームのはずなのに、今日は別物みたいに怖い。
ルカの鑑定が固まった。
それはつまり、俺の“不明”がここでも生きているということだ。
ゲーム世界ですら、俺は普通になれない。
通路の先で、何かが動いた。
影が増える。
敵だ。
ルカが言った。
「来るよ。最初の部屋。二人で抜ける」
俺は剣を抜いた。ゲーム内の剣は軽い。だが重い。
普通のMMOの戦いのはずなのに、今日は現実の戦いみたいに心臓が鳴る。
――この世界で、俺がもし“確定”されたらどうなる?
分からない。
分からないのが、怖い。
敵が姿を現す。
ゴブリンみたいな影が三体。弱い。普通なら問題ない。
だが俺は悟ってしまった。
今日の敵は、ゴブリンじゃない。
ルカだ。
そして、“読み込み中”の画面だ。
俺は息を吸って、普通の剣士みたいに前に出た。
無能力者のふりをして生きる男が、今度はゲーム世界で“普通のプレイヤー”のふりをする。
笑える。
笑えない。
ルカが背後で小さく呟いた。
「……君の情報が読めないの、最高だね」
その言葉が、背筋を冷たくした。
俺は剣を握り直した。
詰んだら一姫を呼ぶ。
その非常口だけを頭に置いて、俺はダンジョンの闇へ踏み込んだ。




