第十一話 推奨四人、上限三人、詰み
目が覚めた――という表現が正しいのか分からない。
だって俺はカフェの椅子に座ったままのはずで、現実の身体は動いていない。なのに、今俺は草の匂いを吸って、風を頬で感じて、足裏で地面の硬さを踏んでいる。
完全VR。
人生初。
テンションが上がらない方が嘘だ。
「うわ……やば」
俺は思わず声を漏らした。漏らしてしまった。普段なら「目立つな」「冷静に」と自分を叱るのに、ここではそのブレーキが薄い。
だってゲームだ。
生きるか死ぬかじゃない。――と、頭が言っている。心臓は別のことを言っている気がするが、今日は黙らせる。
俺はその場でジャンプした。
浮遊感。重力。着地の衝撃が膝に来る。体のバランスが崩れて、危うく転びそうになる。
「おいおい、危ないよ」
隣でルカが笑った。ピンク髪の僕っ子天使――ゲーム世界では羽がない代わりに、軽いマントと杖みたいな装備を背負っている。
「いや……これ、すげえ。普通に地面あるじゃん」
「地面があるのは当然だよ」
「そうじゃなくて!」
俺は手を開いて閉じた。指が動く。爪が見える。呼吸で胸が上下する。視界の端で草が揺れる。
これ、マジで“入ってる”。
俺が長年画面越しにやってきたMMORPGが、今は世界になってる。
俺はその場で剣を抜いて、空振りした。軽い風切り音。手首に残る反動。思わずニヤける。
「……おい、透」
ルカが肩をすくめる。
「テンション上がって説明読まない派?」
「え?」
「ダンジョン入る前に、準備とか確認とか」
俺は言い返そうとして、言い返せなかった。
図星だ。
昨日までの俺なら「慎重に」「疑いを増やすな」「余計なことをするな」と石みたいに固くなっていたのに、今は――浮かれてる。
だってVRだ。
人生初の完全VR。
文字なんて目に入るわけがない。
「……今は楽しいからいいだろ」
「うん。楽しむのはいい。死ぬのはダメ」
「死ぬって言うな」
ルカはあっさり言う。
「死ぬとログアウトする。ペナルティある。現実で椅子から落ちたりはしないけど、気分は落ちる」
ペナルティって何だよ、怖いことを軽く言うな。
俺は深呼吸して、心を落ち着かせた。ちゃんと状況を思い出す。
ルカの鑑定が、俺だけ「読み込み中」で固まった。
それが、やばい。ゲーム世界でも俺は“穴”のまま。普通になれない。
でも――今はその話を置いておく。
ルカの目的はダンジョン攻略。俺の目的は……まあ、ここで死なないことと、余計な断定を呼ばないこと。
「行こう」
ルカが遺跡の入口を指した。
暗い石の口。中は冷たい風が吹き出している。BGMが変わった気がする。ゲームだ、演出だ、と頭が言うのに、身体が勝手に緊張する。
俺は剣を握り直し、遺跡に踏み込んだ。
最初の部屋は、普通だった。
ゴブリンっぽい雑魚が数体。いつものMMOなら「はいはい、経験値」くらいの相手だ。
俺は前に出て、剣を振った。
当たった。感触がある。肉を斬る感覚というより、硬いゴムを切るみたいな抵抗。それでも、ちゃんと手応えがある。
「おお……!」
俺は思わず声を上げた。やばい。楽しすぎる。
ルカは後ろで杖を振り、淡い光の球を飛ばした。光弾が敵に当たり、ゴブリンがよろめく。
「回復は必要になったら言って。今は温存」
ルカがさらっと言う。こいつ、ゲーム慣れしてる。俺以上に冷静だ。
俺たちは雑魚を片付け、次の通路へ進んだ。罠がある。床の模様が違う。俺が避けようとしたら、ルカが言う。
「そこ、踏んでいい。ダメなのは右」
「なんで分かる」
「鑑定」
ルカが当然のように言った。
鑑定最大。敵や罠の情報が見えるらしい。便利すぎる。怖い。
俺は内心で思う。
(その鑑定が、俺だけ固まるのが問題なんだよな)
だが今は攻略優先だ。俺は右を避け、左を踏んで進んだ。罠は発動しなかった。
テンポよく進む。雑魚。罠。雑魚。通路。小部屋。宝箱。――ゲームの王道。
俺はどんどん慣れていった。視界の動かし方、足運び、剣の振り方、距離感。呼吸の仕方。攻撃のタイミング。
何より、気分が軽い。
現実の俺はいつも「疑いが増える」「霧が薄くなる」「能力がバレる」と胃がきりきりしている。なのに今は――
「これ、最高だな……」
思わず口に出た。
ルカが笑う。
「でしょ。だから僕はこの世界が好き」
ルカの声が少しだけ柔らかい。
俺はその柔らかさが怖くなって、すぐに話題を変えた。
「で、どこが詰んでるんだよ。雑魚は余裕じゃん」
「ここから」
ルカが指した先に、大きな扉があった。石の扉。中央に四つの凹み。何かをはめ込むような形。
扉の上に、光る文字。
『試練の門:同時起動スイッチ×4』
俺は目を細めた。
「……四つ?」
「うん。四つ」
ルカが淡々と頷く。
俺は笑った。
「なるほど。俺たち二人だと――」
「足りない」
ルカが同じく笑う。笑ってるのに目が笑ってない。
俺は肩をすくめた。
「まあ、そこは工夫で――」
ルカが首を振った。
「工夫じゃ無理。ここは“同時”。四つ同時に押さないと扉が開かない。数秒以内に四つを押せばいいっていう甘い仕様じゃない。完全同時」
「……は?」
俺は扉の周りを見回した。スイッチは、扉の前に四つ、少し離れて配置されている。人が立つ場所が四つ。明らかに「四人で来い」と言っている。
俺は喉の奥で唸った。
「推奨人数……」
ルカが空中に指を滑らせ、メニューを開いた。クエスト説明の欄を表示する。
『推奨人数:4人以上』
そこで俺は気づいた。
俺は説明を読んでいなかった。
最初から推奨4人と書いてあったのに、俺は人生初VRでテンションが上がりすぎて、文字が目に入っていなかった。
「……読めよ、俺」
俺は自分で自分にツッコんだ。
ルカが肩をすくめる。
「君、やっぱり説明読まない派だ」
「人生初の完全VRでテンション上がって、文字が目に入らなかったんだよ!」
言い訳がダサい。でも事実だ。
俺は扉の前で頭を抱えた。
「推奨四人……」
ルカがさらっと言う。
「でも僕の能力、最大三人」
「……いやそれ、詰みじゃん」
俺は言い切った。言い切ってしまった。
推奨四人以上。最大三人。
矛盾。
ゲームとして成立してないだろ。
ルカは困ったように笑った。
「でしょ? 僕も詰んでた。だから君を呼んだ」
「人数増やしても三人までだろ!」
「うん。だから“上手い人”が必要だと思った」
俺は額を押さえた。
「詰みじゃん……」
ルカが真面目な顔になる。
「詰みじゃない。詰み“みたい”なだけ。クリアした人がいるから」
「どうやって?」
ルカは指を立てた。
「四人分の役割を、三人で埋める」
言うのは簡単だ。
俺は扉の四つのスイッチを見て、現実に戻った。
「……同時起動、どうする」
ルカは俺を見た。
「だから、作戦を立てる」
俺は深呼吸した。
頭を切り替える。浮かれてる場合じゃない。今ここで詰んで帰ったら、現実に戻ってまた疑いに怯える日常が待ってる。
……それは嫌だ。
せっかくのVR、せっかくの逃げ場。ここくらい、勝ちたい。
「一旦ログアウトできる?」
「できる。けどペナルティが重い。今日の挑戦回数が減る」
制限時間もあるって言ってた。確か一回の潜行に一時間の上限。これ以上の無駄は痛い。
俺は決めた。
「……一人呼ぶ」
ルカが目を丸くした。
「空き枠、使うんだね」
「嫌だけどな。人数増やすと余計な断定が増える確率が上がる」
俺は苦い顔をした。
ルカは、なぜか少し楽しそうに笑った。
「君、ほんとに慎重だね」
「慎重でいないと死ぬ」
言ってから、しまったと思った。今のは現実の俺の本音に近い。ルカがその意味を理解したら、面倒になる。
だがルカは深追いしなかった。あるいは深追いする気がないだけか。
「誰を呼ぶの?」
俺は答えた。
「一姫」
「……天使?」
「そうだよ。口が軽くてうるさいやつ」
ルカが笑う。
「楽しそう」
やめろ、楽しむな。
俺は現実のスマホを思い浮かべる――この世界では、呼び出しのUIがあるらしい。ルカが空中に指を滑らせ、パーティ画面を出した。
『パーティ枠:2/3』
「ここから招待できる。君が呼ぶ?」
「俺が呼ぶと変なログが残りそうで嫌だ」
「何それ」
「気分だよ」
ルカは肩をすくめ、指を止めた。
「じゃあ僕が招待する。名前は?」
「水野一姫」
ルカが入力し、招待を送る。
数秒後。
空気が揺れた。
光が集まり、そこに人影が現れる。
「お兄さーーーん!!」
開幕から声がでかい。
水色髪の天使少女――一姫が、ゲーム世界に降り立った。羽はないが、本人のテンションは羽がある。
そして何より、足場が草だろうと石だろうと関係なく、いきなり俺に飛びつこうとした。
「お兄さん! ここどこですか!? なるほどなるほど! ゲームの世界が秘密なんですね!!」
「静かに!」
俺が叫ぶ。
ルカが笑いながら言う。
「君が“うるさいやつ”って言ってた意味、分かった」
「分かったなら止めろ!」
一姫が俺の周りをくるくる回る。
「すごいです! 風の匂いがします! 石が冷たいです! え、これ本物ですか!? お兄さん、これ夢ですか!? 夢なら秘密ですよね!?」
「秘密じゃない!」
俺は頭を抱えた。
だが、頼もしいのも事実だ。
現実でも一姫はフィジカルが常人離れしている。天使としての身体能力がある。ゲーム世界にそれがどこまで反映されるか分からないが、少なくとも“アタッカー”として期待できる。
俺は一姫の肩を掴んで、真面目な声を出した。
「一姫。今から作戦会議だ」
一姫がぴたりと止まった。
「なるほどなるほど! 作戦会議が秘密なんですね!」
「秘密じゃないけど、静かにしろ」
「はい!」
ルカが指を立てた。
「まず確認。制限時間は一時間。今、残りは……」
空中に表示されたタイマー。
『残り時間:46:12』
「……46分しかない。さっきまで雑魚狩りしてたから」
俺は舌打ちした。
「俺のテンションのせいだな」
ルカは軽く笑う。
「今さら後悔しても仕方ない。今は攻略に集中」
俺は頷いた。
「推奨四人なのに最大三人。つまり、四人目の役割を誰かが肩代わりする必要がある」
一姫が手を挙げる。
「わたし、四人目やります!」
「お前は一人だ」
「じゃあ二人分やります!」
勢いが怖い。
俺は話を進めた。
「推奨四人の理由は、たぶん二つ。ひとつは火力と回復。もうひとつはギミック処理。さっきの門、同時スイッチ四つだった」
ルカが頷く。
「このダンジョン、同時ギミックが多い。四人想定。三人だと“同時”をズラしても成立しない」
俺は考える。
「なら、四つ同時を三人でどうするか。……物理で壊せるか?」
一姫が目を輝かせる。
「壊します!!」
やめろ、即断するな。
ルカが笑いながら言った。
「試した。壊せない。扉は“試練の門”。破壊不可属性」
くそ。
俺は唸った。
「じゃあ……スイッチを同時に押すのは四つ必要。でも三人しかいない。つまり“人間じゃない手段”で四つ目を押す必要がある」
ルカが首を傾げる。
「召喚系?」
「そういうのは持ってない。俺は剣士だし」
一姫が手を挙げる。
「わたし、すごい力あります!」
「力じゃスイッチは増えない」
一姫がしゅんとする。
ルカがぽんと手を叩いた。
「……あ」
「何」
「僕。鑑定最大。罠やギミックの“条件”が見える。門のスイッチ、完全同時って言ったけど……本当に“完全同時”か、もう一度見ていい?」
俺は頷いた。
「見ろ。頼む」
ルカが手を翳した。光が走る。鑑定。空中にウィンドウが出る。
ルカの目が少しだけ細くなる。
「……条件、あった」
俺が身を乗り出す。
「何」
「“同時起動スイッチ×4”。でも、補足がある。『起動判定は“接触”で行う』」
「接触?」
ルカが指で補足文をなぞる。
「つまり、“人が立つ”じゃなくて“何かが触れていれば”起動判定になる」
俺の脳内で電球が点いた。
「……なら、四つ目は“物”で押さえればいい」
一姫が目を輝かせる。
「なるほどなるほど! 石を置けばいいんですね!」
ルカが頷いた。
「その通り。スイッチの上に重りを置けばいい」
俺は息を吐いた。
「推奨四人のギミック、物理で埋められる……!」
だが問題はもう一つある。推奨四人はギミックだけじゃない。戦闘もきつい。
「よし。門の問題は解決。次はボス戦だ」
ルカがタイマーを見る。
「残り44分。門を抜けて、ボスまで行って、倒して、帰還。ギリギリ」
一姫が胸を張った。
「わたし、がんばります!」
俺は頷いた。
「役割決める。俺がタンク。敵のヘイトを取って、位置調整して、まとめる。雑魚も俺が集める」
一姫が手を挙げる。
「わたし、殴ります!」
「アタッカーだ。火力担当。お前は強い。たぶん強い。……強いよな?」
「強いです!」
ルカが静かに言う。
「僕は回復役に徹する。回復とバフ。あと鑑定で罠とギミックを読む。四人目の“指揮役”も僕がやる」
俺は頷いた。
「頼む。俺は戦闘中に考える余裕がない」
一姫が首を傾げる。
「お兄さん、ゲーム慣れてるのに?」
「慣れてるからこそ、戦闘に集中したいんだよ」
これが一番の真実だ。慣れてるからこそ分かる。“指揮”と“タンク”と“火力”を同時にやるのは無理だ。
俺は最後に釘を刺した。
「一姫。口が軽いのはいい。でもここでは“余計なこと”を言うな」
一姫が胸を張って頷く。
「はい! 秘密は言いません!」
「秘密じゃなくても言うな」
「はい!!」
不安しかない。
作戦は決まった。
俺たちは門の前に戻り、スイッチに重りを置く準備をした。
一姫が近くの石像の欠片を見つけ、片手で持ち上げる。
「これで押さえます!」
「それ、重すぎないか?」
「重い方が安心です!」
安心の方向性が脳筋だ。
ルカが指示する。
「スイッチ四つ。三つは僕たちが踏む。四つ目は石。タイミングは合わせる。……行くよ」
俺は頷き、スイッチの前に立った。
一姫も立つ。ルカも立つ。
ルカが数える。
「3、2、1――今」
一姫が石を落とした。ドン、と鈍い音がしてスイッチが沈む。俺たちも同時に踏み込む。
扉が震えた。
光が走る。
石の門が、ゆっくり開いた。
「開いた!!」
一姫が叫ぶ。
「静かに!」
俺が叫ぶ。
でも叫びたくなる。勝った。小さな勝利。推奨四人の壁を、三人+石で越えた。
俺たちはすぐに中へ走った。時間がない。
門の先は、空気がさらに冷たかった。
雑魚の数が増える。攻撃が痛い。罠がいやらしい。四人想定が肌で分かる。
俺はタンクとして前に出た。盾はないが、剣士でもヘイトは取れる。スキル回しで敵を引きつけ、位置を調整し、まとめる。
「まとめた! 一姫、今!」
「はい!!」
一姫が飛び込む。
火力がおかしい。
普通のアタッカーの動きじゃない。拳で殴ってるのに、剣より火力が出ている。いや、ゲーム内の一姫は“格闘”系の職なのか? スキルエフェクトが派手だ。敵が吹っ飛ぶ。
「ちょ、やりすぎ……!」
俺が言いかけた瞬間、ルカが叫ぶ。
「透、左! 罠、起動する!」
俺は反射で飛び退いた。床が沈み、針が飛び出す。危なかった。
ルカが後ろで淡い光を撒く。
「回復。バフ。透、HP半分」
「分かった!」
俺は息を切らしながら前に出る。現実の運動不足が刺さる。だがゲーム内の身体は現実より軽い。助かる。
それでも、苦しい。
推奨四人を三人で埋めるのは、単純に忙しい。忙しすぎる。
一姫は火力担当のくせに、敵を倒した後すぐに振り返って言う。
「お兄さん! なるほどなるほど! 今の敵、秘密ありました!」
「言うな!」
「言いません!」
言ってる!!
俺は叫びたいのを堪えて、歯を食いしばった。
「次の部屋、急ぐ!」
ルカがタイマーを見る。
「残り26分。ボスまであと三部屋」
やばい。ギリギリどころか、ギリギリよりギリギリだ。
ボス部屋の前。
また門がある。今度はスイッチが二つ。簡単――と思ったら、補足がある。
『起動判定:同時接触+敵殲滅』
「……門開ける前に雑魚を全部倒せってことか」
ルカが頷く。
「門前の雑魚を倒しながら、同時接触を維持しないといけない。四人なら二人で接触維持、二人で殲滅。三人だと……」
俺が言う。
「俺が接触維持しながら釣る。一姫が殲滅。ルカは回復と鑑定」
一姫が拳を鳴らす。
「殴ります!」
「頼む」
俺たちは動いた。
俺がスイッチに足を置いたまま、敵を釣る。敵が俺に群がる。痛い。回復が追いつかない。ルカが必死に回復を飛ばす。
「透、無理しないで! HP赤!」
「無理しないと間に合わねえ!」
一姫が敵の群れに突っ込み、拳で薙ぎ払う。雑魚が吹っ飛ぶ。だがその勢いで、俺の方にも敵が飛んでくる。
「一姫、飛ばすな!」
「すいません!」
門が震えた。雑魚が減っていく。残り数体。
最後の一体を一姫が殴り倒した瞬間、門が開いた。
「行く!!」
俺たちはボス部屋へ飛び込んだ。
ボスはデカかった。
黒い鎧の騎士。巨大な斧。目が赤く光る。BGMが変わる。心臓が嫌な音を立てる。
ルカが叫ぶ。
「残り時間、14分!」
やめろ、口にするな、焦る!!
だが焦る。焦らない方が無理だ。
俺はタンクとして突っ込んだ。ヘイトを取る。位置を固定。壁際に誘導。味方を巻き込まないように動かす。
ボスの斧が振り下ろされる。避ける。地面が割れる。衝撃が身体に響く。
「痛っ……!」
痛い。これ、痛い。再現度が高すぎる。
ルカが回復を飛ばす。
「回復! 透、距離!」
「分かってる!」
一姫が横から突っ込む。
「お兄さん! 殴ります!!」
「殴れ!」
一姫の拳がボスにめり込む。エフェクトが派手に散る。HPバーが目に見えて減る。火力がバグだろ。
だがボスもバグだ。HPが多い。ギミックがある。突然、床に光る円が三つ出た。
「分散ギミック!」
ルカが叫ぶ。
「踏め! 三つ!」
三つなら、今は三人だ。踏める。だが――円が四つ目を出した。
「……は?」
俺の声が漏れた。
四つ目の円が、少し離れた場所に出る。
推奨四人の牙だ。
踏めない。
一姫が叫ぶ。
「なるほどなるほど! 四つ目が秘密なんですね!!」
「秘密じゃなくて死ぬやつだ!」
ルカが瞬時に叫ぶ。
「透! 一姫! 近い二つは踏んで! 僕が一つ踏む! 四つ目は――」
ルカが言いかけた瞬間、俺は咄嗟に周りを見た。
柱。
ボス部屋の角に、石の柱がある。装飾柱。倒れそうな細さ。
俺の頭に、戦略が閃いた。
「一姫!! 柱を折れ!!」
「はい!!」
即答するな、判断が早すぎる。
一姫が柱に突っ込み、拳で殴った。
柱が、折れた。
いや、折れるな。ゲームの柱が折れるのかよ。だが折れた。倒れた。石の柱が床を転がり、四つ目の円の上に滑り込む。
光の円が、反応した。
「判定、接触!!」
ルカが叫ぶ。
「起動した!!」
俺は息を吐いた。
ギミックが解除された。ボスが一瞬だけ硬直した。隙ができる。
「今だ!!」
俺が叫ぶ。
一姫がボスの胸に拳を叩き込む。
HPバーが大きく削れる。
ルカがバフを重ねる。
俺がヘイトを維持し、位置を固定する。
残り時間、7分。
ボスの動きが荒くなる。斧が連続で振られる。床が割れる。避ける場所が減る。
俺のHPが赤になる。回復が間に合わない。
「透、下がって!」
ルカが叫ぶ。
「下がったらヘイト飛ぶ!」
俺が叫び返す。
一姫が割って入る。
「わたしが受けます!!」
受けるな!
だが一姫はボスの前に立ち、斧を腕で受け止めた。
受け止めるな!
その瞬間、一姫のHPがごっそり削れた。
「一姫!!」
「大丈夫です! なるほどなるほど! 痛いのが秘密なんですね!!」
「秘密じゃねえ!」
ルカが必死に回復を飛ばす。
「回復! 回復! 一姫、HP危険!」
俺は一姫を引き戻し、再びボスを引きつけた。ヘイトを取り返す。剣を振る。斧を避ける。息が切れる。心臓が痛い。
残り時間、2分。
ボスのHP、あと少し。
だが最後のギミックが来た。
ボスが吠え、部屋の四隅に光が灯る。四つ。四つだ。
「……また四つ!」
俺が叫ぶ。
ルカが叫ぶ。
「時間ない! 透、指示!」
指示。俺が指示。無理だ。だがやるしかない。
俺は瞬時に判断した。
「柱を倒せ! 足りない分、物で埋める!!」
一姫が叫ぶ。
「殴ります!!」
殴るな、倒せ! いや同じか!
一姫が壁際の装飾を殴って破壊する。石片が飛ぶ。光の灯りに触れる。
判定が通る。たぶん通った。演出が揺れる。
俺はボスを押し込み、最後のスキルを叩き込んだ。剣が光る。エフェクトが走る。ボスのHPが――
ゼロになった。
ボスが崩れ落ち、光になって消える。
同時に、タイマーが止まった。
『クリア条件達成:制限時間内』
残り時間表示。
『00:00:38』
38秒。
ギリギリどころじゃない。ギリギリの向こう側だ。
俺はその場に座り込み、息を吐いた。
「……勝った……」
一姫が跳ねる。
「勝ちました!! なるほどなるほど! 勝利が秘密なんですね!!」
「秘密じゃない!!」
ルカが笑った。
「君たち、すごいね」
その声は素直だった。
俺は笑って、天井を見上げた。石の天井。ゲームの天井。なのに、泣きそうなくらい現実だった。
勝った。
推奨四人、上限三人。
詰みみたいな矛盾を、力技と工夫で越えた。
俺はふと、思い出す。
――ルカの鑑定が俺だけ読み込み中で固まったままだということを。
勝利の余韻が冷えた。
ルカが空中メニューを開き、報酬画面を眺める。楽しそうに――そして、ふと、俺を見た。
「透」
「……何」
「君の情報、まだ読み込み中。ずっと固まってる」
やめろ、その話を今するな。
ルカは笑った。
「でもさ。さっき一瞬だけ、進んだ」
俺の心臓が跳ねた。
「……は?」
「ほんの一瞬。バーが動いた。0%が1%になったみたいに」
ルカは楽しそうに言う。
「攻略の瞬間、君の“何か”が動いた。……面白いね」
面白くない。
俺は笑って誤魔化した。
「ラグだろ」
「うん。たぶんね」
ルカは“たぶん”と言った。その言い方が、わざとらしく聞こえた。
その瞬間、視界の端が白くなる。
ログアウトの演出だ。
身体が引っ張られる。風が消える。匂いが消える。重力が消える。
俺は最後に一姫の顔を見た。一姫は満面の笑みだった。
「お兄さん! また呼んでください! いつでも殴ります!」
「殴るな」
俺のツッコミが届いたか分からないまま、世界が反転した。
目を開けると、カフェだった。
現実のカフェラテが冷めている。身体が重い。呼吸が現実の空気に戻る。
ルカが向かいで目を開け、にこっと笑った。
「お疲れさま。クリアできたね」
一姫は――いない。招待解除で帰ってる。現実の一姫はたぶん、どこかで「なるほどなるほど!」と言っているだろう。
俺は椅子にもたれて、息を吐いた。
「……楽しかった」
素直に言ったら、ルカが目を細めた。
「でしょ」
その笑顔が、少しだけ怖い。
俺は思う。
ゲーム世界でさえ、俺は不明で固まる。
しかも攻略の瞬間だけ、1%進んだ。
それはつまり、俺の“穴”は、何かの条件で動く。
その条件をルカが追い始めたら――。
疑いが増えるほど、霧が薄くなる。
俺は勝ったのに、負けた気分だった。
カフェの窓の外で、夕方の人波が流れる。
普通の放課後。
普通の街。
普通の高校生。
俺はその普通に戻りながら、頭の中ではもう次の不安を数えていた。




