第十二話 1%の死神
家に帰って、制服を脱いで、机に鞄を置いて。
いつもならそこから「今日をやり過ごした疲れ」を抱えたままベッドに倒れ込むのが俺の放課後だ。
なのに今日は、スマホの通知が気になって仕方がなかった。
――ルカ。
“僕っ子天使”。
俺の人生初の完全VRを連れてきた張本人。
あのダンジョンをクリアした翌日から、ルカとは定期的にチャットでやり取りをしている。と言っても、内容の九割はゲームだ。
『今日ログインする?』
『新しい装備出た』
『あのボスの動き、理不尽だよね』
『君のタンク、上手い』
……普通の友達みたいな会話。
普通の友達みたいな会話が、俺にとって一番危険な時代になっている。
俺はベッドに座り、スマホを握りしめた。胸の奥がざわざわする。
頭の片隅で、ずっと同じ仮説がちらついている。
見ないふりをしても、勝手に視界に入ってくる。
虫みたいに。
――未攻略ダンジョン、残り九十九個。
――攻略するたびルカの能力が強化される。
――俺の鑑定結果「読み込み中」が、攻略の瞬間に1%になった。
ルカが言った「バーが動いた」という言葉が、ずっと喉の奥に残っている。
それは、喜びの報告じゃない。
死の進行だ。
俺はチャット画面を開いた。ルカとのトーク履歴。スタンプ。変な顔文字。妙に軽い。
その軽さが、怖い。
しばらくして、通知が来た。
『ルカ:透ー。今日ちょっといい?』
指が止まった。
“ちょっといい?”で心臓が跳ねる高校生がいるか。いる。俺だ。
俺はできるだけ普通の速度で返す。
『透:何』
すぐに返事が来た。
『ルカ:僕の能力、強化されたんだ』
来た。
俺はスマホを持つ手に力が入るのを感じた。画面がきしむほどじゃないが、指先が冷える。
『透:へー』
送った自分の返事が薄っぺらすぎて、逆に笑えた。
ルカは気にせず続ける。
『ルカ:最大ログイン人数、4人になった』
――は?
俺は瞬きをした。
最大三人だったはずだ。ルカ含めて三人。だから推奨四人のダンジョンで矛盾して、石を置いて突破して、一姫を呼んで、ギリギリでクリアして。
その結果、上限が四人になった。
つまり、“推奨四人”の矛盾が消える。
世界が整合する。
……整合するって、最悪だ。
整合すると、次は“確定”が来る。
俺の喉が乾いた。
『透:すごいじゃん』
送った。
すごくない。
死が近い。
ルカがさらに言う。
『ルカ:それとね。鑑定の読み込み、1%になってた』
画面の文字が歪んだ気がした。いや、俺の視界が歪んだだけだ。心臓が鳴りすぎて耳の奥が痛い。
1%。
あの“読み込み中”が、数字になった。
0が1になった。
これは前進だ。確実に。
俺はスマホを握りしめたまま、息を吸った。吐いた。吸った。吐いた。
落ち着け。
ここで取り乱したら疑われる。
疑われるほど効きが落ちる。
疑われるほど霧が薄くなる。
しかも相手はルカだ。鑑定最大。読めないくせに、読もうとしてくる。
俺はいつもの仮面を被った。
『透:ラグじゃね?』
冗談っぽく。
ルカはスタンプを送ってきた。笑ってるやつ。
『ルカ:ラグだったらいいのにね』
……怖い返しだ。
俺はスマホを置き、天井を見た。
脳内で線が繋がっていく。
未攻略九九。
攻略で強化。
人数上限が増えた。
読み込みが進む。
もしダンジョン攻略ごとに強化が進んで、もし読み込みが進んで、もしそれが積み重なって――
俺の“穴”が埋まる。
埋まったら、終わる。
相良が言った。“穴”だ。
ルカも言った。“穴”だ。
穴は埋められるために存在する。
埋めるのがルカなら。
攻略し続けるのがルカなら。
……俺は、俺の終わりを手伝っている。
俺の背中に冷たい汗が流れた。
スマホが震えた。
『ルカ:透、また潜ろうよ』
来た。
俺は指を止めた。
断りたい。
断りたいのに、断れない。
断ったら疑われる。疑われたら霧が薄くなる。霧が薄くなったら終わる。
俺は“無能力者”を演じて生きている。
無能力者が「異世界VRに潜るのを断る理由」は普通にある。忙しいとか、疲れたとか、受験とか。だが俺が一番言いたい理由は言えない。
――君が攻略すると俺が死ぬからやめて。
言えるわけがない。
俺はとりあえず、時間を稼ぐ。
『透:今日は無理。明日テスト範囲見る』
送った。
嘘だ。テスト範囲なんて見ない。だが“無能力者男子”としては自然な嘘だ。
……いや、嘘だ。相良がいる。嘘判定の能力者がいる世界だ。俺は嘘を重ねるほど危険だ。
だがこれは“本質的な嘘”じゃない。明日テスト範囲を見る可能性はゼロじゃない。ゼロじゃないなら嘘じゃない。俺は自分で自分を納得させた。
ルカが返す。
『ルカ:まじめだね』
俺はスタンプで誤魔化した。
そして、指先が震えているのに気づいた。
やばい。
俺は、自分で気づいてしまった。
“攻略=強化”が、希望じゃなくてカウントダウンだと。
しかも、もっと最悪なことがある。
ルカの未攻略ダンジョン九九個のうち、複数人で攻略指定されてるのは、推奨四人以上の“あの一つ”だけだった。
つまり、俺があれに付き合ったことで、
ルカは人数上限を四人に上げた。
今後、四人推奨が来ても矛盾しない。
世界が整った。
世界が整うほど、検証が進む。
――俺が無意識に、ルカの“暴露への道”を整えた。
ひどい話だ。
俺はベッドから立ち上がり、部屋をうろうろした。落ち着かない。頭を整理しないといけない。
仮説を立てる。
敵を知る。
今の敵はルカじゃない。
“仕組み”だ。
俺は机に座り、ノートを開いた。鉛筆を握る。こういう時だけ妙に勉強っぽいことをする。現実逃避だ。
だが今日は逃避じゃない。
生存戦略だ。
俺は書いた。
【仮説1】ダンジョン攻略でルカの能力が強化される
→人数上限、鑑定精度、ログイン時間、報酬など
【仮説2】俺の鑑定結果の読み込み%は、攻略数ではなく“条件達成”で進む
→攻略しただけでは進まない可能性
→ランダムで発生する条件クリアで+1%
ここで、俺は手を止めた。
“ランダム”。
ランダムは嫌いだ。
ランダムは運だ。
運は、俺の人生に味方しない。
だが完全ランダムじゃない可能性がある。
ランダムに見せかけて偏りがある。
偏りがあるなら、操作できる。
操作できるなら、生き延びられる。
俺はさらに書いた。
【仮説3】条件発生確率には偏りがある
・俺が参加しているほど発生率↑
・参加人数が多いほど発生率↑
・「断定」や「疑い」ワードが出るほど発生率↑
・鑑定が固まるほど発生率↑
――俺が参加すると危険。
人数が増えると危険。
つまり俺は、もう潜らない方がいい。
でも潜らないと疑われる。
疑われると霧が薄くなる。
詰み。
俺は鉛筆を握りしめた。
逃げ道は一つしかない。
潜るなら、進行を抑える。
条件達成を踏まない。
……それが可能か?
条件がランダムで発生するなら、避けようがない。
だが“発生する条件”に偏りがあるなら、避けられる。
例えば。
「透がトドメを刺した」なら、俺はトドメを刺さない。
「透が断定された」なら、断定を避ける。
「鑑定ログが動いた」なら、鑑定を試させない。
……つまり、ルカを遠ざける。
でもルカの能力が起点だ。
ルカがいないと潜れない。
ルカを遠ざけられない。
俺は額を押さえた。
スマホが再び震える。
『ルカ:透、ひとつ面白いこと分かった』
面白いこと、って単語が怖い。
俺は恐る恐る返した。
『透:何』
ルカが送ってきた。
『ルカ:ダンジョン攻略後に“特別実績”って出たんだよね』
特別実績。
アチーブメント。
俺の背筋が冷えた。
『ルカ:表示が“???”だった。で、数秒後に読み込みが1%になった』
……やっぱりだ。
攻略そのものじゃない。
攻略後の“条件達成”が進行のトリガー。
しかも、条件は表示されない。???。
最悪だ。
避けようがない。
いや、違う。
表示されないだけで、条件は存在する。
存在するなら、推測できる。
推測できるなら、対策できる。
俺はスマホを握り直し、慎重に打った。
『透:それ、毎回出るの?』
ルカが返す。
『ルカ:いや、初めて見た。だから条件っぽい』
俺の指が止まった。
“初めて”。
つまり、条件発生は毎回じゃない。
ランダム。
でも偏りがあるかもしれない。
俺は息を吸って、表面上は軽く返した。
『透:へー、アチーブだろ。気にすんな』
送った瞬間、自己嫌悪が来た。
気にしないわけがない。
俺の社会的死のカウントだ。
ルカはスタンプを返してきた。にこにこしてるやつ。
『ルカ:気にするよ。だって面白い』
面白い、って言うな。
面白いのはお前で、怖いのは俺だ。
俺は手の震えを抑えて打った。
『透:俺の情報、見たいの?』
送信した瞬間、心臓が跳ねた。
直球すぎる。
疑われる。
霧が薄くなる。
俺は自分を殴りたくなった。
だがルカの返事は意外だった。
『ルカ:うん。でもそれだけじゃない』
続けて、メッセージが来る。
『ルカ:僕、自分の能力の仕組みを知りたい。未攻略ダンジョンが99個ある理由も、推奨人数が変だった理由も、全部』
『ルカ:僕はただ攻略したいだけだったのに、攻略すると世界が“整っていく”んだよ』
世界が整っていく。
その表現が、俺の脳内の恐怖と一致した。
ルカも感じているのか。
世界が整うほど、確定に近づく。
俺の終わりに近づく。
俺は静かに打った。
『透:整うのはいいことじゃん』
嘘。
整うのは死だ。
ルカは返す。
『ルカ:整うって怖いよ。僕、天使だし』
……天使だし、って軽く言うな。
俺は一瞬、指が止まった。
ルカは自分が天使だと認めている。
俺はそれを見て見ぬふりをしている。
俺は“創造主”のはずなのに、創造主だと知られたら死ぬから。
ひどい関係だ。
俺は画面を見つめながら、静かに思った。
俺は、どうする?
ルカの攻略を止める?
止められない。
止めたら疑われる。
疑われたら終わる。
じゃあ攻略を続ける?
続けたら終わる。
終わる未来しかない。
なら――終わり方を選ぶしかない。
俺はノートを見た。
“条件達成で+1%”。
なら、攻略はしても条件を踏まないように動く。
進行を遅らせる。
時間を稼ぐ。
時間を稼いで、別の道を探す。
俺はスマホに打った。
『透:次潜るなら、条件っぽいのは避けよう』
ルカがすぐ返す。
『ルカ:どうやって?』
俺は打つ。
『透:分かんない。でも、俺がトドメ刺さないとか、断定ワード言わないとか、鑑定試すのやめるとか』
送信した。
ルカが少し間を置いて返す。
『ルカ:それ、攻略効率落ちない?』
俺の指が止まった。
効率。
その単語が、死神みたいに見えた。
効率よく攻略した先にあるのは、俺の死だ。
俺は表面上、軽く返す。
『透:落ちる。でも死ぬよりマシ』
送ってから気づいた。
今のは、危ない。
“死ぬよりマシ”は、冗談に見えるかもしれないが、ルカが深読みしたら終わる。
俺は慌てて追い打ちした。
『透:ゲーム内で死ぬよりって意味な』
自分で言って、自分で虚しくなった。
ルカはスタンプを返した。了解のやつ。
『ルカ:なるほど。じゃあ次は安全運転で行こう』
安全運転。
その言葉が、救いにも恐怖にも聞こえる。
安全運転で行っても、ランダム条件が発生したら進む。
避けようがない。
でも、偏りがあるなら、確率は下げられる。
俺はノートに書き足した。
【対策案】
・透は参加しない(最善/実行困難)
・参加するなら“断定・疑い”を誘発しない
・鑑定を試させない(読み込みを動かさない)
・トドメを刺さない
・人数を増やさない(4人は地獄)
・条件が発生した時の共通点をログとして集める
ログ。
俺はふと気づいた。
ルカはログを見られないが検索はできる、って話は綾香の方の設定だった。だがルカの“能力世界”にも何かしらの履歴はあるはずだ。
履歴があるなら、追跡できる。
追跡できるなら、条件の偏りが見える。
俺はスマホを見て、ルカに聞こうとした。
――その時、別の通知が来た。
グループチャット。
クラスの連絡用。
『天宮玲奈:明日の放課後、能力関連の追加確認があるかも。対象者に連絡します』
玲奈。
昨日の“二択強制”の女子。
嫌な名前が画面に出ただけで、胃が縮む。
俺はスマホを握りしめた。
現実でも疑いが迫っている。
ゲームでも1%が迫っている。
どこにも逃げ場がない。
俺は目を閉じて、深呼吸した。
落ち着け。
俺はまだ死んでない。
1%だ。
1%なら、まだ99%余裕がある――なんて言えるほど楽観的じゃないが、少なくとも今この瞬間に終わるわけじゃない。
だが、100%は確実にどこかにある。
それに向かう道を、俺は自分で舗装してしまった。
ひどい話だ。
俺はチャットに戻り、ルカに最後に一言送った。
『透:未攻略ダンジョン、全部やる気?』
ルカの返事は早かった。
『ルカ:やるよ。だって99個もあるんだよ? 面白いに決まってる』
俺の背中が冷えた。
面白い。
面白いの先にあるのは、俺の終わり。
俺はスマホを握りしめたまま、笑った。笑うしかなかった。こういう時、俺はいつも笑って誤魔化す。
『透:ほどほどにな』
送った。
ルカが返す。
『ルカ:透も一緒にね』
俺は画面を見つめて、動けなくなった。
“透も一緒に”。
それは誘いの言葉であり、呪いの言葉だった。
俺が一緒に潜れば、条件発生確率が上がるかもしれない。
人数が増えれば、断定が増えるかもしれない。
断定が増えれば、霧が薄くなる。
霧が薄くなれば、現実でも終わる。
ゲームでも終わる。
1%の死神は、もう俺の隣に座っている。
しかもそれは、笑顔の僕っ子天使の形をしている。
俺はスマホを置き、天井を見上げた。
普通の高校生の部屋。
普通の天井。
普通の夜。
でも俺の頭の中では、数字が増え続けていた。
1%。
次は2%かもしれない。
次は、いつ来る?
ランダム。
だから怖い。
そして何より――。
ランダムである限り、俺は逃げられない。
逃げられないから、戦うしかない。
俺はノートを閉じた。
明日の放課後、玲奈の追加確認。
ルカの次の誘い。
どちらも、俺の霧を薄くしようとしている。
俺はまだ無能力者のふりをしている。
無能力者のふりをして、世界を足して、天使を生んで、天使に追い詰められている。
笑える。
笑えない。
俺は布団に潜り込んだ。
眠ろうとしても、目は閉じられなかった。
頭の中で、1%のバーがずっと回っていた。




