第十三話 目的のないナビゲーター
ピンポーン。
休日の昼下がり、アパートのインターホンが鳴った。
俺は一瞬、動けなくなる。
この世界で、突然訪ねてくるやつにろくな人間はいない。
綾香みたいな“組織のトップ”がいきなり来る世界だ。外部聞き取りだって来る。天使だって増える。疑いだって増える。
だから俺は、まず覗き穴を覗く。
そこに立っていたのは――男子高校生だった。
制服。手ぶら。髪は短めで、目がまっすぐ。笑顔が明るい。
……普通、っぽい。
普通っぽいのが一番怖い。
俺はドアチェーンをかけたまま、ドアを少しだけ開けた。
「……誰」
相手はすぐに頭を下げた。
「初めまして! 真宮寺 大翔です。えっと……透さんですよね?」
苗字を言わないのは助かる。
それにしても、初対面で俺の名前を知っているのが怖い。
「……透だけど。何の用」
大翔はにこっと笑った。
「友達になりに来ました」
俺は反射でドアを閉めそうになった。
友達になりに来ました、なんてセリフがこの世にあるか? 漫画じゃあるまいし。しかも俺の家の前で言うことじゃない。
「帰れ」
俺は即答した。
「えっ、早い!」
大翔は慌てて手を振った。
「怪しくないです! いや怪しいのは分かります! でも本当に、友達になりたくて!」
言えば言うほど怪しい。
俺はチェーン越しに睨む。
「……どこで俺を知った」
大翔は一瞬言葉に詰まった。そこで嘘をつくなら帰れと言える。だが大翔の顔は、妙にまっすぐだった。
「……能力、です」
胃が冷える。
能力。
その単語が出た瞬間、俺の頭の中で“霧”が薄くなる感覚がした。疑いが増える。相手の言葉一つで、俺は勝手に怯える。
「どういう能力だ」
大翔は、ほんの少しだけ表情を曇らせた。
「……僕の能力は、“目的を達成するための手順”を教えてくれる能力です」
俺は眉を寄せた。
「手順?」
「はい。名前とか住所とか、そういう“答え”じゃなくて……『何をしたらいいか』っていう行動の順番が返ってくる感じです」
それなら、まだマシだ。
万能検索じゃない。最悪ではない。いや、最悪かどうかは分からないが、少なくとも「天使の生みの親を特定できる」みたいな世界崩壊級じゃない。
大翔は続ける。
「一日一回だけです。それに、心の底から『達成したい』って願ってないと発動しません。軽い気持ちだと出ない」
願い。
心の底から。
俺はそこで、ひとつだけ腑に落ちる。
“友達になりたい”が、心の底からの願いだったなら……。
いや、そうだとしても、俺の家まで来る理由にはならない。普通は学校で話しかける。連絡先を聞く。段階ってものがある。
俺は警戒したまま言った。
「……で、その能力で『友達になる方法』を聞いたら、俺の家に来いって出たのか」
大翔は勢いよく頷いた。
「そうです! 『放課後じゃなくて休日の昼に、駅前じゃなくて住宅街のアパートの一室に行け』って」
細かいな。
行動手順が具体的すぎる。
俺はドアチェーン越しに、じっと大翔を見た。
嘘をついている顔じゃない。――という判断自体が怖い。俺に“嘘判定”はできない。俺は人の目を見て推測するだけだ。
それでも、危険な匂いは薄い。
薄いが、ゼロじゃない。
俺はため息をついて、チェーンを外した。
「……入るな。外で話す」
「外!」
大翔がびくっとした。
「はい! 外で大丈夫です!」
大丈夫なのかよ。
俺は玄関を出て、廊下でドアを閉めた。背中に自分の部屋がある状態なら、逃げ道は確保できる。変なことがあったら鍵をかけて終わりだ。
大翔は緊張しているように見えたが、目はキラキラしていた。
「ありがとうございます!」
「……で、何がしたい」
「友達になりたいです!」
「それは聞いた」
俺は廊下の窓から外を見た。天気はいい。平和だ。平和が怖い。
「具体的に」
大翔は少し考えてから言った。
「一緒に遊びたいです。映画とか……バッティングセンターとか……ボウリングとか」
俺は思わず言った。
「中学生みたいだな」
「高校生もそういうのしますよ!」
大翔はむっとした顔をする。表情がちゃんと動く。普通っぽい。普通っぽいのが、やっぱり怖い。
俺は腕を組んだ。
「……俺、そういうの行かない」
「だから行きましょう!」
大翔は食い下がる。
「僕、そういう普通の遊び、ずっとできなかったから」
その言い方が、少しだけ刺さった。
俺も普通の遊びはできていない。理由は違うが、結果は似ている。
俺は警戒しながらも、少しだけ折れた。
「……分かった。今日だけな」
「やった!」
大翔がガッツポーズをする。眩しい。眩しすぎる。
俺は心の中で自分に言い聞かせた。
(今日一日付き合って、目的がなければ終わり)
(目的があれば、その場で切る)
(能力のことを探ってきたら切る)
(疑いが増える前に切る)
そう決めて、俺は大翔と一緒にアパートを出た。
最初は映画だった。
駅前のシネコン。ポップコーンの匂い。人の群れ。チケットの列。全部が“普通”の休日の景色だ。
俺はこういう場所に来ると、いつも周りの会話が気になってしまう。
――天使の話題が出てないか。
――能力者の話題が出てないか。
でも今日は、意外と平和だった。新作映画の話、部活の話、バイトの話。みんな普通の高校生だ。
普通って、こういうことか。
大翔は映画の予告編の時点でテンションが上がり、俺に小声で解説を始めた。
「これ、前作観ました? 伏線が――」
「静かにしろ」
「す、すいません」
素直に謝る。
こいつ、本当にただの男子高校生なのか?
映画が始まると、大翔は真剣に画面を見ていた。笑うところで笑い、息を飲むところで息を飲む。
俺も久しぶりに映画をちゃんと観た。内容はまあまあだった。泣きはしなかった。涙腺が死んでるわけじゃないが、最近は泣く余裕がない。
映画が終わると、大翔は目を輝かせて言った。
「よかった……! やっぱり最後のあそこ、最高でしたね!」
「まあな」
俺が短く返すと、大翔は嬉しそうに頷いた。
「透さん、ちゃんと観てくれた」
「当たり前だろ。金払ってんだから」
「そこが好きです」
意味が分からない。
だが、悪い気はしなかった。……悔しいが。
次はバッティングセンター。
俺は正直、こういうの嫌いじゃない。黙って体を動かせる。考えなくていい。ボールが来たら打つだけ。単純。
大翔は最初の一球を空振りして、顔を赤くした。
「うわっ、速い!」
「そりゃ速いだろ」
俺はバットを握り、軽く素振りした。体が覚えている。力を抜いて、タイミングだけ合わせる。
カァン!
気持ちいい音がした。
大翔が目を丸くする。
「え、透さん上手い!」
「普通」
俺はそう言いながら、内心で少しだけ気分が良かった。こういう“普通の上手さ”は、今の俺にとって貴重だ。能力と関係ない。疑いも関係ない。
大翔は羨ましそうに言った。
「僕も上手くなりたい」
「練習しろ」
「練習する目的、できたかも」
その言い方が、引っかかった。
目的。
能力発動の条件。
俺はバットを肩に乗せたまま、大翔を横目で見た。
「……お前、その能力のせいで普段から目的探してるのか」
大翔は少し笑った。
「うん。目的がないと、僕は何もできないから」
重いことを軽く言うな。
俺は、黙って次の球を打った。
カァン。
音が響く。
その音が、妙に現実だった。
最後はボウリング。
大翔はボールを持つだけで必死だった。俺は教えながら投げた。ガターを防ぐだけでも喜ぶ。ストライクが出たら跳ねる。
「やった!!」
大翔が両手を上げて喜ぶのを見て、俺は思ってしまった。
(こいつ、ほんとに悪いやつじゃないかもしれない)
“かもしれない”で判断するのは危険だ。だが一日一緒にいて、変な匂いはなかった。
能力の話を掘ってくるでもなく、天使の話題を出すでもなく、俺の周りの噂を探るでもなく、ただ普通に遊んでいた。
普通すぎて、逆に怖いくらいだ。
夕方。
駅前の空がオレンジに染まり、人の流れが帰宅モードになる。
俺はボウリング場を出たところで足を止めた。
「……今日は付き合った。お前の希望は叶ったのか」
大翔は少し考えて、頷いた。
「叶いました。すごく楽しかった」
「なら、もういいだろ」
俺はそう言って歩き出そうとして――止まった。
“狙いが分からない”ままだ。
分からないままにしておくのは、俺の性格的に無理だった。
俺は背中越しに言った。
「……大翔」
「はい」
「目的を教えてくれ。何か協力できることがあるかもしれない」
大翔は一瞬黙った。
夕方の風が、二人の間を抜けた。
そして大翔は、ゆっくり言った。
「目的なんかないよ。僕には……」
言葉が詰まる。
その間に、俺の胸が嫌な音を立てた。
そして、大翔は続けた。
「……しいて言えば、友達がほしかった。それだけ」
俺は眉を寄せた。
「それだけで、俺の家まで来るのか」
「来るよ」
大翔は笑った。
「僕はずっと、友達を作るのが下手だったから。能力のせいで」
大翔は指先を見つめる。
「僕の能力は、“目的を達成するための手順”をくれる。でもそれって、逆に言うと……僕は“手順がないと動けない”ってことなんだ」
俺は黙った。
こいつは軽いノリに見えて、根っこは重い。
大翔は続けた。
「僕、今日も能力を使ったんだ。『すごい人と友達になりたい』って目的で」
嫌な予感が走る。
俺は喉を押さえたくなった。
「……すごい人?」
大翔は頷く。
「男子高校生で、この周辺に住んでいて、一番すごい能力者と仲良くなれる方法。それを願った」
俺の背中に冷たい汗が流れた。
能力者。
俺。
すごい能力者。
それを誰かが“断定”したら終わる。
俺は声を低くした。
「……その“すごい能力者”が俺だって、分かったのか」
「うん」
大翔はあっさり言った。
「手順の最後が『このアパートのこの部屋のインターホンを押せ』だったから」
俺は歯を食いしばった。
今すぐこの場を離れたいのに、離れられない。ここで逃げたら疑われる。疑われたら霧が薄くなる。
俺は、できるだけ普通の声で聞いた。
「……俺の能力を知ってるのか」
大翔は首を振った。
「知らないよ。能力なんて基準でしかない」
その言葉が妙に怖い。
大翔は言う。
「僕が知りたかったのは、最強の能力を持ってる人が、それをどう使うのかってこと」
最強。
断定。
俺の霧が、薄くなる気がした。
俺は笑って誤魔化そうとしたが、口が乾いて声が出ない。
大翔は、俺の沈黙を気にせず続けた。
「能力を使えば、噂の天使少女の生みの親も、たぶん“手順”で辿れると思う。でも、する気ない」
「……なんで」
俺はやっと声を出した。
大翔は笑った。
「だって僕、探偵じゃないし。僕の目的は“友達”だから」
その言葉が、妙に純粋で、逆に怖い。
純粋な願いが、最短手順で俺に辿り着いた。
つまり俺は、“この辺りで一番すごい能力者”として検索に引っかかった。
それは断定の芽だ。
芽は育つ。
大翔が無邪気に広めたら、疑いが増える。
疑いが増えたら、霧が薄くなる。
終わる。
俺は喉の奥で唸った。
(やばい)
(こいつ自体は悪くない)
(悪くないのに危険)
(善意が凶器)
俺は慎重に言葉を選んだ。
「……大翔。お前、今日のこと、誰にも言うな」
大翔は目を丸くした。
「え?」
「俺と友達になったこと。俺の家がどこか。……それと、“すごい能力者”って検索結果が出たこと。全部」
大翔は少しだけ困った顔をした。
「どうして?」
ここが地雷だ。
理由を言えば疑われる。
疑われたら霧が薄くなる。
俺は笑って誤魔化した。
「俺、そういうの嫌いなんだよ。面倒が増える」
嘘じゃない。面倒が増えるどころじゃないが、面倒が増えるのも真実だ。
大翔はしばらく考えて――頷いた。
「分かった。言わない」
素直に頷くな。信用していいのか怖い。
大翔は続けた。
「でもさ、透さん」
「何」
「僕、今日ちょっと分かったことがある」
嫌な予感。
俺は反射で身構えた。
大翔は笑った。
「透さん、すごいのに、すごいって顔してない」
胸が痛い。
大翔は軽い調子で言う。
「だから僕、もっと友達になりたい。すごい人の使い方、見たい」
見たい、という言葉が怖い。
“見る”は観測だ。
観測が増えるほど、霧が薄くなる。
俺は笑って誤魔化した。
「俺はすごくない。普通だ」
大翔が首を傾げる。
「でも検索だと――」
「検索は当てにならない」
俺は少し強めに遮った。
大翔が目をぱちぱちさせる。
「……そっか。手順だから、理由までは分からないしね」
そうだ。理由は分からない。分からないままでいてくれ。
俺は小さく息を吐いた。
そして、その瞬間。
スマホが震えた。
ルカからの通知。
『ルカ:透、今ちょっといい?』
タイミングが悪すぎる。
俺の頭の中で、嫌な線が繋がりかけた。
大翔の能力は“手順”をくれる。
ルカの能力は“ダンジョン攻略”で強化される。
そして俺の鑑定読み込みは“条件達成”で増える。
――もし。
もし“大翔と友達になる”という出来事が、何かの条件に引っかかったら?
俺は背筋が凍った。
俺はここで初めて、“ダンジョンじゃなくても進む”可能性を本気で想像した。
大翔が俺の顔を覗き込む。
「透さん?」
俺は慌てて笑った。
「なんでもない。連絡来ただけ」
大翔は頷いた。
「じゃあ、またね。今日はありがとう!」
大翔は手を振り、駅の方へ歩いていった。
夕焼けの中で、普通の男子高校生みたいに見える。
普通の男子高校生が、俺の家まで辿り着いた。
普通じゃない。
俺はその背中を見送りながら、スマホを開いた。
ルカのチャット。
指が震える。
『ルカ:ねえ、特別実績出た』
――来た。
俺の心臓が、嫌な音を立てた。
『ルカ:今日、ダンジョン潜ってないのに』
俺は息が止まった。
ダンジョンじゃない。
なのに実績が出た。
ということは――。
俺は喉の奥から、声にならない声を漏らした。
(やめろ)
(やめてくれ)
(俺の生活全部が条件になるなら)
(もう逃げ場がない)
ルカが続けて送ってくる。
『ルカ:表示はまた“???”』
『ルカ:透、これ……君に関係ある?』
俺はスマホを握りしめたまま、夕焼けの空を見上げた。
空はきれいだった。
世界は平和だった。
でも俺の中では、何かが確実に進んでいた。
“友達”という言葉が、今は呪いに聞こえる。
俺は返信画面を開いて、何も打てずに止まった。
嘘はつけない。
本当は言えない。
沈黙は疑いを呼ぶ。
疑いは霧を薄くする。
……終わる。
俺はスマホを下ろし、ゆっくり深呼吸した。
大翔は「目的がない」と言った。
でも彼の能力は“目的を作る”。
そしてその目的が、俺に繋がった。
俺は今日、普通の遊びをしただけだ。
映画を見て、バッティングして、ボウリングして。
ただそれだけなのに――。
特別実績。
???
条件達成。
その言葉が頭の中で反響する。
1%の死神は、ゲームの中だけじゃなかった。
現実の放課後にまで、足を踏み入れてきた。




