第十四話 バグ体質の説得チャート
スマホが震えた。
画面に表示された名前は――ルカ。
俺は、その二文字を見ただけで胃が痛くなる。
ルカは悪いやつじゃない。むしろ、どこまでも無邪気だ。無邪気で、好奇心が強くて、距離感が近い。
だからこそ危険だ。
無邪気な好奇心は、刃になる。
俺は深呼吸してから通話を取った。
「……何」
『透! 今ちょっといい?』
明るい声。いつも通り。いつも通りが怖い。
「短く」
『また“???”出た』
来た。
胸の奥が冷えた。あの特別実績。???。ダンジョンに潜っていないのに出たやつ。
『昨日は潜ってないのに、出た。で、鑑定の読み込みがまた動いた気がするんだよね』
――また。
俺は目を閉じた。
ダンジョン外で進む。
それは最悪の最悪だ。生活のすべてが条件になったら、逃げ場がない。
だが今は、逃げ場を作るしかない。
「……それ、たぶんバグだ」
『バグ?』
「うん。お前の能力世界の“仕様外”を踏むと起きるエラー。昨日のもそれだろ」
口ではそう言いながら、内心は震えている。バグだと断定するな。断定は疑いを呼ぶ。疑いが増えるほど霧が薄くなる。
だから言い方を整える。
「俺の……表示エラーと似てる。鑑定で無理に触ろうとすると世界側が固まるんじゃないか」
『でも固まるだけならいいけど、バーが動くんだよ? 1%になったし』
心臓が跳ねた。
「……バーが動くのは、エラーの副作用だ。エラーを繰り返すと何か壊れる可能性がある」
『壊れるって……僕の能力が?』
「そう。お前の目的はダンジョン攻略なんだろ? 能力が不安定になったら困るだろ」
ここだ。
“俺が困る”じゃ弱い。
“お前が困る”に変える。
ルカは沈黙した。少しだけ息を吸う音が聞こえる。
『……でもさ、透。僕、知りたいんだ。君の“読み込み中”って何なのか』
やめろ。
知りたいが刃だ。
俺は平静を装う。
「知りたいなら、別の方向から調べろ。俺を鑑定しようとすると世界が壊れるなら、やらない方がいい」
『別の方向って?』
俺は答えに詰まった。
そこで、スマホがもう一度震える。別の通知。
大翔からのメッセージ。
『大翔:今、時間あります?』
……助かった。
俺は通話を切らずに、ルカに言った。
「今、別件。あとでかけ直す」
『えっ、今!』
「頼む。今は無理」
俺は強めに言ってしまった。まずい。疑われる。だがここで引きずったらもっとまずい。
ルカは不満そうに言った。
『……分かった。でも逃げないでね』
逃げたい。
逃げられない。
「逃げない」
俺はそう言って通話を切った。
切った瞬間、俺はベッドに倒れ込んだ。
「……はぁ……」
現実が苦しい。
ゲームの中の方が安全だった。――いや、今はゲームの中も安全じゃない。
俺は顔を覆った。
考えろ。
火消し。
今すぐ火消し。
ルカを止めないと、???が増える。読み込みが進む。100%が近づく。
俺はスマホを握り直し、大翔に返信した。
『透:今ならいける。何』
数秒後、返事が来る。
『大翔:来週の約束、楽しみで。えっと……相談があって』
来週の約束。
映画とか、また遊ぶとか、そういうやつ。
それが“大翔の心の底からの願い”になるなら、能力が発動する。
俺は打った。
『透:今から会える?』
『大翔:はい!』
俺はため息をついて立ち上がった。
(俺は今、友達に助けを求めてるのか?)
(いや、助けじゃない。生存だ)
友達という言葉は、便利で、危険だ。
駅前のカフェ。
またカフェだ。最近カフェ率が高い。俺は本当は家に籠もっていたいのに。
大翔は先に来ていた。手を振って、明るく笑う。
「透さん!」
「声がでかい」
「す、すいません!」
素直だ。素直すぎて怖い。
俺は席に座り、単刀直入に言った。
「お前の能力、今日使えるか」
大翔は目を丸くした。
「えっ。能力の話、していいんですか」
「小声でな」
「はい。……使えます。来週また遊びたいって、心の底から思ってるので」
願いが軽くて重い。
俺は頷いた。
「じゃあ、その願いを守るための“手順”をくれ」
大翔が首を傾げる。
「守る?」
「俺の友達が……厄介な方向に進みそうなんだ。それを止めたい」
大翔は少し考えてから、真剣な顔で言った。
「分かりました。目的は――『来週の約束を守るために、今日中に友達を説得する』でいいですか?」
俺は頷いた。
「それでいい」
大翔は目を閉じた。
瞬間、空気が少しだけ変わった気がした。能力発動の雰囲気。派手な演出はない。だが、本人の呼吸が変わる。
大翔がゆっくり目を開ける。
「……出ました」
「何が」
大翔は、まるで台本を読むみたいな口調で言った。
「手順です。順番、言葉、タイミング。かなり細かい」
俺の背中に冷たい汗が流れた。
細かい、は怖い。だが今はその細かさが必要だ。
「言え」
大翔は指を折りながら言った。
「①まず、友達に“怖がらせないテンション”で連絡する。いきなり止める話をしない」
「……ルカは好奇心で動くから、止めるって言うと逆に加速する」
「そうです。②次に、“あなたの目的にとって損”だと示す。あなた自身の都合じゃなくて」
「……うん」
「③“再現性のある軽い実験”を挟む。相手が納得しやすい形で」
「実験?」
「はい。④そのうえで、別目標に切り替える提案をする。“鑑定じゃなくて攻略”に戻す」
「……それならルカも乗りやすい」
「⑤最後に、僕が出る。“友達としてのお願い”で締める。ここが刺さるって」
大翔は言い切ってから、少し恥ずかしそうに笑った。
「……僕、締め役なんですね」
俺は思わず言った。
「締め役っていうか……お前の願いがトリガーなんだろ」
「そうです。来週遊ぶために、今日説得しないといけないって」
大翔は真面目に頷く。
俺は椅子にもたれた。
手順は分かった。
だが問題が一つある。
「実験って……何をする」
大翔は答える。
「“無能力者を鑑定しようとして、軽くフリーズする”現象を見せる、って」
俺は眉を寄せた。
「無能力者?」
「はい。相手が“透さんの特殊さ”に結びつけないようにするため。透さんじゃなくて、別の無能力者でやる」
なるほど。
確かに、“透を鑑定しようとしてバグった”だと逆に透が特別に見える。
“無能力者に無理に触るとバグる”に落とせば、透はただの巻き込み事故にできる。
……できるか?
無能力者のサンプルが必要だ。
俺は脳内で候補を探し、すぐに答えが浮かんだ。
一姫。
あいつはたぶん、無能力者だと思い込んでる俺を“無能力者扱い”してくれる。しかも口が軽い。
口が軽いのは危険だが、逆に説得の場では“勢い”になる。
俺は大翔に言った。
「分かった。協力してくれ」
「もちろんです!」
大翔はやる気満々だ。来週の約束のために。
俺はスマホを取り出し、次の連絡先を開いた。
一姫。
俺は通話をかけた。
『もしもし! お兄さんですか!? なるほどなるほど! 電話が秘密なんですね!』
「うるさい。今から大事な話」
『はい! 大事な話ですね! 秘密ですね!』
「秘密じゃない。黙って聞け」
『はい!』
俺は息を吸って、言葉を選んだ。
「一姫。お前に協力してほしい」
『もちろんです! 困ったことがあったらいつでも助けますって言いました! 今ですか!?』
「今だ」
俺は続ける。
「ルカが……俺に関係する“エラー”を追ってる」
『なるほどなるほど! お兄さんのエラーが秘密なんですね!』
「声に出すな!」
『すいません! 心の中でなるほどします!』
ほんとにできるのかそれ。
俺は大事な部分だけをぼかして言った。
「俺は“鑑定系”と相性が悪い。無理に見られると、バグみたいなことが起きる」
『相性……? なるほどなるほど! お兄さんはバグ体質なんですね!』
「だから声に出すな!」
『すいません! ……でも分かりました! つまり、無理に覗こうとするとバグる!』
「言い方!」
『あっ……はい、言い方気をつけます!』
気をつけられるのか不安しかない。
「ルカを止めたい。だから説得に協力してくれ」
『はい! どうすればいいですか!』
「ルカの前で、“無能力者に鑑定しようとするとフリーズする”みたいな現象を見せたい」
『なるほどなるほど! 無能力者……え、わたし無能力者ですか?』
「……そういうことにしとけ」
『はい! わかりました! わたしは無能力者です!』
宣言するな。
俺は頭を抱えた。
「今日の夜、通話で集まる。ルカと。お前と。俺と。あと……もう一人」
『もう一人!? 彼女ですか!?』
「違う。大翔って男」
『男友達! なるほどなるほど!』
頼むから“なるほど”を封印してくれ。
「とにかく、頼む。お前の口は軽い。余計なこと言うな」
『はい! 余計なこと言いません! ……秘密も言いません!』
「秘密って言うな」
『はい!』
不安しかないが、背に腹はかえられない。
夜。
俺は机の前に座り、スマホを見つめていた。
通話グループを作る。メンバーは俺、ルカ、一姫、大翔。
この組み合わせ、どう考えても危険だ。
危険だが、危険を減らすために危険を集めている。意味が分からない。
俺は大翔から貰った“手順”を頭の中で復唱した。
①怖がらせないテンション
②相手の目的の損
③軽い実験
④別目標へ
⑤友達のお願い
……やるしかない。
通話を開始した。
最初に入ってきたのは一姫だった。
『わああ! みんなで電話ですか!? なるほどなるほど――』
「黙れ」
『はい!』
次にルカが入る。
『やあ。……なんだこのメンツ』
「落ち着け。今日は“問題の整理”」
①怖がらせないテンション。俺は淡々と、事務的に。
『透、逃げないって言ったよね』
「逃げてない。話す」
ルカの声に、少しだけ尖りがある。
次に大翔が入ってきた。
『こんばんは! 真宮寺大翔です。えっと……ルカさん、ですよね?』
『誰』
「俺の友達。今日知り合った」
言い方が危ないが、もう言ってしまった。
ルカは少し沈黙してから言った。
『……透、友達増えるの早くない?』
やめろ、その言い方。疑いを誘う。
俺はすぐに笑って誤魔化した。
「俺も驚いてる」
①クリア。
次、②。
「ルカ。結論から言う。???を追うのは一旦やめろ」
『やだ』
即答。
速い。怖い。
俺は予定通り、相手の目的に刺す。
「やめないと、お前の能力世界が不安定になる可能性が高い」
『根拠は?』
「昨日、ダンジョン潜ってないのに???が出た。つまり“本来の強化ルート”から外れてる。外れてる現象を追い続けると、仕様が壊れる」
『壊れるって、何が』
「ログイン人数とか。ダンジョン生成とか。最悪、ログアウトが不安定になる」
一姫が口を挟みそうになり、俺が目で制した。
『透、それ……君の都合じゃなくて?』
ルカは鋭い。怖い。
俺は大翔の手順を思い出す。②は“相手の損”を示す。だから――
「お前、未攻略ダンジョン99個あるんだろ。攻略したいんだろ。能力強化したいんだろ。なら、バグ追いで世界が壊れたら損だ」
『……』
ルカが沈黙する。少し刺さった。
ここで③。
「実験する。軽い」
『実験?』
「一姫」
『はい!』
俺は一姫に指示する。
「ルカ。お前、鑑定最大だよな。なら“一姫を鑑定”してみろ」
『え? 一姫、天使じゃないの?』
一姫が言いそうになる。
『わたし無能力者です!』
やめろ!!
俺は叫びそうになるのを堪えた。だが、ここは“無能力者”設定で押し切る。実験のためだ。
ルカが戸惑いながら言う。
『……鑑定するけど。別にいいの? 一姫』
『はい! どうぞ! ……なるほどなるほど!』
「黙れ!」
ルカが鑑定を発動する。
通話越しでも、ルカの息遣いが変わったのが分かった。おそらく能力世界側で鑑定画面を開いている。
『……あれ?』
ルカの声が少しだけ低くなる。
『一姫の情報、出るけど……変な引っかかりがある』
俺の心臓が跳ねた。
引っかかり。
それは、予定通りだ。予定通りだが怖い。
『なんか、処理が一瞬止まる。……これ、昨日の“???”と似てる』
ルカがそう言った瞬間、俺は確信した。
大翔の手順、当たってる。
俺はすぐに④へ繋げる。
「な? 無理に覗く方向だとエラーが出る。だから今は別目標に変えろ。攻略に戻れ」
『でもさ……』
ルカが粘る。
『それって、逆に“面白い”ってことじゃない? エラーの先に何かがある』
やめろ、好奇心の方向が強い。
ここで⑤だ。
大翔の締め。
大翔が、静かに言った。
『ルカさん。僕、来週、透さんと遊ぶ約束してるんです』
『……それが何』
『守りたいんです。心の底から』
大翔の声が、少しだけ震えていた。能力発動条件の“本気”が滲む。
『だから、今この場で終わるようなことはしたくない。透さんが困るようなことはしたくない。……僕、友達がほしいだけなんです』
ルカが沈黙した。
沈黙が長い。
一姫が口を挟みそうになって、俺が息だけで制す。
そしてルカが、ゆっくり言った。
『……透。君、怖がってる?』
来た。
核心を突いてくる。
ここで間違えると終わる。
俺は笑って誤魔化す。怖がらせないテンションを保つ。
「怖がってない。面倒が嫌なだけ」
『嘘っぽい』
「嘘じゃない」
言い切ると嘘っぽい。俺はすぐに補足した。
「俺、面倒が嫌いなんだよ。だからバグは嫌い。お前も嫌いだろ?」
ルカが小さく笑った。
『……嫌い。バグは嫌い』
よし。
ルカは続けた。
『分かった。じゃあ“透の鑑定”は一旦やめる』
俺の背中から力が抜けた。
成功した。
『でも代わりに、別の目標を立てる。攻略は続ける。99個、やる』
……そこは止まらないか。
止まらない。止まらないのがルカだ。
でも今はいい。鑑定追いが止まっただけで、火は小さくなった。
俺は息を吐いた。
「それでいい」
一姫が耐えきれず言った。
『なるほどなるほど! 説得成功が秘密なんですね!』
「秘密じゃない!!」
ルカが笑う。
『一姫、うるさいね』
『すいません! 心の中でなるほどします!』
絶対してない。
ルカが少しだけ明るく言った。
『じゃあ次は攻略に戻る。透も来る? 人数上限、4になったし』
俺の胃がきゅっと縮んだ。
人数が増える=断定が増える可能性が上がる。
俺は即答できない。
沈黙は疑いを呼ぶ。
俺は笑って誤魔化す。
「考えとく」
『逃げるなよ』
「逃げない」
逃げたい。
逃げられない。
通話はそこで終わった。
俺はスマホを机に置き、しばらく動けなかった。
成功した。
ルカを止めた。
???追いを一旦止めた。
なのに――。
俺のスマホが、また震えた。
ルカからじゃない。
システム通知みたいな、見慣れない表示。
俺は嫌な予感を覚えながら、画面を開いた。
そこに出ていたのは、短い文だった。
『特別実績:??? 達成』
息が止まった。
……説得しただけなのに?
ダンジョンに潜ってない。
鑑定をやめろと言っただけ。
一姫を鑑定しただけ。
大翔が願っただけ。
なのに条件が成立した?
俺の指が震える。
俺はその瞬間、理解した。
“火消し”そのものが条件だった可能性がある。
あるいは――大翔の能力が絡む行為自体が条件だった可能性がある。
つまり、俺が何をしても条件に触れる。
止めても進む。
隠しても進む。
誤魔化しても進む。
俺は、笑うしかなかった。
「……ひどい話だ」
声が掠れた。
大翔からメッセージが来た。
『大翔:うまくいきましたね! 来週、楽しみです!』
来週。
楽しみ。
俺は画面を見つめたまま、返事ができなかった。
友達という言葉が、今は怖い。
でも友達がいないと、俺は戦えない。
俺は息を吸って、ようやく返信した。
『透:……ああ。約束は守る』
守りたい。
守るために、また戦うしかない。
特別実績の“???”が、画面の上で静かに点滅していた。




