第四話 犯人ならこうする
「透くん。偶然ね」
藍川綾香が俺の前に立った瞬間、駅前の喧騒が一段うるさくなった気がした。
さっきまで一姫に振り回されていたせいで、脳がまだ「天使のテンション」に引っ張られている。なのに綾香は、静かだ。静かなのに圧がある。
しかもタイミングが最悪だ。
一姫が俺の“秘密タグ”を声に出して、俺が叫んで、周囲の視線が少し集まって──それでもなんとか誤魔化した直後。疑いの芽が増えた直後。霧が薄くなっている(気がする)直後。
そこへ綾香。
疑いの数が増えるほど、隠す力が落ちる。
冗談じゃない。
「……偶然ですね」
俺は無能力者の顔を作って笑った。普通の高校生の顔。たぶん、少し引きつっている。
綾香は俺の手元のコンビニ袋をちらりと見た。
「買い物帰り?」
「はい。普通に」
「普通、好きね」
軽く言われただけなのに、背中が冷たくなる。セラも一姫も“普通”を使う。天使と魔法使いは、俺を普通の枠に押し込めるのが好きなのか。
綾香は続けた。
「さっきの子。水色の髪」
「……天使ですよ。最近増えてますし」
あえて淡々と返す。下手に慌てると疑いが増える。
「名前は?」
「……知らないです」
嘘ではない。さっき名乗られたが、俺は「覚えてない」ことにした。覚えてると関係が濃くなる。疑いが増える。
綾香は一瞬だけ目を細め、すぐに穏やかな表情に戻した。
「そう。……家に行くのは今日はやめる」
心臓が少しだけ落ち着いた。
「代わりに、少し話をしよう。ここだと目立つ」
あなたがいる時点で目立ってます、と言いたかったが飲み込んだ。代わりに、俺は「どこで」とだけ聞いた。
綾香が指差したのは駅前のチェーンカフェだった。ガラス張りで人が多い。逆に安全、というやつだ。
俺たちは人の波に紛れて店に入り、窓際でも奥でもない、微妙に落ち着かない席に座った。
俺がアイスコーヒーを頼むと、綾香はブラックのホットを頼んだ。季節感が違う。大人は強い。
注文が届くまでの数十秒、綾香は何も言わなかった。俺も黙った。沈黙が、妙に重い。
綾香が先に口を開く。
「透くん。君の“穴”の話、続ける」
「……穴」
「検索に出てこない。能力ログの索引に引っかからない。君だけ」
言い方が冷静すぎて、怖い。
俺は曖昧に笑う。
「バグじゃないですか。端末の」
「二回やった」
「……高かったんですよね」
綾香は苦笑した。
「高かった」
その一言に重みがありすぎる。魔力の請求書が見える気がした。
「だから、もう無駄撃ちはしない。方針を変える」
来た。捜査の方針。
俺は頷きながら、内心で祈った。
(頼むから、“東京全域”みたいなこと言うな)
綾香はゆっくり言った。
「範囲を広げる。東京――いや、関東圏まで。天使の発生波形に近いログを、期間を伸ばして洗う」
最悪だ。
俺の祈りは秒で破れた。
「……無理ですよ」
反射で言ってしまった。言ってから「あ、やばい」と思う。反論すると、綾香の疑いが増える可能性がある。でもここで黙ったら、綾香が“総当たり”に走る。魔力検索が増える。周囲の動きが増える。疑いの数が増える。霧が薄くなる。
詰みを回避するには、こちらから“より合理的な案”を出して、綾香をそっちに誘導するしかない。
俺は咳払いして、言葉を整えた。
「東京って、約一千四百二十七万人住んでます」
綾香が一瞬、瞬きをした。
俺は続ける。止まったら負けだ。
「一年あたり転入者が、ざっくり八万人。毎日二百人以上、外から入ってくる計算です。新しく能力が発現する人も、当然その分増える。そこを全部洗うのは……現実的じゃない」
綾香はコーヒーを一口飲んでから、静かに言った。
「……高校生の口から出る数字じゃないわね」
「受験で統計とかやるじゃないですか。あと、引っ越し手続きのパンフに書いてあった」
半分本当だ。俺はとにかく「普通の理由」を付けたかった。賢く見えると疑いが増える。疑いが増えると霧が薄くなる。
綾香は俺を見て、口角だけ少し上げた。
「続けて」
来た。話を促されると、断れない。
俺はコーヒーの氷をストローで軽く鳴らしながら、できるだけ“ただの推理ごっこ”みたいなトーンで言った。
「……新しく生まれた能力者を探すより、現状分かってる能力者の中で、“天使少女を生み出せそうなやつ”を探す方が現実的だと思います」
綾香の目が、わずかに鋭くなる。
「生み出せそう、とは?」
「生命干渉系とか、概念付与系とか……そういう、世界のルールに触れそうなタイプ」
俺はあえて抽象度を上げた。具体名を出すと危険だ。どこかに当たりを引くと、疑いが増える。
綾香は頷いた。
「……候補化はできる。だけど、どう絞る?」
ここだ。
俺は少しだけ息を吸って、言った。
「自分が創造者なら、どうするかで考えます」
綾香の眉がわずかに動く。「犯人目線」の話に、食いついた。
俺は続ける。
「捕まりたくないなら、やることはだいたい決まってる。考えられる可能性は大きく二つです」
綾香の視線が俺に固定される。疑いではなく、分析の視線。これならまだ“疑いカウント”は増えない……はずだ。
「一つ目」
俺は指を一本立てた。
「普段は田舎の山奥に住む。人が少ないところ。ログも目撃も薄いところ。で、大規模な能力発動の時だけ東京か大阪に出てくる」
綾香が小さく頷く。
「注目を都市に集めるため?」
「そうです。大都市でやれば、メディアも捜査も世論も全部そこに集中する。田舎の中心は見えなくなる」
綾香は淡々と補足した。
「発生の“見え方”を都市に寄せる。起点は別に置く。……合理的」
俺は二本目の指を立てた。
「二つ目」
ここが問題だ。二つ目を言い方ミスると設定がぶつかる。俺は“女性限定”のことを思い出し、少し言い換えた。
「自分自身を能力対象に含めて……って言うと変ですけど、要するに“自分の目”を天使の群れの中に忍び込ませる」
綾香が目を細めた。
「目?」
「分身でも、代理でも、遠隔でもいい。とにかく天使の中に、自分の意志が通る個体を混ぜる。そうすれば、捜査が近づいても中から情報が取れるし、誘導もできる」
俺はわざと軽い調子で言った。
「たぶん、これが一番安全です。だって“捜されてる側”が、“捜してる側”に混じれるんで」
綾香はしばらく黙った。カップを持ち上げ、飲み、置く。その動作がやけに丁寧で、逆に怖い。
そして、ぽつりと呟いた。
「……嫌な発想ね」
「そういうの、犯人ならやるだろって話です」
「君、自分を普通と言いながら、犯人目線の解像度が高い」
来た。疑いの芽。
俺の背中が一瞬冷える。霧が薄くなる感覚がした……気がしただけかもしれない。でも俺は自分の仕様を知っている。疑いが増えれば、確実に薄くなる。
俺はすぐに“普通の理由”で返した。
「漫画とか小説とか、そういうの読むんで。こういうの、テンプレありますし」
綾香は少しだけ笑った。
「テンプレね」
笑ったけど、目は笑っていない。頭の中で俺を分類している目だ。
「じゃあ、その二択を前提に次の一手を組む」
綾香は机の上に端末を置いた。魔法のUIが一瞬だけ見えた。几帳面な光。
「一つ目の“山奥起点”は、私のソナーで波形の薄い揺れを拾えるかもしれない。ただし、関東全域は広い。魔力が持たない」
「だから、絞るんですよ」
俺は言ってしまってから、少し後悔した。口が回りすぎると疑われる。疑われると霧が薄くなる。でも止まれない。綾香が総当たりをする方がもっと危険だ。
「天使が増えた日、発生の“直前”に小さく揺れた地域があるはずです。発生の波が、都市のニュースより先に、どこかで一瞬だけ出る」
綾香が端末を軽く叩いた。
「……理屈としては分かる。ログがあるならね」
「ログ、見れないんですよね」
「見れない。でも検索はできる」
綾香はさらっと言う。
「だから私は“天使発生ログ”に近い波形を逆引きする。ただし……君のせいで、波形の中心が欠けている可能性がある」
俺は息を止めた。
「……俺のせいって」
「検索不能の穴。そこを中心にしてるなら、ログ解析は歪む」
歪む。欠ける。穴。
俺は無能力者の顔を保ちながら、内心で胃が痛くなった。
綾香は続ける。
「二つ目の“代理潜入”は、天使の中に“異物”がいる可能性を示す。……天使は集団で動いている?」
「……俺は知らないです」
ここは本当に知らない。セラも一姫も、妙に個別に動いているだけに見える。だが、裏で繋がっていてもおかしくない。
綾香は端末をスリープさせ、俺を見た。
「透くん。君が言った二つ目。内部に潜入させる。――それを検証する手段がある」
「……あるんですか」
「天使の“秘密”を覗ける個体がいるなら、そこから逆に“潜入者の痕跡”が出る」
俺は一瞬で思い出した。
水色の髪。口癖。口が軽い爆弾。
「……さっきの天使、ですか」
「君、名前知らないんでしょ?」
綾香がにこり、と笑った。薄い笑み。試す笑み。
(やばい)
俺は即座に、逃げ道を作る。
「知らないです。でも、能力は……秘密がわかるって言ってました」
半分だけ本当を言った。こういう時は“嘘を小さく、真実を薄く”が生存戦略だ。
綾香の目が鋭くなる。
「秘密がわかる。……それは厄介ね」
俺は心の中で叫んだ。厄介なのは俺の方だよ。
「口も軽そうだった」
綾香が淡々と言った。
「……そういうの、分かるんですか」
「分かる。君、さっき叫んでた」
俺は死にたくなった。
綾香は指を一本立てた。
「透くん。ここから先は選択よ」
「……選択」
「私は“秘密がわかる天使”を探して接触できる。協力させれば、天使集団の中の異物を炙り出せるかもしれない」
綾香は指を二本立てた。
「でも、その天使が口を滑らせれば、情報が漏れる。疑いが広がる。……君が困ることになる」
綾香は俺の反応を見て、言葉を置いた。
俺の隠蔽仕様――疑う人間の数が多いほど効きが落ちる。
綾香はそれを知っているわけじゃない。だが彼女は“疑いが広がる”ことを自然に危険として扱った。
つまり綾香は、俺を疑いながらも「不用意に疑いを広げない」方向で動ける。
それは救いでもあるし、恐怖でもある。
「……俺が困るって、なんで」
俺はあえてとぼけた。
綾香は肩をすくめた。
「君が穴だから。穴は注目を集める。注目は疑いを生む。疑いは人を動かす。――それだけ」
論理の階段が綺麗すぎてムカつく。
俺は一口コーヒーを飲んだ。苦い。目が覚める。
ここで綾香に協力しすぎると、疑いが増える。でも協力しないと、綾香は総当たりに走る。総当たりは最悪だ。魔法の検索が増えれば、俺の穴が強調される。疑いが増える。霧が薄くなる。
選択肢は、実質一つしかない。
「……総当たりはやめてください」
俺は言った。
「その代わり、候補化の方針で動くなら、俺も“一般人として”できる範囲で考えます」
綾香は俺を見て、少しだけ笑った。
「一般人としてね」
「そうです。普通の高校生として」
「普通、好きね」
「好きで言ってるんじゃない」
本音が漏れた。まずい。
綾香は咎めず、淡々と頷いた。
「分かった。じゃあ、今日の結論をまとめる」
綾香は指で机を軽く叩き、整理した。
「一、東京全域の新規発現総当たりはしない。コストに見合わない」
「はい」
「二、犯人目線で二択。“山奥起点で都市に注目誘導”と、“天使集団への代理潜入”」
「はい」
「三、検証のために、天使側の情報が必要。秘密を見る天使……」
綾香はそこで言葉を切って、俺を見た。
「透くん。君はその天使に、もう会ったんでしょ?」
来た。疑いの芽が、芽吹く瞬間。
俺は心臓を落ち着かせるために、氷をストローで軽く鳴らした。余裕っぽく。普通っぽく。
「……偶然ですよ。さっき道で絡まれただけです」
「偶然が続くわね」
「最近、天使増えてるから」
綾香は目を細めた。
「……増えてる、ね」
その言い方が、セラの「出生の波が増えている」と重なった。
俺は話題を逸らすために、先に提案を投げた。
「秘密を見る天使を探すなら、天使側の“挨拶回り”を張ればいいんじゃないですか。あいつら、距離感おかしいから、すぐ接触してきます」
綾香が少し笑った。初めて“ちゃんと”笑った気がした。
「……天使の行動原理の観察、ね。悪くない」
綾香は立ち上がった。
「今日はここまで。私も魔力を溜め直す必要がある。君の言う通り、無駄撃ちはできない」
支払いは綾香が済ませた。大人は強い(財布が)。
店を出る直前、綾香が振り返って言った。
「透くん。君が提示した二択――嫌いじゃない。現実的だから」
「……褒めてるんですか」
「褒めてる。だけど」
綾香の目が細くなる。
「現実的すぎる推理は、時々“経験”に見える」
胃が沈んだ。
疑いの芽が、確かに増えた感覚がした。霧が一枚、薄くなった気がした。
俺は笑って、普通の高校生の返事をした。
「小説の読みすぎです」
「そうだといいわね」
綾香は去っていった。
俺はその背中を見送りながら、息を吐いた。
今日の会話で、俺は綾香の総当たりを止めた。少なくとも、今すぐは。
代わりに、俺は捜査の“参謀”みたいなポジションに片足を突っ込んだ。
疑いは増える。
霧は薄くなる。
なのに、止まれない。
帰り道、スマホが震えた。知らない番号じゃない。さっき登録したばかりの連絡先。
『水野一姫です! さっきはすいませんでした!
困ったことがあったらいつでも助けますから言ってください!
なるほどなるほど! …は、今日は我慢します!』
……口癖、我慢できてない。
俺は苦笑しながら画面を閉じた。
悪い子じゃない爆弾が、俺の周りに増えていく。
そして、天使の出生の波も増えている。
もし俺が創造主なら──どうする?
今日、俺は“犯人の二択”を口にした。
あれは推理のつもりだった。
でも本当は、違う。
あれは“俺自身への警告”だった。
犯人なら、こうする。
……俺は、いつまで犯人みたいに生きればいい?
答えは出ないまま、アパートの階段を上がる。
廊下の先で、セラが待っていた。
笑顔で。
「透さん。おかえりなさい。今日も普通でしたか?」
俺は笑って頷いた。
「……普通だったよ」
普通でい続けることが、こんなに怖いなんて。
その夜、遠くでサイレンが鳴った。
ニュース速報が流れた。
『都内で新たな天使少女、複数確認。発生は同時刻――』
増えている。
波が、確実に。
俺はスマホを握りしめたまま、暗い部屋で一人、息を吐いた。
次の一手を間違えたら、終わる。
疑いが増えたら、霧が剥がれる。
剥がれたら――俺の世界は、俺の手から落ちる。




