第十七話 約束の声と、殺すための魔物
「――一緒に行こう!」
耳元で、誰かが叫んだ。
いや、耳元じゃない。頭の奥。直接、骨に響くみたいな声だった。
「遊びに! 約束しただろ⁉」
俺は反射で息を止めた。
大翔。
真宮寺大翔の声だ。
間違いない。あの、少し早口で、まっすぐで、やけに真剣な声。
(……なんで)
俺は心の中で叫んだ。
(俺だって行きたい)
(行きたいに決まってるだろ)
(でも、ここからどうやって抜け出すんだ)
(地図もない、結界も二重、海も拒否した)
(帰り方が分からないんだよ)
声がもう一度、頭を叩く。
「来週って言ったじゃん! 守るって!」
胸の奥が痛い。
約束――“約束を守る”って返信したのは俺だ。
大翔はその約束を本気で信じて、心の底から願っていた。
その願いが、能力を動かす。
そしてその能力は“手順”をくれる。
手順。
順番。
道筋。
まさか――。
(大翔が、今も能力を使ってる?)
(俺を迎えに来る手順を?)
そんなはずはない。
俺の世界と、この島は繋がっていない。繋がっていたら俺はこんなところで凍えていない。
なのに、声が届いた。
俺は歯を食いしばった。
(幻聴か?)
(いや、幻聴にしては――)
その瞬間。
手首が熱くなった。
腕時計。
俺の父の残しものの、止まったはずの時計が、火を含んだみたいに熱い。
俺は目を見開いて、手首を見た。
秒針が――一回だけ、跳ねた。
カチ、と音がした気がした。
進んだ。
確かに進んだ。
そして、熱はすっと引いた。
俺の背中に冷たい汗が流れる。
(……繋がった?)
(今のは、繋がった証拠か?)
大翔の声は、遠のいた。
代わりに視界が白く滲んでいく。
膝が抜ける。
足元の土が、ぐにゃりと沈む。
「……っ」
声が出ない。
倒れる。
その直前、ユキの声が聞こえた。
「透さん――!」
そして、世界が暗転した。
「……透さん! 透さん! 聞こえますか!」
遠くから声がする。
俺は目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、銀髪の天使少女――ユキの顔。心配そうに覗き込んでいる。少し後ろに、白とピンクの髪のサクラもいた。
「あっ! 目を覚ました!」
サクラが叫ぶ。
「急に倒れたからびっくりしましたよ! どうしたんですか!?」
俺は瞬時に状況を確認する。
森。
木々の隙間から光が差している。周りには生徒が数人、距離を取ってこちらを見ている。授業中だ。俺は地面に寝かされている。誰かが俺の頭の下に布を敷いたらしい。
つまり――俺は授業中に倒れた。
転移でも何でもない。気絶だ。
……じゃあさっきの大翔の声は?
俺の喉がひゅっと狭くなる。
考えるな。今は“言い訳”だ。
疑われるな。疑いは霧を薄くする。ここで霧が薄くなると何が起きるか分からない。分からないなら避ける。
俺は起き上がろうとして、ユキに肩を押さえられた。
「無理しないで。まだふらついてます」
「……大丈夫」
俺は笑って誤魔化す。ここで大事なのは、心配を受け入れつつも“特別扱い”を減らすことだ。
俺は息を整えてから言った。
「ごめん。転入者の適応……たぶん“魔力酔い”みたいなやつだと思う」
ユキが頷く。
「魔力酔い……初めて魔石を握ったり、魔力を流そうとしたりすると起きます。昨日も透さん、少し無理しましたよね」
助かった。世界の言い訳に乗ってくれた。
サクラが真剣な顔で言う。
「透さん、昨日から寝れてなさそうでした! 転入者さんって、よく倒れます!」
よく倒れる、って軽く言うな。
俺は苦笑して言った。
「そうかも。だから座ったまま授業受ける」
ユキがすぐに首を振る。
「今日は見学でも――」
「いや、見学だと逆に気まずい。座って見てるだけなら平気」
これは半分本音だ。目立つのが一番まずい。見学で別枠扱いされたら、“特別な転入者”という印象がつく。印象がつけば観測が増える。観測が増えれば――。
サクラが元気に言う。
「じゃあサクラ、透さんの横で見張ります!」
「見張るな」
「守ります!」
守られると目立つんだよ。
だが、ここで強く拒否すると不自然だ。俺は軽く頷いた。
「……ありがとう」
生徒たちも、口々に言った。
「大丈夫か?」
「水、いる?」
「転入者って大変だな」
――“転入者”という枠が、俺を守っている。
俺はその枠にしがみつきながら、立ち上がった。
ユキとサクラが左右につく。俺は木の根元に腰を下ろし、授業を“受けるふり”をした。
だが頭の中は授業どころじゃない。
(大翔の声)
(腕時計の秒針)
(あれは幻じゃない)
(幻なら秒針が動く理由がない)
俺は手首を見た。
時計は止まっている。さっき一回だけ動いて、また止まった。
――一回だけ。
まるで“ノック”だ。
外から叩かれた。
俺の世界側から。
俺は息を吸った。
(大翔の能力が、俺の場所に近づいた?)
(でも大翔の能力は手順提示だ)
(手順で“声を届ける”なんてできるのか?)
できるとしたら、手順が導いた結果“何か別の仕組み”が起動した。例えば腕時計。父の仕掛け。あるいはこの島のシステム。
……この島のシステム。
俺は視線を前へ戻した。
授業は続いている。
ユキが先頭に立ち、生徒に指示を出している。サクラは後方で補助し、魔物が出たら即座に火球を撃つ。
魔物。
俺の疑問は、そこにもある。
昨日からずっと感じている違和感。
魔物が、危険すぎる。
ただ強いとか、凶暴とか、そういう話じゃない。
動きが合理的すぎる。
余計なものがない。
――人類を殺すことに特化している。
今日も、茂みから小型の魔物が三体出てきた。
狼に似ているが、群れの動きが違う。最初の一体が囮になって正面から飛び出す。残り二体が左右から回り込む。さらに一体は木陰に潜って、後衛を狙う。
“狩り”じゃない。
“戦術”だ。
俺は喉が乾くのを感じた。
(あれ、野生じゃない)
(野生の狼が、あそこまで人間の弱点を理解してるか?)
(回り込むのはあるとしても、後衛を狙う判断が速すぎる)
ユキが指示を飛ばす。
「前衛二人、囮を引きつけて! 後衛、左右警戒!」
生徒たちが動く。慣れている。まるで訓練された兵士だ。
狼魔物は、迷わず後衛の杖使いへ突っ込んだ。
杖使いが慌てて結界を張る。狼魔物は一瞬で引いて、別の角度から再突入する。結界の“継ぎ目”を探している。
(……嘘だろ)
(結界の継ぎ目を狙うって)
(そんなの、訓練された人間でも難しい)
俺は背筋が冷えた。
この魔物は、ただの敵じゃない。
“教材”だ。
人間が戦いを学ぶための、最適な敵。
そして最適な敵は、最適な殺し方をする。
つまり――この島の授業は、戦争の授業だ。
俺は気づいてしまった。
ここは魔法学園じゃない。
“兵士養成所”に近い。
転入者を含め、人を集め、魔物と戦わせ、魔石を集めさせる。
目的は何だ?
魔石は何に使われる?
祈りは何を補充する?
管理者は何を管理している?
俺は拳を握りしめた。
(現実にあんな魔物がいたら話題にならないわけがない)
(ニュースになる)
(SNSが騒ぐ)
(天使少女どころじゃない)
(でも俺の世界では、魔物の話なんて一度も出てない)
つまり、この島は俺の世界とは切り離されている。完全に隔離された箱庭。
――なのに大翔の声が届いた。
矛盾だ。
矛盾がある。
矛盾があるなら、穴がある。
俺は深呼吸した。
(穴を見つけろ)
(穴が出口だ)
授業が一段落すると、生徒たちは魔石の回収と休憩に入った。
ユキが俺のところへ戻ってくる。
「透さん、まだ顔色が悪いです」
「大丈夫」
俺は笑う。笑いが引きつる。
サクラが水筒を差し出した。
「飲んでください!」
「ありがとう」
水を飲む。冷たくて、現実だ。
ユキが周囲を見回し、小声で言った。
「……昨日、海へ行きましたよね」
俺の心臓が跳ねた。
「……」
「責めてるわけじゃありません。でも、無茶はしないでください。転入者が海で死ぬと、責任者が怒ります」
責任者。
神谷 翔。
俺は喉を鳴らした。
「……怒るんだ」
「はい。……この島は、転入者を大切にします」
その言い方が怖い。
大切にする、って。
家畜みたいに?
資源みたいに?
俺は平静を装って聞く。
「転入者を大切にする理由は?」
ユキは少し言い淀んだ。
「……転入者は、貴重だから」
「何が貴重なんだ」
サクラが元気に言う。
「魔力が新鮮です!」
「新鮮って何だよ」
ユキがサクラを軽く睨み、俺に言った。
「サクラ。言い方」
「えへへ……」
ユキは俺に向き直った。
「転入者は、島の外の“流れ”を持ってきます。魔力の質が違うんです。だから――」
だから、逃がさない。
俺は言葉の続きを、頭の中で補完した。
ユキは続けなかった。続けられなかったのかもしれない。
俺は手首の腕時計に触れた。
父の仕掛け。
もし父がこの島の責任者なら、俺を呼んだ理由は何だ?
会いたいから?
そんな甘い話ではない。
“管理者”とか“責任者”とか、文字禁止とか、地図規制とか、結界とか。
全部が管理の匂いだ。
そこに俺の能力が絡んでいるなら、なおさら。
俺はユキに言った。
「……俺、倒れた時に変な夢を見た」
ユキが心配そうに覗き込む。
「夢?」
「誰かの声が聞こえた。外の……友達の声」
ユキの表情が一瞬固まった。
「……外の?」
俺は頷く。
「外って言っても、この島の外じゃない。俺のいた場所の、友達」
ユキは目を伏せた。
「……それは、転入者にたまにあります」
「あるのか?」
「はい。“帰りたい声”が聞こえることが」
帰りたい声。
それはつまり、外の世界と繋がる回線が微かに残っているということだ。
俺の胸が少しだけ熱くなる。
「それ、どうやったら――」
俺が言いかけた瞬間、サクラが口を挟んだ。
「でも大体、消えます!」
希望を叩くな。
ユキが静かに言った。
「……声を追いかけようとすると、危ないです。倒れます。最悪、意識が戻らない」
意識が戻らない。
……戻らないって、どこに行く?
俺は笑って誤魔化した。
「じゃあ俺も、追いかけない」
嘘だ。
追いかける。
追いかける以外に出口がない。
ユキは安心したように頷いた。
「それがいいです。透さんはまだ“適応”が終わってない」
適応。
転入者の適応時間。
この島のシステムに馴染ませる時間。
馴染んだら、帰りたい気持ちが薄れる。外の声が消える。
――それが狙いだ。
俺は心の中で歯を食いしばった。
(馴染むな)
(馴染んだら終わる)
授業が再開した。
今度は中型の魔物が出てきた。二足歩行で、腕が長い。骨が外に出ているみたいな不気味な姿。
魔物は現れた瞬間、真っ先に――俺を見た。
俺の背中が冷えた。
偶然か?
いや、目が合った気がした。
魔物は次の瞬間、俺の方向へ走った。
「……っ!」
ユキが叫ぶ。
「透さん、下がって!」
サクラが火球を撃つ。魔物は避けた。避けるだけじゃない。火球の軌道を読んで、最小の動きで避けた。
(嘘だろ)
(避け方が合理的すぎる)
魔物は俺に一直線――かと思いきや、俺の横を抜けた。
後ろ。
俺の後ろにいたのは、転入者の女子生徒。まだ慣れていない。杖を握って固まっている。
魔物はその子を狙った。
俺の喉が鳴る。
(……試してる)
(俺の反応を)
(転入者が危険に晒された時、俺がどう動くか)
俺は気づいてしまった。
魔物は“最適な殺し”だけじゃなく、“最適な観測”もしている。
俺を見ている。
俺を試している。
俺が無能なら無能のまま、転入者が死ぬ。
俺が助ければ、“有能な転入者”として記録される。
どっちでもデータが取れる。
最悪だ。
俺は一瞬で決めた。
目立たず助ける。
昨日みたいに環境を少しだけ変える。
俺は心の中で小さなルールを追加する。
(この魔物の足元の土は、一瞬だけ崩れやすくなる)
魔物が女子生徒に飛びかかる直前、足が滑った。
ほんの一瞬、バランスが崩れる。
その隙にユキの氷槍が突き刺さった。サクラの火球が追撃した。
魔物は倒れた。
女子生徒は震えながら座り込んだ。
「た、助かった……」
生徒たちがざわつく。
「今の、ユキ先輩すごい!」
「サクラも!」
視線がユキとサクラに集まる。
俺には集まらない。
……よし。
だが、俺の胸は冷えたままだ。
今の魔物の動き。
俺を見た目。
転入者を狙う判断。
偶然じゃない。
俺は確信する。
(この森の魔物は、俺を知ってる)
(俺が転入者であることを知ってる)
(俺が“何か”である可能性を、観測してる)
――そして。
大翔の声。
外から届いた声。
腕時計の秒針が一回動いた事実。
点と点が線になる。
俺は唇を噛んだ。
(この島は閉じてるけど、完全には閉じてない)
(穴がある)
(穴があるなら、掘れる)
授業が終わり、生徒が寮へ戻る道すがら。
俺はふと、ポケットの羊皮紙に触れた。
紙が、微かに温かい。
そして、掌に違和感があった。
俺は足を止め、手のひらを見た。
薄い紋様が浮かんでいた。
昨日の紙の記号と同じ系統の、丸と線と点が絡む紋様。
……転写されている。
夢じゃない。
幻聴じゃない。
俺は確信した。
“大翔の声が届いた”瞬間に、何かが俺に刻まれた。
ユキが振り返る。
「透さん?」
俺は慌てて手を握りしめ、笑って誤魔化した。
「なんでもない。まだ少しふらつく」
ユキは心配そうに頷いた。
「今日は早く休みましょう」
サクラが元気に言う。
「透さん、寝たら治ります!」
寝たら治る。
寝たら馴染む。
寝たら外の声が消える。
俺は心の中で否定した。
(寝るけど、馴染まない)
(声を追う)
(約束を守る)
その夜。
寮の布団の中で、俺は腕時計を握りしめた。
秒針は止まっている。
だが耳を澄ますと、さっきの声の残響がまだ脳内に残っていた。
「約束しただろ⁉」
大翔の声。
俺は目を閉じ、心の中で答えた。
(守る)
(だから待ってろ)
(絶対帰る)
その瞬間、腕時計が微かに熱を持った。
秒針が、また一回だけ跳ねた。
そして――どこか遠くで、誰かが笑った気がした。
神殿の奥。
責任者の部屋。
あの札に刻まれていた名前。
神谷 翔。
父の名前。
俺は喉の奥で呻いた。
(俺は、誰に見られてる)
(父なのか)
(管理者なのか)
(それとも――この島そのものか)
答えは出ない。
だが確かなことが一つだけある。
この島は、俺のために動いている。
俺が倒れたことも。
声が届いたことも。
魔物が俺を試したことも。
全部が“条件”の匂いがする。
俺は唇を噛み、闇の中で羊皮紙の記号を指でなぞった。
そして、決めた。
次に声が届いたら、逃さない。
外への穴を、掴む。




