第二章 蟹の子 第一話 三年後
三年後。
蟹澤剛は、人を撃って金をもらっていた。
*
アフガニスタン西部。
ヘラート州南東部。
乾いた高原の午後だった。
空は白く焼け、砂礫と裸岩の斜面から熱気が上がっていた。
遠くに低い山並みがある。
木はほとんどない。
舗装路はもっと少ない。
剛は岩陰に伏せていた。
手にはM4A1カービン。
レシーバー上にはAimpoint Micro T-2が載っている。
倍率はない。
赤い点が一つ。
壊れにくい。
電池が長く持つ。
近い相手を早く拾うには、それで十分だった。
「右、動いた」
無線に声が入った。
「見えてる」
剛は答えた。
ダットサイトの向こう。
百メートルほど先。
岩の間を男が走った。
銃を持っている。
剛は撃った。
一発。
男が転んだ。
その左から別の男が出た。
剛は銃口を移した。
撃つ。
外れた。
男が岩陰へ伏せる。
「二人」
「前に三。たぶん四」
「四?」
「一人見えない」
「見たのか?」
「見てないから言ってる」
岩に弾が当たった。
破片が頬を叩く。
剛は頭を下げた。
もう一発。
今度は高い。
「撃たれてるぞ」
「知ってる」
剛は身体をずらした。
左腕を岩に置く。
黒い義手。
五本指。
人間の腕に近い形をしている。
M4A1の前部を支える。
感触はない。
岩の熱さも。
銃の重さも。
だが、支えることはできる。
それでいい。
剛は右へ移動した。
岩陰から岩陰へ。
仲間が正面から撃つ。
相手の注意がそちらへ向いた。
斜面を下る。
右から回る。
一人見えた。
剛は一発撃った。
男は岩陰へ消えた。
もう一人が走る。
剛は追った。
赤い点の向こうで背中が揺れる。
撃たなかった。
「逃げるぞ」
「放っとけ」
「追わないのか」
「仕事じゃない」
無線が一瞬黙った。
「まだいるか?」
剛は斜面を見る。
動きはない。
「分からない」
「四人目は?」
「知らん」
「お前が言ったんだろ」
「たぶんって言った」
三十秒待った。
何も起きない。
一分。
仲間が前へ出た。
倒れた男を確認する。
「三人だ」
「そうか」
「三じゃねえか!」
「結果論だ!」
剛は立ち上がった。
*
仕事は単純だった。
地方政府の車列を山間部の診療所まで通す。
積荷は水と医薬品。
その間にいる武装した連中が、荷物を奪おうとしている。
よくある話だった。
剛たちの仕事は、襲撃を排除し、医薬品を診療所まで届けることだった。
逃げた人間を追い回すことではない。
追えば時間を使う。
弾を使う。
次の待ち伏せに遭うかもしれない。
何より、余計に殺しても報酬は増えない。
車列が動き始めた。
先頭は古いトヨタ・ランドクルーザー70。
その後ろに、荷台へ水と医薬品を積んだハイラックスが二台続く。
砂埃を巻き上げながら、細い未舗装路へ戻っていった。
剛は最後尾のハイラックスへ乗った。
「四人目」
隣の男が言った。
「うるせえ」
「見えない敵が見えるようになったら一人前だな」
「見えてないから警戒するんだろ」
「で、いなかった」
「だから結果論だ」
男が笑った。
剛は左腕を曲げた。
肘の位置が少しずれている。
さっき岩へ押しつけたせいだ。
動く。
問題ない。
あとで直せばいい。
*
診療所に着いたのは午後だった。
荒野の中に、小さな集落があった。
日干し煉瓦とコンクリートの建物が数十軒。
その外れに診療所がある。
壁は白かったはずだが、砂で黄色くなっている。
屋根の端に小さな太陽光パネルが載っていた。
子供が何人かいた。
車列を見ると寄ってきた。
剛たちは荷物を降ろした。
水。
箱。
医薬品。
剛は左手で箱を持った。
右手で下を支える。
重さは分からない。
持てているかどうかは目で確認する。
「そっち」
言われた場所へ置く。
仕事は終わった。
報酬の半分はすでに受け取っている。
残りは夜。
現金。
剛はそれが好きだった。
銀行は止まる。
会社は潰れる。
契約書は燃える。
現金は、その場では現金だった。
*
夕方。
町へ戻った。
町といっても、幹線道路に沿って建物が集まっているだけだった。
小さな給油所。
食堂。
雑貨屋。
タイヤを積み上げた修理工場。
給油所には古いポンプが二基並び、その奥に横置きの燃料タンクがあった。
ランドクルーザー。
ハイラックス。
古いカローラ。
砂に色を奪われた車が、道路脇に何台か停まっている。
宿の裏で、護衛隊の主任が煙草を吸っていた。
五十代。
何ヶ国で戦ったのか、剛は知らない。
訊いたこともない。
主任が剛を見た。
「何年やってる?」
「二年」
「その前は?」
「訓練」
「どこで」
「GHSC」
主任の眉が少し動いた。
「へえ」
「何だよ」
「別に」
主任は煙を吐いた。
「腕は?」
「そのとき」
「戦闘?」
「ああ」
「何歳」
「十六」
主任は剛を見る。
少し長かった。
「俺は二年、実戦で食ってきた」
剛が言った。
何を言い返したかったのか、自分でも分からなかった。
主任は笑わなかった。
「違うな」
「何が」
「お前は二年間、死ななかった素人だ」
剛は主任を見た。
怒るほどでもなかった。
「そうかもな」
「そういう奴のほうが長生きする」
「褒めてんのか」
「知らん」
主任は煙草を地面へ落とした。
靴で消す。
「明日、南へ戻る」
「仕事?」
「俺たちはな」
「空きある?」
「ない」
「そうか」
「乗せてくくらいならできる」
「金取る?」
「考えとく」
「じゃあ歩く」
「冗談だ」
主任は宿へ戻った。
剛は一人残った。
*
部屋に戻る。
ベッドへ座る。
左腕を外した。
黒い義手を膝の上に置く。
肘の固定部を調整する。
工具を一本使った。
締める。
曲げる。
伸ばす。
問題ない。
壁にM4が立てかけてある。
剛はそれを見る。
銃にこだわりはなかった。
撃てればいい。
壊れなければいい。
弾が手に入り易ければ、もっといい。
M4はその条件を満たしていた。
Aimpointも同じだった。
壊れにくい。
電池が長く持つ。
赤い点が出る。
それでいい。
それだけだった。
剛は義手を机へ置いた。
右手で水を飲む。
ふと。
ボルトが動く音を思い出した。
三年前。
沿ドニエストルの農村。
古い農家。
猿田伸吾。
あとになって、あの銃の名前を調べた。
SAKO TRG M10。
7.62×51ミリNATO弾を使うボルトアクションライフル。
光学照準器。
サプレッサー。
猿田伸吾の銃。
忘れる理由はなかった。
剛はベッドへ横になった。
天井を見る。
明日も仕事を探さなければならない。
父親を殺した男のことを考えても、金にはならない。
三年間。
そうやって生きてきた。




