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Operation PERSIMMON  作者: lemonia
青い柿

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第一章 青い柿 第五話 青いまま

 十メートル。


 剛は右手を伸ばした。


 土を掴む。


 引く。


 身体が少し動く。


 左腕が遅れてついてくる。


 もう自分の腕ではないようだった。


 重い。


 邪魔だった。


 右手を伸ばす。


 土を掴む。


 引く。


 誠が近づく。


「親父」


 返事はない。


「親父」


 五メートル。


 剛は立とうとした。


 右膝を立てる。


 身体を起こす。


 視界が暗くなった。


 地面が傾いた。


 倒れる。


 左腕が地面に当たった。


 痛くなかった。


 それが怖かった。


 剛はまた右手を伸ばした。


 土。


 枯れた草。


 小石。


 指の爪に泥が入った。


 引く。


 進む。


「親父」


 誠の顔が見えた。


 目は開いていた。


 剛を見ていた。


「……来るな」


 声がした。


 剛は止まらなかった。


「うるせえ」


「そこで……待て」


「嫌だ」


「命令だ」


「もう聞かねえよ」


 誠の口元が少し動いた。


 笑ったように見えた。


「訓練生のくせに」


「うるせえ」


 剛は這った。


 あと二メートル。


 誠は仰向けに倒れていた。


 胸の下が血で濡れている。


 剛には、どうすればいいのか分からなかった。


 訓練では習った。


 出血。


 気道。


 呼吸。


 ショック。


 優先順位。


 何度もやった。


 試験も受けた。


 だが父親が地面に倒れている場合の手順は習っていなかった。


「圧迫……」


 剛は右手を伸ばした。


「いい」


「よくねえよ」


「剛」


「黙ってろ」


 右手を誠の胸へ当てる。


 血が手のひらに広がった。


 どこを押さえればいいのか分からない。


 一つではなかった。


「クソ……」


 もっと強く押す。


「止まれよ」


 血は止まらない。


「止まれって」


「剛」


「黙れ!」


 誠は黙った。


 剛は押し続けた。


 右手しかない。


 左手が欲しかった。


 ついさっきまであった。


 弾倉を受け取った。


 ライフルを持った。


 青い柿を受け取った。


 左手だった。


 今は動かない。


「動けよ……」


 剛は自分の左手を見た。


 指はそこにある。


 何も掴まない。


「動け!」


「剛」


「動けよ!」


「剛!」


 誠の声だった。


 弱かった。


 それでも剛は止まった。


「俺を見ろ」


 剛は父を見た。


「呼吸しろ」


「してる」


「してない」


 剛は息を吸った。


 肺が痛かった。


 もう一度吸う。


「そうだ」


「親父も」


「ああ」


「ちゃんとしろよ」


「ああ」


「救援来るから」


「ああ」


「すぐ来る」


「ああ」


「だから」


「ああ」


「……死ぬなよ」


 誠は答えなかった。


 遠くの音が大きくなっていた。


 丘陵の向こうから響いてくる。


 低い連続音。


 ローター。


 ようやく剛にも分かった。


「来た」


 誠の目が空へ向いた。


「ほら、来たぞ」


 剛は笑おうとした。


「早かっただろ」


「ああ」


「十二分って言ってたけど」


「ああ」


「猿田、間違ってた」


 誠の目が剛へ戻った。


「……あいつは」


 言葉が止まった。


「何だよ」


「……いや」


「何だよ」


「いい」


「よくねえよ」


 誠はそれ以上言わなかった。


 剛も訊かなかった。


 訊く時間はいくらでもあると思った。


 救援が来る。


 治療する。


 親父は助かる。


 それから聞けばいい。


 猿田が何をしたのか。


 PERSIMMONとは何なのか。


 牛は無事なのか。


 蜂たちはどこにいるのか。


 全部、後で聞けばいい。


 ローター音が近づいた。


 風が変わった。


 防風林の梢が騒ぎ始める。


 剛は右手で誠の胸を押さえ続けた。


「なあ」


「……何だ」


「さっきの柿」


 誠の目がわずかに動いた。


「農家の」


「……ああ」


「あれ、猿田が撃ったやつ」


「ああ」


「食えないんだろ」


「ああ」


「じゃあ何で持ってたんだよ」


 誠はしばらく答えなかった。


「捨てればよかったじゃん」


「お前が……持ってたんだろ」


「そうだけど」


 剛は自分の装備を見た。


 どこかで落としたらしい。


 青い柿はなかった。


「なくした」


「そうか」


「別に要らねえけど」


「ああ」


 誠の呼吸が浅くなった。


「親父」


「……何だ」


「熟したら食えるんだろ」


「ああ」


「甘い?」


「ああ」


「どのくらい」


「食えば……分かる」


「じゃあ今度食う」


「ああ」


「親父も食えよ」


 返事がなかった。


「親父」


 誠の目は開いていた。


「親父?」


 剛は右手に力を込めた。


「なあ」


 胸を押す。


「聞いてる?」


 反応はない。


「親父」


 剛は顔を近づけた。


「おい」


 誠の唇がわずかに動いた。


 剛は耳を寄せた。


「何?」


 息が漏れた。


 声になったのかどうか分からなかった。


「何だよ」


 もう一度。


 今度は聞こえた。


「……青いな」


 剛は父を見た。


「何が」


 誠の目が、剛の向こうを見ていた。


 防風林の隙間。


 夕暮れの空。


 その先に、もう見えない農家がある。


「柿?」


 誠の口元が少し上がった。


「……まだ」


 息を吸う。


「……青い」


 吐く。


 次の息が来なかった。


「親父?」


 剛は待った。


「親父」


 待った。


「……おい」


 右手を胸へ当てている。


 何も分からない。


 脈。


 呼吸。


 訓練。


 何をすればいい。


「親父」


 剛は胸を押した。


「親父!」


 反応はなかった。


「ふざけんなよ」


 押す。


「来てるって」


 ローター音はもう近い。


「救援、来てるから」


 押す。


「起きろよ」


 右手が滑った。


 血で濡れていた。


「親父!」


 叫んだ。


 返事はない。


 剛は右手を離した。


 また押した。


 何度押しても同じだった。


 左手を使おうとした。


 動かない。


「クソ……」


 視界が暗くなった。


 首を振る。


「まだだ」


 右手をつく。


 身体を起こす。


 世界が傾いた。


「まだ……」


 ローター音。


 風。


 防風林の枝が揺れている。


 誰かの声がした。


 遠い。


 剛には聞き取れない。


 無線からも声がする。


 英語。


 別の言葉。


 誰かが叫んでいる。


 近づいている。


「ここ……」


 声が出なかった。


 剛は右腕を上げた。


「ここだ……」


 腕が落ちた。


 視界の端に何かがあった。


 草の中。


 緑色。


 剛は目を凝らした。


 青い柿だった。


 いつ落としたのか分からない。


 土がついている。


 猿田の弾が抉った傷が、皮に黒く残っていた。


 剛は右手を伸ばした。


 届かない。


 もう少し。


 指先が触れた。


 柿が転がった。


「待て……」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。


 もう一度、手を伸ばす。


 届かなかった。


 緑色の実がぼやけた。


 その向こうに誠がいた。


 もっと向こうから、人が走ってくる。


 剛は目を開けていられなくなった。


 最後に見えたのは、父親ではなかった。


 救援でもなかった。


 土の上に転がった、傷のある青い柿だった。


 まだ、熟していなかった。


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