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Operation PERSIMMON  作者: lemonia
青い柿

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第一章 青い柿 第三話 撤収

 合流地点に車はいなかった。


 緩い丘陵を横切る古い管理道の脇に、コンクリート造りの小さな建物があった。


 旧ソ連時代の農業施設の一部らしい。


 窓はない。


 錆びた鉄扉には、かつて何かの施設名が書かれていたらしい長方形の跡だけが残っている。


 周囲には低い灌木と防風林。


 その向こうに畑が続いていた。


 その前で誠は腕時計を見た。


 十八時七分。


「遅いな」


 剛が言った。


 返事はなかった。


 猿田は管理道へ出ず、防風林の中から南側を見ている。


 SAKO TRG M10を身体の前へ持ち、道路と畑の境を順に追っていた。


 誠は無線機を操作した。


「BULLSHIT、KANIZAWA」


 雑音。


「BULLSHIT、応答しろ」


 返事はない。


 剛はザックを下ろしかけた手を止めた。


「届いてない?」


「さあな」


 猿田が言った。


 その声に焦りはなかった。


 誠はもう一度呼んだ。


「BULLSHIT、KANIZAWA」


 沈黙。


 無線機を胸へ戻す。


「五分待つ」


「了解」


 猿田は答えた。


 剛は立ったまま管理道を見た。


 牛が車を持ってくる予定だった。


 一時間ほど前には、本人が予定どおりだと言っていた。


 車も生きてる。


 そうも言っていた。


 なのに来ない。


「牛、トラブったんじゃね?」


「かもな」


 猿田が答えた。


「車、古いの?」


「お前が生まれる前から走ってる」


「マジかよ」


「嘘だ」


「……猿田さんさ」


「何だ」


「今そういうの要らねえ」


「緊張してるのか?」


「してねえよ」


「顔」


「うるせえ」


 いつものやり取りだった。


 それなのに、誠だけが笑わなかった。


 剛は父を見た。


 誠は管理道ではなく、東側の丘陵を見ていた。


 畑の向こう。


 防風林。


 さらにその先。


「隊長?」


「何だ」


「いや」


 誠は答えず、腕時計を見た。


 十八時十二分。


「移動する」


 猿田が振り返った。


「待たないのか」


「待たない」


「牛糞が来たらすれ違うぞ」


「来ない」


 短い答えだった。


 剛が訊いた。


「何で分かる?」


「分からない」


「今、来ないって」


「来ないものとして動く」


 誠は鉄扉へ近づいた。


 施錠されていない。


 G36を身体の前へ寄せ、中を確認してから二人を手招きした。


「一度入る」


 三人は建物へ入った。


         *


 中は暗かった。


 コンクリートの床に古いケーブルが散らばり、壁には取り外された配電盤の跡が残っていた。


 剥がれた塗装の下から、古い配線番号の文字が覗いている。


 誠は奥へ進まず、入口から射線の通らない場所にしゃがんだ。


 G36を膝の前へ置く。


 猿田も向かいに座った。


 剛だけが立っていた。


「座れ」


 誠が言った。


「何かあった?」


「座れ」


 剛は従った。


 M4A1を身体の前へ抱えたまま膝をつく。


 誠が無線を開いた。


「BEE、KANIZAWA」


 雑音のあと、女の声。


『BEE』


「異常は」


『なし』


「位置を変えろ」


 一拍。


『予定外です』


「分かってる。ポイント・デルタへ移動」


『理由は』


「通信不良」


 短い沈黙。


『了解』


「移動後は受信のみ。こちらから呼ぶまで送信するな」


『了解』


 通信が切れた。


 誠は続けた。


「CHESTNUT、KANIZAWA」


 返事はすぐに来た。


『聞こえてる』


「現在位置から離れろ」


『何かあった?』


「まだ分からない。予定していた合流は中止。ポイント・ブラボーへ」


『了解』


「受信のみ」


『了解』


 今度は栗も冗談を言わなかった。


「MORTAR、KANIZAWA」


 返事がない。


 誠の顔が変わった。


「MORTAR」


『……聞こえてる』


 剛は息を吐いた。


「現在位置を離れろ。ポイント・エコー」


『了解』


「途中で誰とも合流するな」


 数秒。


『了解』


「受信のみ」


『了解』


 通信が切れた。


 誠は無線機を下ろした。


 剛が訊いた。


「何なんだよ」


「分からん」


「みんな動かしてるじゃん」


「だからだ」


「意味分かんねえよ」


「分からなくていい」


「またそれかよ」


「剛」


 誠が剛を見た。


 さっきまでとは違った。


 父親の目ではなかった。


「今から俺の言うことだけ聞け」


 剛は黙った。


「返事」


「……了解」


「よし」


 誠は猿田を見た。


「どう思う」


 猿田は少し考えた。


「牛だけなら故障か、無線だな」


「ああ」


「全員の配置自体は予定どおりだ」


「ああ」


「だったら、まだ偶然の範囲だ」


「そうだな」


 誠はそう言った。


 だが、その声は偶然だと思っていなかった。


 剛にも分かった。


         *


 十八時二十一分。


 誠の無線機が短く鳴った。


 通常の呼び出し音ではなかった。


 誠が表示を見る。


 猿田も横から見た。


「誰だ?」


 剛が訊いた。


 誠は答えなかった。


 画面を数秒見たあと、胸ポケットへ手を入れた。


 集落で男から受け取った黒い記録媒体を取り出す。


 猿田が言った。


「開けるのか」


「ああ」


「ここで?」


「ここだからだ」


 誠はザックから小型の端末を出した。


 剛が見たことのないものではない。


 GHSCが現場で使う堅牢型のコンピューターだった。


 ただし誠が通信機能を切り、接続されていたケーブルまで外したのを見て、剛は口を閉じた。


 記録媒体を接続する。


 画面に文字が流れた。


 剛の位置からは読めない。


 誠がスクロールする。


 止まる。


 もう一度動かす。


 猿田は画面を見ていた。


「……本物か」


「ああ」


「確定?」


「まだだ」


「これだけ揃っても?」


「まだ足りない」


 猿田が息を吐いた。


「隊長」


「何だ」


「どこまで待つ気だ」


「最後まで」


「最後っていつだよ」


「誰にもひっくり返せなくなったときだ」


 猿田は黙った。


 剛には何の話か分からない。


 ただ、二人がさっきの青い柿の話をしているような気がした。


「三つ目なんだろ」


 猿田が言った。


「ああ」


「三つあれば十分だ」


「十分じゃない」


「人間は証拠だけで動かない」


「だから証拠を増やす」


「増やしてる間に潰されたら?」


「そのために準備してる」


「待ってる間に取られたら?」


 誠が顔を上げた。


 猿田と目が合った。


 剛は二人を交互に見た。


 猿田が先に笑った。


「……昼間と同じだな」


「そうだな」


 誠も少し笑った。


 だが、剛にはその笑いがよく分からなかった。


 誠は端末から記録媒体を抜いた。


 胸ポケットへ戻す。


「移動する」


「どこへ?」


 剛が訊いた。


「南」


「農家?」


「その手前まで」


「牛は?」


「後で探す」


「後でって」


「剛」


「……了解」


 三人は立ち上がった。


         *


 外へ出るころには、太陽は西側の丘陵へ近づいていた。


 空はまだ明るい。


 浅い谷筋と防風林の内側だけが、先に暗くなり始めている。


 来た道は使わなかった。


 誠は南西へ下るルートを選んだ。


 畑の縁を避け、防風林の内側を抜ける。


 猿田が先頭へ出ようとした。


「俺が前に出る」


 誠が言った。


 猿田が止まった。


「何で」


「俺が決めた」


「隊長」


「剛を真ん中に」


 猿田は数秒、誠を見た。


「了解」


 剛はそのやり取りを聞いていた。


 何かがおかしい。


 ようやく、はっきりそう思った。


 猿田が最後尾についた。


 誠。


 剛。


 猿田。


 三人は緩い斜面を下った。


 十五分ほど歩いた。


 無線は沈黙している。


 蜂も。


 栗も。


 臼も。


 牛糞も。


 誠が受信だけにしろと言ったのだから当然だった。


 それでも剛には、その静けさが気持ち悪かった。


 背後を見る。


 猿田がいる。


「前見ろ」


 猿田が言った。


「見てる」


「後ろ見てただろ」


「確認だよ」


「俺がいる」


「だから見た」


「信用ねえな」


「猿田さんの普段の行いだろ」


 猿田が笑った。


「言うようになったな」


 剛は前を向いた。


 誠が拳を上げた。


 二人とも止まる。


 誠はしゃがみ、地面を見た。


 足跡。


 新しい。


 剛にも分かった。


 一人や二人ではない。


 誠が指で土に触れた。


「一時間以内」


 猿田が後ろから近づいた。


「人数は」


「六以上」


「俺たちじゃない」


「ああ」


「現地の連中か」


「かもしれない」


 誠は足跡の向きを見た。


 北東から南西。


 三人が戻ろうとしている方向を横切っている。


「迂回する」


 猿田が言った。


「そうしよう」


 誠が立ち上がる。


 その瞬間だった。


 遠くで爆発音がした。


 低い音。


 一度。


 北側の丘陵の向こうだった。


 剛が振り返った。


「何だ?」


 猿田が方角を見る。


「北」


 誠はすぐ無線を開いた。


「BULLSHIT、KANIZAWA」


 返事はない。


「BULLSHIT」


 沈黙。


 誠の親指が送信ボタンから離れた。


「隊長」


 猿田が言った。


「分かってる」


 誠は別のチャンネルを開いた。


「全局、KANIZAWA。緊急コード・ツー。予定行動中止。各自指定ポイントへ移動。応答不要」


 剛が誠を見る。


「緊急?」


「行くぞ」


「何が起きてる」


「歩け」


「今の、牛のとこじゃないのか」


「歩け!」


 初めて誠が声を荒らげた。


 剛の身体が先に動いた。


 三人は斜面を下り始めた。


 速い。


 もう音を殺していない。


 枝を踏む。


 草を掻き分ける。


 剛は誠についていった。


 M4A1が身体の前で揺れる。


 誠が詰めてくれたスリングが、それ以上暴れるのを止めていた。


 後ろから猿田が来る。


 数分後、誠が突然止まった。


 剛はぶつかりそうになった。


「何だよ」


 誠は無線機を見ていた。


 何も鳴っていない。


 それなのに画面を見ている。


 猿田が追いついた。


「どうした」


 誠は答えなかった。


「隊長」


「猿田」


「何だ」


 誠はゆっくり顔を上げた。


「今日の配置を組んだのは誰だ」


 剛は二人を見た。


 猿田の表情は変わらなかった。


「俺だよ」


「蜂を東へ置いたのも」


「ああ」


「栗を北へ」


「ああ」


「臼を西へ」


「ああ」


「牛に車を任せたのも」


「ああ」


 誠は黙った。


 風が防風林の葉を揺らした。


 剛は意味が分からなかった。


 ただ、背中に冷たいものが走った。


 猿田が言った。


「それがどうした」


 誠は猿田を見ていた。


 長い付き合いの相手を見る目だった。


 疑っている目には見えなかった。


 むしろ、何かを確かめたくない人間の目に見えた。


「……お前か」


 猿田は答えなかった。


 その沈黙で、剛にも分かった。


 誠の右手が動いた。


 G36ではない。


 胸元の無線機だった。


 猿田の声が変わった。


「隊長」


 誠は緊急送信キーを押した。


 甲高い電子音が鳴った。


 位置情報と救難信号が送信される。


 猿田が腕時計を見た。


 初めて、その顔から余裕が消えた。


「……何してんだよ」


 誠は送信機から手を離した。


「保険だ」


「切れ」


「もう飛んだ」


「切れ!」


 猿田が叫んだ。


 剛は猿田が怒鳴るところを、それまでほとんど見たことがなかった。


 誠は静かだった。


「QRFが拾う」


 猿田がもう一度腕時計を見た。


 北側の丘陵。


 その向こうの空は赤くなり始めていた。


「何分だ」


 誠が訊いた。


 猿田は答えなかった。


「お前なら知ってるだろ」


「……十二」


 誠が小さく笑った。


「十分だな」


「隊長」


「昔からお前は二分甘い」


 猿田は何も言わなかった。


 剛は二人の間に立っていた。


 まだ、何が起きているのか全部は理解できていなかった。


 それでも一つだけ分かった。


 猿田の右手が、ゆっくりとTRG M10へ伸びていた。


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