第六章 LEFTOVER 第八話 猿
足音が廊下へ入ってきた。
先に蜂。
右肩にSTEYR SSG 08。左肩にはM4を吊っている。
その後ろから牛が来た。
負傷した男に肩を貸している。
南で捕まえた猿田直属の男だった。
牛はMP5を身体の前へ提げていた。
蜂が部屋へ入った。
牛に支えられ、男も片脚を引きずって敷居を越えた。
「適当にそこらに座っとれ。余計なことをせん限り、敵としては扱わん」
男は牛の顔を見た。
それから、手当てされた脚へ目を落とした。
黙って壁際に座った。
牛は床に横たわる米丸を見た。
何も言わなかった。
剛も言わない。
牛は数秒だけ見て、それから視線を外した。
「KAKI-3は」
「聞いた」
「場所も?」
「ああ」
「ほうか」
それだけだった。
蜂が米丸を見る。
次に剛。
「猿田は?」
「奥」
栗が答えた。
「作業棟の裏口から、こっちの脇口まで血が続いてた。お前らが来る前に見てきた」
栗は廊下の奥を見た。
「そこから、まだ先へ続いてる」
臼が廊下を見た。
右腰にはGlock 17。
MINIMIはない。
剛がそれに気づいた。
「銃は」
「置いてきた」
「壊れた?」
「弾がない」
牛が臼を見た。
MP5を見る。
また臼を見た。
「臼」
「何だ」
「これ使え」
MP5を差し出した。
臼が受け取る。
もともと大きくはない黒い短機関銃が、臼の手の内ではさらに小さく見えた。
弾倉を確認する。
ボルト。
セレクター。
臼が牛を見た。
「お前はどうする」
「わしはこれでええ」
牛が腰へ手をやった。
抜いた。
初期型のCZ75。
キャンプでの調達時に、大枚をはたいたものだ。
所有しているものを観賞用にして、実用するためと言っていた。
「せっかくの機会じゃけぇ、ちぃとぐらい撃ってみんとな」
牛の鼻の孔が、ぷくっと膨れた。
臼は何も言わなかった。
栗が一度だけ頷いた。
蜂は呆れた顔をした。
「何じゃ」
「別に」
「まだ何も言うとらんぞ」
「顔に出てる」
牛はCZ75を見た。
「何が」
「嬉しそう」
「仕事じゃ」
「そう」
蜂は右肩からSTEYR SSG 08を外した。
三年間使ってきた一丁だった。
黒いストックへ一度手を滑らせる。
牛の脇へ置いた。
「これお願いね」
牛がSSG 08を見る。
「ええんか」
「ここから先じゃ邪魔になる」
蜂はストックへもう一度触れた。
「ちゃんと見てて」
「分かった」
蜂は左肩に吊っていたM4のスリングを若干詰め、右肩に吊り直した。
剛が廊下へ出た。
「牛」
「何じゃ」
「後ろ頼む」
「ああ」
牛は追ってこなかった。
米丸。
捕虜。
外周。
道路。
車。
増援。
そちらを見る。
牛が前へ出ないから、四人が前へ出られる。
剛。
栗。
蜂。
臼。
四人は奥へ進んだ。
*
血があった。
床。
壁。
ドアの縁。
量は多くない。
猿田は止血している。
だが消せるものでもなかった。
左腕は蜂が壊した。
身体は臼が壊した。
それでも動いている。
「これだけのダメージでよく動けるな」
栗が言った。
「昔から」
蜂が答えた。
剛は何も言わなかった。
管理棟の奥は、一本の廊下になっていた。
幅は二人が並べば狭い程度。
左右に小さな事務室が並ぶ。
十数メートル先で廊下は右へ折れ、その角の手前、右側に少し広い部屋がある。
血はその方向へ続いていた。
栗が先頭。
剛がその斜め後ろ。
臼は反対側の壁。
蜂はさらに一歩後ろ。
四人が一列にはならない。
同じ場所にも立たない。
栗が最初の扉を見る。
開いている。
中は空。
次。
閉まっている。
血はその前を通過している。
栗が角の手前で止まった。
剛も止まる。
臼が壁へ寄った。
蜂はM4を肩づけした。
角の向こうは見えない。
剛が廊下の左側から一歩だけ身体を出した。
銃声。
ドア枠が弾けた。
剛が戻る。
細かな破片が肩へ落ちた。
SCAR-Lから吐き出された5.56×45mm弾。
猿田は右へ折れた先にいる。
正確な位置は分からない。
だが、射線は角を斜めに通っていた。
少し間があった。
「ずいぶん連れてきたな」
猿田の声だった。
角の向こう。
姿は見えない。
剛が壁へ背中をつけた。
「これで全部だ」
間があった。
「そうか」
栗が反対側へ移る。
角を挟んで、互いに撃てる位置へ出ない。
猿田も撃たない。
栗も撃たない。
姿を出せば撃つ。
それだけだった。
剛が言った。
「米丸に会った」
しばらく返事がなかった。
「……そうか」
「KAKI-3も聞いた」
もう一度、間。
「喋ったか」
「全部」
猿田は何も言わなかった。
剛は角の向こうを見る。
見えない。
それでも、猿田がそこにいることは分かった。
「PERSIMMONの種を親父に持っていったの、お前だったんだな」
「ああ」
短かった。
否定しない。
「米丸が燃料の書類を見せた」
「ああ」
「お前が親父に持っていった」
「ああ」
「最初は親父と同じ側だったんだな」
少し間。
「ああ」
「最初は、ただの抜きだと思った」
「燃料代?」
「そんなところだ」
猿田が小さく息を吐いた。
「あの頃は面白かったよ」
栗が剛を見る。
剛は動かなかった。
「何が」
「一個見つけると、その後ろにもう一個いる。燃料の次は車。車の次は人。弾薬。倉庫。金。契約」
猿田の声は普通だった。
三年前と変わらない。
「掘ったら掘っただけ出てきた」
「親父と?」
「ああ」
一瞬だけ、昔の時間がそこへ戻った。
誠。
猿田。
同じものを見ていた二人。
剛の知らなかった時間だった。
「でも隊長は遅かった」
「慎重だったんじゃないのか」
「同じことだ」
剛は黙った。
猿田が続ける。
「待ってる間に取られたら、って隊長に言った」
「覚えてる」
「分かってなかったろ」
「ああ」
剛は言った。
「あの時はな」
角の向こうで靴が擦れた。
猿田が位置を変えたらしい。
まだ射線には出ない。
「全部見え始めた頃には、もう会社だけの話じゃなかった」
猿田が言った。
「現地業者。物流。役人。軍。警備会社。金を払ってる奴。受け取ってる奴。知らないふりしてる奴」
「だから?」
「全部ひっくり返して、それで何が残る」
剛は答えた。
「だから自分が盗ったのか?」
「使った」
若干の怒気を孕んで、被せてくるような即答だった。
剛の目が少し細くなる。
「不正やってた連中についた」
「違う」
「何が」
「何人かは俺が切った」
猿田の声が低くなる。
「何人かは潰した。何人かは残した。使える奴は使った」
「自分が上に行くために」
「結果としてな」
「同じだろ」
「違うね」
猿田が言った。
「何が悪い」
誰も動かなかった。
「隊長が三年かけてできなかったことを、俺は一晩でやった」
沈黙。
剛は壁を見ていた。
青い柿。
地面へ落ちた実。
左手で受け取った。
熟すまで待てば甘くなる。
待っていたら誰かに取られる。
あの時は、本当に柿の話だと思っていた。
三年間が、一瞬だけ頭の中を通った。
父親。
失った左腕。
病院。
義手。
一人で渡った土地。
撃った人間。
戻ってきた四人。
最後に、父の声が残った。
剛はその言葉をなぞるように呟いた。
「まだ青かった」
猿田が黙った。
栗も動かなかった。
蜂が剛を見る。
臼は廊下の角を見たままだった。
やがて猿田が言った。
「……言うようになったな」
*
「それで親父を殺した?」
「そうだ」
「邪魔だったから?」
「そうだ」
迷わない。
「隊長が生きてたら、全部ひっくり返す」
「分かってた?」
「誰よりな」
猿田が答えた。
「だから殺した」
剛が言った。
「ああ、結果的にな」
剛の右手がM4のグリップを握りしめる。
「俺も撃った」
猿田は少し黙った。
「狙ったわけじゃない。お前が後ろにいたんだ」
剛は左腕を見なかった。
「腕を失った」
「知ってる」
「なんで殺さなかった」
返事はすぐに来なかった。
「時間がなかった」
「それだけ?」
沈黙。
遠くで金属が鳴った。
「……そういうことにしとけ」
剛は何も言わなかった。
三年前。
猿田は自分に銃を向けていた。
剛は動けなかった。
撃てと言った。
猿田は撃たなかった。
数秒。
それから救援が来た。
時間がなかった。
それは本当だった。
それだけだったのかは、猿田しか知らない。
*
しばらく誰も喋らなかった。
猿田が言った。
「よく集めたな」
剛は答える。
「勝手に来た」
「そうか」
それだけだった。
栗。
蜂。
臼。
後ろには牛。
誰も命令されていない。
それでも来た。
「終わりだ、猿田」
「何が」
「全部」
「KAKI-3があるから?」
「それも」
「俺を殺せば終わる?」
「知らない」
猿田が少し笑った気配がした。
「俺は終わらせる気はないけどな!」
次の瞬間、SCAR-Lが火を噴いた。
角の向こうから連続して発射音が響く。
剛が腰を落とした。
弾が壁とドア枠を削った。
栗は反対側へ身体を沈める。
蜂と臼もそれぞれ左右の壁へ身体を寄せた。
猿田は撃ちながら、右へ折れた廊下のさらに奥へ下がっている。
「右へ動いた!」
栗が叫んだ。
「見えてる!」
剛が返した。
栗が角から一瞬だけ出る。
Benelli M4。
撃つ。
猿田はすでに次の部屋へ入っていた。
散弾が入口の縁を砕く。
右へ折れた先の廊下は、さっきより短かった。
左に二部屋。
右に一部屋。
その先に横へ抜ける通路がある。
猿田は一番奥の右側へ入った。
「臼、右!」
剛が言った。
臼が角を越え、右側の壁へつく。
MP5を構える。
栗は左。
剛が中央から少し後ろ。
蜂は最初の角に残り、四人の背後と右奥への射線を見る。
猿田が右側の部屋から撃った。
弾が壁際とドア枠を叩いた。
臼が止まる。
栗が左側の部屋へ入った。
「奥へ抜ける!」
栗の声。
剛が一歩詰めた。
「蜂、そのまま!」
「分かった」
蜂は動かない。
M4を右奥へ向ける。
猿田が部屋の奥から横の通路へ出た。
一瞬だけ見えた。
蜂が撃った。
猿田が消える。
弾が奥の壁を叩いた。
「近い」
栗が別室から言った。
「知ってる」
猿田のSCAR-Lがまた火を噴く。
今度は左側。
栗が頭を引く。
剛は右側の部屋へ入った。
猿田がさっきまでいた場所だった。
机。
倒れた棚。
反対側にもう一つ出口。
その先が横の通路へつながっている。
剛が出口から見る。
猿田が右へ走った。
右腕だけでSCAR-Lを身体へ寄せている。
「見えた!」
剛が撃つ。
猿田が次の壁へ消える。
栗は左側の部屋を抜けて同じ横通路へ出ようとする。
臼は中央の廊下を直進する。
蜂は最初の角から位置を一つ前へ変えた。
四人が同じ方向から追わない。
栗が左。
臼が正面。
剛が右。
蜂が後ろから長い射線を押さえる。
猿田の逃げられる角度が減っていく。
猿田が撃った。
一発。
もう一発。
剛が頭を引く。
猿田が次を撃とうとした。
音がしなかった。
SCAR-Lが作動不良で沈黙した。
猿田は一瞬だけ銃を見る。
排莢口。
潰れた空薬莢を完全に噛みこんでいる。
復帰には両手か時間が要る。
左腕は身体へ固定されている。
正面から臼の足音。
左から栗。
右には剛。
後ろへ戻れば蜂の射線。
時間もない。
猿田はSCAR-Lを捨てた。
右手が腰へ。
H&K USP9。
抜く。
撃った。
栗が壁へ戻る。
猿田は最後の横通路へ走った。
「奥!」
剛が追う。
臼が中央から詰める。
栗が別室を抜ける。
蜂も前へ移る。
曲がった先。
もう姿は見えなかった。
血だけが続いている。
さらに奥。
廊下の向こう。
奥でUSP9が一発、乾いた音を響かせた。




