第六章 LEFTOVER 第七話 RICEBALL
剛は管理棟の扉を見た。
「ここか」
栗が頷いた。
臼が横に立つ。
「開けるぞ」
栗が先に入った。
廊下は静かだった。
古い事務机。倒れた椅子。壁際に積まれたファイルボックス。
天井の蛍光灯が一本だけ点いている。
廊下の奥に、閉じた扉があった。
栗が扉の脇へ寄る。
中の気配を探った。
剛を見る。
頷いた。
扉を開けた。
*
銃声はなかった。
部屋の中には机が一つ。
椅子。
水のボトル。
食べ残したパン。
床に乾いた血がある。
壁にも少し。
男がいた。
六十前後。
両手首には縛られていた痕が残っている。左目の周囲が腫れ、シャツの胸元には黒く乾いた血がこびりついていた。
壁にもたれて座っていた。顔を上げるだけで息が乱れ、膝の上の手が細かく震えた。
殺すための扱いではない。
生かしておく必要があった。
だが、その扱いに身体が耐えられるかは別だった。
男が三人を見た。
栗。
臼。
最後に剛。
そこで目が止まった。
「……お前」
「蟹澤剛だ」
男はしばらく剛を見た。
「……誠の?」
「ああ」
間があった。
「そうか」
それだけだった。
栗が銃を下げた。
「米丸」
「栗か」
「生きてたな」
「今のところはな」
剛が部屋へ入る。
「こいつがLEFTOVER?」
米丸が眉を動かした。
「何だ、それ」
「お前の呼び名らしい」
栗が言った。
「ひでえな」
剛は無線を入れた。
「男を見つけた。米丸というらしい」
『米丸じゃと?』
牛だった。
剛が答える。
「知ってるのか」
栗が自分の無線機をスピーカーへ切り替え、米丸に聞こえる位置へ寄せた。
『RICEBALLか』
米丸が小さく笑った。
「まだその名前を憶えてる奴がいたか」
栗が送信ボタンを押し、米丸の声を拾わせた。
『わしゃ牛の糞じゃけぇの』
米丸が一瞬黙った。
「ああ、お前も誠が……」
そこで言葉を切った。
『お前が最後のピースじゃったか』
*
臼が部屋の入口に立つ。
剛は米丸の前へしゃがんだ。
栗がメディカルポーチを開け、米丸のシャツをそっとめくった。
米丸が息を詰めた。
「喋れるか」
「ああ」
「無理すんな」
栗は傷の状態を確かめ始めた。
「親父の仲間だったのか」
「違う」
米丸は壁へ背中を預け直した。
「俺は会社の人間じゃない」
戦地のロジスティクス屋だった。
燃料。
車。
弾薬。
医療品。
食料。
倉庫。
輸送。
必要なら現地の業者まで探した。
「足りないもんを、あるところから持ってくる。それだけだ」
「親父とは」
「長かった」
米丸は水を一口飲んだ。
「会社が今みたいになる前からな」
「猿田も?」
「誠が連れてきた」
剛が顔を上げる。
「こいつなら俺と同じように扱っていい。そう言われた」
それから猿田も直接、米丸へ仕事を頼むようになった。
燃料。
車両。
輸送。
弾薬。
誠を通す必要はなかった。
「信用まで渡したってことか」
「そういうことだ」
*
始まりは燃料だった。
ある日、米丸のところへ精算書類が回ってきた。
数量は普通。
行先も実在する。
業者コードも米丸のものだった。
見た目には、何もおかしくない。
ただ一つ。
「その便、俺はやってない」
剛が米丸を見る。
「偽の請求?」
「最初はそう思った」
一件の水増し。
誰かが燃料代を抜いた。
それだけなら珍しくもない。
だが、調べると車両があった。
その燃料を使って動いたことになっている車。
さらに同じ日に警備要員が動いていた。
弾薬の記録。
倉庫。
承認者。
別の輸送。
一つずつ、線がつながった。
「親父に持っていったのか」
「いや」
米丸は剛を見る。
「猿田だ」
部屋の空気が少し変わった。
栗も何も言わなかった。
「当時、あいつも俺との窓口だった」
米丸はその日のことを覚えていた。
書類を猿田へ見せた。
「これ、お前んとこの仕事か」
猿田はしばらく読んでいた。
そして言った。
「隊長に持っていく」
米丸は息を吐いた。
「最初に誠へ持っていったのは、あいつだ」
*
猿田は調べた。
演技ではなかった。
何度も米丸のところへ来た。
コピーを取った。
運転手を探した。
別の便を照合した。
誠と二人で話を聞きに来たこともある。
「最初からじゃなかったのか」
剛が呟いた。
米丸は答えなかった。
ただ、水のボトルを見た。
栗が蓋を開け直して渡した。
米丸は少し飲んだ。
ボトルを持つ手が下がった。
栗が受け取った。
「少し休め」
米丸は首を振った。
「先に話す」
*
燃料一本だった線は、少しずつ枝を増やした。
弾薬。
車両。
警備契約。
倉庫。
金。
人。
誠は急がなかった。
記録を複製した。
証言を取った。
関係者を隠した。
別の経路から同じ事実へ辿れるようにした。
数年。
「最初は燃料一本だった」
米丸が言った。
「気がついたら、木になってた」
剛は黙って聞いていた。
「PERSIMMON」
「ああ」
*
最後の頃。
誠と猿田の意見が割れた。
米丸はその場にはいない。
だが二人の空気が変わったことは分かった。
「誠はまだ待つって言ってた」
「猿田は?」
「焦ってたな」
「何て」
米丸は少し考えた。
「待ってたら取られるぞ、だったかな」
剛の目が止まった。
それ以上は聞かなかった。
*
三年前。
誠が死んだ。
PERSIMMONが表へ出た。
だが、話は逆になっていた。
誠がGHSC内部の不正を調べていた。
そのはずだった。
公表された話では、誠自身が会社を利用して不正を動かしていた。
「逆だった」
米丸が言った。
「俺には分かった」
最初の燃料便を知っている。
誠が不正の中心なら、自分の知らない偽の燃料便を追う理由がない。
「全部嘘だったのか」
「違う」
米丸は首を振った。
「燃料もあった。弾薬もあった。車も、人も、金もあった」
「本物の中に偽物を混ぜた?」
「違う」
米丸は剛を見た。
「本物で作った話だ」
剛が黙る。
「順番を変えた。誰が何のために動いたかを変えた。事実は同じだ」
「意味だけ変えた」
「ああ」
*
誠が死んだ。
SARUKANIは散った。
猿田は上へ行った。
米丸は消えた。
「一人で騒いだって、次に消えるのは俺だ」
だから逃げた。
ただし何もしなかったわけではない。
古い伝票。
コピー。
輸送記録。
当時の担当者。
三年かけて拾った。
公表されたPERSIMMONを崩せるところまで来た。
「それで捕まった?」
「動かそうとした」
米丸が苦く笑った。
「遅かったな」
「何が」
「猿田に気づかれた」
剛は床の血を見た。
「だからLEFTOVERか」
「たぶんな」
米丸は壁へ頭を預けた。
「残った人間。残った資料。どっちでもいい」
*
「何を聞かれてた」
米丸の目が剛へ戻った。
「KAKI-3」
「何だ、それ」
「最後の保険だ」
「何が入ってる」
「お前の親父が集めたものだ。手を入れられる前のな」
栗が少し身を乗り出す。
「残ってるのか」
「ああ」
「どこに」
米丸は答えた。
短い説明だった。
場所そのものではない。
そこへ辿り着くための最後の情報。
剛は一度だけ聞き返した。
米丸がもう一度答えた。
「それで取れる」
「猿田は?」
「知らない」
「だからお前を生かしてた」
「そういうことだろうな」
*
米丸の呼吸が少し浅くなっていた。
栗が気づいた。
米丸の手首に指を添え、顔を覗き込んだ。
「米丸」
「ああ」
返事までに間があった。
栗が剛を見た。
「運び出すぞ」
剛が頷いた。
臼が入口から戻り、米丸の脇へしゃがんだ。
米丸は剛を見ていた。
「親父のこと、信じてたのか」
米丸が目を細めた。
「今さら訊くな」
剛は少し笑った。
米丸も、ごくわずかに口元を動かした。
*
そのあと、剛はKAKI-3の情報を確認した。
栗が一つ訊いた。
米丸の返事は短かった。
臼が身体を支え、栗と二人で横に寝かせた。剛が廊下へ出て、外までの通路を確かめる。
数分だった。
「剛」
栗が言った。
戻ると、米丸は動いていなかった。
目が半分開いている。
剛がしゃがむ。
首筋へ指を当てた。
何もない。
栗は米丸の顔を見ていた。
剛は指で瞼を閉じてやった。
*
「BULLSHIT」
『何じゃ』
「最後のピースは手に入れた」
一拍置いた。
「RICEBALLは死んだ」
少し間があった。
『そうか……』
剛が立った。
「外は」
『会社の増援は来んじゃろ』
「分かるのか」
『さっき捕まえた一人から聞いたんじゃ』
栗が無線へ口を挟んだ。
「またエグい拷問したのか」
『わしゃ紳士じゃ。手当してやる言うたら、ペラペラしゃべりおった』
「何て?」
『今日のこと知っとるんは、猿田の直属だけじゃ。正式な仕事でもない。今から会社に助け呼ぼうにも、理由が説明できんじゃろ』
「道路は」
『静かじゃ。車も増えとらん』
「中へ来い」
『今行く』
「蜂も」
『分かった』
*
剛はM4を取り直した。
ハンドガードを左腕の武器支持用アタッチメントへ預ける。
蟹爪アタッチメントはまだ腰に下げている。
「行く」




