第六章 LEFTOVER 第三話 牛の糞
「まず、道じゃ」
牛はタブレットを地面に置いた。
施設の周囲を指でなぞった。
「南」
正門から舗装路が延びている。
門を出てしばらくすると、道路は低い盛土の陰へ入る。
北東の屋根から見えるのは、その手前までだった。
「車で出るなら、ここじゃ」
指が東へ動いた。
「こっちは開けとる」
低い草地が続いている。
車でも走れる。
徒歩ならもっと簡単だった。
ただし、隠れる場所がない。
北の高所からは全部見える。
「西」
栗が言った。
「俺が入る」
フェンスが一部切れている。
その先には古い資材置場があり、建物の陰まで近づける。
「北は?」
剛が訊いた。
「蜂に任す」
牛は画面を縮小した。
「全部塞いだらいけん」
「なんで」
「塞いだら、全員こっち向くじゃろ」
剛は地図を見た。
「閉じ込めるんじゃないのか」
「違う」
牛は東を指した。
「出てええ奴は出す」
蜂が施設へ目を戻した。
一般のGHSC要員はまだ残っている。
猿田直属ではない。
ここで働いていただけの無関係な人間だ。
「東へ出たら?」
「そのまま行かせる」
剛が答えた。
「じゃあ、残った奴だけ相手にする?」
「そうなるようにするんじゃ」
牛が言った。
「どうやって」
「向こうに決めてもらう」
剛が牛を見た。
牛は立ち上がった。
「作るぞ」
*
ランドクルーザー100の後部ドアが開いた。
牛が荷物を確認した。
工具。
ケーブル。
小さなケース。
折り畳みシャベル。
必要なものだけを腰とベストへ収める。
銃床を縮めたままのMP5を身体の前へ回した。
蜂は北の観測位置に残った。
栗は西へ回る。
臼はランドクルーザーと装備の位置に残る。
牛は剛を連れ、いったん施設から離れる方向へ下がった。
北側の斜面を下る。
尾根の裏へ入ったところで、施設が見えなくなった。
そこから西へ大きく回った。
フェンスには近づかない。
施設との距離を保ったまま南へ回り込む。
『南からの舗装路、見通せる範囲で通行なし』
蜂の声が入った。
『屋根、一。こっちは見てない』
「了解」
剛が答えた。
二人は低い地形を使って舗装路へ近づいた。
最後の数十メートルは草の深い窪地を進む。
舗装路へ出る手前で、牛が止まった。
北を見る。
盛土の向こうに施設がある。
ここからは見えない。
「ここから先は屋根から見えん」
無線が入った。
『管理棟、二。西、巡回三』
牛が歩き出した。
*
舗装路の周囲には、施設が以前使われていたころの残骸が残っていた。
錆びたゲート。
使われなくなった配電設備。
道路脇に半ば埋まったコンクリート製の基礎。
古い側溝。
放置された資材。
牛は一つずつ見た。
触った。
使えるかどうかだけを確認する。
最初に止まったのは古い配電盤だった。
扉を開く。
中を見る。
「生きてる?」
剛が訊いた。
「一部だけじゃが」
「何に使う」
「ここまで人を呼ぶんじゃ」
「誰を」
「壊れたら困る奴じゃの」
牛は扉を閉じた。
次へ行く。
剛にはまだ分からなかった。
*
舗装路が狭くなる場所があった。
道路脇には古い排水路が走っている。
コンクリートの縁が割れていた。
路肩の下の土も一部が抜けている。
表面だけ見れば、ただの荒れた道路だった。
牛はしゃがんだ。
長く見た。
路面。
排水路。
空洞。
道路幅。
「ここじゃな」
「何が」
「車」
剛は舗装路を見た。
「通れるだろ」
「今はの」
牛は折り畳みシャベルを開いた。
柄を伸ばす。
崩れかけた路肩へ刃を入れた。
土が落ちた。
下に空洞が見えた。
「手ぇ貸せ」
剛もしゃがんだ。
二人で土を除いた。
表面は大きく崩さない。
その下だけを広げていく。
剛には、まだ牛の意図をつかみきれなかった。
何か新しいものを作っているというより、壊れかけている場所を使える形にしているように感じた。
牛は手を止めた。
空洞の奥を見た。
小さなものを置いた。
細い線を引き出す。
「それも?」
「保険じゃ」
牛は土を戻した。
表面だけ見れば、さっきとほとんど変わらない。
「何の車でも?」
「軽いんや、こまいんは駄目じゃ」
「じゃあ?」
「さっき南に置いとったやつくらいなら丁度ええ」
剛は施設を思い出した。
門の近くへ移された四輪駆動車。
「重いから?」
「重い。幅もある」
牛は立った。
「人間と同じじゃ」
「何が」
「通れる思うたら通る」
*
少し離れたところに、古いコンクリート製の設備基礎が残っていた。
人の腰ほどの高さがある。
角が欠け、半分を草に覆われている。
牛はその陰を見た。
小さなケースを置いた。
剛が見た。
「それは」
「近寄ってきた奴用じゃ」
「殺す?」
「必要ならな」
牛はケースを隠した。
「その場にくぎ付けにできりゃぁ、倒しきらんでもええ」
剛は少し考えた。
「数を減らすんじゃないのか」
「人数だけ減らしても意味ないじゃろ」
牛は施設の方向を見た。
盛土しか見えない。
「場所も減らさにゃあの」
それから剛を見る。
「お前は戻れ」
「牛は?」
「わしはここにおる」
「一人で?」
「一人じゃないと見つかるじゃろ」
牛はMP5を身体の前へ回した。
「蜂の目ぇ借りる。お前は上から見とけ」
剛は一度南を見た。
牛はもう設備基礎の陰へ移っていた。
剛は来た道を戻った。
*
低い窪地を抜けた。
施設から距離を取ったまま西を回る。
途中で蜂の声が入った。
『動きなし』
「了解」
北側の斜面へ戻った。
斜面を上がる。
蜂のいる観測位置が見えた。
剛は伏せ、その隣へ入った。
施設全体が再び見えた。
栗は西。
臼は後方。
牛だけが南にいる。
その間も蜂から情報は流れていた。
『管理棟、二』
『屋根、一』
『西、三』
『猿田、作業棟前』
剛は地図を見た。
南。
東。
西。
北。
さっきまでただの方向だった。
今は違う。
「南に寄せる」
剛が言った。
『一般要員は東へ出す』
蜂が続けた。
『西を薄くする』
栗の声。
「それで中を分ける」
少し遅れて牛の声が入った。
『そういうことじゃ』
臼が訊いた。
『何人倒す』
『知らん』
牛が答えた。
『動けんくなりゃあ、無理に殺さんでもええ』
少し間があった。
『了解』
剛が無線を握った。
「全部、思った通りに動くと思う?」
『ならんかったら......』
「ならんかったら?」
『そん時考えるわい』
*
『始める』
牛の声が入った。
最初の異常は小さかった。
南側。
古い配電盤から白い煙が上がった。
炎はない。
だが、設備保守するものとしては放置できない。
一人が気づいた。
施設管理側の人間だった。
近くにいたもう一人を呼ぶ。
二人が正門を出た。
南へ向かう。
『二人動いた』
蜂。
「見えてる」
剛は答えた。
二人は盛土の陰へ消えた。
*
しばらくして無線が入った。
『動き変わった』
蜂だった。
剛が施設を見る。
猿田が外へ出ていた。
一人の男と話している。
男が無線を使った。
猿田が南を見る。
次に東を見た。
「何か分かったな」
剛が言った。
『たぶんの』
牛が答えた。
南へ向かった施設職員から報告が入ったのだろう。
ただの故障ではない。
誰かが触った跡がある。
そう判断したと考えるほうが自然だった。
猿田がもう一人を呼んだ。
短く指示する。
男が建物へ走った。
一般要員が集められ始めた。
『退避させるみたい』
蜂が言った。
猿田が東を指した。
徒歩の一般要員がまとまって動き出した。
「撃たない」
『了解』
四人。
五人。
東の草地へ出る。
北の高所からは丸見えだった。
誰も撃たなかった。
そのまま施設から離れていく。
剛は双眼鏡を下ろした。
「東、減った」
『向こうが減らしたんじゃ』
牛の声。
*
南側の門でも動きがあった。
エンジンをかけたままだった四輪駆動車へ人が乗り込む。
ランドクルーザー・プラド120系。
こちらも退避する一般要員だった。
運転手。
助手席。
後部にも人が乗った。
「出そうだな」
剛が言った。
『出させるんじゃ』
プラドが動いた。
正門を抜ける。
南へ走った。
盛土の陰へ消える。
剛にはもう見えない。
数秒。
南のほうで、乾いた爆発音がした。
大きくはない。
少し遅れて、土砂が崩れる鈍い音。
その直後、遠くでエンジン音が跳ね上がった。
「かかった?」
『おう、かかったかかった』
牛の声が返った。
*
牛の位置からは、プラドが見えていた。
右前輪が崩れた路肩へ深く落ちている。
車体が大きく右へ傾いた。
路肩は右後輪の下でも崩れている。
さらに腹の下で、フレームかサスペンションアームの角が排水路のコンクリート縁へ噛み込んでいた。
運転手がアクセルを踏んだ。
左前輪と左後輪は路面を掴んだ。
車体が前へ出ようとする。
数センチ動いた。
そこで止まる。
もう一度踏む。
右側の二輪が土を掻いた。
車体がわずかに捩れる。
噛み込みは外れない。
運転手が一度後退を試した。
腹下から金属を擦る音がした。
少し下がった。
また止まる。
もう一度前へ。
四輪は動こうとしている。
車体だけが動かない。
運転手がアクセルを戻した。
全員が降りた。
右前輪を見る。
腹下を見る。
道路を見る。
プラドは斜めに止まり、舗装路の大半を塞いでいた。
乗っていた者たちは車を残した。
退避命令は生きている。
道路を外れ、施設から離れる方向へ歩き始めた。
『南の車、止まった』
牛が言った。
「乗っとった奴らは」
剛が訊いた。
『そのまま離れとる』
「了解」
南は塞がった。
人は残っていない。
*
猿田が南を見ていた。
一般要員は退避した。
プラドも戻らない。
配電盤を確認した者たちからの報告だけでは、南で何が起きているのかまでは分からない。
猿田が西を見る。
巡回の一人を呼んだ。
短く指示した。
『西、一人抜ける』
栗が言った。
「どこへ」
剛が訊いた。
『南』
剛は双眼鏡を向けた。
猿田直属の男が一人、正門を出る。
走らない。
警戒しながら進む。
配電盤を見る。
止まったプラドを見る。
周囲を見る。
一人だった。
「牛」
『聞いとる』
「そっち、一人行く」
『見えとる』
男が盛土の陰へ入った。
北からは見えなくなった。
*
牛は設備基礎の陰にいた。
MP5には触れない。
男が南へ進んでくる。
止まる。
周囲を見る。
さらに進む。
古い設備基礎。
その横を通る。
牛は待った。
もう一歩。
短い破裂音。
土埃が横へ走った。
男が地面へ倒れた。
*
剛にも音は聞こえた。
「牛?」
少し間があった。
『生きとる』
「誰が」
『向こうがじゃ』
さらに少し間があった。
『動けん。丁度ええ』
剛は南を見た。
盛土しか見えない。
*
男はしばらく動かなかった。
やがて上体を起こした。
片脚を引こうとした。
動かない。
肩から吊っていたFN SCAR-Lを降ろし、脇へ置いた。
コンクリート製の設備基礎に背を預けて座り込む。
傷を確かめた。
牛は設備基礎の反対側から立ち上がった。
ストックを縮めたままのMP5を腰だめに構えている。
「フリーズじゃ」
男が顔を上げた。
SCAR-Lを見る。
牛を見る。
一瞬だけ迷った。
両手を上げた。
牛は近づいた。
SCAR-Lを靴で遠くへ押しやる。
男の無線機を外した。
「わしゃ、こんなぁ個人に恨みつらみはありゃせん」
牛は男の脚を見た。
「仲よぉしようでぇ」
牛はニチャァと笑った。
*
剛は施設を見る。
東。
一般要員はいない。
南。
道路はプラドで塞がれた。
その先に猿田直属が一人いる。
西。
巡回が一人減った。
北東。
屋根に一人。
管理棟。
二人。
猿田。
牛が作ったものが、ようやく剛にも見えてきた。
牛は誰にも命令していない。
配電設備がおかしくなった。
管理する人間が見に行った。
破壊工作を疑った。
猿田が非戦闘要員を退避させた。
車でも人を出した。
その車が止まった。
それでも南の状況が分からないから、直属を一人確認へ出した。
全部、まともな判断だった。
まともに判断するたび、施設の中から人が消えていく。
東。
南。
そして西。
牛は人を動かしているのではない。
判断の行き先を作っている。
「牛」
『何じゃ』
「最初からこれ狙ってた?」
少し間があった。
『だいたいは』
「だいたい?」
『人間じゃけぇ、完全に思う通りには動かん』
牛の声が続いた。
『じゃけぇ、どっちへ動いても困らんようにしとくんじゃ』
*
「栗」
『聞いてる』
「西は?」
『二』
剛は見た。
一人は外周側。
もう一人は建物寄り。
南で何かあったことは伝わっている。
二人とも落ち着かない。
そのうち一人が無線を聞いた。
南を見る。
返答する。
建物側へ走った。
『一』
栗が言った。
残った一人も、やがて呼ばれた。
振り返る。
管理棟を見る。
そちらへ走る。
『ゼロ』
栗。
牛の声が入る。
『栗』
『何だ』
『西』
少し間があった。
『空いた』
「開けたんじゃ」
『何分』
『知らん。向こう次第じゃ』
剛は施設を見た。
猿田がいる。
管理棟も見える。
LEFTOVERは中にいる。
敵は消えたわけではない。
だが、一つではなくなった。
「栗」
剛が言った。
「行って」
一拍。
『了解』
栗が低く動いた。
Benelli M4を身体へ寄せる。
切れたフェンスへ到達した。
周囲を見る。
越えた。
建物の陰へ消えた。
『入った』
『見えとる』
牛が答えた。




