第五章 PERSIMMON 第10話 最後の夜
牛は画面を見た。
人。
車。
施設。
猿田。
LEFTOVER。
「見つけた」
誰もすぐには答えなかった。
栗が牛の肩越しに画面を覗き込んだ。
「動くか」
「明日じゃ」
「今夜じゃなくて?」
「まだ拾えるもんがある。今から飛び出すより、朝までに揃えたほうがええ」
蜂が画面を見たまま訊いた。
「猿田は動かない?」
「今夜はの」
「なら、明日」
剛が言った。
十七日。
長かったような気もした。
短かったような気もした。
明日、ここを出る。
猿田伸吾のところへ行く。
栗が大きく伸びをした。
「じゃあ、最後に命の洗濯でもするか」
「ええのう」
牛が乗った。
臼が二人を見た。
「何をする」
「街へ行く」
「何しに」
「命の洗濯だって言ってんだろ」
臼は考えていた。
何を考える必要があるのか、剛には分からなかった。
栗が剛を見た。
「行くか」
「行かない」
「そうか」
それだけだった。
前にも断っている。
栗も、もう誘わなかった。
「私も残る」
蜂が言った。
栗が意味ありげに牛を見た。
牛も栗を見返した。
二人とも何も言わなかった。
「俺も残る」
臼が言った。
栗が、もう一度牛を見た。
牛も栗を見た。
今度は少し長かった。
「臼」
牛が言った。
「何だ」
「行くぞ」
「俺は残る」
「知っとる。行くぞ」
「なぜだ」
「ええけぇ来い」
「理由を言え」
「酒の肴で教えたる」
栗が臼の背中を叩いた。
「行くぞ」
百二十キロを超える巨体が、散歩を嫌がる大型犬のように連れていかれた。
剛には、よく分からなかった。
三人を乗せた車の音が遠ざかった。
静かになった。
本当に静かだった。
十七日間、五人で使ってきた場所が、急に広くなったように感じた。
剛と蜂は、剛が使っている個室へ戻った。
剛はM4を分解した。
明日使う。
ボルトキャリアを抜いた。
汚れを拭った。
向かいでは、蜂がライフルの手入れをしていた。
タンクトップ。
カーゴパンツ。
見慣れた格好だった。
蜂が身を屈めた。
タンクトップの胸元が開いた。
剛はボルトキャリアを見た。
蜂が部品を取った。
腕を伸ばすと、脇が覗いた。
剛はボルトキャリアを見た。
蜂の胸が揺れた。
剛はボルトキャリアを見た。
見た。
蜂を。
目を戻した。
少しして、また見た。
「そんなにおっぱい好き?」
手が止まった。
顔を上げた。
蜂がこちらを見ていた。
真正面から。
「……悪い」
「どうして謝るの?」
「見てたから」
「知ってる」
「だから」
「だから、何?」
剛は黙った。
何だ。
怒っていない。
責めてもいない。
なぜだ。
見ていた。
それは間違いない。
銃を見ていたわけではない。
手入れの手つきを見ていたわけでもない。
胸を見ていた。
エロい目で見ていたことについては、自信がある。
「知ってる」
蜂が言った。
「……」
「ずっと前から」
いつからだ。
射場。
伏射。
汗。
目が合った。
あれか。
いや、その前か。
どこまで知っている。
何を知っている。
知っていて、なぜ。
「い……嫌じゃないのか」
蜂は答えなかった。
間があった。
長かった。
実際には、たぶん数秒だった。
嫌じゃない。
何が。
見るのが。
俺が。
どこまでならいい。
触ってもいいのか。
触る。
どこを。
何を訊いている。
何を考えている。
声が出なかった。
身体も動かなかった。
蜂が小さく息を吐いた。
笑った。
困ったような、仕方がないというような笑いだった。
立ち上がった。
こちらへ来た。
剛は動けなかった。
蜂が右手を取った。
その手を、自分の胸へ置いた。
「嫌なら、こんなことしない」
柔らかかった。
頭の中で何かが音をたてて崩れた。
剛は蜂を引き寄せた。
右腕一本で、しがみつくように抱いた。
顔を埋めた。
匂いがした。
あの匂いだった。
射場で初めて気づいた。
汗と、肌と、蜂の匂い。
胸いっぱいに吸った。
頭の芯が痺れてきて、考えるのをやめた。
蜂を抱いた。
二人でベッドへ倒れ込んだ。
そこで止まった。
体術は仕込まれていた。
人間の腕をどう取れば動きを殺せるか。
どこへ体重を掛ければ倒せるか。
倒れた相手をどう押さえればいいか。
身体は覚えている。
考える必要さえない。
だが。
自分に身を任せる女をどう扱うかは、記憶にも反射にもなかった。
蜂が、すぐ下から剛を見ていた。
動けなかった。
蜂の腕が首に回った。
引き寄せられた。
唇が触れた。
剛は夢中で応えた。
今度は蜂から返ってきた。
また脳のどこかが、音を立てて焼き切れたような気がした。
剛は蜂のタンクトップに手をかけた。
力づくで引っ張った。
蜂に手首を掴まれた。
止まった。
やっぱり駄目なのか。
「伸びちゃうじゃない」
蜂が言った。
自分で脱いだ。
タンクトップ。
続いてカーゴパンツ。
剛は見た。
見てはいけない気がした。
だが、蜂が自分で脱いだ。
なら、見ていい。
見た。
胸だった。
蜂の乳房だった。
女の裸を、こんな間近で見るのは初めてだった。
おっぱい、おっぱい、おっぱい、おっぱい、おっぱい。
頭の中が、それだけになった。
蜂が剛を見ていた。
剛はまた動けなくなった。
蜂が近づいた。
今度は剛のTシャツを脱がせた。
横になるよう促した。
ベルトが外された。
カーゴパンツも脱がされた。
最後に残ったものへ蜂の手がかかり、そのまま引き下ろされた。
剛は反射的に右手で隠した。
蜂が笑った。
「ずるいぞ」
「何が」
「私は見せた」
右手を掴まれた。
退けられた。
行き場を失った右手で、剛はそのまま顔を覆った。
「何してるの」
「……知らん」
蜂がまた笑った。
だが、その手も取られた。
剛はもう隠すところがなかった。
蜂は何も言わなかった。
右手を導いた。
何を求められているのか、それくらいは分かった。
蜂の呼吸が変わった。
剛は手を止めなかった。
少し変える。
また呼吸が変わる。
蜂の指は、いつの間にか剛の手を導いていなかった。
それでも剛は止めなかった。
見る。
気づく。
変える。
それなら、知っていた。
いつもの蜂ではなかった。
自分だけがおかしくなっているわけではない。
それも分かった。
蜂が上体を起こした。
剛に覆いかぶさるようにして、もう一度唇を重ねた。
離れた。
薄く笑った。
少しだけ、照れているようにも見えた。
蜂が次へ進もうとして、剛自身に手を添えた。
その瞬間だった。
剛の身体が強張り、腰が跳ねた。
何が起きたのか。
理解するのに、一秒もいらなかった。
剛は蜂を見た。
自分が、この世の終わりみたいな顔をしているのが分かった。
しかし、蜂は笑わなかった。
頬に手が触れた。
「まだ夜は長い」
剛は天井を見た。
死にたかった。
ところが。
身体のほうは、どうやらこのまま終わることに同意していなかった。
剛は自分の身体を見た。
蜂も見た。
目が合った。
今度は蜂が、ほんの少し笑った。
夜は、まだ長かった。
二度目は、蜂に手を取られなかった。
剛が自分から触れた。
蜂の呼吸が変わった。
その意味は、もう知っていた。
*
目が覚めた。
まだ朝は早かった。
隣に蜂はいなかった。
剛は身体を起こした。
昨夜の記憶が一度に戻ってきた。
顔を覆いたくなった。
右手を上げかけて、やめた。
外へ出た。
蜂はもう起きていた。
いつもの服を着ていた。
いつもの蜂だった。
こちらを見た。
「早いのね」
「何が」
心臓が跳ねた。
「起きるのが」
「……ああ」
蜂はそれ以上何も言わなかった。
剛も言わなかった。
しばらくして、車の音がした。
三人が帰ってきた。
栗が降りた。
牛が降りた。
臼が降りた。
臼だけが、昨夜出ていったときとほとんど変わらない顔をしていた。
栗が剛を見た。
「お、早いんだな」
剛は固まった。
「…………何が」
「起きるのが」
栗は荷物を下ろした。
剛は栗を見た。
栗は笑っていなかった。
牛を見た。
牛も何も言わなかった。
蜂を見た。
目が合った。
反射的に視線を逸らせたが遅い。
狙撃なら死んでいる。
「何の話だ」
臼が訊いた。
「何でもない」
栗が言った。
五人になった。
牛が荷物を置いた。
「ほいじゃ、準備するぞ」
誰も答えなかった。
答える必要もなかった。
剛はM4を取った。
蜂はSTEYR SSG 08を取った。
栗はBenelli M4を取った。
臼はFN MINIMIを持ち上げた。
牛は昨日まで見ていた画面を閉じた。
十七日間の訓練は終わった。
今日、ここを出る。




