第五章 PERSIMMON 第八話 青い柿
十二日目から、夜の時間が長くなった。
訓練は続いていた。
朝から撃つ。
走る。
栗と建物へ入る。
蜂と距離を取る。
臼と組む。
牛の工房へ行く。
剛の左腕は、新しい道具に慣れ始めていた。
射撃用。
クランプ。
日常用。
必要なものを選ぶ。
左手を作るのではない。
必要な仕事をさせる。
昼間は身体を作った。
夜になると、五人は別のものを作った。
PERSIMMON。
*
工場棟の一室。
壁には紙が増えていた。
古い資料。
現在の資料。
写真。
地図。
会社名。
人名。
車両番号。
送金記録。
日付。
線でつながれたもの。
まだつながらないもの。
老人から得た古い断片は、三年前よりさらに古い。
現在GHSCに残っているPERSIMMONは、そのあとに作られたものだった。
同じ名前がある。
同じ車両がある。
同じ金がある。
同じ死人までいる。
それなのに、読めば違う話になる。
牛が二枚の紙を並べた。
「これ」
栗が覗き込む。
「何だ」
「同じ車じゃ」
一枚には、GHSCが現地で手配した四輪駆動車の記録。
もう一枚には、その車両が別の作戦で使用された記録。
「二重計上か?」
「違う」
「じゃあ何だ」
「車は一台じゃ。使われたんも事実じゃ」
牛が日付を指した。
「ほいじゃが、使うた人間が違う」
次の紙。
燃料。
次。
宿泊施設。
次。
警備要員。
「こっちゃあ古い記録」
牛が言った。
「こっちゃあ今のPERSIMMON」
剛は二枚を見た。
「間違えた?」
「んにゃ、間違うたんじゃない」
「じゃあ何だ」
牛が言った。
「合わせたんじゃ」
「何を」
「意味じゃ」
牛は壁を見た。
「最初にほんまのことがあろうが」
一枚を指す。
「あとから話をこしらえた」
もう一枚。
「ほんで、ほんまのほうを話に合うよう並べ直したんじゃ」
栗が腕を組んだ。
「偽造じゃないのか」
「偽造もしとるじゃろう。ほいじゃが全部じゃなぁ」
「だから崩れない?」
蜂が言った。
「そうじゃ」
牛が頷いた。
「嘘だけなら、どっかで破れる。こりゃぁほんまのもんばっかり使うとる」
臼が壁を見た。
「順番だけ変えた」
「順番。担当。理由。責任。そういうもんじゃ」
剛は黙っていた。
*
ガソリンスタンドの男の資料があった。
三年前。
誠が、ある男の家族を国外へ逃がしている。
車両を用意した。
宿を用意した。
現金を渡した。
GHSCの現地拠点を経由させた。
男自身は残った。
全部、本当だった。
現在の記録では、
蟹澤誠が共犯関係にある人物の家族の逃亡を幇助した。
それも、事実だけを並べれば成立した。
「親父はこの人の家族を逃がした」
「ああ」
栗が言った。
「何で」
「証人じゃったんじゃろ」
牛が答えた。
「殺される可能性があった」
蜂が言った。
剛は現在の資料を見た。
「こっちだと、親父が仲間を逃がしたことになってる」
「そうじゃ」
「同じことやってるのに」
「同じことやったからじゃ」
牛が言った。
「そこが厄介なんじゃ」
栗が紙を取った。
「事実だけ読んだら、どっちにも見えるな」
「じゃけぇ強いんじゃ」
剛は壁を見た。
三年前、自分が言ったことを思い出した。
猿田が撃った。
父親は猿田を撃っていない。
父親は裏切っていない。
十六歳の息子の証言。
公式記録は違った。
その公式記録の周囲には、本物の金があり、本物の車があり、本物の死人がいた。
「親父が会社の不正を調べてた」
誰も答えなかった。
「それを」
剛は現在のPERSIMMONを指した。
「親父が会社を使って不正してたことにした」
「そういうことじゃろうな」
牛が言った。
*
資料を年代順に並べ直した。
栗が古い紙を一枚持ち上げた。
「これ、何だ?」
牛が見る。
「どれ」
「ヨネマル」
剛が顔を上げた。
「米丸?」
「知ってるか」
「名前だけ」
栗が笑った。
「お前、会ってるぞ」
「いつ」
「ガキのころ」
「覚えてない」
「だろうな」
蜂も紙を見た。
「RICEBALL」
「何それ」
「呼び名」
剛は少し考えた。
「……そのままじゃねえか」
「本人は嫌がっとったぞ」
牛が言った。
「お前が言うなよ」
栗が言った。
「何でじゃ」
「BULLSHIT」
「わしは工兵じゃ!」
「知ってる」
「じゃったら普通の名前で呼べ!」
「牛の糞」
「それもじゃ!」
「隊長がそう呼んでた」
「親父かよ」
臼が口を開いた。
「猿田も」
「全員じゃねえか」
牛が別の紙を探した。
「米丸は会社の人間じゃない」
「何してた」
「何でもじゃ」
「何でも?」
「銃が要る言や銃を探す。弾が要る言や弾を持ってくる。燃料、薬、車、倉庫、輸送。現地で手に入らんなら、入るところから持ってくる」
「便利屋?」
「物流屋じゃ言うとった」
栗が笑った。
「便利屋って言うと怒るんだよ」
「同じじゃろ」
「本人には言うな」
「どっちなんだよ」
剛は資料を見た。
「親父の知り合い?」
「古い付き合いじゃったはずじゃ」
牛が言った。
「会社より前から?」
「そこまでは知らん」
蜂が古い日付を追った。
「少なくともSARUKANIより前」
剛は紙の上の名前を見た。
米丸。
何も思い出さなかった。
*
さらに遡った。
PERSIMMONという名前が現れる前。
米丸と猿田が関わった輸送案件があった。
元は誠が米丸へ回していた仕事だった。
途中から担当が変わっている。
猿田伸吾。
「これ」
剛が指した。
「親父から猿田に変わってる」
「隊長が渡したんだろ」
栗が言った。
「何で」
「猿田のほうが向いてた仕事だったんじゃないか」
別の記録があった。
猿田は短期間で仕事をまとめていた。
車両。
燃料。
医薬品。
弾薬。
複数の現地業者。
米丸が間に入っている。
問題はなかった。
むしろ成果は良かった。
「このころは」
蜂が言った。
「普通」
「普通?」
「猿田」
剛は何も言わなかった。
蜂もそれ以上言わなかった。
牛が一枚の古い記録を抜いた。
「これじゃ」
燃料輸送の請求だった。
金額は大きくない。
車両も数台。
それだけなら、誰も気にしない。
だが横に、米丸の短いメモが残っていた。
牛が読んだ。
「この便、俺はやってない」
栗が覗く。
「それだけ?」
「それだけじゃ」
剛が訊いた。
「架空輸送?」
「最初はそう見える」
牛が別の記録を出した。
「じゃが、この便で運んだことになっとる荷物がある」
弾薬。
さらに、その輸送を警備したことになっている人員。
車両の使用記録。
燃料。
承認者。
一つずつ線が伸びる。
「米丸が見つけた?」
「たぶんな」
「親父に?」
「違う」
牛が紙を指した。
「最初は猿田じゃ」
剛は顔を上げた。
「猿田?」
「担当じゃったけぇの」
米丸が猿田へ渡した。
猿田が調べた。
そして誠へ持っていった。
そのあとから、記録が増え始める。
小さな異常が、別の異常へつながった。
燃料。
弾薬。
車両。
人員。
現地業者。
送金。
承認。
国をまたいだ別の案件。
数か月。
一年。
さらにその先。
やがて資料の上に、一つの名前が現れた。
PERSIMMON。
「ここからか」
剛が言った。
「そうみたいじゃな」
牛が答えた。
*
蜂が古い写真を見つけた。
誠と猿田が写っていた。
二人とも若い。
机の上に紙が広がっている。
写真の裏に日付がある。
PERSIMMONが始まって一年ほど経ったころ。
「覚えてる」
栗が言った。
「何を」
「このころ、二人ずっとこれやってた」
臼も写真を見た。
「夜中まで」
「何の仕事かは聞かされなかったけどな」
牛が鼻を鳴らした。
「聞いても教えんかった」
「隊長が?」
「二人ともじゃ」
栗が写真を見た。
「このころは、まだ一緒だったんだな」
誰も答えなかった。
*
猿田は椅子に座っていた。
机の向こうに誠がいた。
何年前だったか。
蜂は正確な日付を覚えていなかった。
ただ、二人が何度か同じ話をしていたことは覚えていた。
「もう十分だろ」
猿田が言った。
「まだだ」
誠は資料を見ていた。
「これだけありゃ何人か飛ばせる」
「何人かじゃ意味がない」
「上まで行ける」
「途中までだ」
「途中まででも崩せる」
「崩したら逃げる」
猿田が椅子にもたれた。
「じゃあ、どこまで待つんだ」
「金と承認と現場が全部つながるまで」
「証人も?」
「生きてるうちにな」
「その間に気づかれるぞ」
「だから急いでる」
猿田が笑った。
「急いでるようには見えねえよ」
誠も笑った。
「お前がせっかちなんだ」
「待ってたら取られるぞ」
誠は資料を一枚持ち上げた。
「まだ青い」
「食ってみなきゃ分からねえだろ」
「渋いぞ」
「柿かよ」
「PERSIMMONだからな」
「それ、お前がつけた名前だろ」
「そうだったか?」
「忘れんなよ」
猿田は笑っていた。
誠も笑っていた。
*
蜂は写真を置いた。
剛が見ていた。
「何?」
「いや」
蜂は答えなかった。
猿田が言った言葉を思い出していた。
撃ちたいときに撃つな。
当たるときに撃て。
射撃は当てる技術だ。
狙撃は、撃つべき時まで待つ仕事だ。
あれほど何度も言った男だった。
*
「買われたんじゃないのか」
栗が言った。
夜はさらに遅くなっていた。
牛が猿田の昇進記録を見ている。
「誰に」
「こっち側」
栗が、PERSIMMONで名前の出たGHSC幹部を指した。
「隊長を消す代わりに、猿田を上げた」
「それなら合わん」
「何が」
牛が別の紙を出した。
「こいつ」
一人。
「こいつも」
二人。
「こいつもじゃ」
三人。
いずれもPERSIMMONに関係していたGHSC側の人間。
誠の死後、失脚している。
一人は刑事事件になった。
一人は会社を追われた。
一人は所在不明。
「猿田が売った?」
「公式にはな」
栗が黙った。
「じゃあ猿田は、こいつらの味方じゃない」
剛が言った。
「少なくとも全部の味方じゃない」
蜂が答えた。
臼が壁を見る。
「隊長の味方でもない」
「そうじゃ」
牛が言った。
剛は猿田の名前を見た。
誠が死んだあと。
猿田は内部調査へ協力。
複数の不正を摘発。
評価を上げる。
昇進。
さらに別の案件。
また昇進。
三年。
現在。
「どっちにもついてない」
剛が言った。
牛が剛を見た。
「たぶんな」
栗が壁の前へ立った。
「じゃあ何したんだ、こいつ」
「使うたんじゃろ」
「何を」
牛が壁全体を指した。
「これを」
PERSIMMON。
「隊長が集めたもんを?」
「全部じゃない」
牛が言った。
「使えるところだけ使うた」
不正をしていた人間。
切る。
残す。
売る。
守る。
事実。
並べ替える。
誠の調査。
誠の犯罪。
猿田の告発。
猿田の功績。
「こいつらを助けたんじゃない」
栗が言った。
「こいつらを使った」
牛が頷いた。
「たぶんの」
剛は壁を見た。
「親父が育ててたものを」
栗が言った。
「猿田が途中で持っていった」
牛は答えなかった。
剛が言った。
「まだ青かった」
蜂が剛を見る。
「親父が言ってた」
剛は写真を見た。
笑っている誠。
笑っている猿田。
*
牛が一枚ずつ紙を外し始めた。
「何してる」
「穴ぁ探さにゃあ」
「穴?」
「あるはずなんじゃ」
古い資料と、新しい資料。
残ったもの。
消えたもの。
書き換えられたもの。
牛が床へ並べる。
一時間。
二時間。
深夜になった。
栗は椅子で寝かけていた。
臼はまだ起きている。
蜂はコーヒーを飲んでいた。
剛は壁を見ていた。
「ここ」
牛が言った。
全員が顔を上げた。
「何」
剛が近づく。
「つながらん」
「何が」
「分からん」
「分からないのかよ」
「じゃけぇ見とるんじゃ」
牛が古い資料を指した。
米丸の名前。
その先に、いくつかの記録。
輸送。
倉庫。
人間。
その一部が途中で消えている。
現在のPERSIMMONには、別の形で入っていた。
だが全部ではない。
「これ、消したんじゃないのか」
剛が訊いた。
「違う」
「何が違う」
牛はしばらく黙っていた。
「消せんかったんじゃ」
「何を」
「それが分からん」
牛が壁を見た。
*
剛は昔のことを思い出した。
柿だった。
どこだったかは覚えていない。
父親と歩いていた。
木に実がなっていた。
まだ緑だった。
「食える?」
「まだ食うな」
「なんで」
「渋いからだ」
「いつ食える?」
「熟したらな」
それだけだった。
何でもない会話だった。
*
壁にはPERSIMMONがあった。
誠が育てたもの。
猿田が奪ったもの。
同じ名前で、違う意味を持つもの。
猿田は柿を奪った。
熟す前に。
父親を殺した。
資料を奪った。
名前を奪った。
それでも、三年経って残っているものがある。
「これ、何だ」
剛が訊いた。
牛は答えなかった。
壁の一点を見ていた。
「残りもんじゃ」




