第五章 PERSIMMON 第五話 街
八日目、牛が夕方の作業をやめた。
それ自体が珍しかった。
日が傾き始めても、いつもなら工場棟から旋盤かグラインダーの音がしている。
その日は止まった。
しばらくして、牛が出てきた。
「ほいじゃぁ、街行くでぇ」
剛はM4の弾倉を抜いた。
「何しに」
「飯じゃ」
「ここで食えばいいだろ」
「一週間、同じもん食うとるじゃろうが」
「食えるならいいだろ」
「あんたぁ、十九で隠居しよるんな」
栗が笑った。
「賛成。俺も肉が食いたい」
「昨日も食っただろ」
「あれは肉が入ってた食い物だ。肉じゃない」
臼はもう荷物を持っていた。
剛が見た。
「お前、いつ用意した」
「さっき」
「行く気満々じゃねえか」
「飯だからな」
蜂も訓練用の服から着替えていた。
黒いパンツ。
薄いグレーのシャツ。
肩までのプラチナブロンドを下ろしている。
剛は見た。
蜂が見た。
剛はランドクルーザーを見た。
栗がそれを見た。
何も言わなかった。
*
銀色のトヨタ・ランドクルーザー100で、ルスタヴィへ戻った。
五人で乗ると、三列目まで使うことになった。
牛が運転席。
臼が助手席。
二列目に剛と栗。
蜂が三列目へ回った。
乾いた土地が少しずつ消えた。
道路脇に建物が増える。
古い集合住宅。
新しい店。
ガソリンスタンド。
洗車場。
道路を走る車も増えた。
訓練施設から三十分ほどで、街になった。
「どこで食う」
剛が訊いた。
「決めとる」
「珍しいな」
「わしゃ段取りの人間じゃぞ」
「一週間見てたけど、お前ずっと行き当たりばったりで俺の腕作ってるぞ」
「試作と晩飯を一緒にすな」
ランドクルーザーは先に小さなホテルへ入った。
豪華ではない。
三階建て。
道路側に小さな看板。
駐車場には白いメルセデスの古いセダンと、泥のついたラーダが停まっていた。
「泊まるのか」
剛が言った。
「飲むからの」
「帰ればいいだろ」
「飲んで運転するんか?」
「しない」
「ほいじゃ泊まるんじゃ」
正しかった。
剛はそれ以上言わなかった。
*
店はホテルから歩いて十分ほどだった。
大通りから一本入ったところにある、地元客の多い店だった。
観光客向けの装飾はほとんどない。
木のテーブル。
白い壁。
奥に焼き場。
肉と炭の匂いがした。
牛が何かを注文した。
栗も追加した。
蜂も何か言った。
臼も言った。
「待て」
剛が止めた。
「何人で食うつもりだ」
「五人」
臼が答えた。
「分かってる。量の話だ」
「五人分」
「お前の五人分は信用できない」
最初にパンとチーズが来た。
次に胡桃を使った野菜料理。
茄子。
香草。
サラダ。
そのあと、大皿のハチャプリ。
チーズを生地で包んで焼く、ジョージアではありふれたパン料理だった。
焼けた生地の中からチーズが伸びた。
ヒンカリが二十個。
挽肉と肉汁を厚めの皮で包んだ、大ぶりの水餃子に近い料理だ。
さらに二十個。
ムツヴァディ。
肉を串に刺して炭火で焼く、ジョージア式の串焼きだった。
炭火で焼いた豚肉が串から外され、玉葱と一緒に皿へ積まれた。
「多いだろ」
剛が言った。
「そうか?」
栗がヒンカリを取った。
「そうだろ」
臼がムツヴァディを取った。
食べた。
もう一つ取った。
さらに取った。
「お前、味わってるか?」
「味わってる」
「速度がおかしいだろ」
「噛んでる」
「そこじゃねえ」
栗が笑った。
「臼に飯食わせると店の在庫管理が始まるんだよ」
「失礼だな」
臼は言った。
肉を食べた。
説得力はなかった。
*
ワインが来た。
陶器のピッチャー。
赤。
地元のハウスワインだった。
ジョージアではワインは特別な酒ではない。地元のものなら驚くほど安かった。
牛が剛のグラスへ注いだ。
「ほれ」
「覚えてたのか」
「何を」
「酒代」
「当たり前じゃ」
剛はメニューを見た。
もう一度見た。
料理の値段を見る。
ワインを見る。
牛を見る。
「……お前、知ってたな」
「何を」
「酒が安いの」
「知っとったぞ」
「でも、高いって言ってただろ」
「どんくらい飲むかは、分からんかったじゃろ」
剛はテーブルを見た。
すでに空のピッチャーが一つある。
蜂の横には二つ目。
栗が三つ目を頼もうとしている。
「量で高くする気だったのかよ」
「約束は約束じゃ」
「銃と車と弾薬買ってもらって、これで払ったことになると思ってないぞ」
牛がワインを飲んだ。
「誰が払え言うた」
「だから」
「今夜の酒代出せ言うたんじゃ」
「同じだろ」
「違う」
「何が」
「桁が違うんじゃけぇ、払うてしもうたら、スッカラカンになるじゃろうが」
剛が黙った。
牛はヒンカリを取った。
「若いもんから金巻き上げてどうするんな」
「俺も仕事してる」
「知っとる」
「金もある」
「知っとる」
「なら」
「わしゃ、あんたが酒飲ましてくれたら、それでええ」
「……それでいいのか」
「ええけぇ払えや。今夜の酒代」
「ま、どんくらい飲むかはわからんけどの」
牛が臼と栗を見る。
臼と栗は肩を組み、剛に向けてグラスを持ち上げた。
臼がニヤリと笑った。
初めて見る表情だった。
怖かった。
*
食事は長くなった。
最初は訓練の話だった。
栗が剛の近距離射撃について文句を言った。
剛が栗の突入速度について文句を言った。
牛が二人とも五月蝿いと言った。
臼は食べていた。
蜂が笑った。
いつの間にか、昔の話になった。
「覚えとるか。あのランドローバー」
牛が言った。
「どれだよ」
栗が訊いた。
「後ろのドア閉まらんようになったやつ」
「ああ。お前が壊したやつ」
「わしじゃない」
「お前だよ」
「栗じゃ」
「俺は蹴っただけだ」
「蹴ったから壊れたんじゃろうが」
「その前から壊れてた」
「閉まっとったわ!」
「閉まってるように見えてただけだ」
「それを閉まっとる言うんじゃ!」
蜂が笑った。
「結局、針金で縛った」
「誰が?」
剛が訊いた。
「隊長」
栗が答えた。
その一言で、ほんの少しだけ間ができた。
牛がワインを飲んだ。
「雑じゃったのう」
「走ればいいって人だったから」
蜂が言った。
「牛より?」
「わしゃちゃんと直すわ」
「三日後に」
「直しゃ同じじゃ」
また話が続いた。
*
「蜂が来たばっかりのころもあったな」
栗が言った。
「何が」
「店で絡まれたやつ」
蜂が眉を寄せた。
「どれ?」
「多すぎて分からないって顔するなよ」
「実際、分からない」
「ほらな」
栗が剛を見る。
「十六の蜂が店に入ってきたら、そりゃ目立つだろ」
「お前ら十六歳連れて何の店行ってたんだよ」
「飯屋だよ」
「本当か?」
「そこ疑うな」
蜂が思い出した。
「ああ。臼のやつ?」
「それ」
剛が臼を見る。
「何した」
「立った」
「それだけ?」
「後ろに」
栗が笑った。
「蜂にしつこく話しかけてる男がいてさ。蜂はまだ今ほどあしらい方が上手くなかった」
「余計なこと言わなくていい」
「で、臼が後ろに立った」
「それで?」
「血相変えて、男がいなくなった」
剛は臼を見た。
百九十センチを超える身体。
座っていても大きい。
「そりゃいなくなるだろ」
「何もしてない」
臼が言った。
「存在がしてるんだよ」
*
次は剛の話になった。
「お前も大概じゃったぞ」
牛が言った。
「何が」
「八つか九つのころじゃ。人の工具箱勝手に開けて」
「開けてない」
「開けた」
「覚えてない」
「わしの十ミリのソケット持ってったじゃろ」
「知らねえよ」
「三日も探したんぞ」
「俺じゃない」
「お前じゃ」
蜂が言った。
「剛だった」
「なんで覚えてる」
「見たから」
「返しただろ」
「返してない」
栗も言った。
「返してねえな」
「お前まで何で覚えてるんだよ」
「面白かったから」
臼が言った。
「車の下から出てきた」
「何が」
「ソケット」
「ほら、俺じゃない」
「お前が車の下に投げた」
「なんでそんなことするんだよ」
四人が剛を見た。
「した」
蜂。
「したな」
栗。
「した」
臼。
「したのう」
牛。
「…………」
剛はワインを飲んだ。
「多数決で過去を捏造するな」
*
笑った。
久しぶりだった。
五人とも、よく笑った。
訓練施設では笑わなかったわけではない。
だが、あそこでは常に何かをしていた。
銃。
義手。
車。
PERSIMMON。
ここには何もなかった。
料理と酒だけだった。
五人だった。
昔は、七人だった。
誰もそれを言わなかった。
言う必要もなかった。
栗が空になったグラスへワインを注いだ。
牛が料理を追加した。
臼が食べた。
蜂が笑った。
剛も笑った。
五人で話を続けた。
*
蜂が暑くなったのか、薄い上着を脱いだ。
椅子の背へ掛ける。
剛が見た。
蜂が見る。
剛はヒンカリを見た。
蜂の口元が少し動いた。
「何だよ」
「何が?」
「今笑っただろ」
「笑ってない」
「笑った」
「気のせい」
剛がヒンカリを取った。
栗が向かいから二人を見た。
ワインを飲んだ。
何も言わなかった。
*
「会計、全然たいしたことなかったな」
「店からストップかかったけぇの」
「……誰のせいだよ」
店を出たころには、夜になっていた。
空気が少し冷えている。
ホテルまでは歩いて戻れる。
牛と臼が先に歩いた。
蜂もその後ろへ続いた。
「剛」
栗が呼んだ。
「何だ」
「もう一軒行くぞ」
「まだ飲むのか」
「酒じゃない」
剛は栗を見た。
「何だよ」
「いいから来い」
「嫌な予感しかしないんだが」
「十九歳がそんな顔するな」
「十九歳関係あるか?」
「ある」
栗が歩き出した。
剛は少し迷った。
ついていった。
*
大通りを外れた。
照明が変わった。
飲食店が減り、バーが増えた。
小さなクラブ。
ビリヤードの看板。
紫色のネオン。
入口に女が立っている店。
栗は迷わず歩いた。
剛は途中で気づいた。
「おい」
「何だ」
「どこ行く」
「もうすぐ」
「そういう意味じゃねえ」
栗が笑った。
「分かった?」
「帰る」
「まだ入ってねえぞ」
「帰る」
「何だよ」
「いい」
「何が」
「いらない」
栗が立ち止まった。
剛も止まる。
店の入口から女がこちらを見た。
栗が剛を見る。
「お前、あれか」
「何だ」
「蜂がいるから?」
「違う」
答えが早かった。
「じゃあ何だよ」
「別に」
「別にで帰るなよ」
「金払ってまでやることじゃないだろ」
「……お前、妙に固いな」
「悪いか」
「悪くないけど」
栗が剛の顔を見た。
何かを考えた。
「……お前、初めてか?」
「…………」
剛は答えなかった。
栗の顔から笑いが消えた。
「マジか」
「うるせえ」
「いや待て。十九だぞ?」
「十九だから何だ」
「二年一人で仕事してただろ」
「仕事してたんだよ」
「一回も?」
「帰るぞ」
剛が踵を返した。
「待て待て待て」
「何だよ」
「いや、別に悪いとは言ってねえよ」
「顔が言ってる」
「驚いただけだ」
「その顔やめろ」
「だってお前」
「栗」
「分かった。分かったから」
「誰にも言うなよ」
「言わねえよ」
栗が言った。
信用できない顔だった。
しばらく歩いた。
剛が声を落として訊いた。
「お前は、蜂とは何もなかったのか」
「ない」
「即答だな」
「あれはおっかない女だ」
「本人の前で言えるか?」
「言えるわけねえだろ」
剛が少しだけ笑った。
「それだけか?」
「……妹みたいなもんだからな」
「……そうか」
*
ホテルへ戻ると、ロビー脇の小さなラウンジに三人がいた。
牛。
臼。
蜂。
テーブルにはワインの瓶があった。
剛が栗を見る。
「まだ飲んでるぞ」
「見りゃ分かる」
「お前ら早かったな」
牛が言った。
「店閉まっとったんか?」
「違う」
剛が答えた。
栗が横を向いた。
肩が動いた。
「お前」
「何も言ってねえ」
「笑うな」
「笑ってねえ」
蜂が二人を見る。
「何?」
「何でもない」
剛が言った。
「何かあった?」
「ない」
栗の肩がまた動いた。
「栗」
「だから何も言ってねえって」
牛がワインを注いだ。
「何じゃ。女にでも振られたんか」
栗が吹いた。
剛が目を閉じた。
「お前……」
「俺じゃねえだろ!」
「今ので全部分かっただろ!」
「何が?」
蜂が訊いた。
「何でもない」
剛。
「女の店行っただけだ」
栗。
「栗」
「入ってねえだろ」
「黙れ」
牛が笑った。
「なんじゃ。剛が怖じ気づいたんか」
「違う」
「違わねえだろ」
「栗」
「じゃあ何て説明すんだよ」
「説明する必要がない!」
臼がワインを飲んだ。
「喧嘩するな」
「お前は黙ってろ」
栗が剛を見る。
少し考えた。
「いや、こいつがさ」
「栗」
「十九で」
「栗」
「初めてだって」
「殺すぞ」
「まだ何もしてねえよ」
牛が止まった。
臼も剛を見た。
蜂だけ、少し遅れた。
「……初めて?」
「お前まで聞くな」
「本当に?」
「聞くなって言ってんだろ」
栗が笑った。
「俺もびっくりしたんだよ。二年も一人で仕事してて」
「仕事してたんだよ!」
牛が口元を押さえた。
「お前も笑うな」
「笑うとらん」
「笑ってるだろ」
「そがぁなこたぁない」
「それ否定するときの顔じゃねえだろ!」
臼は笑わなかった。
「別にいいだろ」
剛が臼を見る。
「……お前だけだ。まともなの」
「必要なら栗に教えてもらえ」
「お前も駄目だ」
栗が腹を抱えた。
牛もとうとう笑った。
剛は椅子へ座った。
「全員死ね」
「蜂もか?」
栗が言った。
「何で蜂を出すんだよ!」
剛は一瞬、蜂を見た。
栗が牛を見た。
牛も栗を見た。
ほんの一瞬だった。
どちらも何も言わなかった。
また笑いが起きた。
蜂は笑わなかった。
グラスを持ったまま、剛を見ていた。
何も言わなかった。




