第五章 PERSIMMON 第四話 蜂
気づいていた。
剛が私を見ていることには、最初から気づいていた。
下手だ。
見る。
気づく。
逸らす。
しばらくして、また見る。
本人は隠しているつもりらしい。
隠れていない。
*
視線には慣れている。
狙撃手としても。
女としても。
人間は、見ているつもりで見られている。
双眼鏡を使っても、スコープを使っても、それは変わらない。
どこを見るか。
どれくらい見るか。
いつ逸らすか。
何かを隠そうとしている人間ほど、視線はよく動く。
剛は特に分かりやすかった。
私が水を飲む。
見る。
喉。
私がしゃがむ。
見る。
腰。
射撃姿勢を取る。
見る。
背中。
腰。
その先。
途中で自分が何を見ているのか気づく。
逸らす。
少し経つ。
また見る。
面白い。
別に腹は立たなかった。
男に見られること自体は珍しくない。
露骨に値踏みされれば不快になる。
こちらが嫌がっているのに続ければ、対処する。
剛は違った。
見たい。
でも見てはいけない。
その二つが、顔にそのまま出ている。
見るなら見ればいいのに。
そう思った。
*
私がSARUKANIへ来たとき、剛は八歳だった。
小さかった。
蟹澤の後ろをついて歩くような子供ではなかった。
勝手に歩いていた。
大人たちが銃を分解していても気にしない。
車両の横で装備を積んでいても、その間を普通に通る。
銃声にも驚かなかった。
だからといって、兵士だったわけではない。
子供だった。
蟹澤のところの小さいの。
最初は、そのくらいだった。
私が二十歳になったころにも、剛はまだ子供だった。
二十四のころ、最後に見た剛も十六だった。
大きくはなっていた。
銃も扱えた。
GHSCの訓練にも入っていた。
それでも私から見れば、まだ剛だった。
三年経った。
十九歳になった。
背が伸びた。
肩が広くなった。
顔から子供っぽさが消えた。
左腕がなくなった。
三年前にはなかった傷も増えた。
それでも、最初に見たときは剛だった。
男である前に、剛だった。
だから少し意外だった。
その剛が、私を見る。
女を見る目で。
*
嫌ではなかった。
むしろ、少し可笑しかった。
剛も十九歳だ。
この三年間のうち、二年近くは一人で武装契約の仕事をしていた。
私たちの知らない土地へ行った。
私たちの知らない人間と仕事をした。
私たちの知らない生活をしてきた。
女だって知っただろう。
十九歳の男なら、それくらい普通だ。
そう思っていた。
だから、少し試してみたくなった。
*
剛の姿勢を直す必要はなかった。
少なくとも、あんな直し方をする必要はなかった。
二年間、あの姿勢で生き残っている。
基礎から教えるような相手ではない。
M4を持って、剛が地面へ伏せた。
右肩へ銃床。
左の義手でハンドガード。
撃つ。
中央近く。
もう一発。
少し右。
三発目。
中央。
問題ない。
「肩、力抜いて」
「抜いてる」
抜けている。
「抜けてない」
撃つ。
中央。
「まだ硬い」
嘘だった。
剛が少しだけ顔を動かした。
「これで硬いなら、どうしろってんだ」
「そのまま」
近づいた。
横から手を伸ばすだけでよかった。
そうしなかった。
剛の左側へ伏せた。
義手とハンドガードの位置を直す。
そこまでなら、普通だった。
右手を剛の肩越しへ伸ばした。
身体を寄せる。
上体が剛の背中へ重なる。
胸が剛の背中へ触れた。
分かっていた。
その程度は分かる。
そこまでする必要はなかった。
少し、試してみたかった。
「違う。こう」
剛の肩を動かす。
反応しない。
いや。
身体は動かない。
呼吸が少し変わった。
分かりやすい。
「肩、力抜いて」
耳元で言った。
「……抜いてる」
「抜けてない」
もう少し身体を寄せた。
剛の背中が硬くなった。
肩も硬くなった。
今度は本当に硬い。
笑いそうになった。
でも撃つ。
中央。
もう一発。
中央。
そこは崩れない。
「そう。いい感じね」
弾着を見て言った。
身体を離した。
「次」
剛が動かなかった。
あれ。
「剛?」
「待て」
「何?」
「……ちょっと待て」
左腕を見る。
義手か。
「腕?」
「違う」
「じゃあ何?」
「…………」
剛は地面を見ている。
「地面を見てる」
地面を見た。
乾いた土。
小石。
空薬莢。
何もない。
「…………?」
何を見ているんだろう。
「いいから、ちょっと待て」
待った。
剛はまだ地面を見ている。
十秒。
もう少し。
あ。
もしかして。
剛を見る。
伏せたまま。
動かない。
顔は見えない。
なるほど。
たぶん。
笑わなかった。
そこを指摘するほど子供ではない。
それに、私がやった。
少し効きすぎたらしい。
十九歳なら、こんなものなのだろう。
しばらくして剛が身体を起こした。
「もういい?」
「いい」
「何だったの」
「何でもない」
私を見る。
すぐ標的を見る。
「次やるぞ」
「そう」
訊かなかった。
訊く必要もなかった。
たぶん分かった。
それより、別のことのほうが気になった。
あの状態で、一発も外していない。
呼吸は変わった。
身体も硬くなった。
頭の中だって、たぶん射撃だけではなかった。
それでも引き金を絞る瞬間には戻ってくる。
弾は中央へ行く。
悪くない。
そこは、蟹澤の息子だった。
いや。
それだけでもない。
二年間、一人で生き残った人間の撃ち方だった。
*
翌朝。
「おはよう」
「……おう」
見ない。
昨日より酷い。
「何?」
「何が」
「顔」
「顔が何だよ」
「こっち見ないから」
「見てるだろ」
見る。
目が合う。
すぐ逸らした。
パン。
そこまで急いでパンを見る必要があるのだろうか。
「見てない」
「見たでしょ」
「今はな」
「変なの」
「うるさい」
コーヒーを飲む。
視線。
来た。
喉。
すぐ消えた。
またパン。
昨日より分かりやすくなっている。
何があった。
いや。
たぶん、昨日のことだ。
まだ気にしているらしい。
十九歳というのは面倒だ。
*
訓練が始まると、剛は戻った。
栗が前へ出る。
剛は後ろを見る。
臼が止まる。
剛は正面ではなく、その理由を見る。
私は右へ回る。
剛が左を見る。
誰も見ていないところを見る。
昨日までにも何度かあった。
最初は偶然かと思った。
違った。
剛は射撃では私に及ばない。
近距離なら栗のほうが速い。
臼と組めば話にもならない。
機械や爆薬なら牛に任せるしかない。
それでも、五人で動くと剛だけが違うものを見ることがある。
自分の仕事ではない場所。
誰の仕事にもなっていない場所。
穴。
私がスコープを覗いているとき、剛の声がした。
「蜂、右」
右へ振る。
標的。
撃つ。
倒れる。
顔を上げる。
剛が手を上げた。
それだけ。
命令したつもりもないらしい。
見えたから言った。
栗が剛を見ている。
私も見た。
剛は気づいていない。
こういうところは、昔にはなかった。
いや。
あったのかもしれない。
私が見ていなかっただけか。
*
休憩になった。
髪を結び直す。
視線。
来る。
剛。
見る。
私が顔を向ける。
逸らす。
M4を見る。
少し待つ。
また来る。
顔を向ける。
またM4。
何回やるんだろう。
もう一度。
来た。
合わせる。
逸らす。
面白い。
少し笑った。
「何だよ」
気づいた。
「別に」
「なら笑うな」
「笑ってない」
「笑っただろ」
「気のせい」
「絶対笑った」
今度は本当に笑った。
「ほら」
「何?」
「笑ってる」
「だから?」
「……もういい」
剛がM4へ戻った。
子供のころも、こんな顔をした。
気に入らないことがある。
でも言い返す材料がない。
そういうとき、剛は口を少し曲げる。
そこは変わっていない。
変わっていないところもある。
変わったところもある。
十九歳。
三年。
長いのか。
短いのか。
よく分からない。
*
午後の演習、剛と栗が事務棟へ入った。
私は外から二階を見た。
臼は裏。
牛は今日も工場。
遠くから旋盤の音がする。
ギィィィン。
止まる。
また鳴る。
無線。
『蜂』
剛。
「何」
『二階、奥から二つ目』
見る。
窓。
影。
「見えた」
『任せる』
照準。
撃つ。
標的が倒れる。
『命中』
「知ってる」
『言ってみただけだ』
「いらない」
『冷てえな』
少し笑う。
声だけなら普通だ。
仕事をしている間は普通。
終わると、また見る。
面白い男になった。
男。
そう考えて、少しだけ引っかかった。
剛をそう呼ぶことに、まだ慣れない。
私の中では、剛は長い間、剛だった。
それで十分だった。
今もたぶん、そうだ。
*
夕方。
射撃台の横でSSG 08を点検する。
ボルトを開く。
確認。
閉じる。
布で外側を拭く。
視線。
まただ。
顔を上げる。
剛はM4を見ていた。
遅い。
狙撃なら死んでいる。
今、見ていた。
絶対に見ていた。
何も言わない。
SSG 08へ戻る。
しばらくして、また視線。
今度は顔を上げない。
好きにさせる。
剛は、気づかれていないと思っている。
たぶん。
いや。
絶対にそう思っている。
十九歳の男なんて、こんなものなのだろう。




