第五章 PERSIMMON 第一話 五人
空が広かった。
日陰がなかった。
ルスタヴィを抜けて東へ走るにつれ、道路の両側から建物が消えていった。低い草と乾いた土が広がり、その向こうに岩肌の露出した丘が続いている。
砂漠ではない。
だが、ベルギーから来た人間には十分すぎるほど乾いて見えた。
舗装路を外れて十五分ほど走ると、錆びた鉄骨とコンクリートの建物が見えてきた。
採石場に付属していた工場だったらしい。
砕石設備の一部が残り、巨大なホッパーが空へ口を開けている。その周囲に倉庫と事務棟、整備棟。さらに奥には切り立った採石壁があった。
いまは民間の訓練施設として使われている。
採石場跡が長距離射場になり、工場の建物は近接戦闘の訓練区画に変わっていた。建物の間を抜ける未舗装路には、古いタイヤの跡が何本も残っている。
三週間。
二十一日。
それが五人に与えられた時間だった。
「いいところね」
蜂が言った。
プラチナブロンドの髪を低い位置で束ね、遠くの採石壁を見ていた。
「何もないぞ」
栗が言った。
「だからいいの」
臼は何も言わなかった。
牛もいなかった。
「牛は?」
剛が訊いた。
栗が後ろを指した。
トラックの荷台から、木箱が降ろされていた。
工具箱。
金属製のケース。
鋼材。
樹脂板。
小型の工作機械。
まだある。
「……引っ越してきたのか?」
栗が言った。
「足りんもんは現地で買う」
牛が答えた。
白髪の混じった髪を後ろでまとめている。袖をまくり、荷物を一つずつ確認していた。
「三週間だぞ」
「じゃけぇじゃ」
「何が」
「三週間しかないんじゃ」
栗はそれ以上訊かなかった。
*
荷物を置いて、五人は施設を一周した。
誰が言い出したわけでもない。
昔なら、こういうとき最初に話す人間がいた。
蟹澤誠だった。
射場を見て、建物を見て、地形を見て、その日の予定を決めた。
猿田伸吾が横から口を挟んだ。
たいてい余計な一言がついていた。
二人ともいない。
「で?」
栗が言った。
五人が止まった。
誰も答えなかった。
三秒ほどだった。
「とりあえず動けば?」
蜂が言った。
「そうするか」
栗が歩き出した。
それだけだった。
隊長なり、リーダーなりを決める話にはならなかった。
*
最初の二日は、互いの現在地を確認することに使った。
三年は長い。
人間が別人になるには短いが、戦い方が変わるには十分だった。
蜂は変わっていなかった。
射撃姿勢に入る。
待つ。
撃つ。
それだけだった。
STEYR SSG 08の発射音が採石壁へ当たり、乾いた反響を返した。
標的を確認した栗が言った。
「相変わらず気持ち悪いな」
「ありがとう」
「褒めてない」
「知ってる」
栗も変わっていなかった。
近距離へ入るほど動きが速くなる。
遮蔽物の陰へ消えたと思えば、次には別の場所にいる。銃口と視線がほとんど同時に動いた。
臼はもっと変わっていなかった。
百九十センチを超える身体が、見た目ほど鈍くない。
むしろ速かった。
大きな身体を小さく使うことを知っている。
そして、必要になれば大きく使える。
「牛は?」
昼前、栗が言った。
剛も周囲を見た。
いない。
しばらくして工場棟のほうから音がした。
ギュイーン。
何かを削っている。
「……もう始めてるぞ」
栗が言った。
蜂がそちらを見た。
「放っておけば?」
そうすることにした。
*
午後、栗が剛を見た。
「やるか」
「何を」
「どのくらい動けるか」
「俺?」
「三年前のお前しか知らねえからな」
剛はM4型カービンを持ち上げた。
施設から借りた銃だった。
特別なものではない。
五・五六ミリ。伸縮銃床。光学照準器。
それで十分だった。
「左、使えないんだよな」
「見りゃ分かるだろ」
「見えるのと、使えないのは別だ」
「やれば分かる」
剛は義手をつけたまま開始位置へ入った。
合図。
走った。
遮蔽物へ入る。
右手で銃を操作する。
身体へ預ける。
撃つ。
移動。
弾倉を替える。
また撃つ。
左腕を失ってから覚えた動作だった。
速くはない。
だが止まらない。
動作と動作の間に、考えている時間がなかった。
栗が途中からテンポを上げた。
剛も上げた。
標的が増えた。
撃った。
移動した。
伏せた。
立った。
最後の標的へ二発。
「終わり」
栗が言った。
剛は安全を確認して銃口を下げた。
息が少し上がっていた。
栗がしばらく剛を見た。
「……普通に使えるじゃねえか」
「二年これで飯食ってんだぞ」
「誰も食えないとは言ってねえよ」
「顔に書いてあった」
「違う」
栗は剛の右側を指した。
「全部そっちだな」
「左がないからな」
「そうじゃねえ」
栗は剛が通ったコースを見た。
「一人用だ」
「何が」
「全部、自分でやってる」
「当たり前だろ」
「今まではな」
栗が自分の胸を親指で指した。
「俺がいる」
剛は黙った。
「蜂もいる。臼もいる。牛もいる。まあ、あいつはいま鉄削ってるけど」
遠くでまた音がした。
ギュイーン。
「お前、一人で生き残るように出来上がってるぞ」
「悪いか」
「悪くない」
栗は即答した。
「五人なら、もったいないって話だ」
剛は自分の左腕を見た。
義手の五本の指は動かなかった。
右手で銃を持っている。
二年間、それで困らないようにしてきた。
困らないことと、最善であることは違うらしい。
*
翌日は複数で動いた。
最初からうまくはいかなかった。
それでも、ひどくもなかった。
三年間離れていたとはいえ、蜂と栗と臼は互いの癖を知っている。
剛だけが少し違った。
八歳のころから彼らを見ていた。
十六歳では訓練にも混じった。
だが、いまの剛はあのころの剛ではない。
栗が前へ出た。
蜂が射線を変えた。
臼が反対側へ回る。
剛は標的へ銃を向けた。
何かが引っかかった。
「待て」
三人が止まった。
剛は右を見た。
「そこ、誰も見てない」
栗が振り返った。
建物とコンクリート壁の間。
確かに空いていた。
蜂が何も言わず二歩移動した。
「続けるぞ」
栗が言った。
訓練を再開した。
しばらく後、臼が位置を変えた。
その瞬間、別の角度が空いた。
「蜂、右」
蜂が動いた。
それで埋まった。
剛はそれ以上何も言わなかった。
自分が指示を出したとも思わなかった。
見えたから言った。
それだけだった。
*
夕方、剛は工場棟へ牛を探しに行った。
扉を開ける前から音がしていた。
ガリガリガリ。
止まった。
カン。
カン。
扉を開けた。
「……何だこれ」
朝には何もなかった部屋に、牛が町工場を生やしていた。
作業台が二つ。
万力。
小型旋盤。
ボール盤。
卓上のフライス盤。
溶接機。
グラインダー。
測定工具。
金属棒と板材。
樹脂材。
壁際には工具箱が積まれている。
切削油の匂いがした。
牛が作業台の前にいた。
「何しに来たんじゃ」
「呼ばれたから来た」
「そうじゃった」
「もう忘れたのか」
「座れや」
剛は椅子に座った。
「義手外せや」
「何する」
「見る」
剛は左腕の義手を外した。
左上腕の断端が現れた。
牛はまず義手を見た。
ソケット。
肘。
前腕。
手。
次に剛の左上腕を測った。
何か所か数字を取る。
肩からの距離も測った。
「痛いとこあるか」
「長くつけてると、ここ」
剛が位置を示した。
牛が見る。
「ほかは」
「ない」
「動かしてみい」
剛が肩を動かした。
牛は黙って見ていた。
剛が義手を見て言った。
「これ改造するのか?」
「いや、弄らん」
「じゃあ何してる」
「別に作る」
剛は牛を見た。
「義手を?」
「そうじゃ」
「これがある」
「そいつはそいつで使え」
牛は日常用義手を剛へ返した。
「服着る。飯食う。物持つ。生活する。よう出来とる」
「じゃあ要らないだろ」
「戦うために作ったもんじゃなかろう」
牛はノギスを置いた。
「何作るんだ」
「知らん」
「……知らない?」
「知らん」
牛は剛の左肩を指した。
「あんたが何に困るんか、まだ全部見とらん」
「二年使ってる俺に訊けよ」
「訊く」
「じゃあ」
「あんたが気づいとらんことも見る」
剛は黙った。
牛が笑った。
「ほいじゃぁ、明日から時々腕貸せ」
「これ?」
「そっちはいらん」
牛は剛の右腕を指した。
「それはもっといらん」
「じゃあどれだよ」
「左じゃ」
「ないぞ」
「あるじゃろうが」
牛は断端を指した。
「残っとる」
*
夕食は簡単だった。
パン。肉。チーズ。野菜。
酒はなかった。
栗が買い忘れた。
「剛が買えばよかったのに」
「なんで俺なんだ」
「一番若いから」
「理由になってない」
「明日買え」
「訓練だろ」
「夜に飲むんだよ」
臼は黙って肉を食っていた。
蜂はパンをちぎっていた。
牛は食べながら紙へ何かを書いている。
「何だそれ」
剛が訊いた。
「材料」
「足りないのか」
「足りん」
「トラック一台分持ってきただろ」
「足りんもんは足りん」
「三週間でできるの?」
蜂が訊いた。
「知らん」
栗が笑った。
「お前、今日そればっかりだな」
「知らんもんを知っとる言うほうがおかしかろうが」
牛はパンを口へ入れた。
「ただ、明日から剛はちょこちょこ呼ぶようになる」
「何回」
「知らん」
「五分とか言うなよ」
「五分で済むかもしれん」
「済まなかったら?」
「済むまでじゃ」
剛はため息をついた。
*
食事が終わった。
皿を片づけた。
牛が車からケースを持ってきた。
開けた。
紙の束。
写真。
コピー。
古い記録。
ベルギーから持ってきたPERSIMMONだった。
壁へ貼る。
古いもの。
新しいもの。
三年前より前から、会社の外に残っていた断片。
事件後、GHSC内部で正式な記録になったもの。
同じ作戦名が並んでいる。
同じ人間。
同じ車両。
同じ金。
同じ死者。
だが、意味が違う。
栗の顔から笑いが消えた。
蜂が椅子を壁へ向けた。
臼も座った。
剛は父親の名前を見た。
KANIZAWA MAKOTO。
その横に、別の名前がある。
SARUTA SHINGO。
牛が壁を見た。
「昼は、こっちを合わせる」
五人を指した。
次にPERSIMMONを指した。
「夜は、こっちじゃ」
「三週間で足りるか?」
栗が訊いた。
牛は少し考えた。
「知らん」
「やっぱりそれか」
「じゃが」
牛は椅子へ座った。
「三年前よりは、だいぶ材料がある」
五人は壁を見た。
その夜、日付が変わるまで話した。
*
寝床へ戻る途中、剛は工場棟の前を通った。
明かりがついていた。
牛はまだいた。
作業台の前に座っている。
昼間に測った数字が紙へ並んでいた。
その横には金属と樹脂の部材が置かれている。
まだ腕には見えなかった。
手にも見えなかった。
牛が旋盤を回した。
金属を削る音が、夜の工場に響いた。
壁一枚隔てた部屋には、PERSIMMONが貼られている。
剛はしばらく見ていた。
やがて寝床へ戻った。
背後で、また金属を削る音がした。
どちらも、まだ形にはなっていなかった。




