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Operation PERSIMMON  作者: lemonia
青い柿

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第一章 青い柿 第一話 青い柿

 モルドバ東部。


 ドニエストル川から十数キロ離れた、沿ドニエストル地域の農村部。


 山から吹き下ろしてくる風には、もう秋の匂いが混じっていた。


 それでも陽射しは強かった。午後の太陽は、長いあいだ手入れされていない農家の石壁を白く焼き、崩れかけた納屋の波板を鈍く光らせている。


 蟹澤剛は軒下の日陰に腰を下ろし、膝の上にM4A1カービンを置いていた。


 弾倉を抜く。左手で受ける。


 右手でチャージングハンドルを引き、薬室を見る。


 戻す。


 弾倉を差す。


 軽く引いて、確実に掛かったことを確かめる。


 もう一度抜く。


「何回やるんだ」


 背後から声がした。


 剛は振り返らなかった。


「別に」


「さっきから四回やってる」


「見てたのかよ」


「見えるところでやってる奴が悪い」


 蟹澤誠はそう言って、軒下に入ってきた。


 四十を過ぎた身体には余分な肉がない。迷彩服の上半身は汗で色が変わっていたが、歩き方には疲労を感じさせなかった。


 H&K G36をスリングで身体の前へ吊っている。


 父親として見るより、装備を着けた誠を見る時間のほうが、最近の剛には長かった。


 誠が剛のM4A1へ手を伸ばした。


 剛は反射的に引いた。


「いい」


「よこせ」


「自分でやる」


「だからよこせ」


 剛は舌打ちして、左手でハンドガードを持ち、銃を差し出した。


 誠は受け取ると、弾倉にも照準器にも触れなかった。


 スリングを引いた。


「長い」


「さっき合わせた」


「歩くだけならな」


 誠はバックルを数センチ詰め、M4A1を剛へ返した。


「走ったら暴れる。しゃがんだら膝に当たる。転んだらもっと面倒だ」


「転ばねえよ」


「そういうこと言う奴から転ぶ」


 剛は左腕をスリングに通した。確かにさっきより銃が身体へ寄った。


 気に入らなかった。


 具合がいいのが、さらに気に入らなかった。


「……最初から言えよ」


「言ったらお前、直さないだろ」


 誠は笑った。


 剛は答えず、弾倉をポーチへ戻した。


 十六歳だった。


 GHSCの書類上、蟹澤剛は訓練生だった。


 Global Harmony & Stability Corporation。


 日本語にすれば、世界調和安定社。


 紛争地域における危機管理、施設警備、輸送支援、要人保護、現地治安要員への教育訓練。会社案内には、そのような言葉が並んでいた。


 GHSC内部での彼らの正式名称は「現地業務部第三特別事業班」。


 Special Projects Unit 3。SPU-3。


 そんな名前で呼ぶ者は誰もいなかった。


 会社は軍隊ではない。


 SPU-3も軍事部隊ではない。


 ということになっている。


「隊長」


 庭から声がした。


 誠が顔を向けた。


 剛も立ち上がった。


 猿田伸吾が、低い石垣の向こうから歩いてきた。


 右手にSAKO TRG M10を持っている。


 剛のM4A1よりずっと長い。太い銃身の先端にはサプレッサーが付き、スコープの対物レンズが陽を拾って一瞬光った。


「北側、異常なし」


「道路は?」


「犬が一匹」


「犬?」


「茶色。中型。こっち見てた」


「武装は」


「確認できず」


 誠が真顔で頷いた。


「警戒を続けろ」


「了解」


 剛は二人を見た。


「猿田さん、何やってんだよ」


「状況報告だ」


 猿田は平然と言った。


「犬だろ」


「犬を舐めるな。お前より鼻が利く」


「銃は撃てねえだろ」


「お前より射撃が下手だという証拠もない」


「撃てねえって言ってんだよ」


 誠が笑った。


「猿田、あんまり虐めるな」


「隊長が甘やかすから育たないんだよ」


「誰が育ってねえって?」


 剛が立ち上がると、猿田は剛の胸元を見た。


「マガジン」


「は?」


「左」


 剛が視線を落とした。


 チェストリグの左端のポーチから弾倉が一本、わずかに高く出ている。


 座っていた間に引っ掛けたらしい。


 剛が左手で押し込んだ。


「それで走ると落とすぞ」


「落とさねえ」


「落としてから言え」


「落としたら言えねえだろ」


「口だけは使えるようになったな」


「うるせえ」


 猿田は笑った。


 嫌な笑いではなかった。


 少なくとも、そのときの剛はそう思っていた。


 誠が腕時計を見た。


「十五分で出る」


「了解」


 猿田は答えた。


 剛も小さく頷いた。


 この農家は、地図上ではもう誰のものでもなかった。


 かつては誰かが住んでいた。


 母屋には古い食器が残り、壁には額から抜かれた写真の跡が四角く残っている。納屋には錆びた農具が転がり、庭の隅には朽ちた葡萄棚があった。


 住人がいつ消えたのか、剛は知らない。


 死んだのか。


 逃げたのか。


 戻ってくるつもりなのか。


 沿ドニエストルの農村部では、どれも珍しくなかった。


 石垣のそばに一本だけ、大きな木が残っていた。


 葉の間に、緑色の実がいくつも見える。


 剛は最初、それが何なのか分からなかった。


「柿か」


 誠が言った。


「こんなところにもあるんだな」


 猿田が木を見上げた。


「食えるのか?」


「まだ早い」


「見れば分かる」


 実はどれも青かった。


 日本で見る柿より少し小さく見えた。


 猿田が一本の枝を眺めた。


 そのまま何気なく、SAKO TRG M10を構えた。


「おい」


 誠が言った。


「何だよ」


「何する気だ」


「暇潰し」


 猿田はスコープを覗いた。


 剛は呆れて見ていた。


「猿田さん、弾もったいねえだろ」


「会社のだ」


「そういう問題じゃねえよ」


「じゃあ、お前が払え」


「なんで俺が」


 猿田の指が動いた。


 乾いた発射音がした。


 サプレッサーを通しても、銃声は映画のようには消えなかった。短く押し殺された破裂音が庭を走り、山肌へ抜けた。


 葉が揺れた。


 一個の柿が枝から弾けた。


 緑色の実は石垣に当たり、土の上へ転がった。


「当たった」


 猿田が言った。


「当たり前だろ」


 誠は呆れたように答えた。


「外したら格好悪いだろうが」


 猿田はTRG M10のボルトを操作した。


 7.62mm NATOの空薬莢が陽光を反射して飛び、乾いた土に落ちた。


 誠は足元へ転がってきた柿を拾った。


 左手の掌で転がして見る。


 弾は実の端を抉り取っていた。


「青いぞ」


「見りゃ分かる」


「食えない」


「食うために撃ったんじゃない」


 誠は傷ついた実を鼻先へ持っていった。


「もったいない」


「一個くらいいいだろ。まだ山ほどある」


「熟すまで待てば甘くなる」


 猿田はTRG M10を肩に掛けた。


「待ってたら誰かに取られる」


 誠が猿田を見た。


 猿田も見返した。


 ほんの一瞬だった。


「それもそうか」


 誠が笑った。


 青い柿を猿田へ投げた。


 猿田は左手で受け取った。


「いらねえよ」


「お前が撃ったんだ。責任持て」


「どうしろってんだ」


「熟すまで持っとけ」


「無茶言うな」


 猿田は笑いながら、柿を剛へ投げた。


「ほら」


「俺もいらねえよ」


 剛は反射的に左手を出した。


 硬い青柿が掌に収まった。


 ひどく青臭い匂いがした。


「十五分って言っただろ」


 誠が言った。


「あと十二分だ」


 剛は柿を猿田へ投げ返した。


「猿田さんが持ってろよ」


「お前、隊長命令だぞ」


「猿田さんへのな」


「生意気になったな」


「誰のせいだよ」


 猿田は笑い、青い実を弄びながら母屋へ戻っていった。


 剛もその背中を追った。


 途中で一度だけ振り返った。


 柿の木は風に揺れていた。


 葉の奥には、まだいくつもの青い実が残っていた。


 誰が植えた木なのか。


 誰が収穫するはずだったのか。


 剛は知らなかった。


 知ろうとも思わなかった。


 十二分後、三人は農家を出た。


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