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第71話 カナデの再覚醒

 ──数時間後。


 再び訪れた儀式場は、数時間前とはまるで別の場所のように静まり返っていた。


 赤紫色の液体で満たされた巨大な池。  

 その中央に浮かぶ祭壇。


 カナデが暴走した際に崩壊した柱や床は応急処置程度に修復されているものの、至るところに戦闘の痕跡が残っている。


 ましてや、その後にはアリスの襲撃まであったのだ。


 全てを元通りにするには、相当な時間が必要になるだろう。


「……たった、これだけか」


 思わず呟く。


 祭壇の前に並んでいるのは、僅か十人。

 昨日までは、この里にはもっと多くの眷属が暮らしていた。


 ミリウスの襲撃とアリスが召喚した龍による攻撃で命を落とした者は多く、救助された者の中にもまだ医務室で眠っている者がいる。


 今、この場で儀式を受けられる状態にある眷属は、この十人だけだった。


「……ん」


 隣に立つセラが小さく頷く。

 その声には、普段の平坦さとは違う重さがあった。


「今、儀式に耐えられる者の全て。残りは、回復を待つしかない」

「……そっか」


 それ以上、言葉が続かなかった。

 昨日まで笑っていた者たちの顔を思い出す。


 俺自身、彼らと深い交流があったわけじゃない。


 それでも、あの平和な村の光景を見た後では、何も感じないというのは無理だった。


 500年もの間、この光景を何度も繰り返してきたセラ。


 ようやく希望が見えたと思った矢先に、またしても大勢を失ったその心境は、俺には到底想像できない。


「……大丈夫かな、わたし」


 振り返ると、カナデが立っていた。


 顔色はすっかり元に戻っている。

 ただ、その表情には珍しく緊張が浮かんでいた。


「怖いか?」

「……ちょっとだけ」


 カナデが困ったように笑う。

 彼女の視線が、祭壇の前に並ぶ十人へ向けられた。


「だって……わたしがまた失敗したら、あの人たち……」

「カナデ」


 セラが静かに遮った。


「今回は、前と同じ失敗はしない」

「でも……」

「私が補助する。今回は覚醒の時とは違う。カナデ自身の魔力を、少量ずつ分け与えるだけ」


 そう言って、セラはカナデの手を取った。


「最初は一人。異常がないことを確かめてから、少しずつ人数を増やす。危険な兆候があれば、その時点で中断する」

「……うん」

「それでも駄目なら、ミナトがいる」

「また俺へ丸投げするなよ」

「最終手段。今回は使わずに済ませる」

「……まあ、それならいいけどな」


 セラは真剣な顔で頷いた。


 以前なら、ここまで慎重に説明することもなかっただろう。


 カナデの暴走を招いたことを、本人なりに反省しているらしい。


 もっとも、いくら計画を立てたところで、予想外の事態が起きない保証はない。


 俺も魔力感知を広げ、いつでも介入できるようにしておく。


「カナデ」


 今度はニアが声を掛けた。


「無茶すんなよ。少しでもヤバいと思ったら、すぐ止めろ」

「分かってるってば」

「本当だろうな?」

「ニア、最近おじいちゃんみたいになってない?」

「あぁ!?」


 いつもの兄妹喧嘩が始まりそうになる。


「はいはい。二人ともその辺にしなさい」


 フレイアが苦笑しながら間に入った。


「これから大事な儀式なんでしょう?」

「はーい」

「……ったく」


 二人が渋々離れる。

 その少し後ろでは、ミリウスが腕を組んで眺めていた。


 彼女へ向けられる眷属たちの視線は冷たい。


 アリスほどではないにしろ、彼女もこの里を襲撃し、結果として命を落とした者もいるとなれば当然だろう。


 ミリウス自身は気にする様子もなく、祭壇を眺めていた。


「カナデ様」


 長老が歩み寄ってくる。

 その顔には疲労が色濃く残っていた。


「準備が整いました。皆、危険性についても説明を受け、承諾しております」

「……はい」


 カナデは深く息を吸い、祭壇へ向かって歩き出した。


 十人の眷属が、一斉に跪く。


「繁栄の巫女様……」

「我らに、祝福を……」

「え、えっと……」


 カナデが困ったように俺たちを見る。


「そんなに畏まらなくても……」

「カナデ」


 セラが隣に立つ。


「今だけは受け入れて。皆、キミを信じてここにいる」

「……うん」


 カナデが頷くと同時に、両手を前へ差し出す。


「じゃあ……始めます」


 淡い紅色の魔力が灯った。


 最初は小さかったが、徐々にその光は大きくなり、カナデの全身を包み込んでいく。


「……っ」


 思わず身構える。

 あの暴走が脳裏を過ぎった。


 だが──今回は違う。


 魔力に荒々しさがない。

 カナデの周囲を漂っていた光は、やがて一本の細い筋となり、最前列の眷属へ伸びていった。


「上手」


 セラが呟く。


「そのまま。強く押し込まないで。相手の魔力に合わせて」

「う……うん……!」


 紅い光が、眷属の胸元へ吸い込まれていく。


「ぐっ……!」


 男が苦しげに呻いた。


「だ、大丈夫ですか!?」

「カナデ、落ち着いて。魔力を増やさず、そのまま維持して」


 セラが即座に告げると、カナデは慌てて頷き、魔力の流れを保った。


 セラが男の手首へ触れる。

 数秒間、目を閉じて魔力を探った後、小さく頷いた。


「……拒絶じゃない。身体が新しい魔力に適応しようとしてる」

「じゃあ、続けていい?」

「ん。ゆっくり」


 カナデが再び集中する。

 男の身体に変化が現れ始めた。


 衰えていた魔力反応が、少しずつ強くなっていく。


 白い髪に艶が戻り、肌に浮かんでいた亀裂のような痕も薄れていった。


「これは……!」


 長老が震える。

 セラはすぐに男の胸元へ手をかざし、慎重に魔力の状態を確認した。


 その間、誰も声を発しなかった。


「……安定してる。吸血鬼因子の劣化も抑えられてる」

「ほ、本当に……?」

「ん。成功」


 その言葉に、カナデの顔が明るくなる。


「じゃあ、残りの人たちも!」

「焦らない。まずは、この状態が維持できるか確かめる」

「……あ、そっか」


 窘められ、カナデが恥ずかしそうに頷く。

 それから暫く、セラと俺で男の魔力を観察した。


 異常な増幅も、魔力回路への負担もない。


「……次へ進む」


 セラの許可を得て、カナデは再び魔力を集中させる。


 今度は二本だ。最初の一人で掴んだ感覚を確かめるように、慎重に魔力を送り込んでいく。


 やがて二人も安定したことを確認すると、残る眷属たちへ順番に処置を施していった。


 人数が増えるほど、魔力の調整は複雑になる。


 それぞれ異なる魔力の流れを把握し、相手の身体が受け入れられる量だけを送り込む必要があるからだ。


「……っ、はぁ……!」


 カナデの額から汗が流れ落ちる。

 暴走時に見せた、力任せの魔力とは正反対。


 膨大な魔力を外へ撒き散らすのではなく、ほんの僅かな量を正確に制御している。


 今のカナデにとっては、こちらの方が遥かに難しいのだろう。


「カナデ……」


 ニアが小さく呟く。

 その顔には、心配と驚き、そして誇らしさが入り混じっていた。


 さらに数分が経過した頃──。


「……終わった」


 セラの声が響いた。


 カナデがゆっくりと魔力を収める。


「はぁ……っ、はぁ……」


 途端に身体が揺れ、咄嗟にセラが支える。


「カナデ!」

「だ、大丈夫……ちょっと疲れただけ……」


 強がるように笑う。

 だが、今回は無理を続けようとはしなかった。


 セラの肩を借り、その場へゆっくり腰を下ろした直後だった。


「おお……!」


 眷属の一人が立ち上がった。

 自分の手を何度も開閉し、胸元へ触れる。


「痛く……ない」


 別の者も、恐る恐る立ち上がる。


「魔力が……戻っている!」

「身体が……軽い……!」


 次々と驚きの声が上がり、セラは一人ずつ状態を確認していった。


 そして最後の一人から手を離すと、小さく頷いた。


「全員、成功。寿命を縮めていた因子の劣化も、今は抑えられてる」

「……ほんとに?」

「ん。ただし、どれだけ寿命が延びたかは、まだ分からない。今後も経過観察が必要」

「そっか……でも……!」


 カナデが十人を見渡す。


 全員が自分の足で立っている。


 誰一人、欠けていない。


 その事実を確かめた瞬間──。


「や……やったぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 カナデが飛び上がった。


「セラ!成功した!わたし、出来たよ!」


 満面の笑みを浮かべ、セラへ抱きつく。


「ん……苦しい」

「ごめん!でも、やったぁ!」


 眷属たちからも歓喜の声が上がる。


「繁栄の巫女様!」

「ありがとうございます……!」

「我々は……まだ、生きられる……!」


 泣き出す者さえいた。


 カナデは戸惑いながらも、一人一人へ笑顔を向けている。


 その光景を、セラはじっと見つめていた。


「……セラ?」


 声を掛けても、返事がない。


 紅い瞳が、十人の眷属をゆっくりと見渡していく。


 その表情は、いつもの無表情に近い。


 けれど──。


「……良かった」


 零れた声は、僅かに震えていた。


 500年間、何度も失い続けてきたその運命を変えられるかもしれない。


 もちろん、亡くなった者たちは戻ってこない。


 医務室には、まだ苦しんでいる眷属たちもいる。

 それでも、今日この場にいる十人には、以前よりも長い時間が与えられた。


「おい、終わったぞ。いつまで身構えてるんだ?」


 隣に立つニアへ声を掛ける。


「……あ?」

「さっきからずっと剣の柄を握ってただろ。何かあったら飛び出すつもりだったんじゃないのか?」

「……うっせぇな。妹がまた暴走するかもしれねぇんだぞ。警戒くらいするだろ」


 そう言いながら、ようやく剣から手を離す。

 だが、その視線は祭壇のカナデへ釘付けになっていた。


「……ったく。あいつ、本当に成功させやがった」


 呆れたような声音だが、口元は緩んでいる。


「嬉しいか?」

「……まあな」

「素直じゃないよな」

「お前にだけは言われたくねぇよ!」


 即座に言い返される。失礼な奴だ。


「でも、良かったな。自慢の妹が立派になって」

「……おう」


 ぶっきらぼうではあったが、珍しく素直な返事だった。


「巫女様」


 長老が前へ出る。

 目元には涙が浮かんでいた。


「お願いがございます」

「え?」

「今宵……弔いと祝福の儀を執り行いたいと考えております」


 歓声が、少しずつ静まる。


「弔い……ですか?」

「はい。今回、命を落とした者たちを送り出す儀式。そして、生き残った者たちが再び歩き始めるための祝福です」


 長老は、カナデへ深く頭を下げた。


「その代表を、繁栄の巫女様──カナデ様にお願いしたいのです」

「わ、わたし!?」


 案の定、カナデが狼狽える。


「無理無理無理!そういうの、わたし向いてないよ!?人前で演説なんてしたことないですから!」

「立派なお言葉である必要はございません。あなた様ご自身のお言葉で、亡くなった者たちと、生き残った者たちへ語っていただきたいのです」

「は、はぁ……」


 長老が穏やかに微笑むと、カナデが戸惑う。


 十人の眷属を見る。

 そして、儀式場の外。


 この場にいない者たちが眠る墓地の方角へ視線を向けた。


「……わたしで、いいんですか?」

「あなた様だからこそ、お願いしたいのです」


 長い沈黙。


 やがて、カナデが小さく頷いた。


「……分かりました。上手くできるか分からないけど……わたし、やります」


「ありがとうございます……!」


 長老が深々と頭を下げた。


 その時──。


「っ……!」


 突然、視界が揺れた。


「ミナトくん?」


 フレイアの声が遠く聞こえる。

 足元がふらつき、咄嗟に近くの柱へ手をついた。


「……何だ、これ」


 胸の奥が熱い。


 先ほどから儀式場に漂っている血の匂い。


 眷属たちの身体から滲んだ僅かな血が、妙に鮮明に感じられる。


「ミナト!」


 セラがすぐに近づいてきた。


「顔色が悪い」

「……血の匂いに、身体が反応してるかな」


 自分で言っていて、気分が悪くなる。

 血など、これまで何度も見てきた。


 それなのに今は、目を逸らしても意識が勝手に向いてしまう。

 セラが眉を寄せた。


「吸血鬼因子が、まだ安定してない。ここにいるのは良くない」

「ミナトくん、一度休んだ方がいいわ」


 フレイアも心配そうにこちらを見る。


「俺は大丈夫だ」

「大丈夫な人は柱に寄りかからない」


 セラの正論が痛い。


「ミナト、休んだ方がいいと思う。わたしのせいで無茶したんでしょ?」


 カナデまで加勢してくる。

 三人から心配そうな目を向けられ、思わず溜息をついた。


 流石に、この状態で残る方が迷惑か。


「……分かったよ」

「じゃあ、私が付き添う」

「いや、セラも休めよ」

「私は吸血鬼。丈夫」

「さっきフラフラだったくせに……」

「もう回復した」


 そんなやり取りをしているうちに、長老が眷属たちを連れて儀式場を出ていった。


 今夜の弔いの準備もあるのだろう。


 俺たちも後に続いた。



◇



 儀式場を出た先の回廊。

 人通りが途絶えたところで、背後から声が掛かった。


「ミナト様、私(わたくし)が同行いたしましょうか?」


 思わず振り返る。

 提案してきたのはミリウスだった。


「……あんたが?」

「ええ。ミナト様の監視役でもありますので」


 もっともらしい理由である。

 確かに、こいつなら俺の魔力の状態もある程度は確認できるだろう。


「いやいやいや!」


 ニアが即座に割って入った。


「あんた、昨日ここの連中を襲いまくってた奴だろ!?今のミナトと二人にして大丈夫なのかよ!?」

「失礼ですね。現在は休戦中です」

「信用できるか!」

「俺は別にいいぞ」

「ミナト!?」


 全員の視線が集まる。


「監視にもなるしな。それに、弱ってるとはいえ、襲う真似はしないだろ?」

「……当然です」


 何故か一瞬、ミリウスの笑顔が引き攣った気がした。


 ……そんなに意外なことを言ったか?


「問題ない。私がいる」


 今度はセラが割って入った。


「おいおい、まさかお前がミナトに付き添うのか?流石にあんたが抜けるのはちげえだろ」

「違う。もしこいつがまた妙な真似をしても、私なら68パーセントで止められる。ミナトは安心して休んで」

「……あ?」


 一瞬、その場に沈黙が落ちた。


 次いで、ミリウスから恐ろしく低い声が漏れる。


「セラ様。今、何と?」

「68パーセントで止められる」

「そこではありません」

「……?どこ?」

「何故、私(わたくし)があなた様より格下であることを前提に話が進んでいるのですか?」

「事実だから」

「…………」


 あ……これ、キレたな。


「ほう……」


 ミリウスが珍しく満面の笑みを浮かべた。

 正直言って、めちゃくちゃ似合わない。


「セラ様に、私の実力を披露したことはなかったはずですが?」

「魔力糸を使うことは知ってる。それと、里に来た時にミナトに完敗した」


 火に油どころか、爆薬まで放り込みやがった。


「……ミナト様に敗れたことと、あなた様に及ばないことは別問題ですよ?」

「知ってる。だから68パーセント」

「……では、残りの32パーセントは?」

「キミが勝負を放棄して逃げ切る可能性」

「…………」


 あ、駄目だ。


 ミリウスのこめかみに青筋が浮かんだ。


「……随分と舐められたものですね」

「事実を言っただけ」

「でしたら、今すぐ証明して差し上げましょうか?」

「望むところ」


 セラの周囲に薄い紅色の魔力が漂い始め、対するミリウスも指先に銀糸を絡ませていた。


 おいおい、本当に始める気か?


 ……とはいえ、正直に言うならちょっと見たい。


 魔力糸を極めたミリウスと、純血吸血鬼のセラ。

 互いに実力を出し切れば、かなり興味深い戦いになるはずだ。


 セラの方が有利だとは思うが、ミリウスだって簡単に負けるような相手じゃない。


 その時──。


「……ミナトくん」


 振り返ると、フレイアが笑顔で俺を見ていた。


「今、見てみたいって思ったでしょう?」

「……何故分かった」

「顔に書いてあるわよ!」


 理不尽な。


「そもそも、まだ里の復旧も終わってないのよ!?二人とも、ここで喧嘩してる場合じゃないでしょう!」


 フレイアの叱責に、二人が口を閉ざす。

 遠くからは、瓦礫を運ぶ音が聞こえていた。


「ミナトくんは休む!セラ様も無理しない! ミリウスさんも、これ以上騒ぎを起こさない!いいわね!?」

「私は冷静」

「私(わたくし)も至って冷静ですが?」

「どの口が言うのよ!!」


 珍しくフレイアまで声を荒げている。

 まあ、今回は全面的に彼女が正しい。


 こいつらの喧嘩を見たいがために、せっかく助かった里をまた壊すわけにもいかないか。


「ミナト!さっさと行け!こいつらはオレたちが見張っとく!」


 ニアが半ば叫ぶように言った。


「……じゃあ、任せた」


 俺は壁から手を離し、休憩室へ向かって歩き出す。


 背後では──。


「その勝率、いずれ訂正して差し上げます」

「必要ない。結果は見えてる」

「……本当に、いい度胸ですね」

「ん。褒め言葉」


 ……やっぱり、ちょっと見てみたかったな。

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