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第70話 カナデの目覚め

 最後の瓦礫を退かし終えた頃には、流石に身体が悲鳴を上げていた。


「……この区画は最後か」


 家屋の残骸を、地面へゆっくりと下ろす。

 魔力にはまだ余裕がある。問題は身体の方だった。


 アリスとの戦闘で酷使した右腕は熱を持ち、龍の攻撃を跳ね返した右脚にも痺れが残っている。

 新しく取り込んだ吸血鬼の魔力も、身体の奥で落ち着かない流れを作っていた。


「ミナトくん、こっちは終わったわ」


 フレイアが額の汗を拭いながら歩いてくる。

 服には血と土埃が付着していた。


「重傷者は?」

「今助けられた人は、ひとまず全員安定したわ。……亡くなった人は」


 それ以上、彼女は続けなかった。

 俺も先を聞かず、周囲を見渡す。


 昨日は子供たちが走り回っていた場所だ。

 今は建物の半分近くが崩れ、煙の残る通りを、負傷者を乗せた担架が行き交っている。


 少し離れた場所では、ニアが数人がかりで倒れた柱を運んでいた。

 傍らには、まだ顔色の悪いセラもいる。


「……ミナト」

「無理してないか?」

「してる」


 目が合うなり、そんな返事が返ってきた。


「でも、休むのは後」


 セラは再び住民へ向き直る。


 今ここで自分だけ寝ていられる性格なら、五百年も里を守り続けてはいないのだろう。


「ミナト様」


 回廊から戻ったミリウスが、俺たちの前で足を止めた。

 袖には白い石の粉が付着している。


 彼女は一度、フレイアに分岐までの安全を報告した後、搬送に合わせて奥の補強を続けていた。


「医務室までの経路は確保しました。損傷の大きい箇所には銀糸を渡してあります」

「ご苦労だったな。担架も通れるか?」

「はい。既に何組か通っています。ただ、一度に人が集中しないよう伝えてあります」

「助かる」


 ミリウスの視線が、俺の右手へ落ちた。

 震える指を確かめるように見ている。


 俺が握り直すと、彼女は何事もなかったように顔を上げた。


「ミリウスさん、分岐の辺りに他の異常は?」

「確認した範囲では、崩落以外にはありません」

「……そう。ありがとう」


 フレイアは礼を言ったが、その視線はしばらく彼女に留まっていた。何か気になるのだろうか。


 思わず尋ねようとしたその時だった。


「セラ様!」


 里の長老が、息を切らして駆けてくる。

 その顔には、先ほどまでとは違う色が浮かんでいた。


「どうしたの?」

「巫女様が……カナデ様がお目覚めになりました!」

「カナデが!?」


 ニアが慌てて柱を下ろした。


「はい!意識もはっきりしております。皆様を呼んでほしいと――」

「ミナト、悪りぃ!先に行く!」


 最後まで聞くより早く、ニアが駆け出す。


「……私も行く」


 セラも、覚束ない足取りで歩き始めた。


「セラ、無理なら――」

「無理してる。でも行く」

「……だろうな」


 俺とフレイアも後に続く。

 ミリウスは近くの眷属へ補強箇所の注意を伝えてから、少し遅れてついてきた。



◇

 


「カナデ!」


 扉が開くなり、ニアが医務室へ飛び込んだ。


 奥のベッドでは、カナデが上半身を起こしていた。

 髪は元の茶色。瞳も、普段の色へ戻っている。


「……ニア」

「身体は!?どっか痛くねぇか!?頭は!?オレが誰か分かるか!?」

「ちょっ、頭に響くから揺らさないでってば!」

「よし!いつものカナデだな!」

「判断基準……そこ?」


 そのやり取りだけで、胸の奥に溜まっていたものが少し軽くなった。


 カナデが俺たちに気づき、視線を向ける。


「ミナト……フレイア先輩……」


 最後に、セラを見た。


「……セラ」

「ん」


 短い返事に、カナデは両手を毛布の上で握り締めた。


「わたし……全部は覚えてないんだ。途中から頭の中がぐちゃぐちゃになって、すごく熱くて……」


 言葉を探すように、額へ手を当てる。


「でも、ニアに攻撃したことは覚えてる。セラにも……酷いこと、したよね?」


 声が震えた。


「ニアも、セラも……ミナトも。本当に、ごめんなさい」


 深く頭を下げる。


 セラは小さく首を振った。

 それでも、カナデは顔を上げようとしない。毛布を握る指には、白くなるほど力がこもっていた。


 ニアが黙って近づき、その頭へ手を伸ばす。


 撫でるのかと思った、次の瞬間──。


「いったぁぁぁ!?」


 拳骨が落ちた。


「な、何すんの!?」

「うるせぇ!心配かけた分だ!」

「だからって殴る!?」

「妹がいきなり化け物みてぇな魔力撒き散らして、兄貴に殺意向けてりゃ一発くらい殴るだろうが!」

「普通なら殴らないよ!」

「オレは殴る!」


 いつもの兄妹喧嘩が始まった。

 まあ、一発くらいなら――。


「いったぁぁぁい!?二発目!?」

「これは心配かけた全員分だ!」

「理不尽!」


 ……流石に三発目は可哀想なので、ニアの腕を掴んだ。


「その辺にしとけ。起きたばかりなんだからな」

「……ちっ。次はこんなんじゃ済まさねぇぞ」

「次なんてないよぉ……」


 カナデは涙目で頭を押さえている。

 対するニアは怒った顔のままだが、肩からはすっかり力が抜けていた。


 視線だけは、妹の顔から離れない。

 怒鳴り返す声を聞くたびに、ようやく安心しているようにも見えた。


 その時、カナデの目が俺の後ろで止まる。


「……あれ?ミリウスさん?」

「ようやくお気づきになりましたか」


 入口脇に立つミリウスが、ゆっくりと顔を上げる。


「えっ、いつからいたの?」

「皆様と同時に入室しております。そこまで存在感が薄かった覚えはありませんが」


 口元は笑っている。

 ただ、眉が僅かに引き攣っていた。

 

 これはあれだな、単にカナデの目に入らなかったのが面白くなかったパターンである。


「……えっと、わたしが寝てる間、何があったの?」

「詳しいことは後で話す。今は自分の身体を気にしとけ」


 俺が口を挟むと、カナデは不満そうに頷いた。

 だが、その視線が俺の腕へ落ちた途端、表情が曇る。


「……ミナト、怪我してる」

「大したことない」

「その手……わたしがやったの?」

「これは別件だ。カナデじゃない」


 震える右手を、軽く握り直す。


 目覚めたばかりの彼女に、アリスの襲撃や里の被害まで一度に話すつもりはなかった。


「ミナト、見せて」


 セラが、自然な動作で俺の右手を取った。


「いや、別に――」

「見せて」


 有無を言わせぬ声だった。


 掌を両手で包み、目を閉じる。

 冷たい指先から、吸血鬼特有の魔力が流れ込んできた。


「乱れてる。吸血鬼の魔力と、ミナト自身の魔力が完全に馴染んでない」

「さっきよりはマシだぞ」

「マシなだけ。後で私が調整する」

「自分だってフラフラだろ」

「私は吸血鬼。丈夫」

「さっき膝から崩れてただろうが」

「見間違い」

「都合良すぎるだろ……」


 セラは手を離さず、手首へ指を添えている。


「今日は無理しないで」

「それ、俺がセラに言ったセリフなんだが」

「だから返した」

「……そうかい」


 短いやり取り。

 それだけなのに、妙に空気が柔らかい。


「……セラさ」


 カナデが俺たちを凝視していた。


「ミナトと、なんかあった?」

「何で?」

「なんか、距離近くない?」

「そう?」

「近いよ!」


 即答だった。


「セラ、ミナトのこと『キミ』って呼んでたよね?」

「今はミナト」

「それ!ミナトも、前は『あの500歳児』とか酷い呼び方ばっかりだったのに!」

「……別に今でも言うぞ」

「そういう問題じゃない!」


 カナデの疑いが深まっていく。

 完全にフレイアの時と同じ展開だ。


「ミナトも、セラとすっごく仲良くなってない?」

「まあ、色々あってな。少なくとも前よりは信用するようになった」

「……ふ〜ん。じゃあ、セラは?」

「ミナトは、私の初――」

「ばっ、それ以上言わなくていい!」


 ニアが慌てて割って入った。


「……?何でニアが止めるの?」

「いや、あれだ!セラはミナトに命助けてもらっただろ!?だから、その意味で大切ってことだよ!な!?」


 必死に目配せされ、セラが瞬きをする。


「……ん。大体そんな感じ」

「絶対、今言わされたよね!?」

「知らねぇ!オレは何も知らねぇ!」

「まだ聞いてないんだけど!?」


 完全に藪蛇だった。

 ニアの奴、誤魔化すのが下手すぎる。


 ふと横を見ると、フレイアも笑顔でこちらを見ていた。


「……フレイアまでなんだ」

「別に?恋愛なんて無縁みたいな顔をしているくせに、随分と色んな女の子と仲良くなるのねって思っただけよ」

「……随分とトゲがあるな」

「事実でしょう?」


 やっぱり、目は笑っていなかった。


「話、進めていい?」


 セラが俺の手を離し、今度はカナデの右手を取った。


「少し魔力を流す。変な感じがしたら、すぐ言って」

「……うん」


 淡い紅色の魔力が流れ込む。

 カナデの肩が僅かに揺れた。


「ちょっと冷たい」

「それは私の体温」

「あ、そっち」

「魔力の方は?」

「変じゃないかな。むしろ、落ち着く」

「なら問題ない」


 セラは目を閉じ、慎重に魔力を探った。

 十数秒後、小さく息を吐く。


「……安定してる。吸血鬼因子は、完全に定着した」

「定着?」

「もう一時的な覚醒じゃない。今のカナデは、人間でありながら吸血鬼の力も持ってる」

「でも、見た目は戻ってるよ?」


 カナデが自分の髪へ触れる。


「通常状態だから。暴走した時は、身体と精神への負担を無視して、持ってる力を全部外へ出してた」

「今は?」

「身体が自分で制限してる」

「じゃあ、力がなくなったわけじゃないんだ!」

「ん。むしろ前より、はっきり残ってる」

「また、あのくらい強くなれるの!?」

「……カナデ」


 ニアの低い声に、彼女が慌てて首を振った。


「分かってるってば!暴走したいわけじゃないよ!」

「今すぐ、あの出力を再現するのは無理」

「そっかぁ……」

「残念そうにしない。出力だけなら、私の十倍近かった」

「……十倍?」


 それまで黙っていたミリウスが顔を上げた。


 右の袖口を整えていた手が止まる。

 視線がセラからカナデへ移り、最後に俺を捉えた。


「ミナト様、本当なのですか?」

「ああ。魔力量だけなら、あの時のカナデは親父より上だったぞ」

「アルドルフ様より……?」


 その声から、余裕が消えていた。


 目の前にいるのは、ついさっき兄に頭を二発殴られ、涙目になっていた少女だ。

 それが国王すら凌ぐ魔力を撒き散らしていたとなれば、驚くのも当然だろう。


「技術も判断力も親父の方が上だけどな。それでも正面からやり合えば、良くて相打ちだと思う」


 ミリウスが黙る。

 カナデを見つめ、ゆっくりと息を吐いた。


「……この天然娘が?」

「ミリウスさん!?」

「失礼。外見と実態が釣り合っていませんので」

「酷くない!?」

「でも事実」

「セラまで!?」


 セラは構わず続ける。


「ただ、扱えてたわけじゃない。暴走して、溢れていただけ」


 ミリウスの目が細くなった。

 今度は驚きではなく、戦う相手を測るような目だった。


「現在、ご自身の意思で引き出せるのは?」

「まだ確かめてない」

「再び同じ出力に達する可能性は?」

「無理に引き出せば、また壊れかける。今は試させない」


 セラの声音が硬くなる。


「制御を覚える方が先」

「……なるほど。制御さえ身につけば」

「今より遥かに強くなる」


 ミリウスは小さく頷いた。


「以前の評価は、改める必要がありそうですね」

「えっ、もしかして認めてくれた!?」

「まだ力を持っているだけですが?」

「一言余計!」


 いつものやり取り。

 ただ、ミリウスは笑わなかった。


 カナデから俺へ視線を移し、また戻す。

 二人まとめて、何かを計り直しているようだった。


「……この変化を把握しているのは、こちらにいる方々だけですか?」

「里の連中も暴走したこと自体は知ってるぞ。何でそんなに細かく確かめるんだ?」

「王国へ報告する際、確かな情報として扱える範囲を整理しておく必要がありますので」


 返答は早かった。


「その話は、戻ってからだ。数字だけ先に出されても困る。カナデの意思もあるし、セラにも説明してもらわないとな」

「……承知しました」


 随分とあっさり引いたと思ったところで、フレイアが口を開く。


「ミリウスさん、さっきも詳しく確かめていたわね」

「と、言いますと?」

「アリスの魔力の繋がりを、ミナトくんがどこまで辿れたか」


 ミリウスが彼女を見る。

 手は動かない。表情も変わらなかった。


「再襲撃の可能性に関わりますから。追跡できれば警戒すべき場所を絞れると思ったのですが。何か気になることでも?」

「いいえ、確認しただけよ」


 説明に不自然なところはない。

 だが、フレイアがわざわざ問い返したことは引っかかった。


 いつもの皮肉に腹を立てている時とは、目つきが違う。


「ねえ、セラ。ちょっとだけ試してもいい?」


 カナデの声が、二人の間に割って入った。


「少しだけ。無理に増やさない」

「うん」


 掌に、小さな魔力の光が灯る。


 暴走した時のような威圧感はなかった。

 カナデは確かめるように指を動かし、セラを見る。


「……ちゃんと、できてる?」

「ん。そのくらいで止めて」


 頷いて、光を消す。

 彼女の顔に浮かんだ安堵に、俺もようやく息を吐いた。


 今はまず、カナデが戻ってきたことを喜ぶべきだろう。


「………」


 その後ろで、フレイアの視線は未だにミリウスから離れていなかった。

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