第66話 再戦。ミナトVSアリス
「今度は──逃げないでくださいね?」
龍の口元に集まっていた光が、さらに膨れ上がる。
紫電を纏っていた翼から、少しずつ光が失われていく。
その巨体を形作る魔力までもが喉元へ流れ込み、開かれた顎の奥へと凝縮されていた。
次の一撃に、全てを注ぎ込むつもりなのだ。
「お、おい……さっきより、明らかにやばくなってねぇか……?」
ニアの声が掠れる。
答える者はいなかった。
龍の口腔に生じた白い輝きが、里の残骸を照らし出す。
崩れた家屋の影が、地面を這うように長く伸びた。
頭上の魔力灯が明滅する。
まだ形を保っていた建物から、軋む音が響いた。
「ニアくん、セラ様と一緒に伏せて!」
フレイアは両手を前へ突き出した。
ミナトが張った障壁の内側へ、自分の魔力を重ねる。
薄く広げていては意味がない。四人を覆える範囲まで絞り、可能な限り密度を高めた。
「ミリウスさん!」
「既に」
幾筋もの銀糸が、フレイアたちの頭上を走る。
糸は網状に編み上がり、さらに幾重にも重なった。
飛来する瓦礫を防ぐと同時に、魔力を受け流すための盾となる。
ニアもセラを庇うように立ち、長剣へ魔力を纏わせた。
「……正面からは、無理」
セラが呟く。
その視線は、龍の顎の奥へ固定されていた。
「今の私たちじゃ……」
「分かっています。それでも、何もしないわけにはいきません」
フレイアは前を見据えたまま答える。
逃げる時間はない。
背後には、まだ助け出せていない眷属たちがいる。
医務室では、カナデや負傷者たちが眠っている。
ここで少しでも勢いを削がなければ……そう考えた時、セラの震える指先から血が浮かび上がった。
形は不安定だった。
それでも、薄い赤い膜がフレイアの障壁へ重ねられる。
「……少しだけなら」
フレイアは短く頷いた。
礼を言う余裕もなく、前方へ視線を戻す。
ミナトは、まだ一人で立っていた。
「ミナトくん!」
呼びかけに、彼は僅かに顔を動かした。
「そこから出るな」
「あなたは!?」
「俺が止める」
それだけ告げて、再び龍へ向き直る。
武器を生成する様子はない。
自分の前へ新たな障壁を張る気配すらなかった。
アリスの口元が、ゆっくりと緩む。
「そうですね。避けてしまっては、後ろの皆さんが困りますものね」
返答はない。
ミナトは右足を半歩引き、静かに腰を落とした。
「……お、おい?」
ニアが眉を寄せる。
その構えの意味を理解するより先に、龍が大きく顎を開いた。
光が、溢れる。
「来るぞ!!」
ニアの叫びと共に、紫紺の奔流が一直線に放たれる。
地面が抉れ、瓦礫が吹き飛ぶ。
放射された熱と圧力だけで、障壁が激しく震えた。
その中で、ミナトだけが前へ出た。
地面を蹴り、低く跳躍した身体が、迫り来る奔流の真正面へ躍り出る。
腰から膝へ、そして足先へ。
幾層もの魔力が重なり合い、引き絞られた右脚へと収束していく。
そして──蹴り抜く。
右足を覆っていた魔力が大きく広がる。
迫り来る紫紺の奔流を、真正面から迎え撃った。
──衝突。
耳を塞いでも意味がないほどの轟音が、全身へ叩きつけられる。
「っ……!」
フレイアの膝が沈んだ。
銀糸の盾が大きく撓む。
それでも、背後へ抜けてくるはずの破壊の奔流は届かなかった。
止まっていた。
龍の最大出力のブレスが、ミナトの足先で。
「……は?」
ニアの呟きが漏れる。
次の瞬間──ミナトの髪が、白く染まった。
光を反射したのではない。
黒かった髪が根元から色を変え、ほんの一瞬、純白となって宙へ広がる。
「……私やカナデと、同じ……」
セラの紅い瞳が見開かれた。
同時に、ミナトから溢れ出す魔力が跳ね上がる。
それまでの出力さえ、抑えられたものだったと思わせるほどの変化だった。
人間の魔力に、紅い異質な力が重なる。
混ざり切っていなかった二つの流れが、一度だけ噛み合ったかのように。
「こ、これは……!」
ミリウスの声が、鋭く響いた。
銀糸を操っていた指が止まる。
普段なら決して見せないほど大きく目を見開き、ミナトを凝視する。
次の瞬間、ミナトが脚を振り抜いた。
「──返すぞ」
紫紺の奔流が、折れ曲がる。
足先から広がった魔力がブレスの先端を包み込み、その勢いごと反対側へ押し返した。
逆流した光が、まだ吐き出され続けている魔力を巻き込む。
巨大なうねりとなったそれが、放たれた軌道を遡っていく。
龍が顎を閉じようとしたが、間に合わない。
自ら放った最大の一撃が、その頭部を呑み込んだ。
咆哮が途切れる。
紫紺の光が首を走り、胸郭を貫き、巨大な翼を覆い尽くした。
紋章陣が激しく明滅し、巨体を維持していた輪郭が崩れ──龍は自らのブレスの中で消滅した。
「…………」
誰もが、すぐには言葉を発せなかった。
ミナトが地面へ降り立つ。
その時には、髪は既に元の黒へ戻っていた。
白く染まっていたのは、ほんの一瞬。
だが、見間違いではない。
「今の……」
「蹴った、よな……?」
フレイアは乾いた喉を動かし、ニアが呟く。
いつもの調子で騒ぐことさえできない。
握っていた剣を下ろすことも忘れ、ただミナトの背中を見つめていた。
セラもまた、唇を僅かに開いたまま動かない。
ミリウスの指先で、緩んでいた銀糸が張り直された。
彼女の視線は、龍が消えた場所ではなく、ミナトの髪へ向けられている。
その沈黙を破ったのは、小さな拍手だった。
「……素晴らしい」
アリスが、両手を合わせていた。
消滅した龍には目もくれない。
ただミナトだけを見つめ、抑え切れない喜びを滲ませながら微笑んでいる。
「素晴らしいです、ミナト様。まさか、あの一撃まで正面から返してしまうなんて」
声が弾む。
切り札を失った者の反応ではなかった。
「もっと見せてください。まだ、お隠しになっているのでしょう?」
ミナトの肩が、僅かに強張った。
◇
──やっぱり、兄さんはすごいね。
「っ……!」
突如として声が、耳元で響いた。
アリスは、まだ十数歩先にいる。
その唇は、動いていなかった。
右耳のすぐ傍で、小さな魔力の震えが生じている。
音だけを届けているのか。
それとも、直接聞こえているように錯覚させているのか。
ニアは龍の消えた場所を見上げ、フレイアは障壁の状態を確かめている。
この声に反応しているのは、俺だけだった。
──わたしを止めるために、そこまで頑張ってくれたんだよね?
「……黙れ」
小さく吐き捨てる。
右脚に残った痺れが、まだ消えない。
今の瞬間、体内の魔力が妙な繋がり方をした。
自分のものとは違う流れが噛み合い、普段なら通さない量の魔力が一気に脚へ集まった。
カナデから得た吸血鬼の力の影響か?
確認している暇はない。
目の前の女から、視線を外すわけにはいかなかった。
「ご気分を害してしまいましたか?」
今度は、誰にでも聞こえる声だった。
アリスが首を傾げる。
その穏やかな問いかけと重なるように、俺の耳元へ別の声が届いた。
──わたし、嬉しいんだよ?兄さんが、わたしをずっと覚えてくれてて。
喉の奥が強張る。
忘れられるわけがない。
あの部屋も。
鎖の音も。
彼女に届かなかった手も。
それを、この女は──。
「……お前」
「はい?どうしましたか、ミナト様?」
違う呼び名。
同じ笑顔。
他の連中の前では、あくまで帝国の貴族令嬢を演じるつもりらしい。
俺だけに、昔と同じ声を聞かせながら。
「……そんなに見たいか」
「ええ、ぜひ♪」
アリスは迷わず頷いた。
俺は一度だけ、深く息を吸った。
何とか、感情を押さえ込む。
黙らせたい。
今すぐに、目の前から消してしまいたい。
だが、それだけでは駄目だ。
斬り刻んでも戻ってきた。
肉体を壊すだけでは、この女の再生は止められない。
なら、その再生を成立させている力ごと処理する。
俺は右手を上げた。
「フレイア、そのまま下がってろ」
「……分かったわ」
答えを聞きながら、まず俺とアリスの周囲へ障壁を展開する。
地面へ深く食い込ませたそれを、筒状に立ち上げる。
さらに、その外側へもう一枚。
力を外へ漏らさないための壁だ。
この里を──セラが守りたかったものまで壊すわけにはいかない。
「……閉じ込めるおつもりですか?」
アリスが周囲を見回す。
「逃げないでほしいんじゃなかったのか」
「ふふっ……そうですね」
笑い声を無視し、魔力を練り上げる。
右腕へ、その先にある、ただ一点へ。
体内を巡る力を収束させるほど、腕の奥が熱くなる。
先ほど噛み合った異質な魔力も、今度は流れを見失わないよう、慎重に重ねていった。
低い音が響く。
空気が震え、障壁の内側で砂が浮いた。
終わらせてやる、ここで──!




