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第57話 暴走の後に待つもの


 カナデの暴走から一時間ほどが経過し、彼女は里内の医務室のベッドで静かに眠っていた。


 幸い、命に別状はない。


 吸血鬼として覚醒した力も、今のところは安定しているらしい。ただし、身体への負担は相当なものだったようで、意識を取り戻すにはまだ時間がかかるという。


「本当に申し訳ありませんでした!」


 医務室の入り口で、長老を筆頭に眷属たちが揃って頭を下げていた。


 誰もが顔を青ざめさせている。

 特に長老など、今にもその場で平伏しそうな勢いだった。


「まさかカナデ様が、あれほどまでにご乱心されるとは……!我々の浅はかな行いが原因でございます!」

「どうか、お許しください!」


 次々と謝罪の言葉が飛んでくる。


 少し離れたところでは、ニアも気まずそうに俺から視線を逸らしていた。

 妹が暴走したことが相当堪えたのか、さっきから妙に大人しい。


「ミナト殿のお力添えがなければ、カナデ様を救うことは叶いませんでした。我々はこの恩義、生涯忘れませぬ」

「憎きクロフォード王国の王子などと蔑んだこと、何卒ご容赦を……!」

「いや……まあ、終わったことだし、俺は気にしてない」

「なんと寛容な……!」


 長老が感極まったように顔を上げる。

 他の眷属たちまで尊敬するような眼差しを向けてきた。


 というか、やめてほしい。別にそこまで大層なことをしたつもりはない。


 そもそも俺自身、今回の一件で目的の一つを達成しているのだ。一方的な被害者面をする気にはなれなかった。


「ただ、一つ聞いていいか?」

「はっ。何なりと」

「カナデのあの力……本当に、吸血鬼として覚醒しただけでああなったのか?」


 俺の問いに、長老が言葉を詰まらせる。


「それは……」

「私の見込み違いだった」


 代わりに答えたのはセラだ。

 壁際に立っていた彼女が、眠るカナデへ視線を向ける。


「カナデは人間と吸血鬼のハーフ。だから覚醒した際、精神的に不安定になる可能性は考えていた。でも……あれは完全に想定外」

「想定外?」

「吸血鬼になったから、あれだけ強くなったわけじゃない」


 セラが静かに首を振る。


「あれは元々、カナデの中にあった力」

「……元々?」

「そう。眠っていただけ。吸血鬼としての覚醒が扉を開いた」


 思わずベッドへ目を向ける。

 静かな寝息を立てている少女からは、先ほどの化け物じみた力など想像もできない。


「あの魔力量……私の十倍はあった。カナデの潜在能力を見誤った」


 セラは淡々と言っているが、その瞳には僅かな自責の色が浮かんでいる。


「繁栄の巫女が特別なのは分かっていた。でも、ここまでとは思わなかった。もしミナトがいなければ……最悪、この里そのものが消えていたかもしれない」

「セラの十倍……か」


 あの時、カナデから感じた莫大な魔力量は、一時的ではあるが親父を遥かに凌駕していた。


 なら──。


 俺は改めて、壁際に立つセラを見る。


「なに?」

「いや、ようやく納得しただけだ」


 色々と言いたいことはあるが、今はやめておこう。


「……てめえ、ふざけんなよ」

「ニア?」

「一歩間違えれば、カナデが死んでたかもしれねぇんだぞ!オレたちだって、里の連中だって……全員塵になってたかもしれねぇ!それを『見誤った』で済ませるつもりかよ!」

「私はただ、吸血鬼の未来を──」

「知るかよ、そんなもん!」


 ニアがセラへ詰め寄ろうとする。


「おい、やめとけ」


 その肩を掴んで止めた。


「離せよ、ミナト!」

「ここで喧嘩してどうする」

「でもよ!」

「カナデが自分で望んだことでもある」

「っ……」


 ニアが黙る。


「セラのやり方に問題がなかったとは言わない。でも、全部こいつだけの責任にするのも違うだろ」

「……んだよ。お前、この500歳児の肩持つのかよ」

「そういう話じゃない」


 セラが悪くないとは思っていない。


 カナデの危険性を見誤ったのは事実だ。

 俺が止められなければ、取り返しのつかないことになっていた。


 ただ、それだけでセラ一人を悪者にするのも違うだろう。カナデ自身が選んだことでもあるのだから。


「とにかく、今夜は俺たちでカナデを診る。長老さんたちは今後の対策を考えてくれ。次に同じことが起きたら困る」

「承知いたしました。ミナト殿の仰せのままに」


 長老が深々と一礼する。

 それに続いて眷属たちも頭を下げ、次々と医務室を後にした。


 残ったのは俺とニア、そしてセラだけだった。


「ミナト、怒ってる?」

「いや、別に」

「本当に?」

「俺自身、目的は達成できたからな」

「目的?」


 ニアが嫌な予感でもしたように眉を寄せると、俺は自分の首筋を指差した。


「吸血鬼の魔力を手に入れた」

「…………は?」

「カナデの暴走を止めるついでにな」

「お前マジで言ってんの!?」


 ニアが勢いよく立ち上がった。


 首筋には治療された痕が残っている。

 カナデの牙が突き立てられた場所だ。


「ちょ、待て待て待て!あの状態のカナデに噛ませたのか!?」

「最終的には多少落ち着いてたぞ」

「多少でやることじゃねぇだろ!」

「驚いた」


 セラが俺の首筋をじっと見つめる。


「あの状態のカナデから吸血鬼の魔力を取り込んで、平然としている。普通の人間なら無理」

「そうなのか?」

「ん。人間が吸血鬼の血を取り込めば、通常は吸血鬼因子に身体を蝕まれる。適応できても、魔力制御を誤れば暴走する可能性がある」

「暴走!?」


 ニアが再び叫んだ。


「いやいやいやいや!勘弁しろよ!カナデでさえあそこまでになったんだぞ!?お前が暴走したら誰が止めんだよ!最悪、世界滅ぼすんじゃねぇの!?」

「大袈裟だろ。そう簡単に暴走はしない……筈だ」

「『筈だ』って言ったよ今!」


 うるさい奴だ。


 ニアの抗議を聞き流しながら、眠っているカナデの髪へ手を伸ばした。


 元の茶色へ戻った髪が、さらりと指の間を滑る。


 穏やかな寝顔。


 つい一時間ほど前まで、狂ったように笑いながら俺を追い回していた少女と同一人物には見えない。


「……セラ、一つだけ確認したい」


 カナデの髪を撫でながら、セラを見る。


「セラがカナデを吸血鬼として覚醒させた理由。本当に里の繁栄のためだけか?」

「ミナトは疑い深い。嘘はついていない」


 セラは俺から目を逸らさなかった。


「私は吸血鬼としての使命を果たすだけ。繁栄の巫女は数百年に一度現れる奇跡。その力を無駄にはできない」


 確かに、嘘をついているようには見えない。

 それでも、何かが引っかかる。


 この女は嘘をついていないだけで、全てを話しているわけではない。そんな気がしてならなかった。


「そっか。疑って悪かったな」

「気にしてない」


 セラは踵を返す。


「私も行く。カナデに何かあったらすぐ知らせて」

「ああ」


 扉へ手を掛けたところで、セラが足を止めた。


「ミナト」

「ん?」

「キミは、やはり興味深い」

「どういう意味だ?」

「あの状態のカナデを止めた」


 セラがこちらを振り返る。


 そして、ほんの僅かに笑った。


「私の十倍近い魔力を持つカナデを力で抑えて、その魔力に直接干渉して暴走を鎮めた。その上、吸血鬼の力まで自分の中へ取り込んだ。だから、期待してる」


 紅い瞳が、俺を真っ直ぐ見つめる。


「キミの覚醒」

「……何を期待してるんだよ」

「さあ?」


 それだけ残して、セラは部屋を出ていった。


 俺とニアは、しばらく無言で扉を見つめていた。


「……おい、ミナト」

「なんだ」

「あいつ今、笑ったよな?」

「……笑ったな」

「こっわ……」


 ニアが自分の両腕を擦る。


「なんつーか……胡散臭すぎんだろ。鳥肌立ったわ」

「ニアはすっかりセラを信用しなくなったな」

「ったりめーだろ。妹がぶっ壊されたんだぞ?吸血鬼の未来だか知らねーけど、カナデを玩具みてぇに扱いやがって」


 元々お世辞にも仲が良かったとは言えない二人だが、今回の一件でニアのセラに対する反感は完全に決定的になったらしい。


「で?お前、これからどうすんの?吸血鬼の力とやらは手に入ったんだろ?」

「まあな」

「だったらもう帰ろうぜ。オレは一刻も早くここから出てぇ」

「そういうわけにもいかないだろ。乗り掛かった船だ」

「……お前、案外律儀だよな」


 ニアが呆れたように溜め息を吐く。


 別に律儀だからというわけではない、フレイアから聞かされた話がある。

 そして、吸血鬼の里に潜む何か。


 ここまで来た以上、せめてセラの真意を確かめるまでは帰れない。


 その時だった。


「ん?」


 視線を感じ、扉の方を見る。


 その陰から、セラがひょこりと顔を覗かせていた。


「うおっ!?お前、戻ってくんの早ぇよ!てか何なんだその登場の仕方!」

「忘れてた」


 先ほどとは打って変わって、セラは真剣な表情を浮かべていた。


「カナデの血。少し採取する」

「は?」

「研究用。吸血鬼因子の解析に必要」


 ニアの顔が露骨に険しくなる。


「お前なぁ……ちょっとは配慮しろよ。カナデはまだ寝てんだぞ」

「少量だけ。時間はかけない」


 セラはそう言って懐へ手を入れる。


 取り出したのは、注射器に似た器具だった。


「はぁ……なら、さっさとやれよ」

「分かった」


 セラがベッドへ近づいてくる。


 その瞬間──奇妙な感覚があった。


 俺は無意識に胸元へ手を当てる。


(何だ、これ)


 セラから、何かを感じる。


 身体の奥に取り込んだばかりの吸血鬼の魔力が、微かに反応していた。


 今までにはなかった感覚。


 目では見えない何かが、輪郭を持って伝わってくる。


 ──魔力?


 これが、吸血鬼の魔力を取り込んだことで得た感覚なのか?


 そう考えかけて──止まった。


「おい、待て」


 迷わず制止する。

 セラが怪訝そうに振り向く。


「どうしたの?」

「……本当にセラか?」

「あ?ミナト、何言ってんだよ」


 ニアが眉をひそめる。


 だが、俺は確信に近いものを抱き始めていた。


 このセラの魔力は──どこか不自然だ。


 何かが、混じっている。


「あんた、セラの眷属ってやつじゃないのか?」

「……どういう意味?」

「少しくらいは聞いてるからな。セラに敵対する過激派ってのがいるんだろ?」


 セラは僅かに目を細めた。


 その反応こそが答えだった。


「何を言ってるの?」

「魔力の波形がおかしい。吸血鬼特有の魔力に加えて……別の何かが混じってる」

「……ほう」


 次の瞬間だった。


 セラの周囲の空気が一変する。


 冷たい霧のようなものが立ち込めたかと思うと、セラの輪郭が歪んだ。


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