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第55話 わたし──ミナトのこと大好きだから♪

 カナデは完全に狂っていた。


 普段の柔らかな微笑みはどこへやら、その表情は陶酔と狂気に彩られ、紅く輝く瞳には獲物を狩る獣のような執念が宿っている。


 彼女が一歩踏み出す度に周囲の空気が歪み、沼地に波紋が広がる。


「さて、どうしたもんか」


 地面を蹴って飛び上がり、空中で一回転しながら距離を取る。


 カナデも即座に反応し追ってくる。

 紅く染まった瞳が俺を捉えると同時に、彼女の手から漆黒の血刃が幾重にも放たれた。


「アハハハハハハハハハ!!どこに行くのかなぁ!?」


 楽しげな声と共に魔力が渦巻き、まるで意志を持つ蛇のように血刃が襲いかかる。


 それを空中で回避するが、数発が肩と脇腹を掠める。


「ちっ……いつの間に飛べるようになったんだ」

「んー、わかんない!でも、今ならどんな技でも使えそう!」


 カナデが無邪気に笑う。

 そういえば、セラも飛べるようなことを言っていたか。


 一応魔力障壁を展開させるもやはり今のカナデの魔力の前では意味をなさず、血の刃が貫通して肩に食い込む。

 鈍い痛みが走るが致命傷ではない。


 やがてカナデは一瞬の隙を突いて接近し、手に出現させた血の刃で俺の胸を狙ってくる。


「くっ……!」


 咄嗟に身体を捻って回避するが、完全には避けきれず肩に浅い傷が残る。

 血液が滴り落ちる感触。


「アハッ♪あはははは……ミナトの血ぃ、美味しい……もっと……もっと飲みたいなあ!」


 彼女の口元が妖しく弧を描く。

 舌先が唇をなぞる様は妙に艶めかしいが、同時に鳥肌が立つ程の恐怖を覚える。 


「ほらほらほらぁ!もっと逃げてぇ!」


 カナデの血刃は形状を変化させ、無数の血の槍となって降り注ぐ。


 それら一つ一つが破壊力抜群であり、直撃すれば間違いなく致命傷となるだろう。


「……ちっ」


 俺は体内にある魔力を一気に解放。

 衝撃波を放ち、血の槍を粉砕する。


 しかし、カナデは楽しげに笑いながら新たな血刃を形成する。


 その速さはまさに異常。

 まるで水を得た魚のように彼女の魔力は際限なく溢れ出す。


「あはあはあはっ♪ミナトとのデート、楽しい!でも、逃がさないよぉ!?」

「こんなくそみたいなデートがあってたまるか……!」


 俺はさらに魔力の密度を高める。


 周囲の大気が揺らぎ、風圧がカナデを押し返す。


 だが、彼女は微塵も怯まない。

 むしろ歓喜に満ちた表情で迫ってくる。


「うふ……ふふ……アハハハハハッッ!!ミナトの魔力……すごいぃ!わたし、いっぱい気持ちよくなるよぉ!!」


 あぁ、やっぱりあの妹と被る。

 その狂気に満ちた笑顔と底なしの執着心が──。


「……おい、カナデ」

「なぁに?」

「いい加減にしろ。これ以上は手加減出来ないぞ」

「ん〜?おかしいなあ、今のわたし、すっごく強いはずなのに……ミナトはもっと余裕そう」


 そう言って首を傾げる仕草は可愛らしくはあるが、次の瞬間には獰猛な笑みに変わる。


「あはっ♪わかった!わたし、本気出しちゃおっと♪」


 次の瞬間、カナデの魔力が更に膨れ上がった。


 これまでの攻撃とは比較にならない質量を持った血の塊が俺を包囲する。


 沼地からも触手のように血が這い上がり、全方位から襲いかかる。


「今のわたし──最強だもんっ♪」


 彼女の宣言と共に血の波濤が押し寄せる。 


 それはまさに物理法則を無視したかのような攻撃だった。   


「……舐めんなよ」


 俺は体内にある魔力の流れを加速させた。 


 瞬間的に全身に電流のような感覚が走り、五感が研ぎ澄まされていく。


 周囲の時間がゆっくりと流れ始める感覚。それと同時に俺の魔力が増幅される。


「消えろ」


 手を振るうと同時に魔力が凝縮され、前方に解き放たれる。


 紫炎の閃光が奔り、迫り来る血の波涛を一瞬で蒸発させた。


「え〜っ!?今の攻撃、わたしのとっておきだったのになぁ!」


 カナデが驚いたように声を上げるが、その目は依然として狂気と悦楽に満ちている。


 彼女の魔力は未だ衰えないどころか、逆にさらに活性化しているように見えた。


「カナデ……そろそろいいだろ?大人しくしてくれ」

「ん〜〜、やだ!まだ遊びたいもん♪ミナトといっぱい気持ちいいことしたいもん!」


 またしてもカナデの姿が霞む。


 吸血鬼特有の瞬間移動能力か高速移動能力かは不明だが、いずれにせよ同じ手を何度も使うのは彼女らしくない。


 背後に気配を感じた瞬間、俺は身を沈めた。


「……悪く思うなよ」


 カナデが血の刃を展開する前に、魔力を込めた蹴りを彼女の腹部に叩き込んだ。


「っああああああ!!」


 悲鳴を上げながらカナデが吹き飛ばされる。


 魔力の放出により彼女の身体は空中を舞い、そのまま沼地へと落下する。


 ……内心罪悪感を覚えるが仕方ない。 


 あわよくば、この一撃で正気を取り戻してくれればという淡い期待を抱いていたのだが──。


「はぁ……っ!はぁ……っ!あはっ……っ!すごいよぉ!ミナトの蹴り……すごく痛くて……気持ち良い!もっとして!もっと虐めてえ!ねぇ、もっと気持ち良くしてぇっ!!」


 泥まみれになりながらもカナデは喜悦の笑みを浮かべていた。


 その狂気は収まるどころか、益々増している。


「……なんなんだよ」


 思わず吐き捨てる。


 これが本当にあのカナデか?

 

 いや、暴走した結果だとは分かっている。


 しかし、ここまで理性を失うものなのか?


「うふふっ……わたし、もっと強くなれるよ?ミナトと一緒なら……わたし、どこまでも行ける!だから、ミナトの血を吸ったらもっと強くなれるよね?ね?だから──いいよね?吸わせて?ねえ?ねえねえ?ねえねえねえねえねえ!?」


 カナデの身体から溢れ出る血の魔力が渦巻く。

 その中心に立つ彼女は、これまで以上に不気味な笑みを浮かべていた。


「アハハハハハハハハハ!!好き好き好き好き!!だーいすき!!ミナトの全部、わたしにちょうだい!!ううん、全部!ぜーんぶわたしがもらうんだからぁっ!!」

「………」


 ──兄さん?わたしのこと、好きだよね?愛してるよね?


 あの悪魔の顔が、またしても俺の脳裏をよぎる。

 違う、目の前に居るのはあいつじゃない。 


 あいつじゃ──あいつじゃ……。


「やめてくれ……」


 思わず呟いた。自分の声が震えていることに気づき愕然とする。


 これは恐怖なのか、それとも別の感情なのか。


「アハッ♪ダーメ!だって、ミナトが悪いんだもん。わたしから離れようとするから!わたしのこと置いてくから!いつも勝手に決めて──わたしに何も言ってくれないからああ!!」

「っ!?」


 カナデの叫びと共に血の嵐が巻き起こる。


 沼地が大きく波打ち、周囲の柱が根元から砕かれていく。


「許さない……許さない許さない許さない!!だからね、わたしがミナトを助けてあげる!永遠に!一生傍にいてあげる!わたし──ミナトのこと大好きだから♪」


 血に染まった紅い瞳から涙が零れ落ちる。


 その表情は、あまりにも矛盾に満ちていた。


 今のは言葉、果たして彼女の本心なのか?


 それとも、ただ単に吸血鬼としての本能に支配されているだけなのか?


 分からない───分かる筈もない。


 だが───。


「……カナデ」

「……ミナトぉ?」

「こっちに来い。その暴走を止めてやる」

「ほんと……?ほんとに……?やっとわたしのこと、見てくれるの……?」


 カナデが首を傾げる。


 微かだが、本来の彼女らしい無垢な仕草を感じたような気がした。


「吸血鬼の力を手に入れてもカナデはカナデだ」

「ん〜?」


 カナデがゆっくりと近づいてくる。

 瞬間、魔力の波動が弱まった気がする。


 まだ、希望はある。


「じゃあ……わたしの中に……ミナトを入れてくれる……?」

「……だから言い方──まあいい。落ち着いてくれ」


 俺は両手を広げ、カナデを迎える。


 彼女はゆっくりと近づき、俺の胸元に抱きついてきた。その温もりが懐かしい。


「ミナトぉ……」

  

 カナデが安堵したように目を閉じる。


 しかし次の瞬間、彼女の口が大きく開かれ牙が首筋へと向かう。やはり完全に正気を取り戻した訳ではなかったらしい。


「まだダメだ」


 俺はカナデの顎を掴み、強引に上を向かせる。


「まだぁ……?」


 涙を滲ませながらカナデが訴える。


 その姿は切なく、同時に美しくもあった。


「……カナデの中にある魔力を制御してやる」


 できるだけ優しく抱き締める。


 その小さな身体から溢れ出る魔力はまだ安定していない。


 俺は自身の魔力を集中させ、ゆっくりと彼女の中へ流し込んだ……。


「っあ!?」


 カナデが跳ねるように反応する。


 吸血鬼の血が彼女の体内で暴れているのが伝わってくる。


「い、痛い……怖い……ミナトぉ!やめて!痛いぃぃぃ!!」

「……落ち着け。俺を信じてくれ」


 暴れるカナデを抑え込み、魔力の流れを誘導する。


 彼女の中を巡る禍々しいエネルギーを、少しずつ整えていく。


「や、やめてぇ!!嫌だよぉ!痛いよぉ!!吸わせて!噛ませてぇ!!」


 カナデが泣き叫ぶが、それでも俺は力を緩めない。


 彼女を救う為にはこの禍々しい吸血鬼の魔力に介入し、正常化しなければならないのだ。


「やだやだやだ!怖いよぉ!吸血鬼じゃなくなるの!?やだよぉ!せっかく手に入れたのにぃ!」


 俺は魔力の流れを調整しながらカナデを抱き寄せる。


 彼女の体温が徐々に熱を帯びていくのを感じた。


「いやいやいやぁぁぁ!!ミナトぉ!やめてぇ!わたしを弱くしないでぇ!もう置いていかないでぇ!やだやだやだやだやだぁぁぁっっ!!」

「……落ち着け。大丈夫だから」


 半狂乱になったカナデを宥めながら、魔力操作に集中する。


 俺の魔力が彼女の中で暴れる吸血鬼の血を鎮めていく。


「っ……うぅ……や……だ、わた……し……」

「もう少しの辛抱だ」

「ミナトが……わたしの……中に……入 っ……て……る……?」

「……だから、それはやめてくれ」


 カナデの身体がだんだんと弛緩していく。

 彼女の呼吸はまだ荒いものの、瞳の紅さは薄れつつある。


 だが、まだ終わりじゃない。


 彼女の体内には、制御しきれない魔力が残っている。

 このままでは、いつ再び暴走してもおかしくない。


 ならば──俺が引き受けるしかない。


「カナデ、聞こえるか?」

「あ……あ……」

「力を貸してくれ。カナデの魔力が必要だ」


 俺はそっと彼女の顔を上げ、自らの首筋へと誘導する。


「……ミナト?」

「噛んでくれ。だが、ほどほどにな」


 彼女の身体が微かに震える。

 魔力暴走はまだ続いており、完全に吸血鬼化から抜け出せていないが、チャンスはここしかない。

 

 俺が彼女の余剰魔力を受け止め、暴走を完全に鎮める。


 そして、俺自身がさらなる高みに昇るために──。


「頼む、カナデ」

「……うん」


 カナデが小さく頷く。迷いはあるようだが拒絶の意思はない。


 彼女はゆっくりと口を開け、細長い牙を見せるとためらいがちに俺の首筋へ近づき、その紅い瞳には俺の姿だけが映っていた。


「ん……っ……はぁ……ミナトの血……美味しい……」

「っ……」


 カナデの牙が皮膚を突き破る。鋭い痛みと共に血が流れる。


 カナデの小さな舌が傷口を這い回り、大量の魔力が自分自身の中へと流れ込んでくる感覚。


 吸血鬼の血が、俺の体内で渦巻き暴れ回る。


「っ……く…」

「んぅ……はぁ……ミナトの血ぃ……」


 カナデが喉を鳴らす音が聞こえる。


 彼女の吐息が首筋にかかり、それが更なる快感となって全身を支配していく。


 吸血鬼の血は俺の体内に浸透していく。

 未知の感覚だが嫌悪感はなくむしろ心地良いとさえ思える。これが吸血鬼の特性なのだろうか。


「その辺でいいぞ。よく我慢したな」

「ミ……ナ……ト……」


 カナデが離れると、純白だった彼女の髪は徐々に元の色に戻り始めていた。


 瞳の紅さも薄れていき、いつものカナデに戻っていく。

 意識は朦朧としているようだが、とりあえず暴走は収まったようだ。


「……なんだろ。わたし、すごく……ねむい……」

「寝てもいいぞ。しばらく休んでいろ」

「ミナトが……近くにいてくれる……?」

「ああ、傍にいる」

「そっか……良かった……」


 カナデの瞼がゆっくりと閉じていく。


 俺は彼女の頭を撫でながら出来るだけ安心感を与えることに努める。


 やがて、聞こえてきたのは静かな寝息だった。


「全く……一時はどうなるかと思っただろうが」


 腕の中で安らかに眠るカナデの頬をつつき、ほっと息をつく。

 予想外の事態に見舞われたが、結果的に吸血鬼の血を得るという目的は達成できた。


 とはいえ、問題は山積みだ。


 カナデのあの力は尋常ではなく、セラの真意も不明瞭なまま。

 

 首筋を押さえながら、俺は考えを巡らせる。


 吸血鬼の血を取り込んだことでどんな力が宿るのか。


 それを確かめるのは、もう少し後の話になるだろう.


 今はただ───穏やかな眠りにつく幼馴染の温もりを感じながら、休息を取ることにした。

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