第54話 ミナトVS暴走カナデ
赤紫色の液体が湛えられた巨大な沼地。
その中央にある祭壇を背に、白髪紅眼の少女──カナデが悠然と佇んでいる。
俺の知る幼馴染は、もはや影も形もなく、ただ狂気に満ちた笑みを浮かべていた。
「アハハハハハハハハハ!!」
魔力が荒れ狂い、沼地を大きく波立たせる。
周囲の眷属達は恐怖に震え、ニアも実の妹の変わり果てた姿に戦慄していた。
「ミナト」
その中で、セラは冷静に俺に告げる。
カナデの魔力波動を多少受けたのか、身体のところどころに微かな傷が刻まれていた。
だが、彼女はそれにも構わず続ける。
「眷属たちは私とカナデの兄に任せていれば安全。キミは……彼女を止めて」
「……随分な大役を押し付けられたな」
「あの力は規格外。私では……無理」
セラの声音に悔しさが滲む。
だが無理もない。
いくら彼女が純血の吸血鬼とはいえ、今のカナデはあまりに別格だ。
「……ああ……あはぁ♪ミナトォ?」
カナデが艶やかに笑う。
その瞳は完全に俺を捉えていた。
狂気に満ちた笑みだが、どこか恍惚とした表情も混じっている。その様子に背筋が凍り付く。
──兄さん♪わたしのこと、好きだよね?
あの狂愛に溺れた瞳。甘い囁きと裏腹に底知れぬ闇を秘めた笑顔。
そして、目の前で崩れゆく『彼女』の身体。
前世の悪夢の全てが、鮮明に蘇る。
「くそっ……」
精神が掻き乱される。かつての妹の姿と重なるカナデ。だが今の彼女は違う。
何とか呼吸を整え、精神を立て直す。
ここで臆せば終わりだ。
「おい、ニア」
「あ……あ……」
ニアはすっかり怯え切っている。
無理もない。実の妹の豹変に加えてその圧倒的な力の前に立ち竦んでしまっているのだろう。
気持ちは分からないでもないが、今は時間が惜しい。
腹部に拳を叩き込んだ。
「ぎゃぶ!?」
「セラや眷属たちを連れて出来るだけ遠くへ避難しろ。ここは俺がなんとかする」
「ちょっ、加減しろよ!」
「魔力は込めてない。さっさと行け」
「わ、分かったよ。セラ!長老さんたちもオレに続け!」
ニアはまだ腰が引けているが、長老たちを連れてセラと共に後退していく。
その背中が見えなくなるまで確認して、改めてカナデに向き直った。
「ふふっ……邪魔な人たち、みーんないなくなったね♪」
カナデが嘲るように呟く。
その口調には明らかな優越感が滲んでいた。
「ミナトォ……わたし、ずっと待ってたんだよぉ……いつか、ミナトと一緒に気持ち良くなれる日ぃ……」
「……おいカナデ。正気を取り戻せ」
「正気ぃ……?あはっ!今のわたし、とっても正気だよぉ♪だって、こんなに気持ち良いんだもん……!」
カナデが身を捩らせながら嗤う。
その仕草はどこか妖艶で、同時に恐ろしくもあった。
「アハハハハハハハハハ!!あげる!わたしの力を、ミナトに!吸血鬼の力をぜーんぶ注ぎ込んであげる!わたしでいっぱい気持ち良くさせてあげるね!!」
そのアウト過ぎる発言は何とかならんのか……と思った矢先、カナデの全身から禍々しい魔力が溢れ出した。
それはまるで黒い津波のように押し寄せ、一瞬で周囲の空間を侵食していく。
「馬鹿力……いや、馬鹿魔力か」
先程までよりもさらに数段レベルアップした魔力波動。
それも、セラに首筋を噛まれただけで覚醒したというのだから笑えない。
セラの説明が真実ならば、吸血鬼は魔力探知に引っかからない。ハーフ故かは定かではないが、今のカナデの魔力はしっかり読み取れる。
……普段の彼女より何十、何百倍もの魔力量を。
「うふふ……もう我慢できないよぉ……ミナト……ミナトが欲しい……ミナトの血……ちょうだい……吸ってあげる……気持ちよくしてあげるぅ……」
「……もうその辺りにしとけ。正気に戻ったら黒歴史確定だぞ」
「うん♪だからいっぱい、思い出作ろ?もう我慢なんてしないんだもん!ミナトがどんなに嫌って言っても──絶対逃がさないよ?」
瞬間、完全に正気を失ったカナデが凄まじい速度で跳躍した。
彼女の腕に形成された血の鎌が俺の首を刈り取らんと迫る。
「──っと」
俺は寸前で回避と同時に、右手から魔力弾を放つ。
彼女の動きを鈍らせる為の一撃だったが──。
「うふふ……っ!あははっ!楽しいぃ!ミナト、強い!でもわたし、負けないよぉ!」
カナデが笑いながら攻撃を弾く。
紅黒い魔力が渦巻き、俺の攻撃を容易くかき消してしまった。
「……やるようになったな」
思わず賞賛する。
色々やばい状況なのは自覚しつつ、カナデがここまで強くなったことに驚嘆も感じてしまう。
「ハハハハ……!ミナトォ……ミナトミナトミナトォッッ!!」
「っ!?」
カナデが一直線に襲いかかってくる。その速さは先程の比ではない。
完全に制御を失った吸血鬼の血が彼女の限界を超えて力を解放しているのだ。
俺は咄嗟に障壁を展開し彼女の突進を受け止めた──が、その一撃から放たれる力は想像以上だった。
魔力障壁が瞬く間に削り取られていき、圧倒的な魔力量と破壊力に全身が硬直する。
「ちぃっ……!」
ニアに攻撃をした時から薄々感づいてはいたが、もはや魔力障壁で防げるレベルを遥かに凌駕していた。
仕方なく距離を取る。
それでも、カナデの魔力は俺を追い詰めるかのように広がっていた。
「アハッ♪ミナト!もっと!もっと気持ちよくしてぇ!」
「だからその言い方を止めろ!」
もはや一種の精神攻撃とばかりに性的用語を連発するカナデに辟易しながらも思考を巡らせる。
最小限の攻撃で彼女を沈めるつもりが、この強さではかなりのリスクを伴い、下手をすれば俺の方がやられかねない。
「うふふ!ミナトを捕まえたらぁ……吸って……噛んで……吸って……味わって……わたしの中に入れてあげるぅ♪」
「………」
この淫乱っぷりはやはり吸血鬼の血による影響なのか?
普段の純真無垢な姿からは想像もつかない痴女っぷり。やはりあの妹と重なってしょうがない。
彼女を傷付けることになろうと、本気を出して強引に制圧するしかないか……と考えた時だった。
「っ!?」
背後から感じる気配──瞬時に振り向こうとするが遅い。
カナデの小さな腕が首に絡みつき、まるで蛇が獲物を絞めるように締め上げてくる。
「やっと捕まえたぁ……ミナトの首筋……あったかい……」
「なっ……」
彼女の吐息が耳元で感じられる。
熱を帯びた囁きが耳朶を打つ。
間違いなく、これは、セラと同じ──吸血鬼特有の力。
純血の血を摂取したことにより能力が活性化した結果だろう。
「うふ……うふふ……ミナトの匂い……美味しい……甘くて蕩けそう……」
「ち……っ!」
反射的に魔力を込めた肘打ちを放つ。
だが、カナデは怯むどころか逆に笑みを深めている。
「痛いよぉ……でも好きぃ……!ミナトに殴られるの気持ちいい!」
「……っ」
もはや完全にイカれている。
吸血鬼の血による狂気と快楽が彼女を支配し、カナデの首を絞める力が増していく。
普通なら間違いなく即死レベルの圧力。
幸い、全身の魔力を循環させて身体を強化しているおかげで何とか持ち堪えているが──。
「あはははははっ!もう逃がさないよぉぉっっ!!!」
「っ!?」
カナデが全身から魔力を放出。
爆発的な衝撃波が周囲を薙ぎ払う。俺は咄嗟に障壁を展開するが間に合わず吹き飛ばされた。
「っぐ……!」
背中から地面に叩きつけられる。
土埃が舞い上がる中で、なんとか体勢を立て直した。
「……やっぱりそうか」
カナデの魔力は膨大だが、やはり暴走状態ではコントロールが効かないのか精度は低い。
あのまま俺を拘束していれば流れは彼女の方に傾いただろうに。
「ミナトぉ!どうしたのぉ?早く吸わせて!噛ませて!舐めさせて!わたしの中にミナトを全部入れてあげるからぁ!」
「自分で吹っ飛ばしたくせに何言ってんだ……」
思わずツッコミを入れるが、カナデは聞く耳を持たない。ただ本能のままに俺を求めている。
「ミナトの血ぃ!味わいたい!飲みたい!噛み付いて啜って吸って……っ!ミナトのことぜーんぶわたしで埋め尽くしたいよぉ!」
うん。こいつ、正気か?
いや、吸血鬼の本能だというのは理解出来る。
だがそれにしても、口に出す内容がエグすぎる。
もしかしたら、俺が知らないだけでカナデは元々こういう属性だったのだろうか?
「……まさか、な」
これ以上考えるのはやめよう。
思考が泥沼に嵌りそうで気が滅入る。
気を取り直して、どうやって彼女を鎮めようかと頭を悩ませるのであった。




