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第39話 ──さようなら


「き、貴様は……」


 吹き飛ばされたエルドリックが、瓦礫を押し退けながら立ち上がる。


 胸元には深い斬撃が刻まれ、鮮血が衣服を赤く染めていた。

 常人ならば立っていることさえ不可能な致命傷だ。


「一国を束ねる国王が、娘に殺害予告か」


 静かな声が路地裏に響く。


 声の主――ミナトは、フレイアを庇うように彼女の前へ降り立った。


「ミナト……くん?」


 か細い声が漏れる。


 つい数秒前まで、自分は死を受け入れようとしていた。


 それなのに今は、目の前に見慣れた背中がある。


「街の魔獣の大半は片付けた。カナデたちも上手くやってる。ここは俺に任せてくれ」


「…………」


 それだけだった。


 なのに、不思議と安心した。


 張り詰めていたものが僅かに緩み、フレイアの瞳から一筋の涙が零れる。


「くく……」


 エルドリックが傷口を押さえながら笑った。


「不意打ちとはいえ、一撃でこの威力……さすがは黒龍を単独で屠った男と言うべきか」


 その表情に恐怖はない。


 むしろ狂気じみた歓喜さえ浮かんでいた。


「だが、この程度で私を仕留めたと思うなよ」


 左腕に刻まれた紋様が妖しく輝く。


「貴様らが扱う魔力などとは次元が違う。これは魔力を超越した――『魔術』なのだからな!」

「な……!?」


 紫色の光がエルドリックの全身を包み込み、フレイアが目を見開く。


 ミナトが刻んだ傷が煙を上げながら塞がっていく。


 裂けた皮膚が繋がり、血が止まり、ものの数秒で傷そのものが消失した。


「……何を見せてくれるのかと思えば、自己回復か。それくらいなら俺にも出来るぞ」

「甘いな、小僧。こんなものは序の口よ!」


 ミナトが興醒め気味に呟く中、エルドリックが腕を掲げる。


「――『次元門解放』!」


 直後、虚空に漆黒の亀裂が走った。


 空間が裂け、その向こう側から巨大な影が這い出してくる。


 一体、二体。さらに三体。


 巨大な狼、甲殻に覆われた獣、四本腕の人型魔獣。


 どれもがAランクに匹敵する魔力を纏い、それが十数体。


「魔獣……!?どうしてこんな場所に……!」

「まだ分からぬか?」


 エルドリックは愉快そうに笑った。


「この紋章は、ゲートを任意に開閉する力を私に与えた」

「……!」

「貴様らが必死になって対処していたゲートの暴走も、全て初めから仕組まれていたこと」


 フレイアの顔から血の気が引く。


 だがミナトは、むしろ納得したように小さく息を吐いた。


「なるほど。つまり、ここであんたを止めれば全部終わるんだな」

「……随分と余裕だな」


 エルドリックの眉が吊り上がる。


「この魔獣どもは全てAランク相当。いくら貴様でも、この数を相手にすれば――」


 言葉が終わるより早く、魔獣の群れが一斉に飛びかかった。


 牙、爪、剛腕。


 巨大な質量が四方八方からミナトへ迫る。


 それでも、ミナトは動かなかった。

 

 ただ右手を軽く振り、魔力障壁が波紋のように広がった。


 次の瞬間には、十数体いた魔獣たちが一斉に弾け飛んでいた。


「…………は?」


 エルドリックの表情が初めて固まる。


「もう終わりか?魔術ってのは、もっと便利なものじゃないのか?」

「……ッ!調子に乗るな!」


 エルドリックは地面に転がる魔獣の肉片を拾い上げる。


 そして──。


「な……」


 フレイアが息を呑んだ。


 エルドリックは、それを躊躇なく口へ押し込み、噛み砕いた。


「何をして……!」

「貴様らには理解できまい!」


 紋章が激しく脈動する。


「魔獣の生命力を取り込み、己の肉体へ還元する!これこそ、この魔術の真髄よ!」


 骨が軋む。

 筋肉が膨張し、皮膚が黒く染まっていく。


 黄金色に変色した眼球。

 全身を這う紫黒の紋様。


 背中を突き破るように黒い翼が生え、尾骶骨から長い尾が伸びた。


「エルドリック……あなた……」


 フレイアの声が震える。


 もう、そこに父の面影はほとんど残っていなかった。


「見ろ!人の域を超えた、この力を!」


 異形と化したエルドリックが両腕を広げ、膨大な魔力が吹き荒れる。


 周囲の建物が軋み、石畳が割れた。


「この姿こそ魔獣の王!魔術に選ばれし者のみが辿り着ける究極形態だ!」

「ミ、ミナトくん……っ!」


 次の瞬間、フレイアの身体が薄い光に包まれる。


 ミナトが展開した魔力障壁だった。


「そこで待っててくれ」


 それだけ言い残し、ミナトは一歩前へ出る。


「なあ」

「何だ!?」

「あんた、その力……アリスって奴から貰ったんだったよな」

「フハハハ!そうとも!あの娘より授けられた――」

「だったら、聞きたいことがある」

「……っ!?」


 エルドリックの言葉が止まる。


 ミナトの表情から、感情が消えていた。


「帝国のこと。アリスのこと。その紋章のこと」


 静かな声。


 だがフレイアですら背筋が冷たくなるほど、殺気が滲んでいた。


「全部喋ってもらうぞ」

「……いい気になるな!」


 エルドリックが地面を蹴る。


 その巨体からは想像もつかない速度。


 魔力に覆われた拳が建物の壁を砕きながら迫る。


 だが――。


「遅い」


 ミナトが僅かに身体を傾ける。


 拳が空を切った。


 直後、無数の魔力槍が虚空から出現する。


「な――」


 逃げる暇などない。


 槍が一斉にエルドリックの四肢と胴体を貫いた。


「ゴハァッ!!?」


 鮮血が飛び散る。


 巨体が地面へ縫い付けられた。


「ば、馬鹿な……!」

「魔力量だけなら親父に迫ってるか」


 ミナトは淡々と告げる。


「でも、それだけだな」

「な、何……?」

「力に振り回されてる。自分が何をしてるのかすら分かってない」

「黙れぇぇぇ!!」


 魔力槍を無理矢理破壊し、エルドリックが立ち上がる。


 だが、一閃。


「――がっ!?」


 右腕が宙を舞った。


 地面へ落ちた腕から遅れて、鮮血が噴き出す。


「くそ……!何故だ!この肉体が……魔力の刃などに……!」

「……なあ」


 ミナトが剣状に固めた魔力を握る。


「殺される前に喋った方がいいと思うぞ」


 冷たい目だった。


 フレイアは悟る。

 これは、もはや戦いではない。


 エルドリックに、勝機など最初から存在していない。


「ふざけるな……!」


 エルドリックが震える。


「紋章を得た私こそ最強なのだ!私は王となった!ここまで上り詰めた!貴様ごときに――!」

「……そうか」


 ミナトが一歩踏み込む。

 次の瞬間──。


「ぎゃああああああっ!!」


 両脚が斬り飛ばされた。


 異形の巨体が地面へ崩れ落ちる。


「こ、こんな……こんな理不尽があってたまるか!私がどれだけ苦労してここまで――!」


 ミナトの瞳がさらに冷える。


 娘の人生を踏みにじり、両親を殺し、国すら利用した男が。


 今になって自分だけは理不尽だと喚いている。


「もういい」


 ミナトが掌を向ける。


 黒く凝縮された魔力が放たれ、エルドリックの胸を貫通した。


「ぐ……は……っ」


 傷口から黒い霧が広がる。


 肉体だけではない。

 全身を覆っていた紋様まで黒く濁り、輝きを失っていく。


「ぁ……」


 かつての父、エルドリックが地面へ崩れ落ちる。


 フレイアは何も言えなかった。


 両親の仇。


 国を裏切った男。


 それでも、かつて「父」と呼んだ人。


「……おい」


 ミナトがエルドリックの襟首を掴む。


「情報は喋ってもらうぞ。帝国……あの女について知ってること。全部な」


 その言葉にエルドリックの口が微かに開く。


 しかし、出てくるのは断末魔の呻き声だけだ。


 ミナトは手をかざし、魔力治療を試みようとする。


 傷を癒やすこと自体は造作もない……筈だった。


「……こいつは」


 体内は既に壊滅状態だった。


 異形化した肉体と紋章が互いに侵食し合い、生命維持機能そのものを破壊している。


 無理に治癒すれば、逆に暴走しかねない。


「……ちっ」


 帝国。

 アリス。

 そして、未知の魔術。


 聞きたいことが山ほどある中、ミナトは静かに振り返る。


 魔力障壁の中で、フレイアが震えていた。


 しばらく考えた後、彼女を包み込む障壁が消える


「……フレイア、後は任せてもいいか?」

「……え?」


 ミナトはエルドリックを地面へ横たえる。


「最後くらい親父と過ごす時間があってもいいだろ。憎いならとどめを刺せばいい。ただ……」


 そこから先、ミナトは言葉を濁す。


「……じゃあ、頼んだぞ」

「ちょっ、待って……!」


 呼び止めるより早く、ミナトは空へ舞い上がった。


 残されたのは二人だけ。


「…………」


 静寂が戻る。


「お父様……」


 フレイアは震える足で歩き出した。


 地面に横たわるエルドリックは、もはや言葉すら発せない。


「う……ぅ……」


 微かな呻き。


 その瞳だけが、フレイアを見つめていた。


 憎い。

 殺してやりたい。

 両親を奪った。


 自分を利用し、国王という立場で国を捨てた。


 許せるはずがない。


 それなのに──十年以上「父」だった記憶まで、簡単には消えてくれなかった。


 フレイアは傍らに膝をつく。


「……ねぇ」


 声が震える。


「本当に……全部、嘘だったの?」


 返事はない。


「あたしを引き取ってくれたことも……心配してくれたことも……」


 涙が頬を伝う。


「辛い時に励ましてくれたことも。剣を教えてくれたことも……」


 唇を噛む。


「あたし……本気で尊敬してたのよ?」


 声が掠れた。


「あなたに認めてほしくて……立派な王女になろうって、ずっと頑張ってきたのに……」


 返事はない。


 それでもフレイアは、最後まで男の瞳を見つめた。


「……ごめんなさい」


 右手に魔力を集める。

 光が剣の形を取った。


 切先を、エルドリックの胸へ向ける。


 手が震える。


「おかしいわよね、こんなに憎いのに……もう、あなたはお父様じゃないって分かってるのに……」


 フレイアは目を閉じる。


 楽しかった記憶まで、嘘にはしたくなかった。


 たとえ相手にとって演技だったとしても。


 自分が笑ったこと、救われたこと。


 父だと思って愛したことまで、偽物にはしたくなかった。


 フレイアは涙を拭い、剣を握り直す。


「――さよなら」


 だから、最後だけ、王女としてではなく。


「……お父さん」


 短い別れの言葉と共に、魔力剣が振り下ろされた――。


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