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第3話 ただ一人の例外

 それから更に一年の時が流れた。


 裁判の第一審では、加害者に無期懲役の判決が下された。

 殺意を持って凶行に及んだことは間違いないが、環境的要因も考慮すべきだという理由から、無期懲役という判決に落ち着いたのだ。


 もちろん、これは死刑より軽い。

 加害者は控訴。裁判はまだ続く。


 14歳になった優也は、最低限の素行の良さだけは認められ、施設から地元の学校に通うことを許されていた。


 朝のホームルーム前。教室の隅で一人、窓の外を眺めながら優也は時間を潰す。

 クラスメイトは誰も近づいてこない。それが日常だった。


 ただ、一人の例外を除いて。


「おはよう、八神くん」


 突然、声がした。

 顔を向けると、一人の少女が立っていた。

 長いストレートの黒髪に、特徴的な赤い瞳の少女。穏やかな微笑みを浮かべた彼女の名前は──。


「……おはよう、天野さん」

「うん、今日もいい天気だね」

「そう……だな」


 優也の心が、ほんの少しだけ揺れた。

 事件のこともあり、はみ出し者である優也に話しかけてくるのは、クラスの女子──天野澪(あまのみお)。彼女だけだった。


 彼女がなぜ自分に構うのか分からない。

 でも、その何気ない会話が、優也にとっては救いだった。


(我ながら単純な奴だよな……)


 かつてはあんなに周りに対して憎悪を燃やしていたのに、一人の女の子に話しかけられただけで、こんなにも心が揺れ動く。

 とはいえ、最初からそうだったわけではない。


「うんうん、最近はちゃんと挨拶を返すようになったね」

「最近は……ってなんだよ」

「だって八神くん、最初はあたしがどれだけ話しかけてもほぼ無視だったよ?『うわ、寂しがりの陰キャが無理にクールぶって痛い奴だなぁ』って思ってたもん」

「……前から思ってたけど、結構容赦ないよな」


 澪は悪戯っぽく笑う。

 言いたい放題だが、優也にはむしろ心地よかった。無駄に気を遣われるより、ずっといい。


「よし!じゃあいつも通り、また課題の答え合わせしよっか。隣同士なんだから助け合わないとね!」

「……俺の答えを丸写しすることを『助け合い』とは言わないと思うぞ」

「細かいことは気にしなーい。はい、八神くん。今日の英単語と社会のプリントお願いします!」


 ほとんど強奪に近い形で宿題を持っていかれ、優也は呆れてため息をつく。

 だが、嫌な気分じゃなかった。


 彼女は、こちらの事情なんて気にせずに接してくる。

 それが、ありがたかった。


「ふーん。八神くんって施設暮らしなんだ?それって楽しい?」

「まあ、別に普通」

「娯楽とかはあるの?ゲーム機とか?」

「施設のタブレットでソシャゲくらいは」

「うっわ、じゃああたしには無理だなぁ」


 何かを諦めたような口調で、澪は大げさに嘆く。


「ねぇ、良かったら帰りにちょっと付き合わない?本物のゲームってやつを教えてあげる」

「俺を誘ってるのか?」

「他に誰がいるのかな〜?何?まさか女の子から誘われるの初めて?」

「……別に」


 断る理由はなかった。

 こうして優也は両親の死後……初めて、友人と遊ぶという経験をすることになった。


◇


 放課後、連れて行かれたのは駅前のゲームセンターだった。

 前を通ることはあっても、入るのは初めてだった。


「格闘ゲームはやったことある?」

「タブレットでできるやつなら多少は」

「うーん。コントローラー使って遊ぶやつなんだけどな。まあ、見てて見てて」


 言うが早いか、澪は小銭を投入して一人用のモードを開始する。

 画面の中でキャラクターが縦横無尽に動き、敵を次々と倒していく。流れるようなコンボに、優也は思わず見入ってしまった。


「すごいな」

「でしょー?」

「……てか天野さんって、結構オタク趣味なのか?」

「ひっど!ゲームは男の子だけの趣味じゃないんですけどー。でもまあ……否定はできないかな」


 澪は舌を出してから、優也に振り返る。


「天野さん?」

「やろっか。手加減しないよー」

「いや、しろよ。俺、初心者だぞ……」


 こうして初めての対戦が始まった。

 結果はもちろん……ボロ負けだった。


「あはは、まだまだだねー八神くん!」

「……初心者をいたぶるのがそんなに楽しいか」

「うん、楽しい!もっと悔しがれー!さあ次!コンテニューコンテニュー!」

「くっそ……」


 小一時間ほど遊んだ後、二人はゲームセンターを後にした。

 飲み物を片手に公園のベンチに腰掛け、少しだけ空気が冷たくなり始めた空を見上げる。


「あー、楽しかったぁ。結局一回も勝てなかったね」

「そりゃあんたは楽しいだろうな。あれだけ勝ちまくれば」

「お、皮肉を言うようになったか。成長したねぇ」

「……年は同じだろ」


 澪は楽しそうに笑い、ストローを弄びながら続ける。


「でも、良かった。八神くん、やっぱり話しやすい」

「……そうか?」

「うん。最初はもっと怖い人かと思ってたけど、全然違う」

「怖い?」

「うん。なんか、目が死んでるっていうか……いつも誰かを睨んでる感じだったから」


 優也は黙って聞いていた。

 否定はできない。実際、中学に上がる前の自分は、確かにそんな感じだっただろう。


「『俺に話しかけるなオーラ』っていうのかな?それがすごいって」

「そんなもん出してない」

「出てた出てた。でもそれ、矛盾してるよね」

「……何がだよ」

「だって、あたしが話しかけたら笑ってくれるでしょ?」

「っ!」


 心臓が跳ねた。

 必死に否定しようと思っても、上手く言葉が出てこない……。


「図星だー」

「……笑ってない」

「うわ、子供か。でもその反応可愛いぞー」

「……もう帰るぞ」

「ごめんってば!……ね、でもあたし、嬉しかったんだよ?」


 立ち上がろうとする優也を、澪の声が引き留める。


「あたしも、ずっと学校で浮いてたから」

「……え?」

「意外?でも、そうなんだよね」


 澪は、どこか遠くを見るように空を見上げた。


「あたしの家、ちょっと変わっててさ。親がテレビ局のディレクターで、事件ものの番組を担当してるんだよね」

「事件……」


 その単語だけで、胃のあたりが小さく縮む。

 優也は表情を動かさないよう努めたが、指先だけが缶を強く握っていた。


「うん。痴漢冤罪とか虐待死とか。いわゆる社会問題っていうのかな?そういう事件の真実に迫るのがウチの親の仕事なんだって」

「……それで、浮いてるのか?」

「うん。今ってネットとかの影響でそういうの厳しいじゃない?マスゴミとかカスゴミとか。だから、クラスの子たちの親からもあんまり良く思われてないみたいで、ちょっと距離を置かれてるんだよね」


 澪は気にしていないような口調だったが、どこか寂しげだった。

 思いがけない告白に、優也は何も言えずにいると、澪は笑顔を見せる。


「あ、愚痴じゃないからね?親は尊敬してるし、仕事はちゃんと認められてるから!」

「でも、そのせいで友達ができないんだろ?」

「……まあね」


 夕日が沈みかける中、彼女はぽつりと呟いた。


「どんなに正当性があっても、結局、偏見で他人に嫌われることってあるんだよね」

「……そうだな」


 いつも明るく、誰にでも笑顔を絶やさない天野澪。

 彼女がそんな事情を抱えているなんて、想像もしていなかった。


「でもね、お父さんとお母さんは言ってた。どんなに叩かれても、訴え続ければ本当の自分を分かってくれる人が現れるって」

「……そうなのか?」

「最初はあたしも疑ってたけど、今はそう思うなー。先生はあたしをよく気にかけてくれるし、塾とかお稽古とか、人目がそんなにない場所では普通に話せる子はいるしね」


 澪はベンチから立ち上がると、優也に向き直った。


「だから、八神くんも、だよ?」

「俺?」

「うん。みんながみんな、あなたの敵なわけじゃない。偏見で叩いたり、身勝手な理由で嫌う人もいるかもしれないけど。でも、ちゃんとあなたを理解したい……支えたいって思ってる人はいるんだからね?」

「っ……」


 心を読まれた気がした。

 彼女は、自分の事情をどこまで知っているのだろうか?


 理屈は分かる。しかし、すぐには受け取れなかった。

 そういう言葉を、都合のいい場所で何度も聞かされてきた気がする。

 信じたい気持ちと、信じることが怖いという気持ちが、同時に胸の中でぶつかる。


「……俺は、天野さんみたいになれない」

「うん。あたしはあたし。八神くんは八神くんだもん」


 澪は否定も説得もしなかった。

 それだけで、胸のざわつきが少しだけ沈んだ。


「うーん……でもまあ、寂しがり屋の八神くんなら心配ないか。なんせ『俺に話しかけるな』アピールしておいて、女の子とろくに目を合わせられない陰キャだし」

「……本当に容赦ないよな」

「ほら、今も照れてるー。悔しかったらコミュ力磨いて言い負かしてみせなー」

「うるさい……」


 澪は楽しそうに笑いながら、優也の腕を引っ張って立ち上がらせる。

 もう夜の帳が下りかけている。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか。送ってく?」

「いや、そっちが襲われたら困るだろ……」

「あ、心配してくれてるんだ。でもあたし、結構強いんだよ?」

「……そうか」


 二人は並んで帰路につく。

 優也の心は、これまでにないほど穏やかだった。


「また明日。今日は楽しかったよ」

「……うん」


 別れ際、澪が振り返って言った。


「あ、そうだ。八神くん」

「なんだ?」

「次からあたしの名前……下の名前で呼んでみない?」

「な、なんでだよ」

「いいから。ほら、言ってみて?」


 抵抗するのも面倒になり、優也は小さく呟いた。


「……澪」

「うん!また明日からよろしくね、優也!」


 彼女の満面の笑顔に、優也は言葉を失った。

 胸の奥が熱くなる。この感情が何なのか、まだよく分からなかったが……。


「ばいばい、優也!」


 走り去っていく背中を見送りながら、優也は思わず呟く。


「……また明日、澪」


 初めて名前で呼んだ少女の姿は、いつまでも心に残り続けた。


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