22・・返信
「ちょっと、サアヤってば聞いてる?」
「……うん」
このところ寝不足の夜が続いているからか、お酒が入ったせいか、頭がぼーっとしている。
「最近、なんか悩んでいない?ランチしてもお茶しても元気がないし……ライリーも心配していたよ」
テオへの想いを自覚してから、悶々とする日々が続いている。
頭の中では整理がついているのに、気持ちの切り替えが上手くできない。
苦しい気持ちから逃げるように、不要なことを考えないように、毎晩遅くまで文献を読んでは倒れこむように寝る生活をしていた。
ステラやライリーに心配させていたかと思うと申し訳なくなる。
誰にも気づかれないように、心の中に閉じ込めておこうと思っていたのに。
「ごめんね。なんだか気持ちが落ち着かなくて、あんまり眠れないんだ」
テオへの気持ちをなかったことにしようとすればするほど、深みにはまって行くかのように心が辛くて切なくて泣きそうになる。
夜、一人で部屋にいると余計に考える時間だけがあって、鬱々としてしまってしんどい。
ご飯を作ることすら億劫になってしまった。
今夜は少しだけ気分を変えたくて、夕食にステラを誘った。
「本当に何かあったのではなくて?」
気遣うようなステラの言葉に、微笑んで頷く。
「少しね、色々考えちゃうことがあっただけ。ステラと時間を過ごせて気持ちが落ち着くわ」
今夜はもう何も考えたくない。
そう思ってグラスを空けていくけれど、酔いは心の奥深くまでは届いてくれない。
胸の奥がずっと痛いまま。
誰かに恋焦がれることがあるなんて無縁だと思っていたから、この恋心をどうすればいいかわからない。
テオから避けられている今、今後どうこうなるなんて展望は全くないのだけれど。
それでなくても、この世界からもうすぐいなくなる身。
不毛な恋をしていることは十二分に承知している。
きっと……時間が経てば、この気持ちも思い出に変わっていくだろう。
でも、本当は時間が解決するわけないってわかっている。
テオのいない世界で生きていくことを考えるだけで泣き叫びたいほど苦しくなる。
時薬が早めに効いてくれることを祈るばかりだ。
「はぁ、しょうがないわね」
ステラはため息まじりに呆れたような声をだすと、彩綾の頭をよしよしと撫で始めた。
「お酒に逃げたい日もあるわよね。でも、私が言うのもなんだけど、ちょっと飲み過ぎよ。体調もよくないでしょう?誰かに迎えにきてもらう?」
「一人で帰れるよ。家まですぐだし。それに……まだ帰ったらやることがあるもの」
もしかしたら、エイミから手紙が来るかもしれない。
お店の窓から空を見上げる。
今日は曇っている夜で、月があまり見えない。
こういう夜は手紙は届かないのかしら。
「テオを呼ぼうか?」
「それはだめ!」
ぼうっと空を見ていた彩綾はステラの言葉で我に返った。
「どうして?」
驚いたように言うレイラに、弱々しい声で応える。
「だって避けられているもの」
「何それ。そんなわけないじゃない」
「エミリーが私の世界にいることがわかった夜からちゃんと話せていないの。ご飯も食べに来なくなったし、遠征に行く時も会いにきてくれなくなったの」
「テオはサアヤに何も話していないの?」
ライリーも同じようなこと聞いてきたな。
「何か知っているの?」
彩綾の問いかけにレイラが労わるように微笑んだ。
「サアヤはテオのこと好きなんでしょう?」
「……」
ステラにも自分の気持ちにも嘘はつけない。
否定しない沈黙は肯定になる。
「テオとちゃんと話さないとダメよ」
「でも……もう私はここからいなくなるもの。伝えたところで良いことはないわ」
「……後悔しないようにね、それしか言えないけれど」
ステラは、泣きべそをかいている彩綾を家まで連れて帰ってくれた。
最後にもう一度「後悔しないように」と言い残して。
何をしたら後悔するのか。
何をしなかったら後悔するのか。
全然わからない。
なんだかモヤモヤとした思いを色々と考えていたら、すっかり酔いも覚め、眠気も消えてしまった。
ぼんやりと窓辺から空を見上げていると、頭上の月を覆っていた雲がみるみると消えていく。
二つの月の光がそれぞれ真っ直ぐに彩綾のいる窓辺に差し込んできた。幻想的だと目を見張っていたら、突然目の間に淡く柔らかな光に包まれた封書が浮かんだ。
「!」
震える手で封書を掴むと同時に淡い光は消えていった。
封書の表には見慣れた字で「彩綾へ」と書いてある。
「エイミから届いた!」
手が震えて、なかなか封書の封が剥がせない。
中には、彩綾が送ったのと同じくらいの厚みになったいる便箋と、小さな封筒が入っていた。
小さな封筒には、この世界の文字で「お兄ちゃんへ」と書いてあった。
昨夜は結局一睡もできなかった。
日々の睡眠不足と、昨夜の徹夜できっと顔がむくんでひどいことになっているだろうな、と思いながら彩綾はライリーの執務室へ向かう。
カバンの中に、エイミからの手紙が入っているのを何度も確認しながら。
エイミの手紙には、この世界から向こうの世界へと転移した前後の、彩綾が知らなかった話が書かれていた。
そして、それは、彩綾がライリーと予測していた異世界転移の方法を裏打ちするものでもあった。
早くライリーに教えてあげよう。
それに、エイミからテオさんへの手紙を早く届けなくちゃ。
足早に王宮に向かっている彩綾の横を馬に乗った騎士の一団が通り過ぎる。
いつもの光景ではあるけれど、騎士団を見るとその中にテオがいないかとつい目で追ってしまう。
「今日はテオさんは事務所にいるのかしら」
遠征に行っているのか、王都にいるのかすらもう今はわからない。
一番にライリーに聞いてみよう。
私から渡すのも嫌がるかもしれないから……ライリーから渡してもらおうかな。
じわっと涙が目に膜を作る。
昨夜エイミからの手紙を読みながら泣き続けてしまったせいで、涙腺が弱い。
「こんなんじゃだめね」
頭を降って弱気な自分を追い出すと顔をあげて、足早に王宮の門をくぐった。
ライリーの執務室は王宮の門から結構離れている。
気が急くのを堪えながら彩綾が廊下を歩いていると、前から大きな洗濯物を抱えた数名の侍女達の集団がやってきた。
ぶつからないように道を開ける為、廊下の端に寄って通り過ぎるのを待っていると後ろの扉が急に開いた。
扉にもたれかかるようにしていた彩綾は、背を預けていた扉と一緒に後ろに倒れてしまいそうになる。慌てて足を踏ん張ってみるけれど、一度重心が崩れてしまった体はすぐに体勢を戻せない。
突然のことに驚いて声も出ないまま、尻餅をつく覚悟を決めた彩綾は、トンと背中が支えられたのを感じた。
「大丈夫か?」
聞き間違えることのない懐かしい声が頭上から聞こえる。
見上げると、榛色の瞳と目が合う。
「テオさん……」
相手も驚いたように、榛色の瞳が揺れ動く。
「どうしたの?」
部屋の中から女性の声が聞こえた。
テオの横から顔を出したのは、以前テオと親しげに話していた女性だった。
……二人でいたのかな。
ここがどんな部屋かはわからないけれど、一緒にいたということは……と邪推してしまう。
自分の勘繰りで目の前が暗くなっていくようだった。
心が騒いで胸が苦しくなった彩綾は、テオにこの気持ちが気付かれてしまう前に離れたかった。
「あ……支えてくれてありがとうございます。それでは……失礼します」
顔を伏せて歩き出した瞬間、平衡感覚がなくなったように足元が覚束なくなる。
「待て」
彩綾の手首をテオが掴んだせいでバランスが崩れて、テオの胸の中に倒れ込む。
「顔色が悪い。体調が良くないのか?」
「立ちくらんだだけです。大丈夫です」
貧血を起こしてしまったと気づいたが、顔をあげることができないまま答えた彩綾をテオは何も言わずに抱き上げた。
「ちょっと!!」
いきなり高い位置に体が持ち上げられて、なんでこうなっているのか状況が飲み込めない。
「ここは医務室なんだ、診てもらえ」
そう言うと部屋の中にある椅子の上にそっと彩綾を下ろした。
「医務室?」
周りを見渡すと、確かに保健室のように医療器具のような物が並んでいる。
「そうよ、私は医者のマリアよ。テオから話は聞いているわ。あなたがサアヤさんね」
「……はい」
「ちょっと目を見せてもらうわね。テオ、あんたは外へ出ていなさい」
テオから聞いている?
未だ状況が飲み込めない彩綾は呆然としたままだ。
サバサバとした調子でテオに声をかけたマリアが、扉が閉まると彩綾に向かい合った。
「前に一度会ったことがあるわよね」
「はい……」
「ふふふ、彩綾さんって近くで見ても本当に綺麗ね。噂以上だわ」
「噂?」
「そうよ、第三騎士団長の想い人は天女のように美しいってね」
「……えーっと……」
どこから突っ込めばいいのか。
「あの……私はテオさんの想い人ではないですよ」
むしろ……マリアさんが本命なのでは?と思ったけれど、声に出して聞くことができない。
むしろ、これは牽制なんだろうか。
もう全くわからない。
マリアは彩綾の言葉に、艶やかに微笑んだだけだ。
呆然としているうちに、マリアは彩綾の目を確認して「貧血ね。ちゃんと寝てる?食べてる?」と矢継ぎ早に聞いてくる。
首を振った彩綾を見ると
「ちゃんとよく食べて眠ること。頭が痛いとかはない?」
と顔を覗き込んできた。
「はい、大丈夫です」
と慌てて答えた彩綾に
「テオの遠征も一息ついたみたいだから、しっかり甘えておきなさい」
と笑う。
貧血もあって未だ状況が掴めずぼんやりとしている彩綾を尻目に、マリアは扉を開けてテオを呼び入れた。
「テオ、この子、貧血を起こしているわよ。あとすごく痩せているわ。ちゃんと食べて眠るようにさせなさい」
「ああ、わかった。ありがとう」
「いいのよ。テオから話を聞いてずっと会ってみたかったから機会があってよかったわ」
二人の親しげな様子に、胸がぎゅっと押しつぶされそうになる。




