21・・自覚した気持ち
「頭痛い……」
王宮にある図書室で調べ物をしていた彩綾は、頭を使いすぎて少しぼーっとしながら歩いていた。一日中読み物をしていたから目が疲れてチカチカしている。
文字が読めるようになったとはいえ、思うような速さではまだ読めない。
他の国の文献も読みたいといった彩綾に、ライリーは王宮の図書室にある持ち出し禁止の文書の存在を教えてくれた。
「持ち出し禁止なだけで、閲覧は禁止じゃないから図書室で読む分には構わないよ」
驚くことに他国の文書には、日本のことも地球のことも書いてあるものがあった。過去に日本人の渡り人が他国にもいたようだ。
疲れたのか、頭が重い。
今日はもう帰ろう。
王宮の門に向かって回廊を歩いていた彩綾は、吹き抜ける気持ちの良い風を感じる。
「日本はもう秋かな」
春にこっちの世界にきてから、もう6ヶ月経った。
同じ時間軸だとしたら、日本はもう秋半ば頃だ。
エイミやお父さん、お姉ちゃんは元気でいるだろうか。
私がいなくなったことで、仕事は……家は……どうなっているんだろう。
戻ったら戻ったでどんな現実が待っているんだろう。
立ち止まって心地よい風にあたりながら感傷的になっていると、前からやってくる見覚えのある姿を見つけた。
「テオさん……」
テオが王宮勤めをしていることを示す制服を着ている女性と話をしながら、彩綾の方に歩いてきている。
何を話しているんだろう。
女性側が少し興奮した様子でテオに話しかけているようだ。
片や、テオはよく見かける眉間にシワを寄せた険しい表情ではなく、柔らかな表情をしている。
ライリーやステラに向ける表情と同じ。
横の女性ともきっと親しい仲なのだろう。
突然、歩みを止めた二人が向かい合うように立ち、女性がテオの頬へ手を伸ばした。
テオは女性の手が戻るまで、動かなかった。
一瞬胸がギュっと痛いほど締め付けられた後、モヤモヤとした黒い塊が彩綾の心の中に広がる。
「テオさん……」
目が離せなくなって固まったまま二人を見つめていた彩綾は、姿を隠すタイミングを逃してしまった。
「彩綾……」
女性と話しながら歩いていたテオが彩綾に気づくと驚いたように目を見開いた。
彩綾は慌てて微笑みを作ると、テオに挨拶をする。
「遠征から戻られたんですね。お疲れ様です」
「ああ……」
少しバツが悪そうなそぶりを見せるテオを見て、彩綾の胸に空いた風穴に冷たいものが抜けていく。
テオの服装やこざっぱりした様子から、つい先ほど帰ってきたわけではなさそうだ。
遠征から戻っているのに連絡をくれなかった。
王都にいる間は夕飯を毎日のように食べに来てくれていたのに、その連絡もない。
避けられている。
違っていてほしいと思っていた疑惑は、確信として彩綾にのしかかった。
遠征からの帰還連絡は、テオが責任感でやってくれていたこと。
彩綾の家で夕飯を食べることだって、時間があればと誘っていること。
どちらも約束ではなく、テオの善意でやってもらっていたことだから、彩綾は何も言えない。
テオと話していた女性が無遠慮にジロジロと彩綾を観察しているのがわかった。
ステラとは違う、大人の女性の妖艶さがある美女だ。
きっと牽制されているのだろう。
なんだか腹が立ってきた彩綾は、女性ににっこりと微笑みかけたあとテオにも精一杯微笑んだ。
「それでは、失礼します」
背筋を伸ばし、視線を前に向けて足早にテオの横を通り過ぎる。
何か声をかけてくる様子はなかった。
テオの後ろめたそうな表情だけが彩綾の心に残る。
……そんな顔をさせたいわけではないのに。
「テオさんにはここでの生活がある……もうすぐ帰る私に構う必要はないんだから」
心の中で独りごちた。
王宮の門を出ると、彩綾は緊張してた体の力を抜く。
テオとはエイミがエミリーとわかった夜から二週間近く一度もちゃんと話せていない。
さっき廊下で会った時に一緒にいた綺麗な女性は誰なんだろう。
親しげな表情を浮かべていたテオを思い出すと、胸がぎゅっとなる。
ああ、私はテオさんが好きなんだ。
唐突に自分の抱えている、もやもやした気持ちが何かを悟ってしまう。
ずっとテオに惹かれていた。
多分、初めて会ったあの夜からずっと。
微かに口元を緩ませた柔らかな表情も、剣だこがある逞しく温かくて厚い手も、耳心地よい落ち着いた低い声も意思が強そうな榛色の瞳も、全て彩綾を魅了してやまない。
かといって、彩綾は元の世界にもうすぐ帰る身。
この想いに気づいたからと言って、何か行動することも気持ちをぶつけることもできない。してはいけない。
この気持ちをテオにばれないように。
抱えたまま向こうに帰ろう。
彩綾はそう心に決めると、しっかりした足取りで歩き出した。
§
「ライリーさん、私、探していた答えを見つけたかもしれない」
元の世界に戻る夜まで、あと一ヶ月半。
他国の文献の中から、驚くべき手記を見つけた。
彩綾にしか読めないもの。
きっと手記を書いた本人も、後世で誰かに読まれるなんて考えてもいなかっただろう。
人の秘密を覗き見するようで気が引けたけれど、背に腹は変えられず心の中で謝りながら読ませてもらった。
そのおかげで、なんとなくこの状況について自分なりの結論が出た気がする。
「例の手記から?」
ライリーには逐一報告をしていたから、彩綾の言葉にぴんときたようだった。
「私の考察が正しいかどうか確かめたいことがあるの」
彩綾の意図がわかったのだろう。
ライリーがにやっと笑って「付き合うよ」と答えた。
空を見上げると、頭上に綺麗な月が浮かんでいる。
「サアヤの世界の月は、毎日姿を変えるんだろう?」
この世界で月は満ち欠けの姿は見せない。ずっと満月のまま。
「そうよ。だから、明るい夜もあれば暗い夜もあるのよ」
ライリーと王宮の庭園のベンチに座り、月を見上げながら答える。
ここの世界の夜は、大小二つの月の光のおかげで、晴れていれば街灯がなくても十分足元まで見えるほど明るい。
エイミは今も月を見上げて何かを祈っているだろうか。
彩綾は一通の手紙を取り出した。
エイミ宛の手紙。
前回失敗した時に送ろうとしたものとは違い、事細かに彩綾の置かれた状況を書いてある。
書き足りないことはあるけれど、それでも封筒がパンパンに膨れ上がるほどの量になってしまった。
「やってみるわね」
エイミのことを強く強く思いながら手の上においた手紙に魔力を流し込む。
ぼうっと光っていた手紙が……消えた。
「消えた!」
消えたって言うことは……エイミに送れたってこと?
呆然と自分の手元をじっと見つめていた彩綾は、横のライリーと顔を見合わせてた。
「これって……送れたってことよね?」
「ああ……やったな!!」
興奮を爆発させるかのようにライリーが嬉しそうに笑い出す。
「異世界に手紙が送れるなんて……夢みたいだ」
「無事にエイミに手紙はついたかしら」
「消えたってことはそう言うことだと考えるしかないさ」
「……返信くれるかな」
「あいつは頭がいい。それに転移のこともわかっている。きっと手紙を読んだらわかってくれるさ」
そうだといいな……。
もう一度、頭上で輝く丸い月を見上げた。
どうか、手紙がエイミに届いていますように。
エイミから手紙が届きますように。
月に祈らずにはいられなかった。
家に帰った彩綾はなかなか寝付けない。
興奮と不安が入り混じったなんともいいようのない焦燥感に飲み込まれる。
無事にエイミの元に手紙はついただろうか。
返信はくれるだろうか。
結局まんじりともせず夜を過ごし、寝返りばかり打っていた彩綾は寝不足のまま、ライリーの執務室へ向かった。
「あれ?サアヤ、クマができてるよ」
「そんなにわかる?昨日興奮しちゃって寝付けなかったの」
「あれから……返事は?」
ライリーの問いに彩綾は黙って首を横に振る。
「ま、そうだよな。サアヤが送った手紙の枚数、読むだけでも1日かかりそうだからな」
ライリーが気にするなとでも言うように笑った。
「あれでも、だいぶ抑えたんだけどね」
ライリーの気遣いに彩綾も乗って、笑顔で応える。
「ね、テオさんにも言うべき?妹に連絡取れるかもしれないって」
昨日から気になっていた。
「そうだな……。エミリーから返信が来てから伝えるのはどうだろう。今の状態だとぬか喜びにさせても……な」
「そうね……そうしましょう」
確かに中途半端なことは言えない。
「テオのやつ、また遠征に行っちゃったからな……あいつよくやるよな」
ライリーが何気なくポツリと呟いた言葉が、彩綾の心を重くする。
「……帰る前にもう一度くらい会えるかな」
「サアヤ、テオと話していないの?」
驚いたようにライリーがサアヤを見つめた。
「携帯を皆に見せた夜が、テオさんとちゃんと話した最後の日よ」
「はぁ?まじか……あいつ……」
ライリーが決まり悪そうな顔をしたことに気がつかないふりをした。
テオさんが私を避けている理由をライリーさんは知っていそうだから。
何か気がついてはいけない想いがそこにはありそうだから。
「私、もう一度図書室に行って、文献を読んでくるね」
何かいいたげなライリーを残して、彩綾は逃げるように執務室をでた。




